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第四章「義理の妹が俺に青春をさせてくれない。」

 おにぃのことが好き。

 おにぃとしても好きだし、ひとりの異性としても好き。

 だからわたしは、おにぃの妹のまま恋人になりたい。

 兄妹の距離感になったり、恋人の距離感になったり。

 そうやって、要所で要所で適切な関係にシフトできたらいいなと星良は思うのです。

「おっはよーおにぃ♪」

 兄妹にも恋人にもなりたいなんてワガママは普通なら絶対に叶わない。

 仮に叶えたとしても、幸せなのは当事者だけで、周囲はきっと冷たい反応をする。

 その点わたしはおにぃの義理の妹だから、合法的にそういう関係を築くことができるし、実はママとお父さんからも、二年くらい前にこっそり了承を得ている。

「ぐがー。うがー」

「……はぁ。わたしのあいさつにあいさつが返される日は未来永劫来ない気がするよ」

 ほんと、恵まれた環境にあると思う。

 幼い頃にパパが事故で亡くなってしまったけれど、わたしに降りかかった大きな不幸といえばそれくらいしかない。

 それに、その不幸のおかげでこうして大好きなおにぃと巡り逢い妹になれたから、パパが亡くなったことも、見方を変えれば幸福と言える。

 なんて言うと、世間はわたしのことを薄情な娘だって非難するんだろうけど、むしろパパを尊敬しているからこそ、わたしはこの思考に至れるわけで――


『いいか星良。悲しいことと楽しいことは常に隣合わせにある。人生、悲しくて泣いちまうことはたくさんある。でもな、そんなときこそ笑ってやるんだ。するとびっくり、なんだか楽しくなって、今まで気づけなかった幸福に気づくことができる。だからた~くさん笑って過ごせ。笑ってるヤツは勝手に好かれる。俺は星良にそんな子になってほしいんだ』

『だから、パパはママにおせっきょうされたのにニコニコしてるんだね』

『いやこれは苦笑い。……どうしたもんかねぇ。会社の付き合いで行ったってだけで、なにも若菜の平坦さに不満を覚えてるってわけじゃ――』

『平坦で悪かったですね?』

『ひいっ! ち、違うんだ若菜! べ、別にお前の貧乳をバカにしたわけじゃ――』

『貧乳をバカにしているから、そうやって言い訳するのですよね?』

『っ……!』

『星良。ママね、これからパパと大事な話をするの。好きなお菓子食べていいから、向こうの部屋でちょ~っとだけお利口さんしててくれる?』

『うん! 星良、おりこうさんするー!』

『ま、待て星良っ! この場から星良がいなくなったら俺は――』

『パパとママはいつもニコニコしててなかよしだねっ』

『いやだからこれは苦笑いで――』

『はい。仲良しなんです。ね、パパ?』

『……はい。仲良しです』


 パパはわたしに、どんなことでも前向きに捉えるようにと教えてくれた。

 だからわたしは、どんなことも前向きに捉えて幸せを目指す。

 それが、天国にいるパパをなにより喜ばせることだろうから。

「ぐごぉぉ! ん、んぐっ、ぐがー!」

「ほら、起きるよおにぃ! もう朝だよ!」

「ん、んんっ……ふがー!」

「ほんとこの寝起きの悪さだけは唯一と言ってもいいおにぃの欠点だよ」

 ピピピと音を立てる目覚まし時計を止める。毎晩毎晩、しっかりアラームはセットしてるみたいだけど、おにぃがこのアラームで目を覚ました姿をわたしは一度も見たことがない。

「おにぃ! 起きて! おにぃ~!」

「んんっ、んぐぅ……すぴー」

「いい加減起きろや! あと十秒以内に起きなかったらキスすんぞ!」

 おにぃに馬乗りになって、ゆっくり顔を近づける。

「10……9……8……7……」

 段々と耳に届くおにぃのいびきのボリュームがあがる。

 ……うるしゃい。おにぃのいびきも、わたしの鼓動も。

「……3……2……」

 ちょんと、鼻の先と先が触れ合う。

「1……」

 わたしがキスしたとしても、おにぃは気づかないだろう。

「0……」

 その気になれば、わたしはいつでも簡単におにぃのファーストキスを奪うことができる。

「……はぁ」

 けど、こんな形ではじめてを交換っこするのはなぁ。

 そんなこんなで、今日も今日とてキスを断念し、わたしはおにぃの耳に息を吹きかける。

「んちゅ、はむぅ、ん、んんぅっ!」

 そして、ASMRスタート。

 もっとも、寝かせることではなく、起こすことを目的としたASMRだけどね。

「おい! 頬にキスまでって約束しただろ!」

 ようやく起きた。おにぃは耳が敏感なので、揺さぶってもなかなか起きないくせして、耳元でちょっといやらしい言葉を囁いたり、喘ぐ演技をすると、すぐに目覚める。……さてはわたしのASMRを期待して毎日寝たふりをしてたりして。

「おはよっ! おにぃ!」

「……おはよ星良。あのさ、その起こし方は心臓に悪いからやめてくんない?」

「不満を垂れるならちょっとは自分で起きる努力をしなちゃい」

「くっ、そう言われると返す言葉が……」

「ま、いいけどね。朝おにぃを起こすのは、妹冥利に尽きるからさ」

 ベッドから下りて、カーテンを開ける。

「今日も快晴だよっ! わたしの笑顔の方が眩しいけどねっ!」

「朝から露骨にアピールされると鬱陶しいな」

「それが恩人に対する態度かっ!」

 おにぃの胸にタックルを決め、再び馬乗りになって髪を掻きむしる。

「こら、やめろ星良、いい子にしなさい」

「おにぃの何気ない一言が星良ちゃんの琴線に触れて悪いコになってしまいました~。今すぐ謝れば、元の可愛い星良ちゃんに戻るかもしれません」

「はっ、可愛いとか自分で言ってやんの」

 おにぃは鼻で笑う。

「もう怒ったっ! 朝ごはん抜きの刑に処す!」

「悪かった悪かった。星良は可愛いよ。な? だから許してくれよ?」

「じゃあよちよちして?」

「はいはい。よちよち~」

 おにぃがぎゅっと抱きしめて、頭を優しく撫でてくる。

「えへへぇ~」

「許してくれるか?」

「うん。おにぃちゅきっ!」

 おにぃの胸に強く抱きつく。

「ちょっ! ……ま、いつも起こしてくれてるもんな。いつもありがとう」

「どういたしまして。ちゃんと感謝できるおにぃにはもっとぎゅ~ってしちゃいます!」

「……ま、それで星良が満足してるならいっか」

 何度も何度もキスするチャンスが訪れてるけど、やっぱりわたしにそのチャンスをものにすることはできない。勇気が出ないからっていうのも理由だけど、なによりもほっぺまでっていうおにぃとの約束を破って悲しませたくない。

「すりすりすりすり~」

「まるで猫だな」

「にゃあん。にゃん。ごろごろごろ~。もっと構ってほしいにゃ~ん」

「はは、今日はどうしちまったんだよ。朝からそんなに甘えてきてさ」

 おにぃがぎゅってしてくれる。おにぃが頭を撫でてくれる。

 そんな日常を壊したくないから、わたしはおにぃにキスすることを我慢する。

「ねぇおにぃ」

「ん、どした」

「好きっ!」

「俺も好きだよ。妹としてな」

「むぅ……いい加減観念してわたしを彼女にしてよ~」

「はいはい。考えとく」

「絶対嘘だ~」

 おにぃの彼女になり、両者合意の上でキスすることが日常になるのは、まだまだ先のことになりそうだ。

 絶対、妹兼恋人になってみせるんだからねっ!


 ※


「みんなでお祭りに行こうよ!」

 明日原さんは言った。

「なんで俺たちまで明日原の赤点補習祭りに付き合わきゃなんねぇんだよ」

「それは夏休みに入ってからの話。まだ七月一週目だよ。五味くん、夏ボケしてる?」

「明日原に『頭大丈夫?』みてぇな心配のされ方されるとなんだかすげぇ屈辱を感じるわ」

「おい五味、表出ろ。明日原さんの憂いが正しい惨状にしてやんよ」

「うわっ、おにぃ本気の目してるよ……」

 七月に入り、梅雨明けの終わりが近づくと共に、温度と蝉の鳴き声が増していくこの頃。

 季節の移ろいと共に、クラスのいくつかのグループが分裂だったり結合だったりをするなかで、俺たち四人は、四月から変わらない面子と場所でお昼を食べている。

 それはつまり、俺の席にもろに直撃する直射日光の殺傷力が日に日に増大してるってことで、その問題はカーテンを閉めるだけで容易く解決できるんだけど、明日原さんが陽射し大好きっ子だから、俺は冷房の効いた教室で額に汗を浮かべるという苦行に精進している。

 明日原さんの笑顔のためなら、俺はどんな過酷な運命だって受け入れてやるさ。

「それにしても、明日原さんはどうして赤点取っちゃったの?」

 きょとんと首を傾げて星良は言った。

「聖良の発明品を使えば、赤点回避どころか満点だって射程圏内なんじゃないかな」

 星良の言う通り、聖良の発明した『透けるメガネ』を使えば答案用紙に答えが浮きあがるのだから、その仕様を知っている明日原さんが赤点を取ることは普通ならありえない。

「いやぁ~。ズルするのはやっぱりよくないなぁって思ってね」

 そう、『透けるメガネ』に頼ったのならば。

「毎日必死に勉強して、前日には徹夜して一夜漬けもしたんだけど、運悪くことごとく山が外れちゃってね~。あ、でもでも家庭科は予想通りの出題がされてね、ほら八十点!」

 机からプリントを引っ張り出し、明日原さんは得意げにふふんと鼻を鳴らす。

 明日原さんのこういうところが俺は好きだ。また少し、俺の中の『好き』が大きくなる。

「明日原さん、家庭科得意なんだ」

「平均八十三点だけどな」

「おい五味、表出ろ。お前の九十八点の答案用紙びりびりに引き裂いて平均下げてやんよ」

「五味くん、家庭科得意なんだ。あとおにぃ、破いても平均は下がんないよ」

「言われんでもわかってる」

 明日原さんに代わって、なにかしらの形で報復攻撃したいだけだ。

「家庭科に限らず、全教科こんなもんだぜ」

 ここぞとばかりに、五味は得意フィールドで想い人に自分の強みをアピールしはじめる。

 こいつ、見かけによらずめちゃくちゃ頭いいからなぁ。前途有望だわ、顔は冴えるわ、友だち甲斐はあるわで、実は五味ってかなりの優良物件だったりする。まぁ星良はやらねぇけどな。

 ここまで好条件の五味でダメなら、じゃあ誰ならいいんだよって話だけど。

「明日原の三……いや四倍の点数はあるな」

「お前っ、明日原さんを踏み台にするとかさぁ!」

 五味と明日原さんとじゃ、小学生と高校生が競り合うようなもんで話にならな……

「私は五味くんの四分の一……はは、たったの三十パーセントかぁ~」

「わたし、明日原さんの数学が二桁あるのは奇蹟なんじゃないかなって思えてきたよ」

 じゃなくて!

