表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/48

第19話『一枚だけの、宝物』

澪のあの言葉と、夕日に照らされた横顔が、脳裏に焼き付いて離れないまま、週末は終わった。

月曜日の海星館は、いつものように静かだった。でも、その静けさの意味は、以前とは少しだけ違って聞こえる。ただの空虚な沈黙ではなく、次に彼女が来るまでの、期待を孕んだ穏やかな時間。そう思えるようになっていた。


「――詩織さんが撮ったフィルム、現像、終わったよ」


その週の半ば、海星館にやってきた澪は、開口一番、そう言って茶色い封筒を差し出した。私の心臓が、とくん、と大きく跳ねる。ついに、この日が来てしまった。


「先に、見てて。私、ちょっと佐伯さんとこに用事があるから」

澪は、私の返事を待たずに、ひらりと手を振って出て行ってしまった。きっと、私が一人で見るための時間をくれたのだろう。その優しさが、今は少しだけ残酷に感じられた。


一人残された館内で、私は震える指で封筒を開けた。中には、光沢のあるL判の写真が、十数枚。一枚、また一枚と、ゆっくりと確認していく。

自分で撮った、海星館の客席。古びた星座早見盤。光の筋。

どれも、構図は傾き、ピントもどこか甘い。でも、そこには確かに、私が「綺麗だ」と思った瞬間が、切り取られていた。


そして、一番最後の写真。

私は、息を呑んだ。

投影機の隣で、ふわりと、無防備に笑う澪の姿が、そこにあった。

あの日の、あの瞬間の、幻ではなかった笑顔。

それは、私が今まで見たどんな写真よりも、鮮やかで、切なくて、そして、どうしようもなく、私の心をかき乱した。


どうして、こんな顔で笑ったの?

あの時、聞けなかった問いが、再び胸の奥から込み上げてくる。

この笑顔を向けられたのが、他の誰でもなく、カメラを構えた私だったという事実。その意味を、考えずにはいられなかった。


私は、その写真を胸に抱きしめるようにして、しばらく動けなかった。

この気持ちは、何なのだろう。

ただの友達に向ける感情とは、何かが決定的に違う。その正体と向き合うのが怖くて、私はその感情に、まだ名前をつけられずにいた。


「どうだった? 上手く撮れてた?」


いつの間にか戻ってきていた澪が、私の隣にそっと腰掛けた。私は、慌てて澪の写った写真を、他の写真の下に隠した。


「……うん。でも、やっぱり難しい」

「最初はみんなそうだよ。でも、詩織さん、すごく才能あると思う」

「そんなことない」

「あるよ」


澪は、きっぱりと言った。

「だって、詩織さんの写真には、詩織さんにしか見えていない『物語』が写ってるから。それは、技術じゃどうにもならない、一番大事なものだよ」


その言葉は、私が星を好きな理由と同じだった。

私の世界と、彼女の世界が、また一つ、静かに重なり合ったような気がした。


「ねえ」

澪は、少しだけ真剣な声で、私を見た。

「今度、一緒にフィルムを買いに行かない? そして、また、何かを撮りに行こう。詩織さんが、本当に撮りたいものが見つかるまで、何度でも」


その誘いは、断るという選択肢を、私に与えてはくれなかった。

私は、ただ、こくりと頷く。

胸に隠した一枚の写真の熱を感じながら、この、名前のない関係が、もう少しだけ、このまま続けばいいのにと、心の底から願っていた。

ご覧いただきありがとうございました。感想や評価、ブックマークで応援いただけますと幸いです。HTMLリンクも貼ってあります。

次回は基本的に20時過ぎ、または不定期で公開予定です。

活動報告やX(旧Twitter)でも制作裏話を更新しています。(Xアカウント:@tukimatirefrain)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