第3話
前回八重と一緒に行ったカフェの店内
テーブル越しに向かい合う二人を見る。流素は目の前のメニューを品定めしている。コーヒーの香りが漂い安心感を覚え、八重も冷たい様子を解きほぐしたかのように昨日と同じく窓の外を見つめている。
「アーモンドスコーンを」流素が店員に告げるとこちらを見る。「二人は何にする?ここ全部美味しいんだから」
「コーヒーで」八重が答える
「僕も」
注文を終えると、今回このカフェに来た本題に入っていく
「さて雪村くんに部の現状をちゃんと説明させてもらうわ。補足すると朝倉は知り合いがいないと人見知り激しいの」流素が胸の前で腕を組む
これは壮大すぎやしないか……いやいや、観察ポイントがズレてる
「部長はやめておきましょう。私が説明します。あなただと話が脱線するに決まってます」
「そんなことないわよ」
「部員が集まらない原因の大半は、部長が質問する度に脱線して他人が口を挟めなくなるからでしょう」八重が嫌味混じりの茶化した口調で言う
「これは自己開示よ。ほら楓ももう慣れてるでしょ?」
「どこからそんな結論が出るんですか」
「リラックスした表情が何よりの証拠。入部したての頃は何を言っても無表情だったのに……」
「でも部長はよく間違ったこと言いますよね。例えば朝倉が中学時代から鈴木さんのこと好きだったのに、一目惚れだとか」
「だってそっちの方が青春っぽいじゃない」
待て待て、この二人勝手に話し始めてる。しかも部の状況はもう説明済みじゃなかったのか? これラノベの前振りと設定補足か?
「ちょっと待って、私から説明します……」私が口を挟む
すると学校で流素から聞いた情報を繰り返し説明した
私の復唱を聞いた流素は片手で頭を撫でながら呟く「なんか聞き覚えあるセリフだな……」
記憶力金魚レベルか?
八重の瞳に光が走り、テーブルに手をついて身を乗り出してくる
「雪村さんがこんなに詳しいなんて、演劇に興味あるんですか!」興奮した声。整った顔立ちに耳元まで赤みが差している
「いや、ただ……」
「ああ、三年生の先輩が部長の座を押し付けて退部して……私本当に演劇が好きなの。廃部にしないよう必死で勧誘してるのに成果ゼロ。楓と詩織も本気で好きだから入部したのに。もっと多くの人に演劇の魅力を伝えられたら……」流素が泣きべそをかく
この部長……30分前に自分が言ったことすら忘れてたのに、今さら惨状アピールか。おいおい、ハンカチで涙まで拭き始めたぞ。完全に演技だろ!
普通ならここでたじたじになり、わけもわからず承諾してしまうところだろう。だが私の人生信条は「余計な仕事を抱えず、虚名に囚われない」。だから……
「すみません、今のところ入部する気はありません。八重さんとの約束も今日の見学だけですから」だがなぜかこの言葉を口にした瞬間、言いようのない感情が全身を包む
場が水を打ったように静まり返り、八重も身を引いた
「失礼します。今日は家族が帰ってくるので」立ち上がる
八重の唇が微かに動いたが、結局何も言わなかった
カフェを出て電車に乗るまでの間、私は長時間放心状態だった。到着のアナウンスでようやく現実に引き戻される
「ただいま」疲れた声で玄関を開ける
「おかえり。本当に久しぶりね、弟くん」
知性的な声で話すこの人物こそ、私の姉・雪村韻裳だ
「まだ4日も経ってないのに。それに大学生なんだから一人暮らししたら?」そう言い部屋に戻り、椅子に倒れ込む
「部屋に無断で入るなって何度も……」ため息混じりに言う
「別にいいじゃない。それに姉だからこそ、悩める弟を放っておけないの」
すると私の体に顔を近づけて匂いを嗅ぎ始める
「その行為もやめて……」
「コーヒーの香りと、微かに女性の匂い……デートしたの?ああ、弟にもついに青春が!」感慨深げに言う
彼女の嗅覚は相変わらず鋭い。どこで鍛えたんだ
「違います……」
「何も挑戦せずに諦めたら後悔するわよ。手伝えることがあったら言いなさい。姉だからね」背を向ける
今日はどうした?妙に姉らしい仕草だ
「というわけで……この本を用意したわ。『人間関係の築き方・友達作りの極意』『理想のパートナーを見分ける方法』『姉属性が最強な理由』……」楽しそうに語る姉は最後のタイトルで急に照れ始める
「最後の本は何が目的だ?それにこれラノベじゃないか」
「どうしたの?やっと興味持った……今まで何度勧めても……」瞳に涙を浮かべる
「それと姉ね、最近バンドに入ったの。みんなで合わせるのって本当に楽しいわ。残念ながら弟にはわからないだろうけど」
「もう疲れてるだろ?早く休んで」彼女を部屋の外に押し出す
風呂から上がりベッドに横たわると思考が巡る。青春を音楽に例えるなら多人數の交響楽だろう。だが私の中学からの青春はソロ演奏。狭い舞台で観客もなく独り奏で続ける。それでいいのか?演劇が集団の舞台なら、私は端役の勇気すらないのか?机の引き出しを開けると、三年分のレシートが詰まっている。桜より正確に『孤独』の製造日付を刻み、消費期限のないそれらが積み上がっていた
今夜はカーテンをきっちり閉めた。隙間から漏れる月光が八重が言葉を飲み込んだ時の睫の震えのように砕け散っている……。