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悪役大司教は今日も静かに微笑む。  作者:


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3.寝不足

第一話、第二話大幅に修正しましたので、ぜひそちらも合わせてご覧いただけるとありがたいです!

 馬車は、一定のリズムで揺れていた。

 それがかえって、時間の感覚を曖昧にする。

 どれほど進んだのか、どれほど離れたのか。

 車内にいる限り、それは実感として掴めない。


 王都を離れてから、街道らしい街道を選ばず進んでいるため、道は決して整っているとは言えない。車輪が小石を踏むたび、木製の車体が低く軋み、その振動が床を伝って足元に届く。それでも、車内に設えられた向かい合わせの座席は、柔らかなソファのように厚く作られていて、乗る者に直接的な衝撃を与えることはなかった。革張りの座面は、わずかに体温を溜め、外の冷えとは切り離された空間を保っている。


 外では、馬の呼吸が白く吐き出されては消えていく。

 その白さは、朝の冷気の中ですぐにほどけ、霧のように薄れていった。


 朝方は冷え込む。

 朝露を含んだ風が、馬の吐息と混じり、時折、馬車の隙間から忍び込んでくる。

 そのたび、革と木の匂いに、湿った土と草の気配が重なった。


 レイは窓辺に腰を下ろし、外を眺めていた。


 特別なものを見るわけでもない。ただ、流れていく森の縁や、遠くに見える丘の稜線を、ぼんやりと目で追っている。景色は少しずつ変わっていくのに、時間だけがゆっくりと伸びているようだった。その眼には、わずかな潤いが含まれていた。


 向かいに座るエリオは、その様子を横目に、小さく息を吐いた。


「……寝不足ではありませんか。」


 外に向けていた視線を車内に戻し、レイは少し顔をかしげながら微笑む。


「少しだけ。」


 正直に答えると、エリオは呆れたように眉を下げた。


「だから言ったじゃないですか。出発前日は、ちゃんと休んでくださいって。」


「準備が楽しくて。」


「また、子どもみたいなことを……」


 そう言いながらも、声はきつくない。


 馬車の揺れに合わせて、エリオの外套の留め具が、かすかに鳴った。エリオは長い付き合いだ。レイがこういうとき、無理をしているわけではなく、ただ性分で動いているだけだということを、よく分かっている。


 馬車の外では、騎士団が静かに周囲を固めていた。


 レイたちの過ごす国は発展している。王都の周辺には街が連なり、商業も盛んだ。もちろん公道もきちんと整備されている。だが、彼らはそうした街を避け、意図的に人目につかないルートを選んでいた。

 

 理由は、簡単。

 王命だからだ。


 結界の核の異常が知られれば、国民は不安がる。貴族たちも例外ではない。噂が噂を呼び、混乱が広がるのを避けるため――表向きには、そう説明されている。

 だが、実際には、結界の核に異常があるとなれば、国の管理体制そのものが疑われる。不用意に国家へ不穏な視線を向けさせたくない、という思惑が透けて見えた。

 

 もちろん、街を通らずに進むには森を通らなければいけないため、魔物との遭遇率も高い。普通ならどのようなわけがあっても避けるのだが、皮肉なことに王国最強と言われている王国騎士団、もといそのトップに君臨する騎士団長が同行するわけで、避ける理由がなかった。


 (街を通らないと景色が変わらないので、少し退屈ですね。)


 森は、どこまでも同じ顔をしている。

 木々の種類も、地面の色も、わずかな起伏以外に違いはない。

 注意深く見れば差異はあるのだろうが、

 目的を持たずに眺める景色としては、あまりに均質だった。

 少し顔を傾けるようにして馬車の後ろの方を見ると、馬に乗る騎士団の姿が見れた。


 (これなら馬に乗っていた方が風を感じて楽しいかもしれません。その時はエリオも誘いましょう。)


 そんなことを思いながらエリオに視線を移すと、またろくでもないことを考えているなとエリオに怪訝な顔をされた。


 エリオとたわいのない話をしていると、窓が、外から軽く叩かれる。エリオが窓を開けた。風が開いた窓の隙間から流れ込む。揺れる髪を軽くなだめながら、窓の外に意識を向けた。


「もう少し進んだら、休憩のため馬車を停車します」


 馬に乗った騎士が、器用に馬車へ近づきながら声をかける。一切バランスの崩れない姿に、レイは、さすがだなと内心で感心した。


「わかりました。わざわざありがとうございます」


 エリオが答えると、騎士は軽く頭を下げ、役割を終えたことを確認し元の配置へ戻ろうとした。


 その背に、レイが声をかける。


「休憩の時、馬車を少し降りてもいいですか。少し風を感じたくて」


 一瞬、騎士は迷ったように視線を泳がせる。


「……団長に確認を取ってきてもよろしいですか?」


 木々の隙間から差し込む太陽の光に目を細めながら、ゆったりと微笑む。


「お願いします」

 

