仮面の下
「どうぞ、こちらの席をお使い下さい」
「あ、はい。ありがとうございます」
フェイルーラがインシグニアの為に用意したのは、一般の観戦席ではなく、グレードの高いグループ席であった。貴族などが観戦する用に誂えられたもので、眼前は安全の為に強化ガラスで覆われている。闘技場で貴族がフリーバトルを観戦する事自体稀なので、他のグループ席に人影はなかった。
そんな中でぞろぞろとグループ席に貴族と思われる者たちが来れば、日中から酒を飲みながら、一般席で観戦している者たちの好奇の目が集まるが、それもすぐに十二あるバトルフィールドに戻った。そこに現れたのが、誰だか分からなかったからだ。どうせ名も実績もない貴族なのだろう。と一般客たちは判断したのだ。その中心にいるのが、『歌姫』と敬われるインシグニアだと気付かずに。
他者からの自分の認識などそんなものだとインシグニア自身理解していた。いや、自分自身が目立たないようにコントロールした結果、それが上手く機能していると、心の中でホッとする。
フェイルーラの副官らしきグーシーから、中央の席を勧められ、勧められるままに席に座る。左隣りには当然とばかりにマドカ嬢が座ってきた。彼女が『黄金姫』の派閥である事をインシグニアは知っている。彼女は社交場に現れる時、いつも母国の正装である着物で現れるので、目を引いていたのだ。
『黄金姫』とは、インシグニアの兄、イグニウスの婚約者であった令嬢である。名をアウレア・タイフーンタイクンと言い、四大貴族タイフーンタイクン家の次女で、王家よりタイフーンタイクン家へ降嫁したブーケリアの三番目の子だ。今期の王立魔法学校では三年生となる。
髪も瞳も金色で、その容姿は幼少にして既に完成されていると称される程の美貌を持ち、その王家譲りの魔力量の高さもあり、婚約を望む家は国内外問わず引く手数多の中、アグニウスの画策により、イグニウスの婚約者となった。
インシグニアと並んで社交場の花として皆に持て囃されたが、インシグニアからしたら、その見事な黄金の髪と瞳は、自分の黄土色の髪と父譲りの瞳を比べ、コンプレックスを持つ相手であった。
母が元王族であった為、アウレアも幼少より王家主催の社交場に顔を出す事が少なくなかった。そして魔法学校に通うようになり、同級生で同じ派閥となったマドカなども、王家主催の社交場に顔を出すようになったのだ。
インシグニアの右隣りには侍女の一人が、後ろの席にもう一人が座る。右隣りの侍女の隣りには、フェイルーラの副官の一人、ブルブルが座る。後は他のフェイルーラ派閥の面々が、インシグニアを守護するように配置に着いた。内二人はインシグニアの為に、近くで立って警戒している。ジュウベエ派閥の四人は、インシグニアたちから少し離れた端の席に腰を下ろしていた。
インシグニアから見たフェイルーラ、そしてフェイルーラ派閥の面々の評価は高い。理由として、彼らがインシグニアの家格や歌奏や魔力量などの判断基準ではなく、その個人のパーソナリティを大事にしているのが、行動から見て取れるからだ。
幼少より家元から離され、貴族よりも上位の王家の住まう王城で過ごしてきたインシグニアからしたら、魔窟である王城で、日々相手の顔色を窺いながら暮らす、面従腹背、表面だけは取り繕い、裏では陰口、悪口雑言な貴族たちと比べ、何と清廉潔白で高潔な事か。これだけでフェイルーラの手腕が理解出来る。
インシグニアは自分をとても臆病な人間だと自負している。生まれつき耳が良かったインシグニアには、他の子供たちよりも早く言葉を覚え、周囲が自分をどう見ているかを理解する脳が備わっていた。それも温かなグリフォンデン家の中では、皆が優しく、インシグニアにとってとても幸福な事であった。しかしそれも、王城に行くまでの話だ。
