表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役大司教は今日も静かに微笑む。  作者:


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/5

5.騎士

  出発から一週間と少しが過ぎていた。


 馬車の揺れは相変わらず一定で、窓から見える景色も大きくは変わらない。それでもまだ国を離れた実感は薄く、商人が頻繁に行き交うのだろう、人の手が入った砂利道が続いている。道の両脇には低い草と若い木々が並び、整えられすぎても荒れてもいない、穏やかな景色だった。


 魔物の気配もない。

 旅としては、拍子抜けするほど平穏だ。


 カードの擦れる音が、馬車の中に静かに響く。


 折り畳み式の簡易な机の上には、純白の布が広げられている。その上に並べられたトランプは、馬車の微かな揺れに合わせて、わずかに位置をずらす。レイは指先でそれを整えながら、場を見下ろしていた。


 「……七は、すべて出揃いましたね」


 穏やかな声でそう告げると、向かいに座るエリオが小さく息を吸った。


 「……はい」


 馬車での移動が旅の大幅な時間を占める中、レイとエリオは暇つぶしに、カードゲームをする場面が多かった。今やっているのは「セブンブリッジ」。二人でやるにはやや単純だが、互いに駆け引きを挟むため、思いのほか集中力を要する。


 レイとエリオが交互に手札からカードを出し、列を伸ばしていく。

 同じマークの列は、すでに半分以上が埋まっていた。

 残る手札は、限られている。


 馬車が小石を踏み、わずかに揺れた。

 エリオの視線が、手札と場を行き来する。


 「……出せません」


 「では、パスを」


 「……もう一度、使ってしまいました」


 その言葉に、レイは一瞬だけ目を瞬かせ、それから小さく微笑む。


 「そうでしたね」


 責めるでもなく、勝ち誇るでもない声音だった。

 エリオはカードを伏せ、静かに頭を下げる。


 「……今回も僕の負けです」


 「運も巡り合わせです。気にすることではありませんよ」


 レイはそう言って、カードをまとめ始める。

 その動作は一つ一つが丁寧で、無意識のうちに目を向けてしまう。


 「レイ様はどんな手札が来ても迷わないですよね。コツがあるんですか」


 エリオは自分に残った手札に一瞬視線を落とし、不思議そうに続けた。


 「秘密です」


 いたずらめいた微笑みに、エリオは小さく苦笑する。

 この人は、たとえ遊びであっても、自分の戦術を人に明かさない。


 「次は、もう少し慎重に出します」


 「ええ。楽しみにしていますね」

 

 カードは箱に戻され、レイの膝の上で手が重ねられる。

 静かな遊びの時間は、そこで終わりを告げた。


 窓を閉めたまま、レイは外の音に耳を澄ませる。蹄が地面を叩く音、荷車の軋む音、騎士たちの短いやり取り。旅の中では、どれも聞き慣れた音だ。


 その中に、ひとつ、不揃いな調子が混じった。


 エリオが顔を上げる。


 「……音が、違いますね」


 「エリオも気づきましたか」


 馬車越しでも分かるほど、歩調が揃っていない。やがて、途切れがちな報告の声が聞こえた。


 「後方の補給馬ですが――」


 その先は揺れにかき消される。

 ほどなくして馬車の進みが緩やかになり、外からヴァルドの低い声が届いた。


 「――この先に少し開けた場所がある。そこで隊列を止める。後方を確認する」


 号令は簡潔で、迷いがない。 

 音だけで、騎士たちが即座に動いたのが分かった。

 隊列が整え直され、やがて馬車は完全に止まる。

 

 エリオが窓に視線を向け、外の状況を確認するようにあたりを見渡す。


 「…どうやら僕たちの後方を走っていた補給用の荷車を運ぶ馬に異常があったようです。どうしますか?」


 「…少し降りてみましょうか。」


 地面に足をつけると、昼の空気が一気に肌に触れた。馬車の中とは違い、風はわずかに乾いていて、踏み固められた草と土の匂いが混じっている。なだらかな草地が遠くまで続き、視界を遮るものはほとんどない。


