第13話『反転する世界』
ファインダー越しの彼女は、私が今まで見てきたどんなものよりも、鮮やかで、綺麗で、そして、どうしようもなく、近かった。
背景の夏草や、遠くの電線がふわりと輪郭を失い、月島さんだけが、くっきりと世界から浮かび上がっている。風に揺れる髪の一本一本、少しだけ心配そうに私を見つめる長い睫毛、薄く開かれた唇。その全てが、やけに生々しい現実味をもって、私の目に飛び込んできた。普段、私が見ている世界とは、全く違う景色。これが、彼女がいつも見ている世界なんだ。
「どう? 何か見える?」
ファインダーの向こうから、澪の優しい声が聞こえる。
「……何て撮ればいいか、分からない」
「何でもいいよ。詩織さんが、綺麗だなって思ったもの、撮ってみて」
綺麗だなって、思ったもの。
私の視線は、自然と、ファインダーの中の彼女の瞳に吸い寄せられていた。夏の光を映して、キラキラと輝く、色素の薄い茶色の瞳。私は、ほとんど無意識に、シャッターボタンに置いていた指に、そっと力を込めた。
カシャッ。
自分で鳴らした、初めてのシャッター音。
今まで澪が鳴らしていた軽やかな音とは全く違う、ひどく重くて、意味のある音に聞こえた。心臓が、その音に驚いて、大きく脈打つ。
恐る恐るカメラから顔を離し、液晶画面を確認する。そこに写っていたのは、少しだけ傾いた構図の、月島さんの顔のアップだった。ピントも甘くて、お世辞にも上手いとは言えない。でも、そこには確かに、「私の見た月島澪」が、記録されていた。
「うん、すごくいい」
隣から画面を覗き込んだ澪が、嬉しそうに言った。
「ほら、やっぱり。詩織さんの見てる世界は、面白い」
彼女は、写真の技術的な巧拙ではなく、私が彼女の「瞳」に惹かれてシャッターを切ったという、その事実を肯定してくれているようだった。胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「もう一枚、撮ってみていい?」
「もちろん」
その後の時間は、夢中のようだった。
錆びた線路。風に揺れる夏草。空に浮かぶ雲。そして、時々、澪。
私がカメラを構えると、澪は何も言わずに、自然な仕草でフレームの中に収まってくれる。時折、「今の、いいんじゃない?」なんて声をかけながら。
自分が「撮る側」に立つことで、私は、澪がいつもどんな気持ちでファインダーを覗いていたのか、その一端に触れた気がした。被写体に、綺麗でいてほしい。その一瞬を、永遠に閉じ込めたい。それは、祈りにも似た、切実な気持ちなのだと。
やがて太陽が大きく傾き、空がオレンジ色に染まり始めた頃、私たちは撮影を終えた。
「今日の写真、またデータで送るね。詩織さんが撮った分も」
帰り道、澪がそう言った。
駅前で別れる直前、澪が不意に立ち止まった。
「今度はさ」
彼女は、少しだけ楽しそうに、悪戯っぽく笑った。
「詩織さんが撮りたいものを、私が一緒に探しに行くっていうのはどう?」
それは、今までの関係を、また塗り替えるような提案だった。私が、撮りたいもの。そんなもの、考えたこともなかった。
「私なんて……」
「いいから。考えてみて」
澪はそう言うと、ひらりと手を振って、改札の向こうへと消えていった。
一人残された私は、まだカメラの重みが残っているような自分の右手を見つめていた。
私が、撮りたいもの。
その新しい問いが、夏の終わりの空気に、静かに溶けていくのを感じて
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