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第18話:ダークマターと甘いエプロン

 平和な放課後の教室に不穏な風が吹いた。

 ホームルームが終わり、帰りの支度をしていた私の机にドヤ顔の愛川美羽が立ちはだかったのだ。


 その手にはパステルピンクの可愛らしいラッピング袋が握られている。リボンまでかけられており見た目は完全に「手作りお菓子」のそれだった。


「じゃーん! 陽菜、はいこれ!」


「え? これ、どうしたの?」


「プレゼントに決まってるでしょ! 私、陽菜のためにクッキー焼いてきたの!」


「ええっ!?」


 私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 あの美羽が? 包丁を持たせれば指を切り、お湯を沸かせば鍋を焦がす、家事スキル皆無のお姫様だった美羽が?


 かつては「陽菜~、お腹すいた~、何か作って~」と寝転がっていた彼女が、早起きして私のためにクッキーを焼いてくるなんて。

 その事実だけで私の胸には少し熱いものがこみ上げた。


(すごい⋯⋯美羽、本当に変わろうとしてるんだ)


 以前までの「やってもらうのが当たり前」だった関係から、何かを与えようとする姿勢へ。それは確かな成長の証だ。


「ありがとう、美羽! すごく嬉しい!」


 私が笑顔で受け取ろうとした、その時。

 背後からスッと伸びてきた白い手が、私の手首を掴んで止めた。


「⋯⋯待て、陽菜」


 玲奈会長だ。彼女は美少女特有の端整な顔をしかめ、警察犬のようにクンクンと鼻を動かしている。


「なんだ、この鼻をつく刺激臭は⋯⋯」


「し、刺激臭? いい匂いでしょ! バニラエッセンス入れたんだから!」


「いや、違う。これは⋯⋯有機物が炭化した際に発生する焦げ臭さと生物としての本能が『危険』と警告する瘴気だ」


 会長が美羽を睨む。


「愛川美羽。まさか、陽菜に毒を盛るつもりか?」


「失礼な! 愛情たっぷりの手作りクッキーだってば! ほら陽菜、早く開けてみてよ!」


 美羽に急かされ、私は恐る恐るラッピングのリボンを解いた。

 可愛らしい袋の口が開く。

 そこから転がり出てきたのは――。


「⋯⋯えっ」


 私の思考が一瞬、停止した。


 それは黒かった。限りなく漆黒だった。

 形はいびつな円形をしているが、その表面はゴツゴツとしており、まるで火山の火口から採取された溶岩石のようだった。


「⋯⋯こ、これは⋯⋯ココア味、かな?」


 私は精一杯のフォローを入れた。


「ううん、プレーンだよ?」


 美羽があっけらかんと言う。


「うちのオーブン、ちょっと張り切りすぎちゃったみたいでさー。でも、味は保証するよ!」


「⋯⋯」


 プレーン。これがプレーン。


 小麦色がどこにも見当たらない。これはもう、物質としての組成が変わってしまっているのではないだろうか。ダークマター(暗黒物質)という言葉が脳裏をよぎる。


 玲奈会長がハンカチで口元を覆いながら冷徹に言い放った。


「陽菜、捨てろ。それはクッキーではない。産業廃棄物だ」


「ひどっ! 一生懸命作ったのに!」


「一生懸命なら何をしても許されるわけではない。結果が全てだ。それを体内に入れることは自殺行為に等しい」


 会長の言葉は正論だ。

 見た目からして硬度はダイヤモンドに匹敵しそうだし、放たれる焦げ臭さは致死量に近い。


 でも。


「⋯⋯う、うぅ⋯⋯」


 美羽が瞳を潤ませ、下唇を噛んだ。


「指⋯⋯火傷しちゃったけど⋯⋯陽菜に、喜んで欲しかったのに⋯⋯」


 見れば美羽の人差し指と親指には絆創膏が貼られている。

 不器用な彼女が、私のために悪戦苦闘しながらキッチンに立つ姿が想像できてしまった。


 私の悪い癖だ。こういう「健気さ」を見せられると、どうしても無下にできない。


(⋯⋯ここで食べなかったら、美羽の成長を喜んだのが嘘になっちゃう)


 覚悟を決めた。私が食べるのはクッキーではない、美羽の「更生への第一歩」だ!


