第15話『私からの挑戦状』
送信ボタンを押した指先が、小さく震えていた。
メッセージを何度も読み返す。『モデルは、月島さんにお願いします』。それは、今までの私なら絶対に言えなかった、あまりに一方的で、我儘な言葉だった。後悔が、波のように押し寄せてくる。既読の印がついたまま、なかなか返ってこない返信に、心臓が冷たくなっていく。
ブブッ、と、数分が永遠にも感じられた後、スマートフォンが震えた。
『もちろん。すごく嬉しい。楽しみにしてるね』
温かい肯定の言葉に、私は全身の力が抜けるのを感じた。よかった、と息をついたのも束の間、すぐに次のメッセージが届く。
『でも、私のカメラ、貸してあげるだけじゃ駄目だよ』
その言葉の意味が分からず、首を傾げる。続けて表示されたメッセージに、私は息を呑んだ。
『詩織さんのカメラで、詩織さんの目で、私を撮ってほしいから』
私の、カメラ。
そんなもの、持っているはずもなかった。澪の言葉は、私の成長を促すための、優しい突き放しなのだと分かった。でも、どうすればいいのだろう。カメラなんて高価なもの、私に買えるはずがない。途方に暮れた私は、翌日、海星館で溜め息ばかりついていた。
「どうしたんじゃ、詩織ちゃん。若い娘がそんなに溜め息をつくと、幸せが逃げていくぞ」
見かねたように声をかけてきたのは、佐伯さんだった。私は、ぽつりぽつりと、カメラの件を打ち明けた。佐伯さんは「そうかそうか」と楽しそうに頷くと、「わしのでよかったら、貸してやろうか」と言ってくれた。
「いえ、そんな……」
「いや、待てよ」
何かを思い出したように、佐伯さんは海星館のバックヤード、祖父が使っていた小さな書斎へと入っていった。しばらくして、埃をかぶった黒い革のケースを手に戻ってくる。
「あった、あった。これなら、今の詩織ちゃんにぴったりじゃろう」
ケースの中から出てきたのは、ずしりと重い、銀色のフィルムカメラだった。それは、私が物心ついた頃には、もう祖父が使っていなかった、古い機械。
「じいさんが、若い頃にな。わしや、この海星館や、町の風景を撮るのに使ってたもんじゃ。……とりわけ、ばあちゃんの写真を撮るのが、一番好きじゃったみたいだが」
佐伯さんは、懐かしそうに目を細めた。私は、その古いカメラを、そっと手に取った。ひやりとした金属の感触。シャッターボタンの周りには、使い込まれた細かな傷がついている。祖父の指が、何度も触れた場所。このカメラで、祖父は、自分の愛しいものを切り取ってきたんだ。
「……これ、借ります」
私の声は、自分でも驚くほど、はっきりと響いた。
その日から日曜日まで、私は憑かれたように、そのフィルムカメラと向き合った。佐伯さんに教わりながら、フィルムを装填し、重たいピントリングを回し、絞りとシャッタースピードの関係を学ぶ。デジタメと違って、一枚一枚がやり直しのきかない、真剣勝負。その不自由さが、かえって私の覚悟を固めさせてくれた。
そして、約束の日曜日の朝が来た。
私は、祖父の古いカメラを首から提げ、海星館の重たい扉を開けた。窓から差し込む光の中に、約束通り、月島さんが立っている。
「おはよう、詩織さん。……そのカメラ」
「おはよう、ございます。……祖父の、カメラです」
澪は、私が提げた古めかしいカメラを見て、一瞬驚いたように目を見開き、それから、今までで一番、嬉しそうな顔で笑った。
「そっか。……じゃあ、始めよっか。カメラマンさん」
ファインダーの向こうの彼女を、私は、どう撮るのだろう。
期待と、とてつもないプレッシャーで、私の指先は、少しだけ、震えていた。
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