 騎士たちは、自然と警戒を崩さない位置取りをしていた。

 誰かが指示したわけでもない。ただ、それぞれが経験から身につけた距離感を保って立っている。

 

 レイが歩みを進める。


 ――その瞬間、会話が止まった。


 つい先ほどまで交わされていた軽い言葉や、金属が触れ合う微かな音が、糸を断ち切られたように途切れる。

 近くにいた騎士の一人が、無意識のうちに半歩、距離を取った。


 誰かが咳払いをし、別の誰かが視線を逸らす。

 その動きに、露骨な悪意はない。

 ただ――慣れきった警戒が、そこにあった。


 レイはそれを気に留める様子もなく、穏やかに微笑み、周囲を見渡した。


 後方の補給用の荷車のそばで、一人の騎士が馬の脚元にしゃがみ込んでいた。

 やや明るい髪が風に揺れ、耳元には青いサファイアのピアスが覗いている。


 アディンだ。

 不在の副騎士団長に代わり、今回の旅では副隊長を務めている。


 馬の状態を確認し終えたのか、彼は後ろを振り返り、ヴァルドを見上げた。


 「後方の補給馬ですが、蹄鉄が少し緩んでいます。このまま進ませるのは危険です」


 報告を受け、ヴァルドが短く頷く。


 「ここで直す。無理はさせない」


 即座に指示が飛び、作業が始まる。

 命令は最低限で、余計な言葉はない。それでも騎士たちは迷いなく動き出した。


 レイは少し距離を保ち、その様子を見ていた。

 エリオも、自然と隣に立つ。


 蹄鉄を外す乾いた音が響く。

 アディンは慣れた手つきで作業を進めながら、時折、馬の首元を撫でていた。

 その動作には、焦りも乱れもない。


 レイは邪魔にならないよう気を配りつつ、アディンに一歩だけ近づいた。


 「アディン。その馬には、少し水を多めに与えてください」


 声をかけられ、アディンが振り返る。

 見た目以上に骨の折れる作業なのだろう。

 額にはうっすらと汗が滲んでいた。


 「呼吸が乱れています。痛みは軽いものでも、喉が渇いていると余計に脚に力が入りますから」


 「……あ、なるほど」


 話を聞いていた騎士の一人が、水で満たされた桶を運んでくる。

 馬は鼻を鳴らし、ゆっくりと口をつけた。喉を鳴らす音とともに、張り詰めていた身体が、目に見えて緩んでいく。


 アディンがちらりとレイを見て、小さく笑った。


 「助かります。気づきませんでした」


 「いえ。経験則です」


 そのやり取りを見ていたのだろう。

 軽い足取りで近づいてきた騎士がいた。


 「ほんと、意外とレイ様って、こういうの詳しいっスよね」


 名はルーカス。

 肩まである髪を一つに括り、いたずらに笑みを浮かべている。

 紫がかった黒髪が陽光を受け、わずかに色を変えていた。


 「意外ですか?」


 「もちろん、いい意味っス!」


 レイは目を細め、ほんの一瞬、思考を深める。


 ――この一週間で、確かな変化があった。

 それは、騎士団の中に生じた、ごくわずかな変化。


 もっとも、それは劇的なものではない。

 誰かが急に態度を改めたわけでも、露骨に親しげになったわけでもなかった。

 

 ただ、自ら話しかけてくる騎士が、確実に増えていた。

 

 一人目はアディンだ。


 この巡行において副隊長を担うアディンは、その立場もあってか、旅の初めからレイに対して感情を表に出すことがほとんどなかった。敬意とも警戒ともつかない、一定の距離を保ったまま、必要以上に近づくことも、避けることもない。