「おい五味、表出ろ。ちょっと頭いいからってイキってんじゃねぇぞ」

「おにぃ、さっきからずっと五味くんに突っかかってばっかだね」

 だって、こいつが明日原さんを馬鹿にしたり悲しませたりするから……!

「それでそれで、お祭りなんだけどねっ!」

「立ち直り早いなぁ」

 明日原さんのメンタルは、頑強で、強靭で、不屈だ。

 いつでも元気いっぱいな明日原さんが俺は大好きです。

「隣町で今週末に開催されるみたいなんだ。えっとね……なんかいろいろあるみたい!」

「ふんわりしてるなぁ……けど随分と早いお祭りだね。まだ七月はじまったばかりなのに」

 出し巻き卵を頬張り、星良は窓の向こうに広がる雲ひとつない青空を見つめた。

「今週末は天気もいいみたいだし、明日原さんの補習ラッシュもはじまってないから、ちょうどいいのかもしれないね」

「聖良とヒイロも誘うか。明日原さんもそのつもりだよね?」

「うんっ! お祭りは大人数で賑やかに過ごすから楽しいんだよっ」

 あぁ、なんて無邪気で屈託のない笑顔。

 明日原さんとふたりきりなら最高なのになぁ、とか一瞬でも思った自分を殴りたくなる。

「祭りってことは、星良ちゃ……明日原は浴衣とか着んの?」

 星良の浴衣姿に期待してることが丸わかりの五味だった。

「うん、着てくよ。せっかくの機会だし」

「……っし!」

 机の下で、俺はガッツポーズを決めた。

「星良はどうするんだ?」

 五味が日和って明日原さんに話題を振ってくれたおかげで俺は幸せな気分になれたので、恩返しと言っちゃなんだけど、五味の欲しい情報を星良から引っ張り出すことにする。

「おにぃはどうするの?」

「俺はどうでもいいだろ」

「どうでもよくにゃい。おにぃが浴衣着ないなら、わたしも浴衣着ない」

 逆説的に、俺が着れば星良も着るということだ。ちらと五味を見やる。

「昇、俺たち、親友だよな?」

「……そうだな」

 親友の頼みとあらばやむをえまい。浴衣なんて着たことないけど、初挑戦してみるとしよう。

「今のは承諾のため息と判定してよろしくって?」

「その代わり、星良も浴衣だからな」

「やったー! おにぃの浴衣姿だっ!」

 きゃっきゃっとはしゃいで大喜びの星良。

「やったー! お兄ちゃんの浴衣姿だぁ!」

「便乗しないで明日原さん……」

 周囲の目がちょいと痛いんで。あと、俺は明日原さんのお兄ちゃんじゃない。

「星良に浴衣を用意するって以上、聖良とヒイロにも浴衣を用意しなきゃいけないよな。となると、当日は五味だけが私服か。あれだな、洗練されたアイドルのライブにはじめて参加する初心者みたいだな。で、そういうやつは大抵途中でギブアップして帰るんだ」

「誰も私服で行くとは言ってねぇんだけど?」

「よし、言質取ったからな。裏切ったら星良も聖良も私服で参加させるからな」

「妹を罰則扱いするなっ」

 こつんと、星良がよわよわな拳骨を見舞ってきた。

「ごめんごめん」

「そうだそうだっ」

 こつんこつんと、明日原さんが追い討ちでふわふわな拳骨を見舞ってきた。

 えへへ、もっと叩いてくだちゃい。

「星良ちゃんと聖良ちゃんを私服で参加させたら、私と朝久くんとヒイロちゃんも私服で参加するんだからねっ」

「まさかの全員お祭りモード解除……ん、五味は?」

「私を馬鹿にした五味くんは、ぼっちで気取ってればいいんだよ~だ」

「なっ! あ、明日原の分際で俺をからかいやがって!」

「ふんだっ。イジワルな五味くんが悪いんだもんねっ」

 ジトっと五味を睨みつける明日原さん。さっきの根に持ってたんだ……

「おにぃ……さっきから感情が顔に出っぱなしだよ」

 ご機嫌斜めな明日原さんもかわいいなぁ。


 ※


「祭り当日、なにかの弾みで明日原さんとふたりきりになって、デートっぽい感じになったら最高だなぁ。ぐへっ、げへへっ」

「誰がアフレコしろと言った」

「あいてっ」

 藍色が滲みはじめる時間が日に日に遅くなるオレンジの夕空を眺めながら、祭り当日、なにかの弾みで明日原さんとふたりきりになって、デートっぽい感じになったら最高だなぁと思った矢先、星良にまんま心中を見透かされたので、冗談っぽい感じで手刀をかました。

 お前、超能力者かよ。下卑た笑いがなけりゃ完全再現だったよ。

「けどさおにぃ、実際これってす~ごいチャンスだよ」

 大袈裟に頭をすりすりしながら、星良は潤んだ瞳で見上げてくる。演技だってバレバレだぞ。

「まぁそうだな」

 夏に、小規模だけど祭りに、小規模だけど花火に、小規模だけど……と、浴衣の膨らみが小規模なのは若干二名だけか。ヒイロは月並みに、明日原さんはそれよりもちょっと上かなってくらいのものをお持ちになっている。

「今、わたしの胸見て考えてた失礼なことを正直に白状すれば夕飯用意するけど」

 視線をやや上にずらすと、冷めた目をする星良と視線が交錯した。

「浴衣って小さい方が着やすいし映えるって言うけど、あれって実際のとこどうなの?」

「おい、論旨を逸らすな」

「下から数えて二番目だなって思いました」

 ちなみに一番は聖良。

「正直でよろしい。……この巨乳好きめっ」

 ぺちんと、まったく力の入っていないおふざけの蹴りが俺の尻を捉える。

「だから明日原さんが好きなのか! この○リコンおっぱい星人っ!」

「小さい子が可愛く見えるのも、大きい方がいいなって思うのも、男なら普通だろ」

「後半はともかく、前半は食い気味に否定してほしかったなぁ!」

 だって、妹に嘘つくわけにはいかねぇし。

「ま、明日原さんが全局面において首位であることには変わりないけどな。たとえ小さかろうが、俺は変わらず、明日原ひかりって女の子を好きでいられる自信がある」

 人は見かけが云々と言うが、俺は明日原さんの中身が好きだからな。

「妹の前ではちょっと引くくらい堂々と愛を語れるくせして、いざ本人と対面すると日和まくりだもんなぁこのおにぃは」

 星良はため息をついた。

「この千載一遇のチャンスはモノにしなくちゃだよ?」

「わぁてるわぁてるって~」

「と言って特段進捗のないまま早三か月が経過するわけですが、なにか申し開きは?」

「……無理だろ。好きな子の前で赤裸々になるなんて」

 とぼけてもすぐにコーナーに追い詰められる未来が目に見えたので、俺は観念して、もう何度目かもわからない、星良の恋愛教室に参加することにした。

「まぁおにぃの気持ちは痛いくらいわかるんだけど……でもさ、そんなこと言っていつまでも尻込みしてたら、明日原さんとはずっとず~っと友だち止まりだよ?」

「恋をしたことがない星良になんで俺の気持ちが痛いくらいわかんだよ」

「そりゃあ、おにぃにガチ恋してるからね。なんなら今嫉妬嫉妬嫉妬~っ! ……状態だし」

「そうかい」

「星良ちゃんは自分の幸せを犠牲に、おにぃの幸せを優先しているので、ファーストキスを頂戴する権利は充分にあると思うのです。というわけで、ちゅ~~」

「しねぇよ」

 背伸びして顔を近づけてくる星良を押し返す。

「むぅ~。わたしは本気だって何回も言ってるのにぃ~」

 ハリセンボンみたいに頬をふくらませて不満を主張してくる。

 俺は両手で小さな風船に触れ、くねくね円を描くように動かす。

「ははっ、ぶっちゃいくだなぁ~」

「おんにゃのこにひょのことびゃはれんきんっ!」

「ん、お魚語かな? 悪いな、生憎俺は日本語しか理解できないんだ」

「おにぃのびゃかびゃかびゃか!」

 ぽこぽこぽこぽこ。

「星良はこんなイジワルなことするおにぃが好きなのか~?」

「しゅきにきまってるじゃんかぁ~」

「……虐められて喜ぶってお前、さてはそういう趣味があったり?」

「しゅきなひひょにしゃわられたりゃうれひいよぉ~」

 星良が本気で涙目になってきたので、そろそろ解放してあげることにする。

「うぅ~、どうしちゃったのおにぃ。いつもならすぐ離してくれるのに」

「……そういう気分だったんだよ」

「ん?」

 顔を逸らしてしまったのは、きっと赤裸々な自分を晒すのが恥ずかしかったから。

「んん~? あれれぇ~? さてはおにぃ、わたしに好きって言われて照れてる?」

「自惚れるなよ妹の分際で」

「おにぃ、だぁ~いすきっ♪」

 腕に抱きつき、脚と脚をぴったりくっつけて、隙間がないくらいに密着してくる。

「歩きにくいから離れろ」

「や~だ♪」

「すれ違った人に勘違いされるぞ」

「勘違い上等~♪」

「……はぁ」

 なにを言っても無駄そうだ。

「で、俺の恋愛相談はどうなったんだ?」

「星良ちゃんが恋で忙しいので、恋愛相談所は一時閉鎖しま~す」

「使えねぇな」

「えへへっ、どしたのおにぃ? なんか今日はわたしにすんごい甘いじゃん」

 辛辣な対応してるのになに言ってんだこいつは。

「……そういう気分なんだよ」

 なんでこうも簡単に俺の心中を見透かしちまうんだよ。

 別に、星良に好きと言われて気持ちが舞い上がったってわけじゃない。俺はただ、恋愛感情を妹に晒すよりは、甘えたがり屋の妹に主導権を握らせた方が都合がいいと思っただけで……

