第17話:マウント合戦と胃もたれのランチ
雨降って地固まる、ということわざがある。
悪いことがあった後には、かえって前より良い状態になることの例えだ。
昨日の豪雨と泥まみれの修羅場。
あれを経て私と玲奈会長そして美羽の関係は確かに変化した。
地は固まった⋯⋯のかもしれない。
けれどその固まった地面の上に、なぜか地雷原が形成されてしまったような気がするのは私だけだろうか。
◇
「おはよーっ! 陽菜!」
翌朝――まだ少し雨の匂いが残る住宅街の道を歩き出した瞬間、弾丸のような勢いで何かが飛んできた。
愛川美羽だ。
昨日の今日で気まずくないのだろうかという私の心配は、彼女の満面の笑みによって粉砕された。
亜麻色の髪をゆるく巻き、制服を少し着崩して以前と変わらない――いや、以前よりも数倍テンションの高い美羽がそこにいた。
「お、おはよう美羽⋯⋯」
「今日からまた一緒に登校しよ? ほら、昔はずっとそうだったじゃん! 私が陽菜の家まで迎えに来てあげてたよね!」
(⋯⋯えっと、私が美羽の家まで迎えに行ってた記憶しかないんだけど)
ナチュラルに歴史を改竄してくる美羽にツッコミを入れる間もなく、彼女は私の腕に自分の腕を絡めてきた。
その距離感は「友達」というより以前の恋人未満、親友以上だったときのそれに近い。
「さぁ行こ! 一限目から体育だから着替えなきゃだし、途中のコンビニで新作のグミ買いたいし、話したいこと山積みだし!」
「あ、ちょっと待って美羽、近い⋯⋯」
「なんで? 友達ならこれくらい普通でしょ? あ、もしかして照れてる?」
美羽が小悪魔的に上目遣いをする。
そのメンタルの回復力には感服するしかない。昨日の土下座と号泣は夢だったのだろうか。ダイヤモンド並みの硬度を誇る心臓を手に入れたようだ。
と、その時である。
キキーッ。
音もなく滑り込んできた黒塗りの超高級車が私たちの目の前で停車した。
後部座席のドアが自動で開き、中から絶対零度の視線が放たれる。
「⋯⋯朝から不愉快なものを見た」
氷室玲奈会長だ。
優雅に足を組み窓枠に肘をついて、絡みつく美羽を汚物でも見るような目で見下ろしている。
「れ、玲奈会長」
「おはよう、陽菜。⋯⋯そして愛川美羽、陽菜から離れろ。半径二メートル以内に近づくな」
「おっはよーございまーす、生徒会長サマ!」
美羽は離れるどころか、さらに強く私の腕を抱きしめた。
「昨日はどうもー! でも私と陽菜は『お友達』になったんで! 登校くらい一緒にする権利ありまーす!」
「⋯⋯チッ」
会長が舌打ちをした。優雅な美貌が台無しである。
「陽菜は私と車で登校する契約だ。部外者は去れ」
「えー、ずるい! 権力の乱用だ! 陽菜は徒歩で季節の風を感じたい派なんだよねー? ねっ、陽菜?」
「愚問だな。快適な空調と座り心地の良いシート、どちらを選ぶかは明白だ。さあ陽菜、こちらへ」
右からグイグイ引っ張る美羽。
左から手を差し伸べる会長。
朝の住宅街で繰り広げられる綱引きに、私は乾いた笑い声を漏らすしかなかった。
「あはは⋯⋯」
これ、毎日続くの?
