第一章「妹とは青春したくない。」
「今日の夕飯なんか食べたいものとかある?」
「え、おにぃって料理できたっけ?」
チキン南蛮をタルタルソースにつけていた手を止め、星良は驚いた顔をする。
「ううん、できないよ。包丁とかこわくて握れない」
「おにぃは家庭科で調理実習というものを経験してこなかったのかな」
「ずっと皿洗ってた」
「いるよね~。クラスに数人そういう子」
星良はため息をついた。
「おにぃはそっちサイドの人間だもんねぇ」
「おいなんだその優しい目は。そっちってどっちだよ。あと友だちいるから」
「わかってるじゃん」
星良は微笑んだ。
「明日原さんと五味くん以外にお友だちいるの?」
そんな慈愛に満ちた顔してる時点で聞かなくてもわかってんだろ。
「星良のおかげでシスコンだと勘違いされてて、みんな俺から若干距離取ってんだよ」
「勘違い? 事実のまちがいなのでは?」
「よくもまぁ元凶がいけしゃあしゃあと……」
不満を漏らすと、星良はぱくぱく白米を頬張り、「米うめぇ!」と歓喜の声をあげた。
「それはともかく。星良が食べたいものがあるなら、今日は外食でもいいんじゃないかって思ってるんだけどどう?」
「外食かぁ。……うん、たまには外食もいいねぇ。なら大通りにある――」
中華料理店だろうな。星良、前々からあの店ちらちら見てたし。
なんて予想してみるも、正解発表されることはなく。
「地震?」
星良が言うように、床が少し揺れているような気がした。
と、ズドンと大きく音を立てて、気のせいとは言えないくらい大きく部屋が揺れる。
「わわっ! ちょおにぃ、これけっこうヤバめのやつなんじゃ……!」
俺は席を立ち、星良を抱き締めて机の下に身を隠した。
「お、おにぃ……」
「……収まったみたいだな」
スマホのアラームも鳴っていないし、地震は収まったと見ていいだろう。
「星良、先に出て」
「えー、このままおにぃとくっつきたい~」
「早く出ねぇと蹴っ飛ばすぞ」
ぶーぶー不満を垂れながらも、星良はもそもそと机の下から出て行く。
「……ちょ、おにぃ」
切迫した星良の声。俺は急いで机の下から脱出する。
「どうした星……」
隣で息を呑んだ星良が見つめる先。
リビングの入り口。
〝フシュウゥー……フシュウゥー……〟
白い蒸気を放出する球体があった。
「お、おにぃ……」
不安げな声を漏らし、星良が俺にくっついてくる。
そんな星良を抱き寄せるも、俺も戸惑いと恐怖でいっぱいだ。
なんだよあれ?
不意に『宇宙人』なんて単語が頭をよぎる。普段の俺なら、馬鹿馬鹿しいと取りつく島もなく一蹴する話だが、この状況においては、その説も否定できない。
「こわいよぉおにぃ……」
球体から放たれる蒸気が一段と白みを増す。
「大丈夫。大丈夫だから」
星良の頭を撫でながら異形の物体を見つめていると、球体の側面がぱかっと開いた。
「――ふっひぃ~。つっかれた~」
「……え?」
球体の中に浮かぶシルエットを見て、俺は思わず頓狂な声をあげてしまう。
「ん?」
ちらと俺を一瞥するその顔は、やっぱり見覚えのあるもので。
「おっ、おおっ!?」
共通言語が同じで。人の容姿をしていて。
けれど、その子がこの場所に存在するはずがなくて。
「やったやった! 大成功っ!」
だってその子は、既に俺の懐かしい記憶の中の存在だからで。
「ちょっと! 感動の再会なんだからそこ退きなさいよ〝わたし〟!」
星良は唖然と少女を見つめている。
当然の反応だろう。
「……あのさ」
「おおっ! なっつかしい高校生時代のおにぃの声!」
だって少女は、星良が幼稚園児か小学校低学年くらいだったときの姿をしてるんだから。
視線の矛先が俺に変わった途端、少女の不満げな顔つきが弾けるような笑顔に変わる。
「……お前は何者なんだ?」
「ん。まぁ当然の質問よね」
あざとく結わえられたツインテールを揺らし、自信たっぷりな顔で少女は言った。
「あたしは朝久聖良。おにぃと結婚するために二十年後からやってきた、おにぃの妹よ」
※
「つまり、今の朝久家には星良ちゃんがふたりいると?」