「おにぃは素直じゃないなぁ~。わたしを明日原さんだと思って言っちゃいなよ。好きって」

「言えるわけないだろ。……星良は星良なんだから」

「ん、なんか言った?」

「っ! なんも言ってねぇよ。おんぶしてやるから腕離せ。星良もそっちの方がいいだろ」

「おいおいマジでどうしちまったんだおにぃ!? さてはてめぇ偽者だなっ!」

「やっぱりやーめた」

「ごめん冗談だから嘘だからぁ~! おんぶしてよおにぃ~!」

 言われずともそのつもりだったので、背中のリュックを前に回し、星良をおぶって帰り道をゆっくり歩く。

「ここ最近おにぃが甘々でうれしいなぁ」

「俺はずっとこんな感じだろ」

「ううん、前まではもっと拒絶してたよ。さてはおにぃ、ほんとにわたしに想いが傾きつつあるな?」

「んなわけねぇだろ」

 太ももの裏に回した手を上げ下げして、調子に乗っている妹に恐怖という罰を与える。

「わわわっ、えへへっ、横着なお馬さんだなぁ~」

 逆効果みたいだ。いい意味で。

「おにぃ」

「なんだ」

「なんでもない。呼んだだけ~」

 くすくすと楽しそうな星良の笑い声が耳をくすぐる。

「……なぁ星良」

「ん?」

「楽しいか?」

 返事はわかりきっている。けど、その言葉を本人の口から聞きたかったから。

「うん、楽しいよ」

 この感触……肩に顎が乗ってんのかな。

「家には、おにぃがいて、聖良がいて、いろちゃんがいて、お父さんがいて。学校には、クラスの友達がいて、明日原さんがいて、五味くんがいて」

 俺がややクラスで浮いている一方で、星良はクラスの人気者だ。シスコンの兄は冷たい目で見られるのに、ブラコンの妹はあたたかい目で見守られるんだから、この世界はどうかしてる。

「これだけたくさんの人がそばにいるんだもん。楽しくないわけがないよ」

 幸せたっぷりな声で星良は言った。

「寂しくないか?」

「ぜ~んぜん。星良は立派に母親離れしました~」

 二年前は、夜になると母さんがいなくて毎晩眠れないってぐずってたくせによくもまぁ。

 ……で、母さんの代わりにしばらく俺が隣で寝てあげてたっけ。

「その調子でおにぃからも離れてくれると助かるんだが」

「おにぃとわたしは、ふたりでひとつの生命体だからむ~り。おにぃ死にたいの?」

「星良と離れたくらいじゃ死なねぇよ」

 寂しくてしばらくは立ち直れないだろうけどそれはさておき。

「……いいんだよおにぃ」

 囁くように星良は言った。

「なにがいいんだ?」

「わたしのことは気にせず、明日原さんに告白していいんだよ?」

「……」

「おにぃはやさしいなぁ。けど、もう大丈夫だよ。わたしはもうひとりで歩けるから……」

 そう言いつつ、最後の方は声が掠れていたことに、たぶん本人は気づいていない。

「……次の恋愛相談はいつだ」

 だから俺は、星良の用意した都合のいいカードを都合よく使う。

「え?」

「まだまだ全然足りねぇよ」

 自分ではなく、星良のために。

「もっとアドバイスをくれよ。でなきゃ明日原さんに振られちまう」

 やっぱりまだ独り立ちさせるには早い雛鳥の側に、親鳥として寄り添い続けるために。

「……そうだなぁ。じゃあ明日の放課後に開こうかな」

「約束だぞ。たしかに聞いたからな」

「はは、しつこい男は嫌われるぞ~」

 けらけらと星良が笑う。……ほんと、この妹は無駄に勘がいいから困る。

 祭り当日。言うまでもなく、その日は絶好の告白チャンス。

 けどたぶん、俺はそのチャンスを逃す。

 俺は、告白する勇気を振り絞れないヘタレなおにぃだからな。

「……ごめんねおにぃ」

「なにに対して謝ってんのかさっぱりわかんねぇな」

 俺が好きでやってるだけなのに、そんな申し訳なさそうな声出すなよ。

 星良が笑顔でいてくれなきゃ、俺が恋を止めてる意味がなくなっちまうだろうが。


 ※


 星良と出逢った日のことは今でも鮮明に思い出せる。

「こんにちは昇くん。わたしは(ひさ)(いし)……と、それは一昨日までの話か。改めまして、わたしは朝久若菜。今日から昇くんのお母さんです」

「おかあさん?」

 遡ること十年前。俺が七歳の頃のことだ。

「はい、お母さんです。これからよろしくお願いしますね」

 その日、俺に母親ができた。

 マンガなんかだと、前までのお母さんの方がよかったって反発したり、再婚っていう選択をした父さんを責めたりして、なかなか新しい家族構築がうまくいかない……っていうパートがありがちだが、出生と同時に母親を失っている俺は、そもそも比較対象がいないので、不満も難色も抵抗もなく、新しくやってきた母親を嬉々として歓迎した。

 あの頃の俺は、ほかの子と違って母親がいないことにコンプレックスを感じていたから、母親ができることに反対なんてするはずがなかった。

「おかあさん、その子は?」

「っ! ……よかったぁ。わたしをお母さんって認めてくれるんですね」

 あの時、母さんがどうして安堵してたのか、まぁガキの頃の俺にわかるはずがないよな。

 今ならわかる。俺もはじめて星良に〝おにぃ〟って呼ばれたとき、すごく安心したから。

「この子は……と、私が話しちゃいけませんよね。星良、昇お兄ちゃんに自己紹介しよう?」

「……」

 母さんの手を握り、その子は暗い顔をして俯いていた。

 俺と年が近そうな、可愛らしい女の子だった。

「星良」

「……」

 無言無反応。

「……わかった。あとでちゃんと自己紹介するんだよ?」

 女の子は小さくうなずいた。

「この子は星良。昇くんより一歳年下の、これから昇くんの妹になる女の子です」

「ぼくの妹?」

「はい。今日から昇くんはお兄ちゃんになるんですよ」

「お兄ちゃん……」

 いまひとつ状況が掴めないながらも、俺は女の子をまじまじと眺めた。

 何歳かなとか、なにが好きなのかなとか、どうしてそんな顔してるのかなとか……

「わたしに構わないで」

 とまぁ、初対面の相手に長時間じっと見られてプラスの感情が湧きあがるはずはなくて。

「ママ。わたし、この子きらい」

「ちょっと星良! そんなこと言っちゃダメでしょ!」

「きらいなものはきらいだもん。……だから見ないでって言ってるでしょ」

「……」

 といっても、マイナスの感情の肥大にも限度があると思うんだ。


 と、これが俺と星良の初対面の記憶。たぶん、無加工の正史。

 まさかこんなツンツンしてた子が、今ではあんなデレデレになっちまうなんて、誰も予測できないよな。

 だから俺は、聖良にとことん甘くしてしまう。だって、あの頃の星良が、俺に甘えてくることは一度もなかったから。

 それどころか、とある出来事が訪れるまで名前すらも呼ばれなかったから……


 ※


「遅いねー。……これはあれだ、課題提出が遅れて説教されてるパターンだ!」

「明日原ならともかく、あの真面目な星良ちゃんに限ってそれはありえないだろ」

 四限が終了してからまもなく五分が経とうとしているが、なぜか星良がやってこない。

「ヒイロが探して来ましょうか?」

「いや、学校のレイアウトわかってないひーちゃんが行っても無駄足でしょ」

「心配ご無用です。すべての場所に足を運べば、どこかで星良さんと出会えます。ヒイロは足の速さには自信がありますので」

「その代償に校舎が倒壊するけどな」

 秒速百メートルを生み出す踏み切りに耐えられるほどこの校舎の耐震性は高くない。

 と、いつもの四人にヒイロと聖良を加えた六人で、今頃賑やかなお昼休みのまっただ中にあるはずだったんだが……

「ちょっと探してくる」

「心当たりあんのか?」

「いや全然」

「ダメじゃねぇか……」

 五味はため息をついた。

「兄妹のシンパシーを信じろって」

「兄と妹は惹かれ合う! って有名なマンガでも言ってるもんねっ」

 どのマンガの話だろ?

