第10話『日曜日のための憂鬱』
ファインダー越しに見つめられる時間。それは、息苦しくて、恥ずかしくて、でも、不思議と嫌ではなかった。むしろ、彼女のレンズを通して、今まで知らなかった自分自身の姿を、教えてもらっているような、不思議な感覚があった。
この、レンズ一枚分の距離が、今の私たちにとって、一番心地いい距離なのかもしれない。
そう思い始めた矢先だった。
「ねえ、詩織さん」
澪が、ふとカメラを下ろして言った。
「今度の日曜日、何か予定ある?」
唐突な問いに、私の思考は一瞬、停止した。日曜日。私の休日は、大抵、海星館の手伝いか、自室で本を読んで過ごすかで終わる。誰かとの約束なんて、凪に無理やり連れ出される時くらいだ。
「……特に、ないけど」
そう答えるのが精一杯だった。その答えに、澪は嬉しそうに微笑んだ。
「よかったら、撮影に付き合ってくれないかな? 海星館以外の場所で、詩織さんを撮ってみたいんだ」
海星館以外の場所で。二人きりで。
その言葉の響きが、私の胸の奥を静かにざわつかせた。またモデルをすることへの抵抗感と、未知の状況への緊張感で、指先が少しだけ冷たくなる。でも、ここで「嫌だ」と言ったら、彼女はどんな顔をするだろう。私と彼女の間に生まれた、このか細い糸が、ぷつりと切れてしまうかもしれない。
「……うん」
結局、私に言える言葉は、それだけだった。
その夜、私は自室のカレンダーの、今度の日曜日の日付に、小さな、震えるような星印を書き込んだ。たったそれだけの行為に、ひどく心臓が騒がしくなり、誰に見せるわけでもないのに、慌ててカレンダーを壁際に向け直した。
翌日の土曜日、海星館にやってきた凪は、開口一番、探るような目で私を見た。
「あんた、明日なんかあんの?」
「え、なんで」
「なんとなく。昨日からずっと、心ここにあらずって感じだから」
凪の妙な鋭さに、どきりとする。
「……別に。ただ、ちょっと撮影の手伝いをするだけ」
「へえ、撮影ねえ」
凪は、それ以上は何も言わなかった。けれど、そのニヤニヤした顔が、私の返事など少しも信じていないことを物語っていた。
夜になり、ベッドに横たわっていると、スマートフォンが短く震えた。澪からのメッセージだった。
『こんばんは。明日の待ち合わせ、10時に駅前の時計台で大丈夫?』
『はい、大丈夫です』
すぐに返信すると、またすぐにメッセージが届く。
『何か撮ってほしい場所とか、行ってみたい場所とかある?』
『特にないです。月島さんにお任せします』
そう打ちながら、私は自分の受け身な姿勢が少しだけ嫌になった。でも、他にどう返信すればいいのか、全く思いつかなかった。
そして、約束の日曜日の朝が来た。
私は、クローゼットの前で立ち尽くしていた。何を着ていけばいいのだろう。海星館の中なら、いつものTシャツとジーンズでよかった。でも、町のいろいろな場所で、モデルとして撮られるのに、こんな服でいいのだろうか。
鏡に映る自分は、白いブラウスに、色褪せたジーンズという、数日前に澪と会った時とほとんど代わり映えのしない格好だった。ため息が一つ、静かに零れる。
「……行ってきます」
玄関のドアを開ける前、私は誰に言うでもなく、そう呟いた。その声は、期待と不安で、自分でも分かるくらいに、小さく震えていた。
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