第14話:歪んだ被害者意識
翌朝、私は鏡の前で入念な「演出」を施していた。
いつもなら完璧に巻く髪を今日はあえて少し乱す。
ファンデーションは薄めに塗って顔色の悪さを強調し、目の下には赤いアイシャドウを薄く乗せる。
これで「一晩中泣き明かした可哀想な私」の完成だ。
「⋯⋯よし」
鏡の中の自分に向かって頷く。
昨日の放課後、佐藤くんにフラれて教室で発狂した姿は、確かに一部の生徒に見られた。あれは失態だった。
だけど、まだ挽回のチャンスはある。
クラスの半数以上はあの現場を見ていない。彼らの同情を引けば私はまだ「悲劇のヒロイン」として振る舞える。
そして何より陽菜を取り返すための大義名分が必要だった。
「待っててね、陽菜。私が助けてあげるから」
私の思考回路の中で事実は都合よく書き換えられていた。
私が佐藤くんにフラれたのは陽菜を心配するあまり余裕がなかったから。
陽菜が生徒会に行ったのは自らの意志ではなく、強制されたから。
そう、すべての元凶は――あの氷室玲奈だ。
◇
登校した私は席に着くなり机に突っ伏して演技を開始した。
すぐに昨日の騒動を知らない取り巻きたちが心配して寄ってくる。
「美羽、どうしたの? 今日なんか元気ないじゃん」
「目、赤くない? 泣いたの?」
かかった。
私はゆっくりと顔を上げ、潤んだ瞳(目薬済み)で彼女たちを見つめた。
「⋯⋯ううん、なんでもないの。ただ、ちょっと⋯⋯佐藤くんと、別れちゃって」
「えっ、嘘!? あんなにラブラブだったのに!」
「⋯⋯私が悪いんだ。陽菜のこと、心配しすぎちゃったから」
私は声を震わせ、ハンカチで口元を押さえる。
「だって放っておけないでしょ? 陽菜が⋯⋯あんな酷い目に遭ってるのに」
「え、酷い目って?」
友人たちが身を乗り出す。私は声を潜め、周囲を警戒するフリをして囁いた。
「ここだけの話なんだけどね⋯⋯陽菜、生徒会長に『脅されてる』みたいなの」
教室内がざわついた。
「脅されてるって⋯⋯氷室会長に?」
「うん。陽菜、本当は生徒会なんて入りたくないのに、無理やり連れて行かれてて⋯⋯。会長って、氷室グループのお嬢様でしょ? 家の権力を使って『言うことを聞かないと退学させる』とか『親の仕事をなくす』とか言って、陽菜を縛り付けてるんだって⋯⋯」
もちろん、真っ赤な嘘だ。
でも、あの冷徹な会長ならやりかねない、というイメージがある。
友人たちの顔色がサーッと変わっていく。
「えー! 会長ってそんな人なの? 最低!」
「うわ、ありそう⋯⋯あの人、いつも見下してるもんね」
「陽菜ちゃん、可哀想⋯⋯洗脳されてるってこと?」
しめしめ、と思った。
私の涙の演技と「権力による横暴」というストーリーは正義漢ぶった女子高生たちの心に火をつけるのに十分だった。
「だから私、佐藤くんにフラれてもいいの。陽菜を助けなきゃいけないから⋯⋯っ」
「美羽、あんたいい子すぎるよ!」
「私たちがついてる! 陽菜ちゃんを助け出そうよ!」
教室の空気が変わる。
「陽菜=被害者」「玲奈=悪の権力者」「美羽=友人を想う勇気あるヒロイン」
完璧だ。一部の男子生徒(昨日の目撃者)が「いや、愛川が振られたのって自業自得じゃね?」と白けた顔をしているが女子の団結力の前には無力だ。
私は心のなかで舌を出して笑った。
これであの会長を悪者に仕立て上げれば陽菜を取り戻せる。それからたっぷりと教育し直してやればいいのだ。
