第22話:追跡者と白亜の別荘
夏だ。海だ。合宿だ。
本来なら高校生らしく胸を躍らせるべきシチュエーションなのだが、私の心臓は別の意味でバクバクと高鳴っていた。
「⋯⋯お待たせしました、陽菜様」
駅前のロータリーに場違いなほどの威圧感を放つ漆黒のリムジンが横付けされた。
自動ドアが開き笑顔の老執事が恭しく頭を下げる。
周囲の通行人たちが「えっ、何?」「有名人?」「映画の撮影?」とざわめきながらスマホを向けている。私はその視線に耐えきれず、小さくなって身を縮こまらせた。
「さあ乗れ、陽菜。中は涼しいぞ」
後部座席から涼しげな顔をした氷室玲奈会長が手招きをしている。
白いサマードレスに大きな女優帽。避暑地の貴婦人のようなその姿は、リムジンという非日常な乗り物に完璧にマッチしていた。
「あ、ありがとうございます⋯⋯」
私が乗り込もうとした、その時だった。
「ちょーーーっと待ったぁぁぁ!!」
遠くから何かを擦りむくような不快な摩擦音と共に絶叫が聞こえてきた。
キキキキキーーーッ!!
リムジンの真横に猛烈な勢いで急停車したのは一台の自転車だった。
ロードバイクではない。カゴがついたいわゆる「ママチャリ」だ。しかもカゴには大根やネギではなく、登山用のような巨大なリュックサックが無理やり詰め込まれている。
「ぜぇ、ぜぇ、はぁ⋯⋯!」
ハンドルを握りしめ、滝のような汗を流しているのは愛川美羽だった。
Tシャツは汗で背中に張り付き、亜麻色の髪は湿気で爆発し、膝にはなぜか絆創膏が貼られている。
「⋯⋯み、美羽?」
「やっほー、陽菜! 奇遇だね! 私もたまたま、同じ方面にサイクリングに行こうと思ってたんだー!」
美羽が引きつった笑顔でピースサインをする。
奇遇も何も集合場所と時間は完全に筒抜けだったらしい。それにしても「サイクリング」というには装備がガチすぎるし、ママチャリという選択肢が無謀すぎる。
「爺⋯⋯出せ」
リムジンの中から冷酷な声が響いた。
玲奈会長は美羽を一瞥すらせず運転手に指示を出した。
「えっ、ちょ、待って! 待ってよ会長! 無視しないで!」
「我々の目的地は片道百キロ以上ある。その鉄屑でついて来られるものなら来てみろ」
「ひ、百キロぉ!? 鬼! 悪魔! ⋯⋯せ、せめて荷物だけでも乗せてぇぇ!」
美羽がリュックを差し出そうとするが、無情にもリムジンの窓はスモークと共に閉ざされた。
「行くぞ」
静かなエンジン音と共に巨体が滑るように発進する。
「あぁぁぁぁ! 陽菜ぁぁぁ!! 待ってぇぇぇ!!」
窓の外で美羽がママチャリを漕ぎ出す姿が見えた。必死の形相でペダルを回しているがリムジンの加速には到底及ばない。
みるみるうちに小さくなっていく幼馴染の姿に、私は一抹の不安とそれ以上の呆れを感じずにはいられなかった。
◇
リムジンの車内は外の酷暑が嘘のように快適だった。
静寂、適度な冷房、そしてほのかに漂うアロマの香り。
「ふふ、ようやく二人きりだな」
会長が上機嫌で冷蔵庫からピエール・エルメの箱を取り出した。
「陽菜、マカロンだ。君の好きなフランボワーズ味もあるぞ」
「わぁ、ありがとうございます⋯⋯」
「さあ『あーん』だ」
会長は当然のように私の隣に座り、私の肩を抱き寄せている。
差し出されたピンク色のマカロンを口に含むと、甘酸っぱい香りと繊細な甘みが広がった。
「美味しい⋯⋯」
「そうか、よかった。⋯⋯陽菜が笑ってくれるなら、この車一台くらい買い替えた甲斐があるというものだ」
「か、買い替えたんですか!?」
「前の車は少しシートが硬かったからな。陽菜の肌を傷つけないよう、最高級のレザーに変えさせた」
会長は愛おしそうに私の頬を撫でる。
その瞳は、とろけるように甘く私だけを映している。
幸せだ。
お姫様になったみたいだ。
でも――。
(⋯⋯私、こんなことしてていいのかな)
ふと、胸の奥にチクリとした痛みが走った。
この関係は「契約」だ。
玲奈会長が私を守るために提案してくれた、期間限定の嘘の恋人関係。
もちろん私は玲奈会長のことが好きだ。そして彼女も私に好意を向けてくれていると感じる。
けれど住む世界があまりにも違いすぎる。
財閥の令嬢とただの庶民。
本物の宝石と道端の石ころ。
(玲奈会長は優しいから、私のことを面白がってくれてるだけかもしれない。⋯⋯いつか『ごっこ遊び』に飽きたら私は捨てられるのかな)
会長はいつも優しい、その優しさが自分以外に向けられることを想像すると苦しくなる。でも本来はそんな感情を持つこと自体がおこがましいんだってネガティブな思考の渦に沈みかける。
(⋯⋯ん?)
