クッキー
「では、誓約書にサインも終わりましたし、我々はこれで」
俺がそう言いながら立ち上がると、セガン陛下がちょっと残念そうな顔をする。
「後で会えますから」
「まあ、そうなんだけどねえ」
そうやって憂いを帯びた笑顔となるセガン陛下。それがとても似合っていて、庇護欲を刺激する。
「ズルくないですか?」
ガイシア陛下に、どうにかして欲しい。と言外に視線を送ると、
「セガンはやらんぞ」
などと言う応えが返ってきた。いや、そっちの趣味はありませんから要りません。はあ。
「朝食にサンドイッチを一切れ貰っただけなので、まだ少し小腹が空いているんですよねえ」
この意図に気付いてぱあっと明るい顔になったのはセガン陛下、だけでなくインシグニア嬢もだ。
「セガン陛下、あの部屋です。あの楽器の沢山飾られている部屋で小休憩しましょう」
「む? それは二人の歌奏が聴けると言う事かな?」
「はあ。興が乗ればですが」
これにガイシア陛下に爛々とした瞳で訴えるセガン陛下。
「まあ、もっと良い条件を、とゴネられると思っていたから、これ程スムーズに誓約書のサインが終わり、時間が余ったのは確かだな。私も小腹が空いた。ここらで小休憩としよう」
ガイシア陛下がそう口にすれば、リガス卿がテレフォンの内線でどこかと連絡する。
「ふふ。今日のお菓子は僕が作ったんだ。きっと驚くよ」
などとイタズラっぽく笑うセガン陛下。え? 王配がお菓子を作ったって言う事実だけで驚きなんですが?
✕✕✕✕✕
「おお。これは凄いですね」
通された部屋は、先日の楽器店にも劣らない数の楽器が飾られた部屋だった。違いは、殆どの楽器が壁際のガラスケースに入れられている事だ。
「ふふん」
セガン陛下が胸を張って自慢体勢だ。見ただけでは楽器の良し悪しは分からないが、恐らく、ここに展示されている楽器は、どれも名器なのだろう。
「威張るでない。音痴を隠す為に作った部屋だろうに」
ガイシア陛下が窘めれば、「ははは」とから笑いするセガン陛下だった。
「どうだい? 弾く気になったかい?」
セガン陛下の圧が強い。
「ここの名器には劣りますが、ウェルソンから、一通りの楽器をお下がりで貰いましたので。流石にここの名器を汚すのは……」
「ええっ!? ウェルソンから楽器を預かっているのかい!? あれは、ウェルソンの為に作られた一品物なんだよ!?」
これに驚くセガン陛下。インシグニア嬢も、口に両手を当てて驚いている。
「そうなんですか? でもあいつ、同じ楽器でも何個か持っていましたよ?」
「そりゃあそうだよ。あのマエストロ・ウェルソンに楽器を献上したとなれば、楽器工房にも箔が付くからね」
成程?
「もう話は良いか? 皆取り敢えず席に座って談話せぬか?」
そうこちらへ声を掛けてくるガイシア陛下は、既に丸テーブルを囲う椅子の一つに腰掛けていた。
「我々も座りましょう」
興奮冷めやらぬセガン陛下とインシグニア嬢だったが、俺が柔らかく諭すと、少々後ろ髪引かれるように席に座るのだった。
「…………成程。驚く理由が分かりました」
最後に俺が席に着こうとしたところで、丸テーブルの真ん中に置かれたクッキーを見て、セガン陛下が、『驚く』と言っていた意味を理解した。
「まさか王城でボールスクッキーを食す事になるとは思いませんでした」
着席すると、他の三人はその、ほぼ黒と言って良い焦茶色のクッキーを食べ始めている。インシグニア嬢は不思議そうだが、セガン陛下とガイシア陛下はニヤニヤしていた。
そんな中、俺はボールスクッキーを手に取ると、それを口に入れる。薄っすら甘く、ボソボソとしてすぐに綻ぶ食感のクッキーに、何と反応すれば良いのか困る。
「美味しくありませんでしたか?」
インシグニア嬢が首を傾げてそんな事を尋ねてくる。逆に、四大貴族のご令嬢であるインシグニア嬢が、こんなボソボソのクッキーを普通に食べている事に違和感がある。あの高級なチョコ菓子が好きなインシグニア嬢が。