◇
昼休み――私は取り巻きたち数人を引き連れて、渡り廊下へと向かった。
陽菜はいつも昼休みが始まると教室を出ていき、会長と落ち合った後、ここを通るのが日課だと調べはついていた。
前方の角から二人が現れる。
陽菜は会長の隣で何か楽しそうに話している。⋯⋯あの笑顔も、きっと会長の機嫌を損ねないための演技に違いない。
「陽菜!」
私は大声を上げて二人の前に立ちふさがった。
私の背後には正義に燃える友人たちが並んでいる。
「⋯⋯美羽?」
陽菜がビクッとして足を止めた。
隣にいる会長も冷ややかな視線を私に向けてくる。
でも今日の私は一人じゃない。みんなが見ている。
「陽菜! もう怖がらなくていいよ。みんな味方だから!」
私は両手を広げ、悲痛な声で訴えかけた。
「会長、陽菜を返してください! 権力で脅して縛り付けるなんて、卑怯です!」
私の言葉に周囲の生徒たちが足を止め、遠巻きに見守り始めると取り巻きが良いタイミングで加勢する。
「そうですよ! 陽菜ちゃん、嫌がってるじゃないですか!」
「退学とか脅すなんて最低です!」
広がるざわめき⋯⋯陽菜が青ざめた顔で私と会長を交互に見る。
「え⋯⋯? 脅す⋯⋯? 退学⋯⋯?」
陽菜が困惑している。
当たり前だ、そんな事実は存在しないのだから。
でも、ここで陽菜が否定しても「洗脳されているから言わされている」ことにすればいい。
「陽菜、無理しなくていいの。私が守ってあげるから、こっちにおいで!」
私は手を差し出した。
さあ、この手を取りなさい。
感動の救出劇のフィナーレよ。
しかし陽菜は私の手を取るどころか、震える声で叫んだ。
「ち、違うよ! 何言ってるの美羽!? 会長はそんなことしてない!」
「陽菜、言わされてるんでしょ? かわいそうに⋯⋯」
「違う! 会長は私を助けてくれたの! 脅されてなんてない!」
陽菜が必死に会長を庇おうとする姿に私はイラッとした。
なんで? なんで私のシナリオ通りに動かないの?
やっぱり、相当深く洗脳されているんだわ。
「陽菜は黙ってて!」
私は会長を睨みつけた。
「図星でしょ? じゃなきゃ、陽菜があんたなんかに懐くわけない! 陽菜は私のことが大好きなんだから、こんなの異常なのよ!」
「⋯⋯異常、か」
それまで沈黙していた玲奈会長が低く呟いた。
彼女は陽菜の前にスッと出て、私との視線を遮るように立った。
「ほう? 私が彼女を脅している、と言ったか」
会長の瞳は怒りなど通り越して絶対的な「無」だった。
ゴミを見るような、あるいは理解不能な言語を話す宇宙人を見るような目。
「百歩譲って、私が彼女を束縛しているとしよう」
会長は悠然と一歩踏み出した。
その迫力に私の後ろにいた取り巻きたちが思わず後ずさる。
「だが、君は彼女のために何をした?」
「は⋯⋯?」
「私は彼女を守り、飢えさせず、温かい場所を与え、笑顔にしている。⋯⋯君はどうだ? 彼女をパシリに使い、彼氏の代用品扱いして裏切った挙げ句、雨の中に追いやり彼女の心を深く傷つけた」
会長の声は大きくないのに、廊下の端までよく通った。
「どちらが『悪』で、どちらが『異常』か。⋯⋯この場の全員に問うてみようか?」
会長の視線が私の取り巻きたちを射抜く――彼女たちは気まずそうに目を逸らした。
お弁当事件や陽菜に買い物を頼んでいたこと、そして彼氏を作って距離が離れたことは、クラスのメンバーであれば誰もが知っている。