結局、私の提案により事態は最悪かつ奇妙な解決を見ることになった。
◇
「⋯⋯狭い」
「⋯⋯広いねー」
リムジンの広大な後部座席。
その中央に私、右隣に会長、左隣に美羽という配置で座っていた。
本来なら足を伸ばしてシャンパンでも飲めそうな空間なのに、なぜか酸素が薄い。
「陽菜の温情に感謝することだな。本来なら恩知らずの野良犬など即刻、叩き出すところだ」
玲奈会長が不機嫌そうに呟く。
その手はしっかりと私の右手を握りしめ、指を絡ませる「恋人繋ぎ」を維持している。これは美羽への牽制だ。
「野良犬ってひどーい。私、朝シャンしてきたし、いい匂いするでしょ陽菜?」
美羽が私の首元に鼻先を寄せてくる。
すかさず会長が私の肩を引き寄せ、美羽を物理的に弾き飛ばした。
「気安く嗅ぐな。陽菜の匂いは私のものだ」
「はぁ? 匂いに所有権とかないし! 独占欲強すぎてキモーい!」
「なんだと? 昨日あれだけ泣いて許しを請うておきながら、その態度は⋯⋯」
「昨日は昨日! 今日は今日! 女は切り替えが大事なの!」
ギャーギャーと言い争う二人。
私は二人の間に挟まれて、窓の外を流れる平和な景色を遠い目で眺めていた。
昨日のシリアスな雨のシーンが嘘のような、低レベルな争い。
でも、これが私の選んだ「新しい関係」の形なのだとしたら、胃薬を常備して耐えるしかないのかもしれない。
◇
そうして本当の地獄は昼休みにやってきた。
四限終了のチャイムが鳴った瞬間である。
ドタドタドタッ!!
私の机に向かって砂煙を上げて何かが滑り込んできた。
「陽菜ーーーッ!!」
スライディングを決めた美羽だ。
クラスメイトたちが「うわっ」「どうして教室に砂埃が⋯⋯?」「愛川さん、キャラ変わってない?」とざわつく中、美羽は私の机の前に仁王立ちした。
「陽菜! お昼一緒に食べよ! 今日はなんと⋯⋯『焼きそばパン』ゲットしてきたから!」
美羽がドヤ顔で掲げたのは、購買部で争奪戦が繰り広げられるという伝説の焼きそばパン⋯⋯ではなく、少し潰れてソースが袋にはみ出した、売れ残りのようなパンだった。
「えっと美羽、それ⋯⋯」
「懐かしいでしょ? ほら、私たちよく購買ダッシュしたじゃん! 三年の先輩にタックルして勝ち取った、あの青春の味をもう一度!」
(⋯⋯してないよ? タックルとか絶対してないし、そもそも美羽は私が作ってきたお弁当食べてたよね?)
美羽の記憶の中の私たちは、いつの間にか熱血スポ根漫画の主人公コンビになっているらしい。
彼女は「友達から」というポジションを確立するため「玲奈会長には出せない庶民的な親しみやすさ」をアピールする作戦に出たようだ。
「さあ行こ、中庭で食べよ! 牛乳も買ってきたから!」
「いや、でも私には玲奈会長が用意してくれたお弁当が⋯⋯」
「⋯⋯相変わらず騒がしいな」
その時、教室の空気が一気に張り詰めた。
モーゼが海を割るように生徒たちが左右に分かれ、その道の中央を氷室玲奈が歩いてくる。
今日も完璧な美貌と威圧感。
彼女は私の机の前に立つと美羽の持っている焼きそばパンを一瞥し、鼻で笑った。
「なんだ、その茶色い物体は。⋯⋯まさか、それを陽菜に食べさせるつもりか?」
「はぁ? 天下の焼きそばパン様ですけど!? 添加物たっぷりのジャンクな味が、青春のスパイスなんでしょーが! お高い会長サマにはわかんないでしょうけどね!」