「インシグニア嬢も、もしも気に入らないのなら、この場で両陛下に申告しておいた方が良いですよ」
俺の言葉にまた首を傾げ、それからもう一度ボールスクッキーを口にするインシグニア嬢。
「確かに、名店のクッキーと比べると、その出来が良いか? と尋ねられると私も困りますが、なんでしょうね。落ち着く味なんです。郷愁を感じると言いますか、ホッとすると言いますか」
インシグニア嬢の言に半眼になりながら、両陛下へ視線を向ければ、してやったりとその顔には書かれていた。はあ。と俺は嘆息を飲み込むように食べ掛けのボールスクッキーを一気に食べ終えると、お茶を啜る。お茶はそれなりの格なのか。いや、このクッキーに合っているけど。
「逆に、王城で良くこの素材を集められましたね?」
「行事などの訪問で様々な場所に行くからね。その度にちょっとずつね」
イタズラっぽく笑うセガン陛下。この素材を求められた訪問先も困惑しただろうなあ。
「そんなに、このクッキーの材料は手に入り難いんですか?」
再度インシグニア嬢が首を傾げる。
「手に入り難いと言いますか、王家に献上するのは不敬と言いますか」
「不敬……、ですか?」
「このクッキーは、ボールスクッキーと呼ばれるものなのですが」
「ボールスクッキー……、と言う事はボールス卿が関係しているのですか?」
インシグニア嬢の質問に首肯する。
「ボールス卿がまだ教皇としてこの王都にいた頃、天災や魔属精霊により、家族を失った者たち、特に子供たちの為に作ったのが、このボールスクッキーなんです」
「そのような謂れが……」
「ええ。ですが、天災や魔属精霊が暴れれば、食料に困窮するものです。クッキーなどの嗜好品はまず最初に切り捨てられる」
これに頷くインシグニア嬢。
「ですが、家や農地などが再建されるまで、魔法を使っても時間が掛かるものです。その間、これらを子供に我慢させる事に胸を痛められたボールス教皇が、子供たちの為にと、子供たちと一緒になって作り出したのが、このボールスクッキーなんです」
「へえ」
感心するインシグニア嬢とは対照的に、両陛下は少しだけ遠くを見ている。それは当時を思い出してか、それとも作るのを手伝わされたからか。セガン陛下がこれを作れると言う事は、手伝わされたんだろうなあ。
「材料は穀物……、の籾殻」
「も、籾殻ですか!?」
「はい。家畜の餌となるあれです。それにその時期に見られる花を摘み、その花蜜を使って漸く少しだけ甘味を付けた。これは、そんな苦肉の策から生まれたクッキーなんですよ」
これにはインシグニア嬢も口を開けて固まっている。
「流石はボールス卿のいる聖堂で過ごしていただけあるね」
うんうんと頷くセガン陛下。
「このクッキー、毎週末作っていましたから。孤児や稼ぎの少ない小作人などが、農地持ちの家を一件一件回り、草原や林、森などで花を摘んで、籠一杯になったら、それらを、孤児たちは一週間頑張った自分たちのご褒美に、小作人は、自分の子供の笑顔の為に、聖堂や教会主導で、一斉に作るのが、ヴァストドラゴン領では恒例行事だったので」
「流石はボールス卿だな。教皇の座を退いても、その慈愛の心に変化はなしか」
「何百枚とクッキーを作らさせられる身にもなって欲しかったですが」
これには両陛下揃って苦笑いだ。多分、そこも教皇の頃から変わっていないのだろう。
「でも、毎週食べていたなら、これを食べても郷愁は感じそうにないね」
などとセガン陛下はボールスクッキーを眺めながら、少し残念そうだ。
「セガン陛下には済みませんが、食べ慣れた味過ぎて、見ただけで、これを作っている時の事がフラッシュバックしますね」
「そうか。僕はたまに食べるから、懐かしいと思うんだろうなあ」
でしょうね。まあ、俺もボールスクッキーが嫌いな訳ではないので、ここでお出しされても、別に普通に食べるんだけど。
「ぬぬ。食でフェイルーラ君の歌奏を引き出す算段は失敗に終わったか」
そんな事考えていたのか。