耳が良い分、周囲が何を考えているか理解出来る分、王城はインシグニアにとってとても居心地の悪い場所であった。いつも誰かが自分を監視し、第一婚約者であったフィアーナと比べ、心なき噂と計略が渦巻く王城に、インシグニアの心は押し潰されそうであった。
可愛らしいフィアーナに見惚れ、地味なインシグニアを厭うグロブスと言う構図もあり、自分を守る為に武器が、盾が必要だとインシグニアは考え、様々なものを試し、歌奏に行き着いた。元々の耳の良さもあり、幸いにして声も良かったので、インシグニアの歌奏は皆を虜にした。しかし実態は、歌奏に逃げ場を求めただけであった。少なくともインシグニアはそのように認識している。
歌奏はインシグニアにとって都合が良く、便利なものであった。幸いにしてインシグニアの歌奏は聴いた者を虜にするような魅力があったので、味方を増やす事に事欠かなかった。侍女たちもインシグニアの歌奏の虜となり、指示通り動いてくれる。歌奏の練習があると言えば、グロブスも引き下がる。歌奏中は誰にも話しかけられない。インシグニアにとって歌奏とは武器であり、盾であり、仮面であった。
グロブスやフィアーナ、その他、女王や王配を始めとした王族や貴族、大聖堂の教皇、王都の豪商たちなど、求められれば王都のどこへなり行った。派閥の垣根を越えて社交場やセレモニーに顔を出し、歌奏を披露した。しかし目を隠し、地味な服装を心掛け、印象に残るのは歌奏だけにする事で、自身の印象は残さず、歌奏の虜となった者たちから侍女や味方が情報を入手し、それらを使って、どうにかこうにか、魔窟である王城で地位を確立し、自分を守る防壁とした。
国王が言った。『彼女の歌は正しく天上よりの賜物である』と。
教皇が言った。『彼女こそ、歌と言う道標を持って神より遣わされた、我々を導く者なり』と。
インシグニアはそれらに対して、心の中で鼻で笑った。こんなもの、天上の賜物でも、神が与えた道標でもない。単なる私の逃げ場でしかないと。自分を守るペルソナで、あなたたちが思うような、神聖さなんて一欠片もない。とても醜悪な自分の為だけのものだ。褒めそやされる度に、ぶち撒けてやりたい気持ちになるのをグッと抑えて、インシグニアはこれまで歌に逃げ、演奏に逃げ、自分の殻に閉じ籠もっていった。
それは突然の事であった。兄の戦死。その情報は父に届くより素早くインシグニアの下へ届けられ、そして、インシグニアは余り面識のなかった兄の死を労わりながら、心の奥でほくそ笑む自分を嫌悪した。
ヴァストドラゴン家がこの機に動くだろう事は分かっていた。エスペーシの兄であるジェンタールから、ヴァストドラゴン家の家長であり領主であるサロードの為人と、サロードがエスペーシを他領に渡すのを嫌っているとの情報は手に入れていたからだ。事実サロードはそのように動いた。
フレミアを誘導するのは簡単だった。フレミアは確かにエスペーシに好意を抱いていたが、それが彼女の欲望の全てでない事をインシグニアは見抜いていた。王子の第一婚約者と言う地位をチラつかせれば、フレミアがどう動くか、アグニウスがどう動くかは、インシグニアからしたら、とても分かり易かった。そしてそれは叶った。後は魔法学校に通うに当たり、グロブスが同寮となるのだけが懸念だった。最悪、アグニウスに直訴すれば、寮は変えられると考えていた。もう、グロブスの為に歌うのに辟易していたからだ。
エスペーシに代わり、双子の兄であるフェイルーラが自身の婚約者となり、顔合わせの為に王都の分館に本人がやって来た時、インシグニアにはとても奇妙な存在に映った。四大貴族だと言うのに、その魔力量は並の騎士貴族より少ない。それなのにとても堂々としていたからだ。興味が湧いた。インシグニアが他者に興味を抱いたのは、それが初めての事であった。