美羽がパンを盾のように構えて吠える。
「陽菜の胃袋は、そんな質の悪い炭水化物と添加物を求めていない。⋯⋯行くぞ、陽菜。今日のシェフは腕によりをかけている」
「待ちなさいよ! 陽菜は私のパン食べるの! ねっ、陽菜!?」
「陽菜。私のお弁当とその茶色い物体。どちらが良い?」
二人の視線が私に突き刺さる――教室中の視線も私に集中している。
これは究極の選択だ。
どちらを選んでも、選ばなかった方が爆発する。
「⋯⋯あ、あはは。えっと、じゃあさ」
私は引きつった笑顔で提案した。
「中庭で、みんなで食べよう⋯⋯?」
◇
こうして中庭のベンチにて奇妙なランチタイムが始まった。
私の膝の上には玲奈会長が広げた重箱のようなお弁当箱。
蓋を開ければ、そこは宝石箱だった。
「⋯⋯すごい」
伊勢海老のテルミドール、松阪牛のステーキ、彩り鮮やかな季節の野菜、そして金箔が散らされたご飯。
高校生の昼食のレベルを逸脱している。周囲の生徒たちが二度見、三度見して通り過ぎていく。
「さあ陽菜、口を開けろ。『あーん』だ」
玲奈会長が箸で松阪牛を持ち上げ、私の口元に運んでくる。
周りの目があるから恥ずかしいと言っているのに彼女はこの「あーん」だけは絶対に譲らない。
「あ、あーん⋯⋯」
パクり。
口の中でとろける脂の甘み。美味しい。悔しいけど絶品だ。
「おいしい!」
「そうだろう、そうだろう。もっと食べろ」
玲奈会長が満足げに目を細める。
その横で、美羽がギリギリと歯ぎしりをする音が聞こえた。
「⋯⋯ふんっ! そんな脂っこいものばっかり食べてたら胃もたれするよ!」
美羽がビニール袋をガサガサと開ける。
「ほら陽菜! こっちも食べて! 半分こしよ? 端っこの、ソースがいっぱい染みてるとこあげる!」
美羽が千切った焼きそばパンを差し出してくる。
昔、彼女が食べ残したパンの耳や端っこを「あげる」と言われて喜んでいた記憶が蘇る。⋯⋯あれ? やっぱり私、扱いひどくなかった?
「あ、ありがと⋯⋯」
パンを受け取ろうとすると会長がスッと箸で制した。
「待て。そんなものを食べては舌が肥えた陽菜が驚いてしまう」
「なによ! 陽菜はね、こういうのが好きなの! ねー陽菜、覚えてる? 小三の遠足で、陽菜がお弁当ひっくり返しちゃって泣いてた時、私が半分あげたこと!」
――幼馴染マウント! 美羽が得意げに語り出した。
「あの時、二人で食べたおにぎりの味、一生忘れないよねー! あれぞ友情の味!」
(⋯⋯あの日、お弁当をひっくり返したのは美羽で、私が半分あげたんだよ。しかも唐揚げ全部美羽が食べてたよね?)
記憶の改竄が甚だしいが、ここで指摘すると話がややこしくなるので黙っておく。
しかし会長のこめかみには青筋が浮かんでいた。
彼女にとって「自分の知らない陽菜の過去」は最大のコンプレックスであり地雷だ。
「⋯⋯ふん。過去の栄光にすがるのは敗者の常套手段だな」
会長が冷ややかに言い返す。
「陽菜。今度の日曜、空けておけ。君のために街一番のフレンチレストランを貸し切りにした」
「えっ、貸し切り!?」
「ああ。他人の目を気にせず、二人きりで最高のコースを堪能しよう。過去の貧相な食事など塗り替えるほどの、未来の思い出を作ろうじゃないか」
財力と権力による――未来マウント!
