第41話『気分転換に、うちくる?』
海星館に差し込む光が、オレンジ色から、深い藍色へと変わっていく。
私たちは、どちらからともなく、観覧席の一番前の列に並んで腰掛けていた。私の指先は、まだ、澪のTシャツの袖を、弱々しくつまんだままだった。
彼女が、自分の全てを曝け出してくれた。その事実が、ずしりと重く、そして温かく、私の心に広がっていく。今度は、私が、彼女に応える番だ。でも、なんて言えばいいのだろう。
「……あのさ」
先に沈黙を破ったのは、澪の方だった。
その声は、さっきまでの切実な響きとは違う、どこか吹っ切れたような、軽やかな色をしていた。
「こんなシリアスな空気、なんか疲れちゃったね。気分転換に、うち、来る?」
「え……?」
予想外の、あまりに唐突な提案に、私は間の抜けた声しか出せなかった。
うち、来る?
それはつまり、彼女が今、滞在しているという、親戚の家に行くということだろうか。
「詩織さんの部屋には、お邪魔したし。今度は、私の世界も、ちょっとだけ見せたいなって。……まあ、私の部屋、本当に何にもないけど」
澪は、そう言って、悪戯っぽく笑った。
さっきまで泣いていたとは思えない、そのいつも通りの笑顔。それは、重苦しい空気を変えようとしてくれている、彼女なりの優しさなのだと分かった。そして、同時に、彼女が私に、また新しい一歩を踏み出そうとしてくれている証のようにも思えた。
「……うん。行く」
私は、こくりと頷いた。
その返事に、澪は「よっしゃ!」と、小さくガッツポーズをして見せる。その仕草が、なんだかおかしくて、私も、つられて少しだけ笑ってしまった。
海星館の扉に鍵をかけ、二人で夜道を歩く。
夏の夜の、生ぬるい風が、火照った頬に心地よかった。さっきまでの、息が詰まるような緊張感が嘘のように、私たちの間には、穏やかで、心地よい空気が流れていた。
澪の親戚の家は、私の家とは反対方向の、少しだけ高台にある、古いけれど手入れの行き届いた一軒家だった。
玄関の扉を開けると、澪が「ただいまー」と声をかける。奥から「おかえりー」という、柔らかな女性の声が聞こえてきた。
「詩織さん、こちら、従姉妹の夏帆ちゃん」
「こんばんは、初めまして。澪がいつもお世話になってます」
リビングから顔を出したのは、澪よりも少しだけ年上の、おっとりとした雰囲気の女性だった。その優しい笑顔に、私は少しだけ、緊張を解いた。
「さ、上がって上がって。澪から、話は聞いてるよ。詩織ちゃんが来てくれるの、すっごく楽しみにしてたんだから、この子」
夏帆さんの言葉に、澪が「夏帆ちゃん、余計なこと言わないで!」と、顔を真っ赤にしている。
その、今まで見たことのない、年相応の、焦ったような彼女の表情。
それは、私がまだ知らない、月島澪の、新しい一面だった。
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