「い、いただきます!」


「陽菜!? やめろ、命を粗末にするな!」


 会長の制止を振り切り漆黒の塊を口に運ぶ――思い切り奥歯で噛み締めた。


 ――ガリッ!!!


 教室中に小石を噛み砕いたような鈍く重い音が響き渡る。

 衝撃が顎を貫き、脳が揺れた。


 強烈な苦み、圧倒的な「焦げ」の味が口内を蹂躙する。

 砂糖の甘みはどこかへ消え失せ、炭素そのものの味と口の中の水分を根こそぎ奪っていく砂漠のような食感。


「⋯⋯っ、ぐ⋯⋯」


 飲み込むのが辛い。喉が拒絶反応を起こしている。

 でも目の前で美羽が期待に満ちた目で見ている。


 私は白目を剥きかけながら、必死で笑顔を作った。


「⋯⋯こ、香ばしくて⋯⋯大人の味で、食べことない味⋯⋯だね⋯⋯」


「えっ、ホント!? やったー!」


 美羽がパァッと顔を輝かせる。


 そのとき会長が私の手から残りのダークマターを奪い取った。


「もういい。十分だ」


 会長の顔はかつてないほど不機嫌だった。

 私が美羽のために体を張ったこと、そして美羽の「手料理(毒物)」を体内に入れたことに対する、激しい嫉妬。


「愛川美羽。よくも陽菜にこんなものを⋯⋯」


「なによ! 陽菜は美味しいって言ったもん!」


「美味しいではない、食べたことない味だ! これ以上、陽菜の体に害をなすなら法的措置も辞さないぞ」


 会長は私の方を向き、ハンカチで私の口元についたススを優しく拭った。


「⋯⋯口直しが必要だな」


「え?」


「今週末、私の家に来い。⋯⋯本物の『菓子』というものを教えてやる」


 その瞳はもはやお菓子作りの誘いというより、決闘の申し込みに近い熱を帯びていた。


 ◇


 そして週末。

 私は玲奈会長の自宅――というよりお城のような豪邸のキッチンにいた。


 広さは学校の調理室分くらいあるだろうか。

 並んでいる調理器具はすべてプロ仕様。銀色に輝くオーブンやミキサーに圧倒される。


「さあ陽菜、これを着るんだ」


 玲奈会長が差し出してきたのは、フリルたっぷりの可愛らしいエプロンだった。


「え、これ⋯⋯ちょっと可愛すぎませんか?」


「そんなことないさ。陽菜のために特注した最高級のリネン素材だ。⋯⋯さあ、私が結んでやろう」


 会長は私の背後に回り、腰紐をキュッと結んでくれた。

 背中に感じる彼女の体温にドキドキと心臓が跳ねる。


 会長自身も普段の制服姿とは違う淡いブルーのエプロン姿だ。その家庭的な姿が凛とした美貌とギャップがありすぎて直視できない。


「今日はフィナンシェを作るぞ。焦がしバターの香りが、あの忌々しい炭の記憶を消してくれるはずだ」


 会長の指導は完璧だった。

 材料の計量から混ぜ方まで、手取り足取り教えてくれる。


「もっとボウルを傾けて。⋯⋯そう、上手だ」


 後ろから包み込むようにして、私の手ごと泡立て器を握る。

 顔が近い。会長の甘い香水の香りと溶かしたバターの香りが混ざり合って、頭がくらくらする。


「あ、っ⋯⋯」


 緊張して勢い余って生地が跳ねてしまった。

 私の頬にクリーム色の生地がちょこんと付く。


「あわわ、ごめんなさい!」


「動くな」


 タオルを探そうとした私を会長が制止した。

 彼女の細い指が伸びてきて、私の頬についた生地をすくい取る。


「⋯⋯ん」


 そしてその指を自分の口元に運び、赤い舌を出してペロリと舐め取った。


「!!??」


