表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/48

第13話『反転する世界』

ファインダー越しの彼女は、私が今まで見てきたどんなものよりも、鮮やかで、綺麗で、そして、どうしようもなく、近かった。


背景の夏草や、遠くの電線がふわりと輪郭を失い、月島さんだけが、くっきりと世界から浮かび上がっている。風に揺れる髪の一本一本、少しだけ心配そうに私を見つめる長い睫毛、薄く開かれた唇。その全てが、やけに生々しい現実味をもって、私の目に飛び込んできた。普段、私が見ている世界とは、全く違う景色。これが、彼女がいつも見ている世界なんだ。


「どう? 何か見える?」


ファインダーの向こうから、澪の優しい声が聞こえる。

「……何て撮ればいいか、分からない」

「何でもいいよ。詩織さんが、綺麗だなって思ったもの、撮ってみて」


綺麗だなって、思ったもの。

私の視線は、自然と、ファインダーの中の彼女の瞳に吸い寄せられていた。夏の光を映して、キラキラと輝く、色素の薄い茶色の瞳。私は、ほとんど無意識に、シャッターボタンに置いていた指に、そっと力を込めた。


カシャッ。


自分で鳴らした、初めてのシャッター音。

今まで澪が鳴らしていた軽やかな音とは全く違う、ひどく重くて、意味のある音に聞こえた。心臓が、その音に驚いて、大きく脈打つ。


恐る恐るカメラから顔を離し、液晶画面を確認する。そこに写っていたのは、少しだけ傾いた構図の、月島さんの顔のアップだった。ピントも甘くて、お世辞にも上手いとは言えない。でも、そこには確かに、「私の見た月島澪」が、記録されていた。


「うん、すごくいい」

隣から画面を覗き込んだ澪が、嬉しそうに言った。

「ほら、やっぱり。詩織さんの見てる世界は、面白い」

彼女は、写真の技術的な巧拙ではなく、私が彼女の「瞳」に惹かれてシャッターを切ったという、その事実を肯定してくれているようだった。胸の奥が、じんわりと温かくなる。


「もう一枚、撮ってみていい?」

「もちろん」


その後の時間は、夢中のようだった。

錆びた線路。風に揺れる夏草。空に浮かぶ雲。そして、時々、澪。

私がカメラを構えると、澪は何も言わずに、自然な仕草でフレームの中に収まってくれる。時折、「今の、いいんじゃない?」なんて声をかけながら。

自分が「撮る側」に立つことで、私は、澪がいつもどんな気持ちでファインダーを覗いていたのか、その一端に触れた気がした。被写体に、綺麗でいてほしい。その一瞬を、永遠に閉じ込めたい。それは、祈りにも似た、切実な気持ちなのだと。


やがて太陽が大きく傾き、空がオレンジ色に染まり始めた頃、私たちは撮影を終えた。

「今日の写真、またデータで送るね。詩織さんが撮った分も」

帰り道、澪がそう言った。


駅前で別れる直前、澪が不意に立ち止まった。

「今度はさ」

彼女は、少しだけ楽しそうに、悪戯っぽく笑った。

「詩織さんが撮りたいものを、私が一緒に探しに行くっていうのはどう?」


それは、今までの関係を、また塗り替えるような提案だった。私が、撮りたいもの。そんなもの、考えたこともなかった。


「私なんて……」

「いいから。考えてみて」


澪はそう言うと、ひらりと手を振って、改札の向こうへと消えていった。

一人残された私は、まだカメラの重みが残っているような自分の右手を見つめていた。

私が、撮りたいもの。

その新しい問いが、夏の終わりの空気に、静かに溶けていくのを感じて

ご覧いただきありがとうございました。感想・評価・ブックマークで応援いただけると幸いです。

次話は基本的に20時過ぎ、または不定期で公開予定です。

活動報告やX(旧Twitter)でも制作裏話を更新中です。(Xアカウント:@tukimatirefrain)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