 騎士が去っていく背を見送りながら、ダメだと言われたらどう言いくるめましょうか、などと考えていた。



 昼前、馬車がゆるやかに減速する。


 蹄の音が間延びし、やがて止まる。

 短い休憩の合図だった。


 扉が開くと、冷えた外気が一気に流れ込んできた。


 とはいえ、凍えるほどではない。

 朝方の冷えがまだ残っているだけで、日が昇りきれば、すぐに和らぐだろう温度だった。


 先ほどの騎士に降りてもいいといわれたので、レイが馬車を降りると、数人の騎士たちからの視線を感じる。気にせず挨拶代わりに、いつものように柔らかく微笑む。その表情に、応じる者はいなかった。


 (……さて)


 せっかく外に出たのだから、何かしましょうかと太陽の光を遮るように、額に手を当てレイが考えを巡らせていた、そのときだった。


 「……あ、あの」


 控えめな声が、空気を割いた。

 レイは木々の風に吹かれ、消えてしまいそうな声をたどをたどるようにあたりを見渡す。

 すると、馬車の後方、少し影になる位置に、一人の騎士が立っているのが目に入った。


 手には水袋。

 革製のそれを、両手で持ち、胸の前に抱えるようにしている。


 周囲に、他の騎士はいない。

 まるで押し出されたかのような配置だった。


 声をかけた本人も、それを自覚しているのか、わずかに肩が強張っている。

 視線は定まらず、しかし逃げることもできず――そんな様子だった。


 若い。

 他の騎士たちより、明らかに。


 日に焼けた頬には、うっすらとそばかすが散っている。

 髪は短く整えられているが、きっちりしすぎていない。

 体格は細身で、背丈はエリオより少し高いくらいに見える。


(……なるほど)


 状況は、だいたい察しがついた。


 誰もやりたがらない役目を、年若い者に回したのだろう。

 “悪徳大司教”に水を渡すという、厄介な役目を。


 レイは優しく微笑み、そっと歩み寄った。


「どうしましたか?」


 声は、柔らかく、そして目は優しく細められていた。


 若い騎士は、びくりと肩を揺らした。

 

 ――目が合う。


 その目は一瞬大きく見開かれたが、すぐに本来の役目を思い出したのか、彼は慌てて水袋を差し出した。

 動きはぎこちなく、少しだけ手が震えている。


「……み、水です。休憩ですので」


 レイはそれを受け取り、自然な所作で頷いた。


「ありがとうございます」


 またもや若い騎士の目は大きく見開かれ、今度は完全に動きを止めた。

 瞬きを忘れたように目を見開き、差し出したままの手を引くこともできずにいる。


(そんなに驚かれることでしたか)


 内心で、少しだけ首を傾げる。


 礼を言っただけだ。

 それ以上でも、それ以下でもない。


 だが、彼にとっては、想定外だったのだろう。


 「あ……その……」


 何か言おうとしても、言葉が見つからないのだろうか。喉を小さく鳴らせている。

 レイは困らせてしまったかな、と少し反省しつつ、微笑みを崩さないまま問いかけた。


 「お名前、伺っても?」


 一拍。一瞬戸惑うように目を泳がせたが、覚悟を決めたのかレイの目に視線を合わせる。その瞳には、少しの期待が覗いて見えた。


 「……フィル、です」


 短く、だがはっきりと答えた。


 「フィル」


 名をなぞるように、まるで愛しい者の名前を呼ぶように繰り返す。


 「ありがとうございます、フィル。助かりました」


 フィルは、また一度だけ瞬きをし、

 そして、わずかに、ほんのわずかに背筋を伸ばした。


 「……はい」


 それ以上、言葉は続かない。

 だが、その返事には、先ほどよりも確かな芯があった。


 レイは水袋を手にしたまま、軽く会釈する。

 それ以上踏み込むことはしなかった。


 フィルは答えるように小さく頭を下げ、踵を返す。

 その背中が見えなくなるのを見送りながら、レイは()()()を探すため周囲を見渡し、ある一点を見つめ目を細めた。視線の先、少し離れた日陰で、エリオが水を飲みながらこちらを見ている。


 「……あまり目立つことはしないでくださいね。」


 声は聞こえないが、口の動きとその表情で意味ははっきりと伝わった。レイは小さく笑う。。


「分かっていますよ」


 そう答えながらも、視線はすでに森の方へ向いていた。


 休憩地点は、少し開けた場所だった。周囲を囲むように低木と細い木々が立ち並び、地面には踏み固められた草と土が混じっている。


 馬たちは手綱を緩められ、川の水を与えられていた。鼻を鳴らし、蹄で地面を軽く掻く音が、静かな空気に溶けている。こんなに近くで戦馬を見るのは初めてかもしれないなと思いながら歩く。しばらくの間、馬車の中にいたことで、いつもより空気が冷たく肺を冷やしていくのを感じて心地が良かった。


 しばらく景色を楽しみながら歩みを進める。


 レイは、ふと足元に視線を落とした。踏みしめられた地面の端、陽の当たりにくい場所に、小さな草花がいくつか顔を出している。その中に紫がかった白い花弁が見えた。花弁は少し欠け、踏まれた痕跡もある。


(……これは)