「至言ですね。ヒイロも何億光年も離れた場所にいるお兄様と巡り合えましたし」

「あたしも二十年離れた時代にいるおにぃと巡り合えたし」

「スケールがバグってるんだよなぁ」

 と、他愛ない会話に興じるのもこの辺にして。

「もし星良が来たら電話してくれ。あと聖良とヒイロは大人しくしてろよ」

「りょうかいっ!」

「わかりました」

 威勢のいい返事をしてるのにこうも不安が募るのはなんでだろうな。

 とはいえ、いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。

 教室を出て、まずは一年生のフロアに向かう。

「つ~か、なんで電話繋がんねぇんだよ」

 朝のHRから帰りのHRまではスマホの電源落とせって校則に書かれてるけど、マナーモードにしておくのが暗黙の了解だろうが。


 明日原さんの言ってたことは、聞き覚えはないけど正しいのかもしれない。

「それで話ってなにかな?」

 一年生フロアにある空き教室。より正確に言えば、二年生が世界史の授業を受ける教室。

「あ、あのさ、その、俺……」

 そんな俺にとっても馴染みのある教室に、ひとりの女子生徒とひとりの男子生徒がいた。

 ひとりは俺の妹で、ひとりは面識のない下級生。

「……俺っ、朝久のことが好きなんだっ!」

 俺がぴたりと背中を当てた扉を小さく揺らすほどの大声量。なんとな~くそんな気配がしたから、こうして盗み聞きするような形で待機してたわけだが、俺の勘も捨てたもんじゃないな。

「ありがとう三橋くん」

 星良の声だ。

「ごめんなさい。わたしには好きな人がいるのでお付き合いできません」

 さては慣れてんのか? そう思わずにはいられないほどに、告白を拒絶する星良の声は落ちついていた。

「……お兄さんか?」

「え?」

「朝久は、お兄さんのことが好きなのか?」

 振られて気まずいだろうに、よくもまぁ今より空気がマズくなりそうな質問ができるもんだ。

「うん、好きだよ」

 ……星良もなんつ~感情のこもったマジの返事をすんだよ。そこはもっとふわっと適当な返事をしてさ、相手の傷口を広げないようアフターケアに努めんのが、告白された側の礼儀だろ。

 仮に明日原さんに告白して今の状況になったら……想像するだけで窒息しそう。

「……それは兄としてか? 異性としてか?」

 おいおいすげぇな。普通なら今ので一発ノックダウンだと思うんだが。

「どっちもだよ。わたしはおにぃの妹のまま恋人になりたいの」

 だから星良もなんつ~切実な声で……もうやめてやれよ。

「俺を振るための口実とかじゃなくて、朝久は本気でそう思ってんのか?」

「うん。本気だよ」

「普段からおにぃ好き好き言ってるけど、あれはそういうキャラ作りじゃねぇのか?」

「わたしはいつだって自分の気持ちに正直に生きてるよ」

 ちょっとは自制してほしいもんだけどな。

「そうだったのか。……俺、勘違いしてたわ」

「勘違い?」

「あぁ、朝久はお兄ちゃんが大好きな妹を演じて男子に興味がないフリをしてるけど本命は別にいる。俺たちの間ではそういうことなんじゃないかってなってるし、俺もそうだろうと思って告白したけど……そっか、マジもんのブラコンなんだなお前」

 高校生男子って妄想力の塊だと思う。ふっつ~に考えれば等身大の女子高校生がそんな面倒な段取りを踏んでペルソナをつけてるわけがないのに、自分にとって都合がよくなるよう解釈した結果、そのありえない可能性がなぜか信憑性を帯びてくんだもんな。

「……引くわ、普通に」

 つい数秒前に告白して撃沈した男が、その数秒後に相手を嫌悪し、辛辣で鋭い殺傷性抜群の言葉のナイフを突きつける。

「お兄さんと恋人になるって、それ正気で言ってんの?」

 そんなありえない話が……あったりするみたいだ。

「わたしとおにぃは義理の兄妹だからね。兄妹恋愛は兄妹恋愛でも、許される方の兄妹恋愛なんだ」

「いや、そういう問題じゃねぇだろ。仮に朝久の恋が成就したとして。誰がそんな歪な恋を祝福すんだよ?」

「ママとお父さんともうひとりは祝福してくれるよ」

 聖良か。

「ママとお父さんって……両親は朝久の恋を応援してるって言うのかよ?」

「うん。応援してくれてるよ」

「……気持ち悪いな、朝久も、朝久の家族も」

「っ……!」

 ……落ちつけ。それは最適解じゃないだろ俺。暴力は場を混沌とさせるだけだ。

「わたしのことは悪く言っても構わないけど、家族のことは悪く言わないでよ」

 星良がブチギレてるってことは、声色だけで充分にわかった。

「もういいよね? おにぃ待たせてるの。ほかになにか言いたいことある?」

「朝久の恋は絶対実らねぇよ」

「やってみなきゃわかんないよ」

「やらなくてもわかるだろ。朝久の恋愛倫理観は狂ってるかもしんないけど、お兄さんはまっとうな恋愛観を持ってる。それに俺、知ってるんだわ。朝久のお兄さんは好きな――」

「わかんないって言ってるじゃんかぁ!!」

 扉が今日一番に激しく振動した。

「なんでそんな酷いこと言うの? 三橋くん、わたしのこと好きって言ってくれたじゃん!」

「だから勘違いしてたんだって。……今はもう、金輪際関わりたくないなって思ってる」

「わたしもこんなイジワルいう子とはなかよくしたくない!」

「っ! ……そうかよ」

「二度と話しかけないで!」

「……朝久の将来を思って、がんばったんだけどな俺」

「どっかいってよっ!」

「……あのさぁ!」

 ガタっと机が大きく動く音がした。

「な、なんなの? 暴言吐いたり、押し倒したり……」

 悪い三橋。

「失礼しま~す!」

 お前のわっかりにくい思いやりは理解できた。

 星良をすんげぇ好いているんだってことはよくわかった。

 けどよ……

「お、おにぃ?」

 扉の先には、押し倒された星良と、星良の細々しい手首を雑に掴む三橋がいた。仰向けになる星良のすぐ目の前に、四つん這いになる三橋がいた。吐息のかかる距離にふたりはいた。

 ひとつ、深呼吸する。

「……おい三橋」

 俺の妹になにしてんだてめぇ?

「は、はいっ」

 しゅぱっと立ち上がり、ぴんと背筋を伸ばす、俺の星良を傷つけようとした許せない野郎。

 ふぅん。なかなかに顔立ちの整ったヤツじゃねぇか。

 ……よかったな。星良を探しに出たのが五味じゃなくて俺で。

「次はねぇからな?」

「は、はい~っ!」

 涙目で、膝をかくかく震わせながら、遮二無二足を動かして三橋は教室を飛び出す。

「……ふぅ。怪我はないか星良?」

「どうしておにぃがここに?」

 床に仰向けになっているが、頭を強く打ったとかはなさそうだな。

「ほら立て。背中の埃払ってやるから」

「あ、うん」

 手を引いて星良の身体を起こし、背中とお尻をぱんぱん叩く。

「あひゃんっ」

「変な声出すな」

「だっておにぃが強く叩くから」

「……悪い」

 制服が綺麗になったことを確認したところで、乱れた机を直し、椅子を直し、星良の手を掴んで教室を後にする。

「ちょっ、どうしたのおにぃ!?」

 実は俺から星良の手を握るのはこれが……いつ以来だろうな。ま、珍しいってことだ。

「みんな星良を待ってんだよ。昼休みあと十五分しかないじゃねぇか」

「あ、おべんと……」

「持ってる」

 星良の手を握っていない方の手には、しっかりふたつの弁当包みがぶら下がっている。

 教壇の上にあったこの弁当になんかしてたら三橋は今頃……と物騒な想像はよそう。

「これからはスマホの電源つけとけよ」

「それ校則違反」

「校則なんて知るか。星良が傷ついてからじゃ手遅れだろうが」

 握り締める手に力がこもってしまう。

「これからなんかあったらすぐ俺を呼べ。なにを投げ出してでも星良を助けてやる」

「……うん、ありがとおにぃ」

 握り返す星良の手に力が込められる。

「当然だろ。俺は星良のおにぃなんだから」

「……いつもずるいよおにぃは」

 卑怯者で構わないさ。星良が笑顔でいられるのなら、俺はなんだって犠牲にしてやる。


 ※


「おにぃおにぃ! どうどう? 似合ってる似合ってる?」

 空色の生地に向日葵が描かれたミニ浴衣を着た聖良が、上機嫌にくるくるとターンする。

「きゃっ」

「そうなると思ってたよ」

 馴れない下駄に躓いて体勢を崩した聖良の肩を支える。

「大丈夫か? きついとかあったら今のうちに言えよ。誰も調整できないからさ」

 祭り当日。明日原さんと五味と落ち合う予定の三時間前に、俺は祭り会場とは真逆の方角にかなり電車で進んだ先にある着物レンタル店に来ていた。

 家から一番近い場所にある着物レンタル店でも、電車で三十分ほどかかる距離にあったから、通販で済ませてしまおうかとも一瞬考えたが、初心者がその手を取るのは愚策だと思ったので、その結果、こうして三十分電車に揺られて着物レンタル店に訪れている。