 報告は簡潔で、判断は常に騎士団長であるヴァルドを通す。

 私的な会話を交わすことはなく、視線も必要なときにしか向けられなかった。


 ただ、数を重ねるうちに、短い言葉のやり取りは自然と増えていった。


 補給の確認、進路の相談、馬の様子――

 どれも些細なことばかりだったが、レイが口にするのは、常に観察に基づいた事実だった。感情や立場を押し付けることはない。


 アディンはそれを否定も肯定もせず、ただ受け取り、必要と判断すれば動く。

 やがて、レイが近くに立っても、作業の手を止めなくなった。


 それが彼なりの、受容の形だったのだろう。


 一方で、二人目――ルーカスは、最初からどこか空気が違っていた。


 彼はもともと遠方隊に所属しており、王都や神殿に関する噂話を直接耳にする機会が少なかったらしい。「悪徳大司教」という言葉も、知識としては知っていても、その中身については、ほとんど知らない。


 加えて、彼の持ち前の明るさと軽さは、警戒を長く維持するのに向いていない。

 周囲の空気を読みつつも、それに縛られすぎない。

 何度かレイと会話をするにつれて、元々少なかった警戒すらもだんだんと溶けていった。


 レイが自分を導こうとしないこと、

 必要以上に踏み込まないこと。


 それが、ルーカスにとっては居心地がよかったのだろう。


 結果として、アディンは「判断を預けられる人物」として、

 ルーカスは「話しかけても問題ない人物」として、

 それぞれ異なる形でレイを受け入れていった。


 どちらも友好とは言い難い。

 だが、拒絶でもなかった。


 その小さな変化が積み重なった結果として、

 今の距離がある。


 ――それだけのことだった。


 そして、もう一人。

 

 「……あの、レイ様」


 呼びかけられた方向に視線を移す。


 「はい。どうしましたか」


 視線は少しうつむきがちだが、声に、あの時のような恐怖はなかった。

 むしろ――


 「砂利道が続いていますが、お体は大丈夫ですか?」


 「今のところ、気にならないです。お気遣いありがとうございます」


 レイが穏やかに微笑むと、フィルは少し顔を赤らめ、小さく頷いた。

 それだけのやり取りだったが、彼の肩から、わずかに力が抜けたように見えた。


 やがて修理が終わり、馬は再び、落ち着いた歩調を取り戻す。


 「準備ができ次第、出発する」


 ヴァルドの声に応じ、再び隊列を作ろうと騎士たちが馬にまたがり始めた。

 レイとエリオも馬車に乗り組もうと歩みを進める。


 再び隊列が整えられる中、反対側から一台の荷車が近づいてきた。荷も少なく、素朴な身なりの御者が手綱を握り、野菜を積んでいる。近くの街に野菜を街に売りに行くのだろう。 


 道を開けるため、騎士たちが端に避ける。

 レイたちも続いた。


 すれ違いざま、御者と視線が合う。


 レイは反射的に、いつものように微笑んだ。


 それだけだった。

 

 しかし次の瞬間、そのあまりの美しさに御者はそのまま動きを止めた。

 馬だけが半歩進み、慌てて手綱を引き直す。


 「……あ、止まったッス」


 ルーカスが呟き、フィルは思わず視線を逸らす。


 「……また、この方は」


 エリオが呆れたように小さく息を吐く。


 三人の視線が、言葉もなく交わった。

 誰も何も言わない。

 ただ、同時に同じ種類の諦めを含んだため息が落ちた。


 やがて荷車が完全に通り過ぎ、隊列は再び準備を始める。

 レイは馬車に乗り込む。エリオが後に続き、扉を閉めた。


 「…お気づきでしたか?」


 「…?何がでしょう?」


 「………いえ」


 それ以上、エリオは何も言わなかった。

 いや、何も言えなかった。

 この出来事をきっかけにエリオ、ルーカス、フィルが意気投合したことをレイは知る由もない。


 馬車が揺れる。規則正しい馬の足音が響く。


 先ほどの御者。

 手綱を握り直した、その瞬間。


 こちらを見直し、先ほどの人物が誰であるかを理解し、顔を強張らせるまで―――

 嫌悪にゆがむその顔を、その一連を、レイだけが最後まで見届けていた。


 「……あ」


 御者は小さく声を漏らし、嫌悪を隠さず、逃げるように手綱を引いた。


 「……気づきましたか?」


 「…?何がでしょう?」


 「………いえ」


 窓の外に視線を向けるエリオの横顔を見て、レイもまた、外へと目を移した。

 