ふと窓の外を見た。高速道路の景色が飛ぶように流れていく。
その路肩を幻影が見えた気がした。鬼の形相で舌を出しながらママチャリを漕ぐ美羽の幻影が。
(⋯⋯気のせいだよね、いくら美羽でも)
いや、まさか高速道路を自転車で走るわけがない。あれは私の罪悪感が見せた幻覚だ。そうに違いない。
「どうした、陽菜? 少し顔色が悪いぞ」
玲奈会長が心配そうに覗き込んでくる。
「あ、いえ⋯⋯ちょっと車酔いしちゃったかも」
「なんだと!? すぐに休憩させようか? それとも私の膝で寝るか?」
「だ、大丈夫です! 会長の肩をお借りできれば⋯⋯」
「⋯⋯っ! ああ、いくらでも使ってくれ! 私の体は君のためにある!」
会長は嬉しそうに私の頭を自分の肩に乗せた。
その温もりに包まれながら私は小さく息を吐いた。
嘘でもいい。契約でもいい。
今だけは、この甘い夢に溺れていたい。
そんな弱虫な自分を私は心の中で叱りつけた。
◇
二時間後。
私たちは目的地に到着した。
「⋯⋯え」
車を降りた私は目の前の光景に言葉を失った。
そこは海を見下ろす断崖の上に建つ白亜の宮殿、別荘と聞いて想像していたログハウスやコテージのレベルではない。ギリシャのサントリーニ島にある高級ホテルのような、あるいはディズニー映画に出てくるお城のような建物だ。
広大な敷地には手入れの行き届いた芝生が広がり、その向こうには真っ青な海が輝いている。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
ズラララッ!!
玄関前には黒いスーツを着た使用人たちが二十人ほど整列し、一糸乱れぬ動きで深々と頭を下げていた。
「ひ、ひえぇ⋯⋯」
私は思わず玲奈会長の後ろに隠れた。
「みな、出迎えご苦労。⋯⋯部屋の準備はできているな?」
「はっ。最上階のスイートルームをご用意しております」
「よろしい」
会長は涼しい顔で頷き私の手を取った。
「さあ行こう、陽菜。ここが今日から私たちの愛の巣だ」
「あ、愛の巣って⋯⋯規模が大きすぎますよ⋯⋯」
足が震える。
こんなところに泊まっていいのだろうか。後で高額な請求書が届いたりしないだろうか。
と、その時。
「ぜぇ⋯⋯ぜぇ⋯⋯はぁ⋯⋯ッ!!」
門の方からボロ布を纏ったゾンビのような人影がふらふらと入ってきた。
「⋯⋯つ、着いた⋯⋯」
愛川美羽だった。ママチャリはどこかに乗り捨ててきたのか、徒歩での到着だ。
髪は海風でボサボサになり、顔は真っ赤に日焼けし、足取りは生まれたての子鹿のように震えている。
「み、美羽!? 本当に来たの!?」
私は目を疑った。ここまでは車でも二時間かかる距離だ。まさか本当に自転車と走りで追いかけてきたというのか。
「⋯⋯ひなぁ⋯⋯みず⋯⋯みずをちょうだい⋯⋯」
美羽が乾いた唇で呟き、その場に膝から崩れ落ちた。
「⋯⋯チッ」
玲奈会長が盛大に舌打ちをした。
「しぶとい奴め⋯⋯。ゴキブリ並みの生命力だな」
「会長! お水! お水あげて!」
使用人が素早くミネラルウォーターを持ってくる。
美羽はそれをひったくり一気に飲み干すと、ガバッと顔を上げて復活した。
「ぷはーっ!! 生き返ったー!!」
恐るべき回復力を発揮した彼女の目には、疲労よりも強い、執念の炎が燃え盛っていた。
「逃がさないよ、氷室玲奈⋯⋯! 陽菜と二人きりでイチャイチャしようなんて、私の目が黒いうちは許さないからね!」