玲奈会長の攻撃力は桁違いだ。
美羽がぐぬぬ、と言葉に詰まる。
しかし、転んでもただでは起きないのが今の美羽だ。
「貸し切りとか重っ! 息詰まりそー! 陽菜はもっとカジュアルに遊びたいんだよねー!」
美羽が私の腕に抱きつく。
「ね、陽菜! 日曜は私と遊ぼ? 久しぶりにゲーセン行って、プリクラ撮ろ! 最新の機種、めっちゃ盛れるんだよ!」
「⋯⋯プ、プリクラ?」
玲奈会長の動きが止まった。
サファイア色の瞳が不安げに揺れる。
「⋯⋯なんだそれは。⋯⋯いや名前は聞いたことがあるような」
「ぶっ! あははは! 会長サマ、まさかプリクラ知らないの!? 撮ったことないんだ!」
美羽が勝ち誇ったように笑う。
「プリント倶楽部ですよー! 友達とか恋人と写真撮ってシールにするやつ! えー、やだー、世代間ギャップー?」
「⋯⋯し、知っている! それくらい知っているぞ!」
玲奈会長が顔を真っ赤にして反論する。
嘘だ。絶対知らない。目が泳いでいる。
(くっ⋯⋯なんだその機械は⋯⋯写真? シール? 陽菜と一緒に写真が撮れるのか? ⋯⋯と、撮りたい⋯⋯だが、この女に教えを乞うなどプライドが許さん⋯⋯!)
玲奈会長の心の声が聞こえてきそうだ。
「陽菜とは百枚くらい撮ったことあるもーん! 変顔とか、キス顔とか!」
「キ、キス顔だと⋯⋯ッ!?」
会長がガタッと立ち上がった。
嫉妬の炎がメラメラと燃え上がっている。
「許せん⋯⋯私という恋人がいながら。そんな過去の遺物は破棄すべきだ⋯⋯!」
「だーかーらー! 陽菜は私が一番詳しいの! 諦めなさいよ!」
「黙れ! 陽菜、口を開けろ! この最高級トリュフ入り卵焼きで上書きしてやる!」
「あ、ずるい! 陽菜、こっち! 焼きそばパンの紅生姜多めのとこ!」
「え、ちょ、ふたりとも⋯⋯」
私の制止も聞かず、二人の手が同時に伸びてきた。
右からは黄金色に輝く卵焼き。
左からは紅生姜の乗ったパンの塊。
「はい、あーん!!」
二人の声がハモる。
逃げ場はない。
むぐっ。
私の口の中に高級食材とジャンクフードが同時に押し込まれた。
繊細な出汁の風味と濃厚なソースの味が口の中でカオスな化学反応を起こす。
「むぐ、んぐ⋯⋯ッ!」
飲み込むので精一杯だ。
しかし二人の攻撃は止まらない。
「ほら、次だ! デザートのマンゴープリンもあるぞ!」
「こっちは牛乳! 流し込んで!」
「んぐ、も、もぐ⋯⋯」
次々と口に運ばれる愛の重み(物理)。
私の胃袋はとっくに限界を迎えていた。
美味しいとか不味いとかではない。これはもうフードファイトだ。
「⋯⋯う、うっぷ」
限界だった。
私は白目を剥きかけながら、最後の力を振り絞って手を上げた。
「⋯⋯も、もう⋯⋯食べられないよぉ⋯⋯」
ガクッと私がベンチに突っ伏すと、ようやく二人の動きが止まった。
「あ」
「あっ」
会長と美羽が顔を見合わせる。
私の苦しそうな様子を見て、ようやく事態を把握したらしい。
「す、すまない陽菜⋯⋯つい熱くなって⋯⋯」
「ご、ごめん⋯⋯詰め込みすぎた⋯⋯?」
二人はしゅんと肩を落とし、同時に謝罪の言葉を口にした。
一瞬の静寂――そして。
「⋯⋯フンッ!」
二人は同時にお互いから顔を背け、腕を組んでそっぽを向いた。
反省は一瞬だけ。
敵対心は継続中。
私は重たいお腹をさすりながら空を見上げた。
昨日の雨上がりの空よりも今日の青空の方が眩しくて、目が痛い。
これが私の望んだ「無条件に愛される喜び」なのだろうか。
いや、確かに愛されてはいる。間違いなく愛されてはいるのだけれど。
(⋯⋯胃薬、買って帰ろう)
私の平穏な日々は、まだまだ遠い。