 (もちろん…気づいていますよ。)


 レイは外の音に耳を澄ませた。



――――――――――――――



 焚火が揺れ、空はゆっくりと藍に染まっていく。

 昼の名残をわずかに残した雲が、遠くで薄くほどけていた。


 レイの瞳に炎が映り、静かに揺れる。

 爆ぜる薪の音と、金属が触れ合う微かな音が、野営地に穏やかなリズムを作っていた。


「今日のご飯も、おいしかったですね」


 そう言って、隣に座るエリオへと視線を移す。

 焚火の明かりを受けた横顔は、昼間よりもいくらか柔らいで見えた。


 「……相変わらず、何でも自分でやりたがるんですから」


 呆れと苦笑が混じった声に、レイは小さく微笑みを浮かべる。


 この旅が始まってから、レイは食事のたびに配膳を手伝っていた。

 最初の頃は何度も止められた。

 身分を理由に、あるいは警戒を隠さない視線とともに。


 それでも毎回、声をかけ続けた。


 今では、配膳の輪の中に自然とはいれるようになっていた。


 とはいえ、誰もが打ち解けたわけではない。

 話しかけてくるのは、まだ限られた顔ぶれだけで、多くの視線には今もあからさまな警戒や嫌悪が含まれている。


 それでも――

 旅の初めに比べれば、十分すぎる変化だった。


 焚火の向こう、闇の中から人影が近づいてくる。

 最初は輪郭だけだったそれが、炎の灯りを受け、次第に顔立ちをはっきりとさせていく。


 「レイ様、そろそろテントへ移動をお願いします。エリオも、フィルが探していましたよ」


 声をかけてきたのはアディンだった。

 周囲の騎士たちはすでに鎧を緩め、ラフな格好で各々のテントへ戻っていく中、

 彼だけはいつも通り剣を腰に提げている。


 今夜の見張り担当なのだろう。

 その佇まいに、隙はない。


 「ありがとうございます」


 短く礼を返し、レイは立ち上がる。

 焚火から一歩離れるだけで、夜の冷えが肌に触れた。


 レイのテントは、ヴァルドと同じものだった。

 同じといっても、中には簡単な仕切りが設けられており、空間を共有している、というだけの話だ。


 テントの入り口に手をかけ、一拍の間を置く。

 中にいるであろう人物に、声をかけた。


 「入ってもいいですか」


 「ああ」


 短い返答。


 中に入ると、思ったよりも広い空間が広がっている。

 中央に仕切りの板が置かれ、その左右にそれぞれの寝袋とランプがあり、淡い光の向こうで、ヴァルドが黙々と剣の手入れをしていた。


 こちらに顔を向けることはない。

 刃を拭う布の音だけが、規則正しく響いている。


 夜は冷え込む。

 レイも早めに休むつもりで、静かに寝支度を始めた。


 物音ひとつない空間。

 お互いの呼吸だけが、かすかに反響する。


 やがて、ヴァルドが剣を置く音がした。

 仕切りの向こうから、低く抑えた声が届く。


 「明日は、リーネ村を訪問する」


 言葉は短く、余計な説明はない。

 それでも、声の硬さが、昼間よりわずかに増しているように聞こえた。


 リーネ村は、今回の巡行において最初に訪れる村だった。近くに町などはなく、周囲はなだらかな丘陵に囲まれているが、土は痩せ、雨も少ない。よって耕作には向かない土地だと、古くから言われてきた。実際、リーネ村は長らく貧困に喘いでいる。


 「わかりました」


 それ以上の言葉は交わされず、会話は終わった。

 また沈黙がテントの中を満たしていく。


 外では、焚火がまた一つ、音を立てて爆ぜた。

 夜は、まだ始まったばかりだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