始まりのデュエット
「では、グリフォンデン領でも、魔属精霊の増加は見られていると?」
「うむ」
大食堂で話をしているのは俺とアグニウス卿だけだ。他の面々はただ黙々と夕餐の食事を口に運んでいる。特にエスペーシとフレミア嬢は、テーブルを挟んで食事をしているが、その雰囲気は隣りから窺っていてもピリピリしている。エスペーシが再三フレミア嬢に話し掛けようとしても、フレミア嬢は沈黙を貫くばかりである。まあ、当然だろうけど。
俺の前で食事をしているインシグニア嬢も、どこか周りに遠慮したように静かで、こちらはこちらで話し掛け難い。ジェンタール兄上とレティシア殿も会話する切っ掛けはない様子。アグニウス卿の横に座るインシグニア嬢の母上も、会話に入ってこないので、必然的に俺とアグニウス卿だけが話をするような構図となっていた。
「王領でも、魔属精霊は増加傾向だ。グリフォンデン領とヴァストドラゴン領の位置は西と東と真反対。それを考えると、国内全土で魔属精霊が増加傾向にあると考えるのが妥当だろう」
グリフォンデン領も、魔属精霊の増加には目を光らせているようだ。アグニウス卿も難しい顔をしている。恐らくはこの魔属精霊増加により、王領に強大な魔属精霊が現れ、イグニウス卿はその魔属精霊に倒されたのだろう。それを考えると、ヴァストドラゴン領も他人事ではない。
「心中お察しします。イグニウス卿が運悪く逝去されただけ。などと言う話で留めず、これを機に、アダマンティア全体で、魔属精霊増加に対して、何か対策を講じるように、議会へ働き掛けはすべきですね」
「うむ。そちらの草案は既に出来ている。派閥の者たちにも目を通して貰い、近々に議会に提出するつもりだ」
苦々しい顔で鷹揚に頷くアグニウス卿。まあ、それはそうだろうな。イグニウス卿の件で、グリフォンデン領は他領から要らぬ誤解や中傷などで名誉を傷付けられているはずだ。しかしそれは、その裏で既に始まっている魔属精霊増加による悲劇であった事を、王族や他領の貴族にきっちり知らしめなければならないからな。
「アグニウス様、今回の夕餐は、婚約するインシグニアとフェイルーラ君との顔合わせの場です。二人だけの時間も作ってあげてください」
俺とアグニウス卿が、あーだこーだと国の問題を話しているところへ、レティシア殿が話し掛けてきた。見れば、既に夕餐の食事も終わらせているようで、この場にいる意味を見出だせなくなったので、さっさとこの場を後にしたいのだろう。
「む。そうであったな。ジェンタール卿とエスペーシ君は、もう家に帰りなさい。フェイルーラ君には、この後、インシグニアと語らう時間を設け、それが済み次第、我が家の車でそちらの分館へ送ろう」
『え?』
ジェンタール兄上とエスペーシが、二人揃って固まる。そしてフレミア嬢へ視線を向けるエスペーシ。シカトされているけど。
「いえ、そこまでお手数をお掛けする訳には。適当な控え室を充てがって貰えば、いえ、こちらの車の中ででも、二人の語らいが終わるまで待ちますので」
ジェンタール兄上が食い下がるも、
「私の決定に異を唱えると?」
アグニウス卿にそう返されてしまえば、領主貴族と領主貴族の息子、その差は大きく、二人はアグニウス卿の言いつけに従い、夕餐はここまでと締められ、乗ってきた車で分館を追い出されたのだった。
✕✕✕✕✕
王都アダマンタイタンには、常春の魔法が掛けられており、季節は一年中春である。とは言え、夜ともなれば、外は肌寒い。
「済みません、女性用の肌掛けとなるようなものを用意してきませんでしたので、これで」
分館の庭園にある東屋に、インシグニア嬢と通されたのだが、まさか外で語らいをする事になるとは思っていなかったので、慌てて上着を脱いで、インシグニア嬢の肩に掛ける。
「そんな、お気になさらないでください」