 私は湯沸かし器のように顔が真っ赤になった。


「れ、玲奈会長!?」


「⋯⋯ふむ。甘さもちょうどいい。最高の出来になりそうだ」


 玲奈会長は悪戯っぽく微笑み、私の耳元で囁いた。


「陽菜の味が隠し味になったからかな?」


「~~~っ!!」


 もう、この人は!

 普段はあんなにクールなくせに、二人きりになるとどうしてこうも攻撃力が高いのか。


 私は腰が抜けそうになるのを必死で耐えながら、オーブンに生地を入れた。


 ◇


 焼き上がったフィナンシェは、まさに芸術品だった。


 黄金色に輝く表面、漂う芳醇なアーモンドとバターの香り。美羽のダークマターとは、同じ「焼き菓子」というカテゴリに入れてはいけない気がする。


 私たちはテラスのテーブルにつき、紅茶と共に焼き立てを味わった。


「おいしい⋯⋯!」


 外はカリッと中はしっとり。

 口いっぱいに広がる幸せな甘さに、私は思わずため息をついた。


「よかった。⋯⋯陽菜の口から、あの不味い記憶が消えたなら本望だ」


 会長が満足そうに紅茶を啜る。そして一つのフィナンシェを手に取り、私に向けた。


「陽菜、あーん」


「えっ、じ、自分で食べられますよ?」


「いいから。私の作った最高傑作を君に食べさせたいんだ。⋯⋯それとも愛川美羽の炭なら食べられて、私のフィナンシェは嫌か?」


 そんな拗ねたような顔をされたら断れるはずがない。

 私は観念して口を開けた。


「⋯⋯あーん」


 パクり。玲奈会長の指先が少しだけ唇に触れる。


「⋯⋯ふふ、可愛い」


 会長は心底愛おしそうに目を細めると私の頭を撫でた。

 甘い。お菓子よりもこの空気が何倍も甘い。

 私は幸せな砂糖漬けにされて、もう身動きが取れそうになかった。


 ◇


 翌日の月曜日――朝から美羽の様子がおかしかった。


 鬼の形相でスマホを睨みつけ、ハンカチをギリギリと噛み締めている。


「お、おはよう美羽⋯⋯どうしたの?」


「陽菜ぁ!! 見た!? これ見た!?」


 美羽がスマホの画面を突きつけてくる。

 そこに表示されていたのは一通のメッセージ画面だった。


 差出人 『氷室玲奈』

 件名――『格の違い』


 添付されていたのは会長宅でのテラス写真、会長が私に「あーん」をしていて、私がとろけるような幸せそうな顔でフィナンシェを食べている瞬間。


 しかも、一眼レフで撮ったのかと思うほどの超高画質である。


 本文には一言だけ。


『本物の愛とは、相手を健康にすることであり、殺すことではない。精進したまえ、負け犬』


「きーーーっ!! ムカつくぅぅぅ!!」


 美羽が叫び声を上げ、ハンカチを引きちぎらんばかりに引っ張る。


「なによこれ! 見せつけてくれちゃってさぁ! しかも私のクッキーのこと根に持ってるし! 陰湿! 性格悪い!」


「あ、あはは⋯⋯」


「絶対にリベンジしてやるから! 次はシュークリームで勝負よ! 見てなさい泥棒猫ぉぉ!!」


 美羽の絶叫が響き渡る。

 

 私は遠い目をした。

 どうやら「お菓子対決」はこれで終わりではなく、開幕戦に過ぎなかったらしい。


 玲奈会長の独占欲と美羽の対抗心。

 二つの強大なエネルギーに挟まれて、私の体重(と胃袋への負担)は増える一方になりそうだった。

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