「⋯⋯やれやれ。私のバカンスに泥を塗る気か」
会長は深いため息をついた。
「いいだろう。ここまで来た執念に免じて、敷地内への立ち入りだけは許可してやる。⋯⋯ただし、馬小屋で寝るならな」
「はぁ!? 客間を用意しなさいよ! 客間を!」
◇
こうして始まった波乱の合宿。
最初の難関は「部屋割り」だった。
通されたのは海を一望できる広大なスイートルーム。
そこにはキングサイズの天蓋付きベッドが一つ、鎮座していた。
「当然、私と陽菜はこの部屋だ」
玲奈会長が宣言する。
「待ったぁぁぁ!!」
美羽が両手を広げて立ち塞がった。
「ダメ! 絶対ダメ! まだ高校生だよ!? しかも付き合って(る設定で)まだ日も浅いのに、同じベッドで寝るなんて不純異性交遊⋯⋯じゃなくて不純同性交遊よ!」
「恋人同士が肌を重ねて何が悪い。これはスキンシップの一環だ」
「ダメなものはダメ! 間違いが起きたらどうすんの!?」
「間違いなど起きない。⋯⋯起きるのは『確信犯』的な行為だけだ」
「ひいいっ! やっぱり狼だ! 陽菜、逃げて!」
美羽が私を背中に隠す。
会長がこめかみに青筋を浮かべる。
「ならどうするつもりだ愛川美羽。まさか三人で寝るとでも?」
「私は! この部屋の廊下に寝袋を敷いて! 不審者(会長)が侵入しないか一晩中監視する!」
「不審者は君の方だ!!」
二人の怒鳴り声が部屋中に響き渡る。
私はオロオロと二人を見比べ、恐る恐る手を挙げた。
「あ、あの⋯⋯」
「「陽菜はどうしたいの!?」」
二人の視線が私に突き刺さる。
「えっと⋯⋯せっかくの合宿だし⋯⋯みんなで、仲良くしたいなー、なんて⋯⋯」
私の平和主義(という名の事なかれ主義)が発動した。
美羽を廊下で寝かせるのは可哀想だし、かといって玲奈会長と二人きりのベッドは心臓が持たない。
「⋯⋯トランプとかして、修学旅行みたいに遊ぼうよ⋯⋯?」
◇
結果――使用人によってエキストラベッドが搬入され、三つのベッドを合体させ「川」の字に並べられることになった。
配置はもちろん真ん中に私、右に会長、左に美羽。
「⋯⋯なぜ私が端なのだ」
会長が不服そうに呟く。
「へっへーんだ! ざまーみろ! 陽菜の寝顔は渡さない!」
美羽が勝利の雄叫びを上げる。
夜になり電気を消した後も戦いは続いた。
ゴソゴソ⋯⋯右から玲奈会長の手が伸びてくる。布団の中で私の手を探り、ぎゅっと握りしめてくる。
「⋯⋯陽菜。おやすみ」
耳元で甘い囁き。
ドキッとして握り返そうとした瞬間。
ゴソゴソ⋯⋯左から美羽の足が伸びてきて、私の足に絡みついてきた。
「⋯⋯むにゃ⋯⋯陽菜ぁ⋯⋯大好きぃ⋯⋯」
寝言だ。いや、寝たふりかもしれない。
「チッ⋯⋯」
会長が舌打ちをして美羽の方を睨む気配がする。
そして数分後――。
「⋯⋯グォー⋯⋯スピィ⋯⋯グォー⋯⋯」
美羽の大音量のいびきが始まった。
昼間のマラソンの疲れが出たのだろう。爆音だ。工事現場のようだ。
「⋯⋯なんて騒音だ。潰してやろうか」
玲奈会長が低く呟き、枕を投げつけようとする音がする。
「あはは⋯⋯まあまあ⋯⋯」
私は苦笑しながら会長の手をそっと撫でた。
右には大好きな恋人(仮)左には腐れ縁の幼馴染。
騒がしくて、狭くて、全然ロマンチックじゃないけれど。
(⋯⋯でも、なんだか落ち着くな)
波の音と美羽のいびきと玲奈会長の体温、そのカオスなハーモニーに包まれて、私は不思議な安心感と共に眠りについた。




