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第9話『被写体と観測者』

時間が、止まったようだった。

澪の言葉が、音にならない音となって、静かなプラネタリウムのドームに反響している。

――モデルに、なってくれないかな。

――この、海星館と一緒に、詩織さんを撮りたいんだ。


喜びよりも先に、大きな戸惑いが、私を支配した。

どうして、私を?

風景や、建物や、あの古びた投影機だけでは、駄目なのだろうか。なぜ、その他大勢の風景の一部としてではなく、わざわざ「私」を撮る必要があるのだろう。


「私を……? どうして……?」


やっとのことで絞り出した問いに、澪は答えなかった。ただ、その真剣な瞳で、私を見つめ返してくる。その眼差しは、まるで私の心の奥まで見通そうとしているようで、私は、逃げることも、頷くこともできずに、ただ動けなくなっていた。


「……詩織さんが、いいんだ」

しばらくして、澪はぽつりと言った。

「詩織さんが、この場所にいるから、私はここの写真を撮りたいって思ったから。……駄目かな?」


駄目、と言えなかった。

その真っ直ぐな瞳から、逃げることができなかった。「海星館の最後の光を残したい」――その言葉が、断るという選択肢を私から奪っていく。海星館のためなら、仕方がない。私は、そう自分に言い聞かせようとした。

けれど、心の奥底では、別の感情が渦巻いていた。彼女のレンズを通して自分を見られることへの、強い抵抗感。そして、それと同じくらい強い、抗いがたい好奇心。この人の目には、私は、一体どんなふうに映るのだろう。

その好奇心に引きずられるように、私は、ほとんど無意識に頷いていた。


「……分かった」


私がそう呟くと、澪の表情が、ぱっと明るくなった。

「ほんと!? やった……! ありがとう、詩織さん!」

心の底から嬉しそうに笑う彼女を見て、私の胸の奥が、ちくりと小さく痛む。その小さな揺れに気づかないふりをしながら、私は慌てて付け加えた。

「でも、期待しないで。私、写真とか、全然慣れていないから」

「うん、大丈夫。ただ、いつも通りにしててくれればいいから」


その日から、海星館での私たちの時間は、少しだけ形を変えた。

澪は、今までのように、ただ気ままにシャッターを切るのではなくなった。解説台に立つ私、投影機のレンズを磨く私、誰もいない客席を眺める私。彼女は、少し離れた場所から、息を殺すようにして、そんな私の姿を撮り続けた。


カメラを向けられるのは、想像していたよりもずっと、落ち着かないものだった。

常に誰かに見られているという意識が、私の手足をぎこちなくさせる。レンズの奥にある彼女の瞳を意識するたびに、呼吸が浅くなるのを感じた。


「詩織さん、ちょっと顔、硬いよ。力抜いて」

「……言われても」

「じゃあさ、何か好きな星の話、してくれる?」


澪に言われるがまま、私は、夏の大三角や、天の川の神話について、ぽつりぽつりと話し始めた。最初はぎこちなかったけれど、星の話に夢中になるうちに、いつの間にかカメラの存在を忘れ、私は私の世界に没頭していた。


カシャッ。


不意に、シャッター音が響く。

我に返って澪を見ると、彼女は満足そうにカメラの液晶画面を眺めていた。

「うん、今のすごくいい顔」

「……どんな顔」

「秘密」


澪は悪戯っぽく笑うと、カメラを構え直した。

ファインダー越しに見つめられる時間。それは、息苦しくて、恥ずかしくて、でも、不思議と嫌ではなかった。むしろ、彼女のレンズを通して、今まで知らなかった自分自身の姿を、教えてもらっているような、不思議な感覚があった。


この、レンズ一枚分の距離が、今の私たちにとって、一番心地いい距離なのかもしれない。

そう思い始めた矢先だった。


「ねえ、詩織さん」

澪が、ふとカメラを下ろして言った。

「今度の日曜日、何か予定ある?」

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