「うん、それはだいじょぶそうだけど……感想は?」

「似合ってる。かわいいよ」

「えへへ~。もう満足しちゃったぁ~」

 ツインテールにミニ浴衣。この幼さ全開感がなんとも微笑ましい。

「お待たせしました。お兄様」

 と、幼女には幼女、少女には少女、女性には女性にしか出せない魅力があるわけで。

「おかしくないでしょうか?」

「……聖良の五倍似合ってる」

「あれ!? あたし全然似合ってなくない!?」

 濃紺の生地にアサガオが描かれたシンプルな浴衣だ。

 けど、ヒイロは元がいいからものすごく映える。右肩から垂れ下がるサイドテールとか、ぴんと伸びてる背筋とか、両手の指先で巾着を握るというより抓んでるところとか……

 偶然か意図してかはわかんないけど、ザ・大和撫子って感じの風体になってる。

「ねぇおにぃ、あたしも似合ってるんだよね?」

「似合ってるよ。聖良はかわいいって感じ。で、ヒイロは美しいって感じなんだ」

「あたしも美しいって言われたいよぉ~!」

 その見た目じゃ、未来永劫かわいいから美しいに印象が変わることはないぞ。

「お、おまたせ……」

 と、最後のひとりがやってきた。

「……ど、どうかな?」

「……」

「おにぃ?」

「あ、あぁ……に、似合ってる」

「同じ言葉なのにあたしのときと全然違う~!」

 白の生地に麻の葉と鞠の描かれた、ちょっぴり高級感の漂う浴衣だ。

 実際、ヒイロと聖良の浴衣と比べると値段はトップなんだけどそれはさておき。

 はじめて見る、団子状にまとめられた髪にかんざしの刺さった聖良の髪型。

 第三者からの視線を意識してか、ほんのり顔を赤らめて自身の身体を抱く姿。

 そこには、俺の知らない星良がいた。髪型も、衣装も、所作も、すべてがこれまでに見た記憶のないもので。

「……ちょっと見すぎじゃないかな」

「見られないよりはマシじゃないか」

「それはそうだけど……はずかちい」

 めちゃくちゃかわいいな。

 声には出さず、俺は心の中で星良に褒め言葉を送った。

「さて、じゃあ祭り会場行くか。ちょっと早いけど遅刻するよりはいいだろ」

「まっておにぃ」

 店の出口に足先を向けると、聖良に服の裾を引っ張られた。

「おにぃも浴衣着るのよね?」

「……」

「星良さんに浴衣を着てもらうことと交換条件に、お兄様は浴衣を着ることになっていると、ひかりさんから聞きました」

「……えっと星良さん、約束破ったら怒ります?」

「……」

 ん?

「星良?」

「あ……ごめん全然聞いてなかったや」

「……」

「どしたのおにぃ?」

「……いや、やっぱよく似合ってんなって」

 しばらくは様子を見るか。

「ありがと」

「で、星良は俺の浴衣姿見たいか?」

「見たい見たいっ!」

 その状態でそこまではしゃぐだけの価値が俺の浴衣姿にあんのかねぇ。

「しょうがねぇなぁ」

「おにぃ、最近星良に甘くない?」

「あ、ヒイロも同じこと思ってました」


 ※


「聖良さん、この金魚すくいってなんですか?」

「えっとね、金魚っていう小さいお魚が浅い水槽にいっぱい入ってるの。それをポイっていう道具ですくう遊びよ」

「すくって食べるんですか?」

「食べはしないかな」

 聖良は苦笑した。

「すくっておしまい。だいたいの人は遊び終わったら金魚を水槽に戻すって感じかしら? たまに家に持ち帰って育てるって人もいるけどね」

「育てたら食べられますか?」

「ひーちゃんはなんとしても金魚を食べたいのね……」

 ヒイロにしてみれば、今日の祭りは未知の宝庫だ。手綱を握るヤツはさぞかし大変だろう。

「ほかにもヨーヨーすくいってのがあってな、ヨーヨーっていう、腹に水を蓄えたブヨブヨした動物をどれだけ食えるか競い合う遊びがあるんだ」

「その遊び、ヒイロが得意そうな予感がします!」

「仮にあっても誰も参加しないでしょ、そんなゲテモノ暴食イベント……」

「で、射的ってあるだろ? それはシャテーキっていう肉を誰が一番うまく焼けるか競い合う遊びで……」

「まだやるんだ……」

「なるほど。道理でシャトーブリアンと語呂が似ているわけです」

「金魚すくいと射的は知らないのにシャトーブリアンは知ってるってどうなのよ……」

 この間、一回二千円の近江牛ガチャで、一発で一等出したもんなぁという話は置いといて。

 着物レンタル店の最寄り駅から、祭り会場近くの駅までの四十分の電車旅。

 十六時前と微妙な時間だからか乗客がほとんどいないので、祭りの会場案内図を見て首を傾げるヒイロをからかい、俺たちは自宅にいる時のような賑やかな時間を過ごしている。

「お兄様のおかげでヒイロはお祭りを完璧に理解しました!」

「よし、じゃあ確認といこう。花火ってなんだ?」

「炭酸ジュースの入った缶を思い切り振って開けることです!」

「さすがヒイロ。俺が教えることはもうなにもないよ」

「そろそろ軌道修正しないと後からイタイ目見るんじゃないかな?」

 若干一名、そうはいかないみたいだけど。

「聖良の言う通りだな。悪いヒイロ、今、俺が話したことは全部嘘だ」

「えっ……浮かれていました。お兄様の心の色を見ればすぐに嘘だと見抜けたのに……」

「ヒイロはもう少し人を疑うってことを覚えた方がいいよ。てなわけで星良、俺の代わりにほんとうのことを教えてやってくれ」

「……」

 隣に座った星良は、ぼーっと車窓を流れる景色を眺めている。

 たぶん、なにも見えてないんだろうけど。

「星良? どうしたの?」

「っ! べ、べつにどうもしないよ! ところでいろちゃん、射的ってあるでしょ? あれはね、シャテーキっていうお肉を誰がいちばん上手に焼けるか競う遊びなのっ」

「星良さんまでヒイロをからかうんですね」

「え?」

 ヒイロがぷくっと頬をふくらませる。

「いいですよ。悪いのは騙されても気づかない無知なヒイロの方ですから」

 ヒイロが拗ねるなんて珍しいこともあるもんだな。

「お兄様と星良さんはもう知りません。ヒイロが信じるのは聖良さんだけです」

「じゃご期待にお答えして。……こほん。射的っていうのはね、シャテーキっていう――」

「ヒイロはなにか御三方の癇癪を買うようなことをしましたか?」

 それから、俺と聖良はヒイロに嘘偽りのないお祭り解説をした。

 ヒイロは嘘をついてるときと変わらない目の輝かせ方をしていた。

 やっぱり、こいつはひとりで出歩かせちゃだめだな。すぐ騙されそう。

「珍しいね、おにぃが会話中にスマホいじるなんて」

 ここ十分くらいに関して言えば、星良が話しかけてくる方が珍しいよ、というツッコミは飲み込んだ。本人は気づいてないみたいだし。

「急ぎの用だからな。……おっ、さすが」

「お祭り会場につくのはむしろ予定より早いくらいなんじゃないの?」

「そんな話してねぇよ。みんな、三駅したら一旦下りるぞ」

「ようやくか。おにぃ、ちょっと判断が遅すぎるんじゃないの?」

 聖良がやれやれといった顔を向けてくる。まぁそりゃ誰だって気づくよな。

「悪い聖良、迷惑かけるな」

「仕方ないわよ。イレギュラーなんだし。ま、おにぃの代わりにひーちゃんの面倒しっかり見たげるから、そっちはおにぃにまかせたよ」

「まかされた。……あと、できたら明日原さんのゆか――」

「やだ♪」

 にっこりと聖良は微笑んだ。くそぅ。ずっと楽しみにしてたのに……


「さすが五味だな」

 改札口をくぐり、待ち合わせ場所として指定したコンビニ前に行くと、浴衣姿で浮いてる感のある五味が、腕を組んでこちらを呆然と眺めていた。

 視線の先にいるのはもちろん星良。あ、聖良に移った。

「これで約束は果たしたよな。じゃふたりとも、五味と明日原さんを困らせない程度にはっちゃけてこい」

「楽しんでまいります!」

「え、お兄様は来ないんですか?」

「……」

 元気いっぱいな声と、戸惑いの声と、無反応が返ってくる。最後のは日本語的におかしいな。

「俺は家に帰って星良の看病するよ。というわけだ五味。お前に嫌がらせしてるとかじゃなくて、星良は正真正銘体調不良なんだわ。今日のところはヒイロと聖良で我慢してくれ」

「その言い方はなんだかなぁ」

 聖良が不満げにつんと唇を尖らせる。

「訂正。今日のところは俺のかわいい妹ふたりで我慢してくれ」

「えへへ~」

 聖良は微笑んだ。ちょろいなこいつ。

「わぁったよ。明日原には伝えてあんのか?」

「いいや、まだ連絡してない。五味から直接伝えてもらえないか。俺はSNSで多様化したコミュニティより、ローカルなコミュニティの方が好きだからさ」

「さすがお兄様。ステキな考え方をお持ちですね」

「いや、ただ明日原に連絡するのが緊張するってだけだろ」

 まぁ、五味の指摘も完全に間違ってるってわけじゃない。八割くらいは的を射てる。

「帰る前に写真だけ撮らせてくれないか?」

「にやつくだけに留めるって約束しろ」

「お前、なにか勘違いしてるだろ」

 ぱしゃりと、五味の構えたスマホがシャッター音を立てる。

 星良ではなく、俺を被写体にして。

「明日原が見たがってたんだよ、お前の浴衣姿」

「え?」

「お前もツイてねぇな。こんな絶好の機会を逃すなんてよ」

 五味は、憐みと呆れとちょっぴり優しさの滲んだ笑顔を浮かべた。

「ありがとな。俺のために酷な選択してくれて。まぁそのなんだ、これからも援護射撃してやるから、今回の件はそう落ち込むなよ」

「べつに落ち込んでねぇよ」

 お前の方こそ、星良がいなくなって落ち込んでるんじゃねぇのか?