初めて声を聞いたが、柔らかいシルクのような声だ。耳をくすぐるようで、蕩けそうになる声。そんなインシグニア嬢は、付いてきた部下であろう二人の少女たちに申し訳なさそうに指示を出すと、俺の上着を丁寧に返してくれた。
う〜ん、これまで特定の婚約者もおらず、女性と付き合った事などもない俺は、こんな時にどうすれば良いのか分からず、若干挙動不審になって立ち呆けていたら、インシグニア嬢の部下だろう一人が、空間魔法でショールを取り出し、インシグニア嬢の肩へ掛ける。なんか、男としてちょっと情けないな、俺。
「あー、えーと、座りましょうか?」
インシグニア嬢もこれに同意して、二人で東屋の椅子に座る。これに合わせて中央の丸テーブルにランタンが置かれ、東屋は淡く幻想的な光に包まれた。
何を話せば良いのか考えている間に、インシグニア嬢の部下二人が、テキパキと茶の用意をしていく。どことなく嬉しそうだ。
「こう言う事は、良くあったのですか?」
慣れない場で緊張していたのだろう、俺は初手を間違えた事にすぐに気付いて、頭が真っ白になる。王子の第二婚約者だった少女相手に口にする言葉として、今の発言は余りに配慮が足りなかった。
「そう……、ですね。私の侍女をしてくれている二人は、場を整える事に慣れているかと」
笑い掛けてくれているが、その笑顔がぎこちない。うううう、罪悪感!
「あの! 済みません! 別にインシグニア嬢のご気分を害しようとしたのではなく、単純にこのような場は初めてなもので、あの、その、若干! いえ! 結構舞い上がっております!」
自分の口から出た言葉は後から飲み込めない。格好悪くて顔が火照る。インシグニア嬢の方を見ると、どこか呆気に取られた顔をしている。二人の侍女もそうだ。
「そうなのですか? あのお父様に引けを取らない会話をなされておられたので、おモテになられていたのかと。こちらの方こそ、フェイルーラ様に不釣り合いではないかと、内心ビクビクしていました」
意外だ。うん。今度は口に出さなかったぞ。
「不釣り合いなどと、私は魔力量も少なく、他領の令嬢方にお見合い写真など送ったりもしたのですが、鳴かず飛ばずと言いますか、どの令嬢からも返信もなかったもので」
ああ、自分で口にしていて悲しい。
「まあ、他領のご令嬢方も見る目がないのかしら? こんなに素敵な殿方なのに」
こそばゆい。派閥以外の女性から褒められる事なんてなかったから、これが本音なのか建前なのか俺には判断出来ない。
「…………」
「…………」
ち・ん・も・く! 本当に何を話せば良いのやら。考えろ! 考えるんだ俺! 何か気を使ってくれているんだから、気の利いた事を言え!
「えーと、妹はご迷惑お掛けしていませんでしたか?」
「え?」
馬鹿か!? 何でここで妹の話題を出すんだよ!? 共通の話題が妹しかなかったからだよ! だからってここで話題に出すなよ! 世の男性諸君は、一体全体女性とどんな会話をしているんだ!?
「……そうですねえ」
うっわあ、何かインシグニア嬢の顔が一気に暗くなったんですけど? フィアーナよ、何をやらかしたんだ!?
「グロブス殿下とフィアーナ様は、とても仲睦まじかったですね」
「はあ……?」
話が見えない。この言い方だと、インシグニア嬢はグロブス殿下と仲が良かったとは言えない感じに受け止められるんですけど?
「私は、これまでの時間の殆どを王城で過ごしてきましたが、殿下と二人でいる事はありませんでした」
おう。ババ引いたよ。振っちゃいけない話題振っちゃったよ。
「私のやっていた事と言えば、グロブス殿下とフィアーナ嬢のお側で、エラトを爪弾き、歌を歌う事でしたから」
俺の妹、他領の令嬢に何をやらせとんねん! それにグロブス殿下も注意しろよ! 第二婚約者だからって、蔑ろにし過ぎじゃない!? 何を場の雰囲気作りに使ってんだよ!
