とんぼ返り
「お帰りなさいませ」
グリフォンデン家の車で、ヴァストドラゴン領の分館まで送って貰うと、俺の帰宅に合わせてだろう、エントランス前にグーシー、アーネスシス、ブルブルが立っていた。俺の派閥、それも側近だからと言って、ここまでしなくても良いのに。
「送って頂き、ありがとうございました」
グーシーが車の後部座席の扉を開けたところで、運転手さんに礼を言って外へ出る。グーシーが扉を閉めて、車がゆっくりエントランス前から出ていくのを、見えなくなるまで見送ると、「さて、寒いし夜も遅い、中に入ろう」と四人でエントランスに入ると、
『お疲れ様でした!』
と俺の派閥の面々が俺を出迎えてくれた。…………。
「ご苦労様。別に待っていてくれなくても良かったのに」
「グーシー君たちにも言われましたが、フェイルーラ様より先に、部屋でのんびりする訳にはいきませんから」
などと派閥の一人が言えば、皆が頷く。うん。何で俺、こんなに慕われているんだろう?
「諸君ありがとう。でも、分かった分かった。はい、解散解散。今日王都に着いたばかりなんだ。明日には観光なんてものも用意しているし、疲れを残して、明日が楽しめなくなったら、元も子もない。諸君らもゆっくり休んでくれ」
『はい!』
俺の派閥は元気が良いねえ。俺の指示が下ると、皆三々五々に己の部屋に引き上げていく。それと入れ替えでジェンタール兄上が、エレベーターからエントランスにやって来た。
「帰ってきたか」
「? はい」
何とも苦い顔のジェンタール兄上の姿に、何かあったんだろうな。とすぐに理解出来てしまった。
「グリフォンデン家との話を、テレフォンで父上に報告したのだが、まあ、それはそれはお怒りでな」
それはそうだろうな。だけれども、それは俺を人身御供に、グリフォンデン家と安値で関係の継続を図ろうとした父上の悪手ゆえだ。
「父上がテレフォンでお前と話したがっている」
「ええ? 確かに、フレミア嬢の心を射止める事は出来ませんでしたが、グリフォンデン家の良心で、俺が領婿の座から降ろされる事はありませんでしたが?」
「ああ、それは分かっているし、俺も父上にそう伝えはしたのだが、逃した魚は大きいと考えているのだろうな。お前が父上の了承を得ずに、勝手にインシグニア嬢との婚約を進めた事に、色々言いたいのだろう」
ああ。まあ、文句も言いたくなるか。父上の立場なら、あれこれ手を打ってから、俺を領婿に出すか、それともエスペーシか、それともジェンタール兄上にするか、手札はまだあっただろうしな。ジェンタール兄上には婚約者いるけど。今回の事を考えると、父上ならジェンタール兄上の婚約解消も視野に入れそうだ。
「グロブス殿下が、ヴァストドラゴン寮ではなく、グリフォンデン寮へ移る。と言うのも、父上を更に苛立たせた要因だな」
「グロブス殿下がグリフォンデン寮に!? それはどこからの情報ですか!?」
俺たちが通う事になる王立魔法学校には、四つの寮がある。ヴァストドラゴン寮、グリフォンデン寮、タイフーンタイクン寮、ギガントシブリングス寮、それぞれ王領の東西南北に広い領地を持つ四大貴族の名を冠するこの各寮は、魔法学校で各授業の成績などを競い合う関係にあり、その年で一番の結果を出した寮は、国王直々に栄誉が授けられるだけでなく、その寮出身と言うだけで、王族や各領から高い評価を得られ、就職するうえで有利となる。
「フレミア嬢が、俺たちをせめてものもてなしとばかりに見送ってくれたと思ったら、彼女の口から、そのように言われてしまってな。エスペーシなど、帰宅するなり部屋に閉じ籠もっているよ」
あれだけの魔力量を持っていても、元婚約者からの痛恨の一撃は心を抉ったのだろう。哀れな弟の為に、心の中で手を合わせておく。
「そんな事より!」
「そんな事より!?」
「それってつまり、グロブス殿下がインシグニア嬢のいる寮で活動すると言う事ですよね!?」
「まあ、そうなるな。王族の魔力量は四大貴族である我々の魔力量をも凌駕する。そんな強力なカードがグリフォンデン寮に行ったとなると、グロブス殿下、フレミア嬢、インシグニア嬢と、今後五年、フェイルーラの世代はグリフォンデン寮が、どの教科でもトップを独占する勢いがあるな」
王立魔法学校は五年制である。基本的には十五歳から二十歳までの五年を王立魔法学校で過ごす。『基本的に』である理由は、この王立魔法学校自体が国の中枢に食い込んでいる為、学校に受かる為に、他の魔法学校を蹴って、この王立魔法学校に受かるまで受験する者は騎士貴族ら、一般市民でも少なくないのだ。因みに領主貴族は受験免除だ。でなければ、俺が国内最高峰の魔法学校に通える訳がない。
なんて事はどうでも良い。本当にどうでも良い。問題はグロブス殿下とインシグニア嬢が、一つ屋根の下で寮生活をすると言う事にある。当然、結婚前の男女が共に暮らすので、男子と女子の部屋がある場所は、寮の中央にあるエントランスや共有スペース、勉強部屋、訓練室、食堂などで分けられているが、自由時間などでは共有スペースなどで男女が語らう事は良くあると兄上や姉上が言っていた。これが問題だ。
「グーシー、車の用意を」
「分かりました」
「兄上、俺はもう一度グリフォンデン家に向かいますので、その事をテレフォンでグリフォンデン家へ伝えておいてください」
「は? 父上ではなく、グリフォンデン家にか?」
「そうです!」
✕✕✕✕✕