そこに会長の「正論」が突き刺さる。
「うっ⋯⋯そ、それは⋯⋯」
私が言葉に詰まると会長は冷笑を浮かべた。
「陽菜は『洗脳』されていると君は言ったな。⋯⋯笑わせるな」
会長の手が背後にいる陽菜の手をぎゅっと握るのが見えた。
「彼女は自分の足で立ち、自分の意志で私を選んだのだ。君のような、自分を良く見せるために他人を踏み台にするような人間とは違う」
正論による公開処刑――周囲の空気が「私が痛い子」という方向に傾いていくのがわかる。
まずい。このままじゃ私が悪者になってしまう。
「で、でも! 陽菜は私の親友なの! 私が一番陽菜のことをわかってる!」
私は必死に食い下がった。
すると会長はポケットからスマートフォンを取り出した。
「一番わかっている、か。⋯⋯では、この声も『親友』の言葉として認識していいのだな?」
会長は画面を操作し、私にだけ画面を見せてきた。
そこに表示されていたのは、音声ファイルの再生画面。
タイトルには『美羽_踊り場_暴言』と記されている。
「⋯⋯え?」
「ちなみに、ここに面白い録音データがあるのだが⋯⋯聞きたいか?」
会長は再生ボタンに指をかけた。
私の脳裏に昨日の放課後の記憶が蘇る。
佐藤くんと別れ話をした後、誰もいない廊下の踊り場付近で私が一人で叫んでいた言葉。
――『許さない⋯⋯陽菜、絶対に許さない⋯⋯』
――『あんたは私のモノよ。早く私の道具に戻りなさいよ⋯⋯!』
いつ?
いつ録音したの?
まさか、常に監視されているの?
血の気が引いた。もしこれをここで再生されたら。
「親友想いの美羽ちゃん」という設定は完全に崩壊し、私は社会的に殺されてしまう。
「ひっ⋯⋯!」
私は後ずさった。
会長の目が「再生ボタンを押すぞ」と語っている。
「⋯⋯っ! お、覚えてなさいよ!」
私は捨て台詞を吐き、踵を返して走り出した。
「美羽!? ちょっと、どこ行くの!?」
友人たちの声を背に私は逃げた。
恥ずかしさと恐怖で心臓が破裂しそうだった。
あの会長はバケモノだ。
勝てない。あんなの、勝てるわけがない。
◇
嵐のように去っていった美羽の背中を見送り、廊下には静寂が戻った。取り巻きの女子たちは、バツが悪そうに散り散りになっていく。
「⋯⋯陽菜、大丈夫か?」
玲奈会長が強張っていた表情を緩めて私に向き直った。
その瞳は、先ほどの冷徹さが嘘のように温かい。
「か、会長⋯⋯ごめんなさい。私、何も言えなくて⋯⋯」
「いい。君が傷つく必要はない」
会長は私の頭をポンポンと撫でた。
「あの⋯⋯録音データって本当にあるんですか?」
私が恐る恐る尋ねると会長はイタズラっぽく口元を緩めた。
「さあな。⋯⋯ただのハッタリかもしれないぞ?」
会長はスマホをポケットにしまった。
それが真実か嘘かはわからない。でも、あの美羽を一瞬で退散させたその手腕と堂々とした態度は私の心を強く揺さぶった。
「噂など、好きに流させておけばいい」
会長は私の手を引き、歩き出した。
「真実は君が私の隣で笑っていること。⋯⋯それだけで十分だ」
その背中が、とても大きく見えた。
美羽の歪んだ言葉も周囲の視線も、この人の後ろにいれば何も怖くない。
私は繋がれた手に力を込めて小さく呟いた。
「⋯⋯はい、会長」
プロパガンダは失敗に終わった。
美羽のついた嘘は、玲奈という圧倒的な真実の前に音もなく消え去ったのだった。