魔力量に天と地程も差があるアグニウスとも堂々と会話するその少年は、東屋で話をすると、等身大の少年だった。恋愛に慣れていないのだろう。言葉選びに困窮する姿は、グロブスとフィアーナだけでなく、他の子息と令嬢や、大人たちの恋愛模様を社交場で散々見てきたインシグニアにはとても新鮮に映った。
フィアーナの王城での振る舞いに頭を抱えたり、エラトを弾くと言うので、少し意地悪のつもりでその場でデュエットをするように仕向けたが、演奏はなかなかどうして、堂に入っていた。しっかり練習をしている者の演奏だった。そして、耳の良いインシグニアは、その音色が、音楽に逃げ場を求めた者の音であるとすぐに分かった。仲間が出来た気分がして、少しだけ嬉しかった。
父アグニウスにも怯まない胆力の持ち主であるフェイルーラに、自身の現状を訴えて、どのように動くか探った。どれだけ早く動くのか、それとも父サロードの傀儡で動きもしないのか、品定めのつもりだった。
フェイルーラの動きは、インシグニアが思うよりも早かった。最速でも翌日と思っていたが、その日の内に全てを解決した手腕を、翌日の朝に父より聞き、本当に驚いた。
これだけの早さで動いてくれるとは思っていなかったが、嬉しい誤算に、礼を言う為にヴァストドラゴン家の分館に向かったら、彼は、フェイルーラは全てを察していた。足下が瓦解し、絶望に突き落とされるような感覚の中、彼の口から伝えられたのは、「格好良い」と言う評価だった。
何故かその後一緒に王都を巡る事となり、フェイルーラとフェイルーラ派閥を観察していたが、彼らはインシグニアから見て、『朗らか』であった。特に何かを画策する事もなく、仲良しグループが観光を楽しんでいる。そんな印象。しかしとても居心地の良い居場所のように見えて、それはフェイルーラの印象を更に良くした。
途中でジュウベエとマドカと出会い、流れで自分の身を賭けて、フェイルーラとジュウベエが決闘する事となったが、それもインシグニアからしたらデメリットはなかった。それよりも、チョコレート店や楽器店での、打てば響くフェイルーラの行動が嬉しかった。ちゃんとインシグニアの意図を察して、インシグニアに不利益が被らないように動いてくれる。歌奏で虜にした訳でもなく、インシグニア自身を大事にして行動してくれる。それがインシグニアは嬉しかった。
今も、インシグニアに不安はなかった。歌奏と言うペルソナがなくても、フェイルーラとは通ずる何かがあると、何故か確信があった。たとえこの決闘でジュウベエに敗けたとしても、この絆のようなものが切れる事はないと、何故か確信出来た。
「二人が現れました。始まるようですね」
席に座り、色々考えているうちに、バトルフィールドの一つにフェイルーラとジュウベエが現れたようだ。マドカに言われてハッとして、バトルフィールドへ視線を向ける。十二あるバトルフィールドは四✕四で並んでおり、フェイルーラとジュウベエは中央側の一つのバトルフィールドで闘うようだった。
(ここからだと見え辛いな)
インシグニアがそんな事を思っていると、マドカが慣れた手付きでグループ席のパネルを操作する。すると、眼前のガラスがモニターに変わり、フェイルーラとジュウベエのバトルフィールドだけを大きく映しだす。
(成程。こうなっているのか)
闘技場など縁のなかったインシグニアには分からなかった仕様だ。勿論王都に初めて来たフェイルーラの派閥やジュウベエの派閥も知らない。受付でも闘技場に登録していると言っていたし、マドカだけは闘技場が初めてではないようだった。
そうこうしているうちに、すぐにフェイルーラとジュウベエの決闘が始まった。