「え、エラト良いですよね! 俺も好きです!」
これに驚き口に両手を当てるインシグニア嬢。あれ? インシグニア嬢、エラトを嫌々奏でていたのかな? あ、俺、今、自分の事『俺』って口走っちゃったな。
「あら、フェイルーラ様は、エラトの演奏をなされるのですか?」
「? ええ。楽器の演奏や詩歌は、貴族の嗜みですから。…………それに、これらは魔力がなくても出来ますし」
はい、減点。理由が後ろ向き過ぎ。何で言わなくても良い事を口走ってしまうのか。まあ、モテたかったから。とまで口にしなくて良かった。
「私も、演奏や歌う事が好きです」
インシグニア嬢の顔が、柔和な笑顔となる。おお! 風向きが変わったか?
「こ、今度はエラトを持って来ますので、二人で『春の訪れ』でもデュエットしましょう」
「まあ! 良いですね!」
うん、今までのどの会話よりも食い付きが良い。本当に歌奏が好きなんだな。などと思っていると、インシグニア嬢の侍女の一人が、また空間魔法で今度はエラトを取り出した。それも二挺だ。え? まさか今からデュエットするの?
エラトは弦楽器の一種で、座った姿勢で前に抱える。木製の反響板にネックが付いていて、弦の数に決まりはないが、二弦から六弦が普通だ。これにエラト専用の爪を、親指、人差し指、中指に嵌めて、その爪で弾いて演奏する。俺が渡されたのは六弦のエラトだった。
まあ、渡されたなら弾くか。とちらりとインシグニア嬢の方へ目を遣れば、七弦のエラトだ。しかも五本の指全てに爪を付け、軽く爪弾いただけで、背筋が震える程上手いと分かる。
「あー、えーと、歌はお任せしますので、演奏の方に集中させて貰っても?」
「? はい。分かりました」
良かった。あのレベルのエラトの演奏なんて、付いていくだけで大変だ。
「では」
二人で呼吸を合わせ、エラトを爪弾く。おおおお! 七弦のエラトの音色は初めて聴いたけど、凄え! 耳からだけでなく、身体が七弦の音に震える。圧倒されそうな技量。それだけじゃない。音色が複雑なうえにメロディアスで、何もしたくなくなる。ただこの恍惚に溺れたい。が! それを歯を食いしばって堪えながら、俺もエラトを演奏する。流石にここでボーッとするなんてインシグニア嬢へ不敬極まる。
「〜〜♪」
そうやって頑張って演奏していると、『春の訪れ』を歌い出すインシグニア嬢。
お…………。
…………美しい。地声からしてシルクのように滑らかだったものが、歌になると更に美しいものになる。正しく春の風の如く身体に靡き、心を洗い流してくれるような歌声だ。
「?」
「!」
歌っていたインシグニア嬢が、俺の方を見て首を傾げた。それにハッとなる。余りの美しい歌声に、俺の演奏が止まっていたからだ。俺は慌ててインシグニア嬢に追従するように演奏を重ねていく。
✕✕✕✕✕
「す、済みません。下手な演奏を聴かせてしまって」
「いえ。フェイルーラ様と一緒にデュエット出来て、楽しかったです」
ああ、気を利かせてしまっているなあ、これは。
「フェイルーラ様、そろそろお時間かと」
侍女の一人の言にハッとなる。
「もうそんなお時間ですか? 済みません、インシグニア嬢、夜分に付き合わせて」
「いえ、楽しい時間でした。私もまだまだフェイルーラ様とデュエットしていたかったです」
そう言って貰えたのは素直に嬉しいが、結婚前の男女が、いくら婚約しているとしても、そうそう夜遅くまで一緒にいるのは外聞が悪いはず。
「では、また後日に。それまでにエラトの腕を磨いてきます!」
今回の演奏はボロボロだったからなあ。
「まあ、それでは私ももっと演奏を頑張らないといけませんね」
いやいやいや、それ以上上手くなられたら、デュエットなんて出来なくなるから。…………いや! 俺もインシグニア嬢と婚約したんだ。弱音は禁止!
「またデュエット出来る日を楽しみにしておきます」
俺はインシグニア嬢にそう返し、東屋を後にしたのだった。