「じゃひとつだけお願い」

「なんだ?」

「祭りに中てられてテンション爆上がりの明日原さんの写真を送ってくれ」

「まかせろ」

 俺と五味は、ニタニタと懊悩と下心に塗れた青春の笑みを交わした。

「たつにぃたつにぃ! あたしとひーちゃんの写真も送って送って!」

「おう。もちろん送るよ」

「あのね、聖良ね? おねーちゃんよりもい~っぱい写真撮ってもらいたい、な?」

「……っ! わ、わかった! 明日原なんてそっちの気で写真撮るからな!」

「おい……」

 明日原さんの写真は俺の元に届くんだよな? ……と、今はそんなこと気にしてる場合じゃない。

「大丈夫か星良?」

「えへへ、ばれちゃってたかぁ~」

 困ったように眉を八の字にして、星良は力なく微笑んだ。

 虚勢を張らずに素直に認めてるあたり、相当つらい状態であることがうかがえる。

「無理させちまってごめんな」

 小さくつぶやき、俺は星良をお姫様抱っこした。

「わわっ」

「じゃ、俺そろそろ帰るわ。みんな楽しんでこいよ」

「ちょ、おにぃ、恥ずかしいよぅ……」

「病人は大人しくてしてろ」

 駅員に怪しまれながらふたり分の切符を切り、自販機でスポーツドリンクを買って、駅のベンチに星良を座らせる。

「……その、ごめんねおにぃ」

「気にすんな」

「朝から体調悪いのに黙ってたこととか、浴衣のレンタル代とか、明日原さんに告白する計画を台無しにしたこととか……」

「気にすんなって言ってるだろ」

 目を伏せて後ろめたそうにする星良の頭を優しく撫でる。

「星良がいないと俺は生きられないんだよ。朝は自力で起きれないし、ご飯もろくなもんを用意できない。だから俺は、俺のために、星良の看病をすることを選んだんだ。いいな?」

「……ありがとおにぃ」

 俺の肩に頭を乗せると、星良はすぐにすぅすぅ心地いい寝息を立てはじめた。

「まったく無茶しやがって」

 俺とふたりきりになった途端にそんな安心しきった顔で寝るのは反則だろ。


 ※


 誰かいる。

 そう断言できてしまうくらいに、わたしはここ最近、背後から強い視線を感じている。

「……」

 ランドセルの肩ひもを強く握りしめ、歩く速度をあげる。


〝すた、すた、すた〟


 わたしの足音に少し遅れて、誰かの足音が近づいてくる。

「っ……!」

 こわくて泣きそうだった。

 新しい街に引っ越してきてからもうすぐ一年が経とうとしているのに、わたしは未だに新しい環境に馴染めずにいる。

 その結果、帰りはいつもひとりぼっち。

 ほんとうはみんなとなかよくしたい。けど、どんな距離感で接すればいいのかわからない。

 それは学校に限ったことじゃなく、新しくできたお父さんとお兄ちゃんも同じで。

 ふたりともわたしに構ってくれるけど、そんなふたりにどう応えればいいのかわからなくて、だからやっぱり、わたしはぶっきらぼうな態度を取ってしまう。

 距離感をはかりかねたら、まず相手を跳ね除けようとしてしまうのは、わたしの悪い癖だ。

「っ~~!」

 だから全部、自業自得。

 ひとりだから、こわくても誰にも縋れなくて。けど、助けてって大声で叫ぶ勇気もなくて。

「はっ、はっ、はっ――」

 走る。足が痛くても、胸が苦しくても、とにかく走る。

 そうやって、わたしはいつも、帰り道で待ち構えるこの恐怖をやり過ごしている。

 いつもならこのあたりで足音がしなくなって……

「おわっ!」

 ちらちら後ろを見ながら歩いてると、突然アスファルトの感触がなくなった。

 身体が右に傾く。どうやら無意識に河原の方に歩いていたらしい。

「うわあぁ~!」

 そこそこに傾斜のある雑草の生い茂った坂をころころ転げ落ちる。

「……うぅっ」

 全身が痛い。

 痛くて痛くて、身体が動かない。

「……ひぐっ、うぇぇ……」

 こんなとき、近くにともだちがいたら、大丈夫って助けにきてくれるのだろうか。

「うええぇええええん!」

 つらくても笑えって、パパが言ってた。

 だから泣かないようにがんばってたけど……もう限界だった。

「さみしいよぉ……ひとりぼっちはいやだよぉ……」

 想いが次々に溢れ出す。

「どうすればいいのかわかんないよぉ……」

 嘆いたって、なにかが変わるわけでもないのに。

「……誰かたすけて」

 そんな奇跡、起こるはずがないのに。

「こんな楽しくない毎日はいやだよぉ……!」


〝ガサガサ〟


 少し離れた場所にある茂みが大きく揺れ動いた。

 わたしのあとをつけていた誰かだ。そうに違いない。

 その誰かの正体には心当たりがある。

 というのも、最近この時間帯にこの付近で、小さい女の子に話しかける変質者が出没してるので気をつけてくださいって、せんせいが何度も言っていたからで……

「あ、あぁっ……!」

 草を掻き分ける音がどんどん近づいてくる。

 ……こわい。

 こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい。

「……お兄ちゃん」

 その時、どうして零れ出た言葉が、唯一心を開いていたママではなく、一年経っても未だに必要最低限の会話しか交わさないお兄ちゃんを呼ぶものだったのかはわからない。


『これ、えっと……と、獲ったんだ! 星良のために! ……受け取ってくれる?』


 そう言ってお兄ちゃんが差し出してきたのは、お母さんが何度も挑戦したけど、ついに獲ることのできなかったゲームセンターの景品。

 わたしが欲しいと思っていた星型のクッションだった。

 ……なるほど。だから、わたしはお兄ちゃんを呼んでいるんだ。

「たすけてお兄ちゃん!」

 あの時、ママができなかったことをお兄ちゃんが成し遂げたみたいに。

「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」

 ヒーローみたいに、困ってるわたしを助けに来てくれるんじゃないかって期待して。

「お兄ちゃ……っ」

 思い切り舌を噛んで悶えてしまう。

 けど、叫ばなきゃ! 

「……お、おにぃちゃ……たすけておにぃ~!」


「――おいっ! 大丈夫か星良!?」


 遠くからわたしの名前を呼ぶ声がした。


 ※


「星良! 星良!」

 お粥を運んでくると、星良は苦しそうに唸り、挙句にはおにぃおにぃと叫びはじめた。

 そんな姿を見るに耐えず、俺は星良の肩を強く揺さぶって何度も名前を呼ぶ。

「星良! 聖良!」

「……ん」

 星良のまぶたがゆっくりと開き、とろんとした目が俺に据えられる。

「大丈夫か? こわい夢でも見たのか?」

「……えへへ、おにぃは昔から変わんないなぁ」

 星良は幸せを噛み締めるように微笑んだ。

「……ふぅ。驚かせんなよ。てっきり発作でも起こしたのかと思ったじゃねぇか」

「そんなうなされてた?」

「あぁ、助けておにぃ! って何度も叫んでてさ」

「おぉ、夢とシンクロしててびっくり……」

 ぱちぱちと瞬きして、星良は驚きを露わにする。

「夢ん中で襲われでもしたか?」

 俺を捉える瞳は虚ろじゃないし、普段通りの感情がすぐ顔に出る反応を見る限り、体調は順調に回復しつつあるのだろう。お粥もまだ熱いだろうし、椅子に腰かけて、少し会話することにする。

「あの時は襲われると思ったよねぇ」

「あの時っていつ?」

「おにぃがわたしのおにぃになった日」

 そう言われて思い当たる日は、十年前のあの日しかない。

「坂道を転がり落ちても掠り傷しかつかないっていう、星良の耐久性の高さが証明されたあの日か」

「いや、間違ってないけど覚え方」

 間髪入れずに星良がツッコんでくる。もう熱も引いてるのかもしれないな。

「おにぃも策士だよね。自分で落としといて、自分で助けて、それで好感度稼ぐんだから」

「星良が勝手に落ちたんだろ」

 自演プレーみたいに言わないでほしい。

「あの時は、不審者が襲い掛かってくるんじゃないかってこわくてこわくてさ。まぁ、その不審者は妹が不審者に襲われないか心配で遠くから見守る挙動不審な兄だったんだけどね」

「仕方ないだろ。そうするしかなかったんだから」

 妹が心配で、けど隣合って帰ることは到底できないくらい不仲で。けどやっぱり妹が心配で。

 で、俺は、集団下校するよう言われてるのに無視してぼっちで帰る妹の安全のために、五十メートルくらい離れた場所に常に待機して無意識の集団下校を確立させてたってわけだ。

「あの時はおにぃがヒーローだと思ったなぁ。助けを呼んだらすぐに来るんだもん」

「すぐに来て当然の距離にいたからな」

 妹の姿が突然視界から消えてものすごい焦ったなぁ。

「おにぃはわたしが困ってるといつも助けてくれるよね」

「兄と妹は惹かれ合う! って有名なマンガでも言ってたらしいしな」

「そうなの? わたし、そのマンガ知らない」

「俺も知らない。というか存在しないだろうな。たぶん、明日原さんが勝手に作った造語だ」

「なるほど。好きな人の考えた造語だから、布教して一般化しようと試みてるわけだ」

「そんな思惑はねぇよ」

 兄と妹は惹かれ合う。たしかにその通りだし、いい言葉だなぁとは思うけど。

「お腹空いてる?」

「ぺこぺこ~」

「ならよかった。お粥作ったんだ。そろそろいい塩梅に冷めてる頃合いかな」

 一口食べて確認してみる。……うん、あったかくておいしい。熱くないからOKだ。

「おにぃ、お粥作れたんだ」

「これくらいできるさ。なにしろ、レンジでチンするだけなんだから」

「レトルトやないかい」

 だって、俺が作るより、絶対レトルトの方がうまいだろ。

「と、その前に熱だけ測るか。はい、体温計」

「う~ん……三十六度五分!」

「その調子なら、それくらいでもおかしくないな」

 体温計を脇に挟むと、星良はふとなにか違和感に気づいたような顔をした。

「あれ? わたし、いつ部屋着に着替えたっけ?」

「寝る前に着替えただろ。俺を部屋の外に追い出してさ」

「そだっけ?」

「そうだよ。三十八度近い高熱だったから、記憶が曖昧になってんじゃねぇの」

「うわ~熱ってこわいなぁ。これから気をつけなきゃ」

 と、納得した様子の星良はそれ以上食いついてこない。

 誤情報植えつけ完了っと。


「ねぇおにぃ」

「なんだ?」

「ふふっ、なんでもない。呼んだだけ~」

 くすくすと微笑み、星良は俺の手を握る力をちょっと強める。

 星良の体温は三十七度二分と、ここから上がることも下がることもあり得る微妙で油断できない結果だったので、本人はもう平気だと言うが、寝てもらうことにした。

 といっても、帰宅後ぐっすり四時間ほど眠り、起きて、食事をして、また睡眠というのは反ってつらいだろうから、星良に再び睡魔が押し寄せるまでは、ベッドの隣に椅子を置いて手をつなぎ、話し相手になることにした。

