第21話『弾むメッセージと、絵文字の魔法』
「確かなものなんて、何もないから」
あの日、古びた港で聞いた澪の言葉が、水面に落ちたインクのように、私の心にじわりと広がっていた。
海星館で一人、投影機のレンズを磨きながら、私は彼女のことを考えていた。ファインダー越しに見つめてくる、真剣な瞳。私の知らない本を読む、知的な横顔。そして、全てを諦めているかのような、寂しげな声。私が知っている月島さんは、まだほんの断片でしかない。もっと知りたい。その思いは、日を追うごとに、静かに、でも確実に、私の中で育っていた。
「しーおりー! 聞いてよー!」
そんな感傷を吹き飛ばすように、海星館の重たい扉を、凪が勢いよく開けた。その手には、色鮮やかな夏祭りのポスターが握られている。
「来週の土曜、港で夏祭りだって! 行こーぜ!」
「ええ……いいよ、私は。人混み、苦手だし」
「またそれー? いいから行くの! 夏だよ、夏! 受験生になる前の、最後の夏休みなんだから!」
私の返事など聞く気もない、といった様子の凪。私が溜め息をついていると、彼女は何かを思いついたように、悪戯っぽく笑った。
「あ、そうだ! 例の月島さん? あの子も誘えばいいじゃん! 絶対浴衣とか似合うって!」
澪が、夏祭りに?
あの、静かで、消えゆくものを愛おしむ彼女が、人の熱気と喧騒に満ちた場所に来るだろうか。想像ができなくて、私は曖昧に首を傾げた。
その夜、私は凪に半ば強制される形で、澪にメッセージを送ることになった。
『こんばんは。突然ごめんね。来週の土曜日に、町で夏祭りがあるんだけど、よかったら、一緒に行かないかなって。凪もいるんだけど……』
きっと、断られるだろう。そう思いながら送信ボタンを押した。
しかし、返信は、意外なほどすぐに、そして予想とは全く違う形で返ってきた。
『夏祭り! 行きたい! すごく行きたい! 楽しそう!』
今まで見たこともないくらい、たくさんの絵文字やスタンプが散りばめられた、弾むようなメッセージ。私は、その画面を何度も見返してしまった。これも、私の知らない、月島さんの一面。そのギャップに、胸の奥が、また少し、ざわついた。
私が行くと返信すると、今度は凪からグループメッセージの招待が届いた。メンバーは、私と、凪と、澪の三人。
凪:『よっしゃ! じゃあ祭りっつったら、浴衣っしょ!』
澪:『浴衣! いいね! 持ってないけど!』
凪:『じゃあ今度の週末、三人で買いに行こ! 私、いい店知ってるから!』
澪:『ほんと!? 行く行く! 楽しみー!』
スマートフォンの中で、私の知らないところで、話がどんどん進んでいく。
浴衣を、三人で、買いに行く。
それは、私が今まで経験したことのない、あまりに「普通の高校生」らしい、きらきらとした響きを持ったイベントだった。
自分がそんな華やかな場所にいていいのだろうか、という戸惑いと、ほんの少しの、抗いがたい期待。
私は、そのグループメッセージの画面を、ただ黙って見つめることしかできなかった。
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