「夜分遅くに申し訳ありません。そして、面会の機会を頂きありがとうございます」
「随分と早い再会となったな」
俺は今、アグニウス卿の執務室で、アグニウス卿と執務机を挟んで対面している。アグニウス卿の顔は……こちらへ胡乱な視線を向けている。夕餐の時にはアグニウス卿に合わせていたが、分館に戻って父上に何か吹き込まれ、慌ててここに戻って来たとでも思われているのだろう。
因みに一緒に付いてきたグーシーたちは、執務室に入れて貰えなかった。俺は手ぶらで執務室におり、他にいるのは、アグニウス卿とその執事らしき人に、インシグニア嬢のお母上である黄土色の髪のあの女性だけだ。執務室に設けられたローテーブル周りのソファの一つに座っている。
「生憎だが、インシグニアはもう寝る時間でな。さっきの今で化粧もしていない素顔を見せるのも可哀想なので、君が来た事は知らせていない」
「はい。それは構いません。私がこのような夜分に来ましたのは、アグニウス卿と直接お会いして、事の真意を確かめたかったからなので」
「事の真意?」
アグニウス卿の視線が鋭くなる。恐らく今回の婚約に関して。と考えていたのと違ったからだろう。
「分館に戻って兄より耳にしたのですが、何でもフレミア嬢から、グロブス殿下がグリフォンデン寮に入寮なされると伺ったとか?」
「ああ、その話か」
ここにきて、俺が来た理由が分かったらしく、眉間の険が少し和らぐアグニウス卿。
「フレミアが第一婚約者となったのだ。グロブス殿下がこちらの寮に入寮される事は不自然ではないだろう?」
何を今更。って顔だ。でも今更でもこれには懸念がある。
「でしたら、インシグニア嬢を我がヴァストドラゴン寮へ移して頂けないでしょうか?」
「……ほう?」
恐らく俺の発言は、アグニウス卿からすると瓢箪から駒ばりの意外な発言だったのだろう。目がまん丸になって、それからこれまでよりも険しくなった。
「現第一婚約者がいる寮に王族の子が入寮されるのが習わしとなっているのは知っています。我が寮でも来年入寮するフィアーナ、そしてグロブス殿下の入寮に対して、あれこれ動いていましたから。しかし、これでは第二ではあったとしても、元婚約者であられたインシグニア嬢のお立場がない」
「だから、インシグニアをそちらへ移せと?」
うっわあ、すっごい胡散臭いものを見る目をされている。まあ、学校寮の戦力を考えれば、インシグニア嬢をヴァストドラゴン寮に渡したくはないよな。でも、
「ヴァストドラゴン寮が駄目なら、タイフーンタイクン寮でも、ギガントシブリングス寮でも構いません。とにかく、グロブス殿下とインシグニア嬢を離して頂きたいのです」
俺の目的はそこなのだ。俺がいる時点で、ヴァストドラゴン寮はマイナス発進だからな。グロブス殿下やフィアーナが入寮したとて、他寮と同等になるくらいだろう。
「ふむ。フェイルーラ君は、そこまでしてインシグニアとグロブス殿下を引き離したい訳かね?」
アグニウス卿の目が、俺の真意を探るようなものへ変わった。
「はい。今日、東屋で語らいをさせて頂いたのですが、インシグニア嬢は素晴らしい。その彼女が、…………私の婚約者が、寮で辛い生活を強いられると考えると、それだけで私の胸は張り裂けそうです」
「インシグニアが辛い生活を強いられる? 幾らグロブス殿下とは言え、衆目の中、インシグニアを邪険に扱う事はないだろう」
…………やっぱり、インシグニア嬢はあの事をご両親に隠しておられたようだ。
「これも、東屋でインシグニア嬢から聞いたのですが、どうやら彼女は、我が妹、フィアーナとグロブス殿下が仲睦まじくしている傍で、曲を演奏し、歌を歌っていたとか」
「……………………は?」
これには理解の外だったのだろう。アグニウス卿も顔を崩し、インシグニア嬢のお母上の方へ顔を向ける。
「エルサ」
「私の耳にも、そのような馬鹿な話は入ってきておりません」
エルサ殿と言うらしいインシグニア嬢のお母上も、お茶のカップを手にしたまま驚いた顔で固まっている。
「俄には信じ難いな」
「私も。娘は王城のみならず、この王都に住まう者たちから、『歌姫』と敬われる程の自慢の娘です。そのような誹謗中傷は止めて頂きとうございます」
アグニウス卿とエルサ殿が遺憾の意を示す。当然の反応だ。
「インシグニア嬢としても、己のそのような境遇を、ご両親の耳に入れるのは忍ばれたのかと」
二人の強力な魔力の込められた視線が痛い。これだけで弱い魔属精霊なら死んでいるくらいの強烈さだ。
「今日会ったばかりの私の言葉が信用ならないのは理解しています」
「では帰り給え」
「帰りません」
これに嘆息するアグニウス卿。
「フェイルーラ君。君のこれまでの行いは、君の父上の犯した馬鹿な行いのせいで自寮が不利となるから、その挽回に来たようにしか、私の目には映っていないのだが?」
「それはご尤もです。なので、私の話ではなく、インシグニア嬢の……」
「インシグニアをここへ呼べと!?」
アグニウス卿の語気が強くなる。明らかにこの場からすぐに俺を立ち去らせたい意志を感じるが、ここで引く事は出来ない。
「いえ、インシグニア嬢の生活を間近で見てきた、彼女の侍女のお二人のどちらかでも呼んで頂けないでしょうか?」
「…………はあ」
粘る俺に根負けしてか、それとも侍女から話せば、俺も納得すると思ってか、アグニウス卿は執務机の上にあったテレフォンの内線で、侍女を呼んでくれた。