「そういえば気になってることがあるんだけどさ」

「なになに?」

「その星良が抱き締めてるクッションあるじゃん? それって俺となんか関係あんの?」

 いつか聖良との仲直りの秘策として用意していた星型のクッション。

 それが俺とどういったつながりを持つのか、依然として謎のままだ。

「関係あるどころか、これおにぃがくれたんだよ」

「え?」

「覚えてないの?」

 そういう星良はどこか悲しそうな顔をしている。思い出せ思い出せ……

「……ヒントちょうだい」

「ヒントって、おにぃ本気で覚えてないんだ……」

 星良のしょんぼり度合いがより強くなる。こっちから話題に出した以上、これは絶対思い出さなきゃいけない。

「ヒントねぇ……はじめて家族四人で行ったショッピングモール、かな」

「うわ、全然覚えてねぇ」

「もう少し考える努力をしなちゃい」

 むっと星良は頬を膨らませる。

「つっても、あの頃のツン良との記憶はあんまりいいものがないから、嫌な記憶って大抵の場合記憶の底に埋もれちまうわけ……で…………」

「誰がツン良だ! わたしには星良っていう、ママからもらった大切な名前があるんだぞ!」

 ……思い出した。

 このクッションは、ゲームセンターの景品。

 母さんが何度チャレンジしても獲れなくて。

 で、不機嫌になった星良を、母さんがクレープ屋に連れて行って。

 その隙に、俺は父さんと協力して、この星型のクッションを獲って……

「……でも、あの時、星良そんなに喜んでなかったよな?」

「え?」

「そのクッションを渡した時のこと思い出したんだ。というか星良、捨てたって言ってなかったか?」

 そう言われて、すごくショックを受けた記憶が蘇った。

「あれはその……いつも抱きついて寝てるって素直に答えるのが恥ずかしくて」

 羞恥を誤魔化すように、星良は鼻のあたりまで布団を持ちあげる。

「あの頃……というより今もそうなんだけど、わたしって天邪鬼というか素直になれない悪い癖があってさ。あと、どう接していいかわからなくなると、強く当たって追い払おうとしちゃう癖もあってね。直近の例でいえば、そのせいで聖良と喧嘩しちゃったわけじゃん?」

「たしかにそんなようなこと言ってたな」

「だからね、あの頃もおにぃが嫌いってわけじゃなかったんだよ? ただ、どう接すればいいのかわからなかったってだけで」

「じゃあツン良は、別にツンツンしてたわけじゃないってことか?」

「そのツン良って呼び方やめない?」

 本人が嫌がっているので、これからは心の中でだけそう呼ぶことにしよう。

「河原での一件があってから、おにぃとの距離がぐんと縮まってさ。毎日いっしょに登下校して、家でも普通にお話しするようになって。そうやっておにぃの心の外側に触れる内に、段々と想いが膨らんでいったんだ。おにぃ以上に素敵な人をわたしは知らないよ」

「それは星良の異性交遊が淡白なだけなんじゃねぇかな」

「おいおい、これでもわたしはモテるんだぜ?」

「だろうな」

 こんな可愛い子がモテないはずがない。ついこの前も告白されてたし。

「わたし、知ってるよ。おにぃは小さい頃からの名残りでいっしょに登下校してくれてるっていうけどさ、実際はわたしが頼んだ『ずっといっしょに帰りたい』って約束を守り続けてくれてるんだよね?」

「……そんな昔のこと覚えてるわけないだろ」

 忘れるはずがない。星良との約束は絶対に守るって固く誓ってるんだ。

「相変わらず嘘つくのへったくそだなぁ~」

 なんて心の内側でだけ漏らした本音は、やっぱり星良に見透かされてしまう。

「そんなおにぃだから、星良は恋に落ちてしまったのです」

 情感たっぷりの声だった。

「いろちゃんを地球に馴染ませるためにいろいろなところに連れていって。酔っぱらった聖良のめんどくさい話し相手になんだかんだ毎回付き合って。せっかく邪魔者がいない状態で好きな人とふたりきりになれるチャンスが訪れたのに体調の優れない妹を優先して」

 つながれた手がもぞもぞ動き、手繋ぎは手繋ぎでも、『意味を持つ手繋ぎ』に変化する。

「そんな優しくて、けどぶっきらぼうなふりをするおにぃが好き」

 指と指を絡めた、普通の兄妹なら絶対にしない形に。

「何回も言ってるけど、わたしは本気だよ。おにぃの恋人になりたい。おにぃの彼女になりたい。おにぃの一番になりたい。おにぃとはじめてのキスを交換こしたい」

 もう片方の手をそっと俺の頬に伸ばし、指先でつーとなぞる。

「……どうして今なんだ?」

「もしわたしが体調を崩さなければ、今頃、おにぃは明日原さんに告白してる時間だろうね。けどそうはならずに、おにぃと明日原さんがふたりきりでいるはずの時間に、わたしはおにぃとふたりきりでいる。ふたりだけの、ふたりぼっちの世界にいる」

 星良が身体を起こす。

「ねぇおにぃ、おにぃはわたしのこと、どう思ってるの?」

 左手は指を絡めてロックされて。頬には柔らかな手が添えられて。

 星良の手がどちらも塞がっている一方で、俺の右手はまだ、自由に動かせる状態にある。

「……俺は」

 右手を、動かす。

「あ……」

「好きだよ」

 照準は星良の頬。

「おにぃ……」

 星良の顔が火照る。瞳が潤む。吐息が熱っぽくなる。絡められた指がかすかに震える。

 喜びも、緊張も、感動も。全部全部、はっきりと俺に伝わってくる。

「聞こえなかったか? なら何度だって言ってやる。俺は星良が好きだ」

「じゃ、じゃあ……」

 続けて右手を最終照準に定める。

「……好き、なんだけどな」

 到着したのは、何度も、何度も、おにぃとして撫で続けてきた小さな頭。

「聖良にさ、前に言われたんだ。おにぃはあたしたち妹を女の子として意識してるんじゃないかって。……その通りだったよ。でさ、それから努力してみたんだ」

「努力?」

「そ。三人の妹を、ひとりの女の子として、恋愛対象として見る努力だ」

 星良の想いと正面から向き合ういい機会だと思った。

「そしたらさ、馬鹿みたいに可愛いんだよ。好きって言われるたびに、鼓動が早くなった。星良のことが好きな男がいるって聞くたびに、むしゃくしゃした。こんな子に好かれて、俺は幸せものだなって思った。この子といっしょに人生を歩めたらすげぇ幸せなんだろうなって……そう、思ったんだけど、さ……」

「おにぃ……」

 あぁ、くっそ。やっぱりこうなるよな。

「やっぱり、星良は妹なんだよ」

 星良を悲しませちまうよな。

「ごめん……ごめんな星良」

 今にも泣き出しそうな星良の顔が胸を締めつけるけど、逃げちゃいけない。

 最後まで、しっかり俺の口から、俺の想いを伝えなきゃいけない。

「俺、星良のことは好きだけど……世界でい~っちばん星良を愛してるって自信を持って言えるけど! ……けどごめん、星良の初恋だけは実らせることができそうにねぇや」

 好きなのに、付き合えない。義理の兄妹で、恋愛が成立するのに、俺が割り切れないせいで、合法的兄妹恋愛を、あたかも禁断の恋愛のように処理してしまう。

 もし、俺たちが兄妹じゃなかったのなら、恋人になる未来があったのかもしれない。

 けど、俺はおにぃで、星良は妹だから。

 血は繋がっていないけど、俺は星良のことを血の繋がった妹も同然だと思っているから。

「ありがとおにぃ」

 星良が俺を胸に抱き寄せる。

「わたしのワガママと真剣に向き合ってくれてありがとう」

 優しい声。顔をあげると、星良はふんわりと微笑んでいた。

「……違うだろ、それは」

 一見すれば穏やかな表情。

「おにぃ?」

 こうなることはわかっていた。

 星良ならそうするって。俺のためにそうしてくれるって。

「……違うんだよ」

 だから、苦しい。

 その優しさが、どうしようもないほどに、俺を苦しくさせる。

「違うって?」

 しらばっくれてるってわけじゃないんだろう。

 星良はきっと、無意識にその行為に及んでいるだろうから。

「俺は星良の笑顔が大好きなんだ。だから、そんな偽物の笑顔は見たくない」

 無理やり釣りあげた頬がぴくぴく震えてるじゃねぇか。

「虚勢を張ってるのはバレバレなんだよ」

 星良は繕った笑みをほどき、しょんぼりした顔をする。

「……でも、こうでもしないとわたし――」

「それでいいんだ」

 星良の震える瞳が俺を捉える。

「楽しいときは笑う。悲しいときは泣く。それがあたりまえなんだよ。だから全部吐き出しちまえよ。星良がどんなことを言おうが、俺が星良のことを嫌いになることはないからさ」