 しゃがみ込むほどでもない、けれど無視するには気になる。

 レイはゆっくりと屈み、指先で花弁に触れた。


 (冷たい。)


 朝露を含んだまま、まだ陽を十分に浴びていないのだろう。その花弁を指先で包み込むように持ち上げる。土に隠れていた長い花茎の部分が顔を出す。遠くから近づく足音が聞こえるが気にしない。それは、いつも自分の隣を歩くなじみのある音だった。


 「レイ様?」


 少し離れた位置から、エリオの声がかかる。


 「大丈夫ですよ」


 そう答え、レイは小さく息を吸った。


 指先に、淡く神聖力を集める。普段は見えない自然の中にあふれるエネルギーが反響するようにキラキラと瞬き始める。

 レイの使う神聖力は他の神官が使うものと少し違う。


 一般的な神官が扱う神聖力は、自然のエネルギーを借り受け、それを外へと放つ力だ。

 穢れを祓い、瘴気を散らし、魔を遠ざける。

 それは「浄化」という形で現れる。


 だが、レイのそれは違う。


 彼の神聖力は、自然のエネルギーを媒介としながら、

 瘴気や穢れを外へ押し返すのではなく、

 一度、自らの内へと引き受ける。


 取り込み、留め、時間をかけて削ぎ落とす。


 あまりに非効率で、あまりに危険なやり方。

 しかしその在り方ゆえに、レイの神聖力は「比類なきもの」と評されている。


 指先に集めた神聖力を軽く花弁に押し当てる。

 強くはしない。

 ただ、ほんの少し――人の体温ほどの、やわらかな熱。


 花弁に触れていた露が、静かに弾かれるように落ちる。

 しおれかけていた花弁が、ほんのわずかに張りを取り戻し、日の光を求めるように天へ向いた。


 これは治癒でも、浄化でもない。

 まして奇跡と呼ぶほどの行為でもなかった。

 ただ、自然の流れを少しだけ整えただけだ。


 エリオが近づきレイの隣にしゃがみ込む。そちらに顔を向けるとエリオが少しうれしそうに笑みを浮かべていた。


 「きれいな花ですね。」


 「ええ。少しエリオの髪色に似ています」


 先ほど花弁に触れていた手とは違う方の手でそっとエリオの頭に手を近づけた。それを受け入れるようにエリオは一瞬目を細めた。指先はエリオの髪に届き、そっと髪先をなでる。エリオは少し恥ずかしそうに笑みを深めた。


 「……何をしている」


 低い声が、背後から落ちてくるのと同時に、背後の空気の密度が変わる。

 足音はなかった。

 それでも、近づく気配だけは確かに感じ取れた。


 首をかしげるように振り返ると、数歩離れた位置にヴァルドが立っていた。その手には馬の水桶を持っている。先ほど通り過ぎた川で、ほかの団員と同じように馬に水を飲ませていたのだろう。腕を組み、鋭い視線をこちらに向けている。


 「少し、気になる花が咲いていたので」


 穏やかに答えると、ヴァルドの眉がぴくりと動いた。


 「そんなことのために、わざわざ外へ出たのか」


 「ええ」


 レイはゆっくりと立ち上がり、手についた土を軽く払う。

 ヴァルドは、足元の草花へ一瞬だけ視線を落とした。


 「……かってにしろ」


 吐き捨てるように言い、それ以上何も言わずに来た道を戻っていった。ふと息をのむ音が木々の隙間から聞こえ、そちらに目を向けると、少し離れた場所にフィルが立っていた。視線が合いそうになると、慌てて去っていき、すぐに見えなくなった。


 レイは気づかないふりをして、水袋の口を結び直す。


「休憩が終わったら、また揺れますね」


 そう言って、エリオの方へ歩み寄る。

 エリオは、足元の花に向け、落としていた瞳をゆっくりとレイに合わせた。


「……私は、貴方のそういうところを尊敬しています」


 視線をそらさない、はっきりとした意志だった。


 やがて、出発の合図がかかる。騎士たちがそれぞれの位置に戻り、馬車の周囲に再び緊張が戻る。レイが馬車に戻る直前、ふと足を止めた。振り返ると、さきほどの草花が、先ほどよりも少しだけ、楽しそうに風に揺れている。それを確かめてから、何事もなかったように馬車へと乗り込んだ。


 馬車が再び動き出す。




――――――――――――


 目が合いそうになり思わず、逃げるように走ってしまった。不快に思っていないだろうかと考えながら、フィルは、ほかの騎士達が集まる川場の隅に立っていた。フィルは乱れた呼吸を整えるように、深く空気を吸う。冷えた空気が、気持ちを落ち着かせようと、なだめるようにじわじわと体を冷やす。目の前では、騎士たちが続々と休憩を終え、出発する準備をしている。


 フィルはしばらくの間、踏み固められた地面の端を見つめていた。


(……悪徳、なんかじゃ)


 噂で聞いてきた姿と、今、目の前で見た光景が、どうしても重ならない。

 その違和感だけが、フィルの胸に、小さく残り続けていた。

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