「おにぃ……」

 星良は強く俺を抱き寄せた。

「好きだよ、おにぃ……っ」

 囁くように小さな声。

「好き……好きっ! 大好きっ! 大好きだよぉ!」

 けれど、その声は感情の決壊と共に段々と大きく、我慢というベールを剥がしていき。

「わたしが一番好きだもんっ! 世界で一番、おにぃのことが好きなのはわたしだもんっ!」

「星良……」

「誰にも渡したくないっ! ずっとずっと、わたしだけのおにぃでいてほしいよぉ!」

 瞳から大粒の涙を流し、声を震わせながら、星良は想いを爆発させる。

 それは俺を堪らなく苦しく、そして堪らなくあたたかい気持ちにさせる。

「ありがとう」

 そっと頭を撫でて、俺は言った。

「俺も星良のことが好きだよ」

「うああぁああぁあああ!」

 抱き締められる立場から、抱き締める役目に変わり、泣き崩れる星良の背中を撫でる。

「全部全部吐き出していいからな。おにぃが全部、受け止めてやる」

「やだぁ!」

 星良は、泣きじゃくりながらぶんぶんかぶりを振る。

「今は〝おにぃ〟じゃなくて、〝昇〟に受け止めてほしいっ!」

「っ……!」

 星良に名前を呼ばれたのははじめてなんじゃないか。

 ……そっか。星良が俺の名前を呼ぶときは、そんなイントネーションになるんだな。

「わかったよ。……じゃあ、俺も昇として、星良に言わなきゃいけないことがあるよな」

 それは確実に星良を傷つける言葉だとわかっていたから、明言することを避けていた。

「…………言って」

「いいのかほんとに?」

 星良の告白を拒絶することが暗にそれを示すことは、星良も理解しているはずだ。

「言って!」

 しかし、星良は譲らない。

「昇が言ってくれなきゃ、わたしの初恋がいつまでも終わらないよぉ!」

「……わかった」

 星良がそうすることを望むのなら、俺も腹を決めなきゃいけない。

 一拍置いて、俺は言った。

「俺は明日原ひかりが好きだ。だから、星良とは付き合えない」

「うあああぁあぁぁああぁあ!」

「よくがんばったな。ありがとう星良」

 これで、昇と星良の時間はおしまい。

「こっからはおにぃが慰めてやるからな」

 そしてまた、兄妹の時間がはじまる。

「おにぃなんてとっとと明日原さんと付き合っちまえ!」

 嗚咽混じりに叫びながら、ぽこぽこと胸を叩いてくる。

「ってことは、星良の恋愛教室は卒業か?」

「免許皆伝だぁばかやろう~」

 ぽかんぽかんと、胸に頭突きを見舞ってくる。

「……ありがとう星良」

 俺の恋愛を応援する決意をしてくれて。

 そして、俺の元から巣立つ覚悟をしてくれて。

「わたしはおにぃの妹に終身雇用してるから、おにぃが誰と結ばれようが、ずっとず~っといっしょにいるもんねっ!」

 と、後半のは俺の早とちりだったり。

「少しは兄離れする努力しろよ……」

 けど、そんな未来も悪くないかもしれないな。

 なんて考えが一瞬だけよぎったことは秘密だ。


 ※


 意識が鮮明になると同時に、耳元で唾が絡まるような音がした。

 けどそれは慣れたことなので、こいつのこの技術はどこまで磨きがかかるんだろうなぁなんて暢気に思いながら、ゆっくりと目を開き……

「はぁはぁ、ふ~! おにぃ……。ん、んむぅちゅる、おにぃっ、おにぃっ……!」

「朝からおにぃおにぃうるせぇなぁ!」

 これまではふ~ふ~と擬音攻めだけだったのに、いつの間にか名前呼びが加わったことで、脳といっしょに、目覚めてはいけない感情と部位が起床してしまいそうだったので、俺は慌てて跳ね起きた。

「おはよおにぃっ!」

「ぐへっ!」

 予期せぬ星良の胸ダイブに対応できず、俺は勢いよくベッドに倒れ込む。

「えへへ~、おにぃちゅき~」

 すりすり頬擦りしてくる星良。

「ちょ、お前……あ、体調大丈夫?」

「元気すぎて今なら永遠におにぃのマウントポジション獲れそうだぜっ」

「よいしょっと」

「おわあぁあ~!?」

 そんな軽い身体で俺を押さえつけようなど笑止千万!

 立場が逆転し、俺が身を起こした状態に、星良が横たわった状態になる。

「お、おにぃ……」

 星良が潤んだ瞳で、なにかを期待するようなまなざしを俺に向けてくる。

「既視感ありまくりなんだよなぁ……」

 で、いつかの朝(三頁)と同じように、星良の脇腹をくすぐって閑話休題。

「にしてもすげぇメンタルだな。あんなことがあっての昨日の今日だってのに、よくもまぁいつも通り振る舞えるもんだよ」

 ある程度、気まずくなることを覚悟してたんだが、これはいい意味で想定外だ。

「忘れるはずがないよ。だっておにぃにあんな情熱的な告白されたんだもん。えへへ、これから恋人として再出発だね、おにぃ♪」

「ん、さてはここはパラレルワールドなのかな? なんてあるわけねぇだろ。変わらず兄妹としてリスタートだ」

「おにぃの方こそなに言ってるの?」

 こてんと星良はあざとく首を傾げる。

「まさか星良がこんな嘘つきだったなんてな。……嘘つきな妹は嫌いだ」

「嫌いにならないでぇ~!」

 うん、どうやらここは星良ルートに分岐していない世界線のようだ。いや星良ルートって。

「ま、元気そうでよかったよ。星良にはいつも笑顔でいてもらいたいからさ」

「ところでおにぃ、わたし、気づいちゃったんだよね」

 神妙な顔をして星良は言った。

「昨夜、わたしはおにぃに告白するも、残念ながら撃沈したわけではありますが、おにぃはわたしを好きだと言ってくれました。これはむしろ進歩なので、がんばるのはここからじゃないかなと星良ちゃんは思うのです」

「あれ? 俺の恋をバックアップする方向にシフトチェンジしたんじゃねぇの?」

「もちろん全力で応援するしサポートするよ。けど、もしもおにぃが明日原さんに振られたら、わたし、おにぃを絶対落とせる自信があるんだよね。なので今後もアピールは欠かさず続けていこうかと。おにぃ大ちゅきっ♪」

 これはあれだな、巷で有名な傷心中の相手は慰めるとコロッと落ちる理論だ。

「お前、さては俺が明日原さんに振られること期待してるな?」

「神様に誓って一ミクロンも期待してませんほんとです信じてください」

「俺、嘘つきな妹は嫌いだって言ったよな?」

「早朝神社に行って神様にお祈りするくらいには失敗を願ってまちゅ」

「ま、仮に俺が星良と同じ立場なら同じこと思うだろうから、悪いことだって責めるつもりはないけどさ。……ところで、日曜日なのになんでモーニングコールがあるんだ?」

 星良モーニングサービスは、基本平日のみの営業だ。

「おにぃ、今日がなんの日か知ってる?」

「ヒイロが〇リキュア見るために奇跡的に早起きする日だろ?」

「いやそれも間違ってないけど……今日は『妹感謝の日』だよ」

「……そういえばそうだったな」

 毎月一度訪れる、星良の言うことをなんでも聞く特別な日。

 そしてこの日は、星良の意思で自由に変更することができる。

「で、それと早起きになんの関係が?」

「デートしよっ♪」

 まぁそんな気はしてたよ。

「ヒイロと聖良は?」

「今日はふたりきりがいいなっ」

「はいはい」

 今日は、浴衣を返しに行ったあとは、家で妹たちとぐうたらするつもりでいたけど、どうやらその予定はアクティブな方向に変更せざるを得ないようだ。

「朝ごはんはどうする? どっかで食べたい感じか?」

「ううん、家で食べていくよ。聖良といろちゃんに申し訳ないからね」

「優しいな星良は。星良のそういうところ好きだよ」

「っ!」

 ぽっと星良は赤面した。

「お、おにぃ、不意打ちはずるいよぅ……」

「今日は『妹感謝の日』だからな。元々、星良が喜ぶことをなんでもするって趣旨ではじまったイベントだから、星良が喜ぶことをするのは当然だろ?」

「じゃ、じゃあ、その……き、キスは……」

 俺は星良の額にくちづけした。

「さ、ちゃっちゃっと朝ごはん食べて家出ようぜ」

「……」

「どうした。行くぞ」

「っ! う、うんっ」

 とてとて小走りで駆け寄り、星良は俺の手をぎゅっと握る。

「やっぱり、わたしの恋はここからみたいだね」

「どうだろうな」

「えへへ、がんばって告白してよかったなぁ~」

 そう星良はがんばった。だから、頬までだったキス制限を額まで拡張するというご褒美があってもいいかなと思ったのだ。ここまでなら兄妹でもセーフゾーンだろう。


 その日、俺は星良と想い出のショッピングモールでデートした。十年前に、家族四人ではじめて訪れたショッピングモールだ。

 ウィンドウショッピングしたり、映画を見たり、クレープを食べたり、夜景を堪能したり。

 朝から晩まではしゃぐ星良に振り回されたが、疲労は感じなかった。星良が終始笑顔だったから、俺は幸せな気持ちに包まれていた。妹の笑顔は、兄の特効薬なのだ。


『うぇ……ひくッ、うぅ……』

『大丈夫大丈夫。星良はぼくが……おにぃが守るよ。だから泣かないで。もう大丈夫だから』

『……じゃあ、明日からずっと、いっしょに帰ってくれる?』

『っ……! も、もちろん! ぼくも星良といっしょに帰りたいなって思ってたんだ!』

『へへ、変なおにぃ。……ありがとおにぃ。おにぃがおにぃでよかったなぁ』


 坂から転げ落ちた星良がはじめて会話をしてくれたあの日。

 星良が俺のことを〝おにぃ〟と呼びはじめた記念すべき日。

 あの日のことは、十年経った今でも鮮明に思い出すことができる。

 俺の妹になってくれてありがとう星良。

 おにぃは星良が妹でよかったっていつも思ってるよ。

 星良みたいな可愛くて自慢の妹がいるおにぃは幸せ者だ。

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