「そうだな。同じ時間軸に同じ人物は存在できないとかなんとかって理由で〝聖良〟って名前に改名してるみたいだけど、根本的な部分は星良と同じらしい。で、容姿は六歳、中身は三十X歳だとかなんとか……」
ま、ぼかしても、今から二十年後って時点で、ほぼ誤差のない年齢を特定できちまうけど。
「なるほどなぁ」
こくこくうなずき、五味は言った。
「今現在の美少女星良ちゃんに加えてロリッ子時代の星良ちゃんもいるとか、ただの天国じゃねぇか。なにお前、妹ハーレムでも作ろうとしてんの? 俺も混ぜろ」
「う~ん、俺が求めてるのはそういう醜い嫉妬じゃねぇんだよなぁ……」
五味辰吉は、俺の数少ない友人のひとりだ。数少ないっていうか、五味ひとりの時点で五十パーセントなんだけどそれは置いといて。
……こいつの紹介をしようかと思ったけど、無駄に顔立ちが整っていたり、頭脳明晰だったり、シスコン疑惑がかかっている俺にも躊躇いなく話しかけてくれる寛大な人となりだったりと、美点しかなくてムカついたので、こいつの紹介は諸事情で割愛。
……あ、ひとつだけ。
こいつは星良に恋をしている。ぜってぇ認めねぇけどな。
「なんだか楽しい話のにおいがするね」
と、声のした先を見やれば、サイドテールのよく似合う、俺の好きな人がいた。
「おっはよーっ! おふたりさんっ!」
楽しげに声を弾ませ、輝かしい笑顔を浮かべるのは、俺の好きな人、明日原ひかりさん。
もう一度言おう。俺の好きな人、明日原ひかりさん。大事な情報なので強調しておいた。
「おっす、明日原」
「お、おはよう明日原さん……」
「朝久くんは相変わらず他人行事だなぁ~」
目下、俺が目標としているのは、この子と仲のいい友達から恋人関係に昇格することだ。
俺は、この子と付き合って、彼氏彼女の関係になって、青春を謳歌したい。
「それでそれでっ、なんの話してたの?」
くいっと身を乗り出し、会話に参加してくる明日原さん。
ち、近い近いっ! なんかすげぇいい香りが鼻腔をくすぐるくらいに距離が近い!
「星良ちゃんがふたりになったから、ひとり俺に分けてくれるって話をしてたんだ。な?」
「な? じゃねぇよしてねぇよそんな話。あと俺の妹をお得品みたいに扱うな」
「星良ちゃんがふたり?」
頭の上にはてなマークをぽわぽわさせて、明日原さんはこてんと首を傾げる。
「今日の朝のことなんだけどさ――」
俺は今朝の出来事をかいつまんで明日原さんに伝えた。
「すごいすごいっ! ちょ~SFじゃんっ!」
瞳はきらきら、鼻息はふんすふんす。大興奮の明日原さんだった。
「じゃあじゃあっ、今朝久くんの家にはタイムマシンがあるわけだ!」
「あるね」
「うっひょ! すごすごじゃん! というか朝久くん、そんな状況でよくガッコ来れたね?」
「聖良に事情は放課後に話すから、とりあえず学校に行くよう言われてさ」
「言うこと聞かなかったらこうだね」
明日原さんは眉間に小皺を寄せて険しい表情を作り、手で銃を作って俺に向けてくる。
厳つい顔をしても、やっぱり明日原さんはどうしようもないほどに可愛い。
「かもね。ここまで来たら拳銃見てもびっくりしないかも」
「聖良ちゃんをきっかけに、これから宇宙人が地球に侵略してきて、縄張り争いがはじまっちゃったりしてね~」
明日原さんは想像力が豊かだなぁ。
なんて思っていると、明日原さんはこつんと肩をぶつけて上目遣いに俺を見上げてくる。
「そうなったら私、朝久くんを頼ってもいい、かな?」
「っ……!」
か、かわいいのオーバードーズ……っ!
「も、もちろんっ! 明日原さんは俺が命に代えても守ってやるっ!」
「あはは、頼もしい~」
くっさい戦隊モノのお約束を口にした俺にも、明日原さんは笑顔を向けてくれる。
この子、さては人間界に紛れ込んだ天使だな?
「お前らって、ほんと息ぴったりだよな」
ため息をつき、五味は言った。
「そ、そうか?」
「そりゃ波長があって当然だよ~」
ほう、当然とな。
「だって…………あっ」
それはいったいなにに基づく意見なのかと耳をぴんぴんに立てていると、明日原さんはハッとした顔になり、口に両手を当て、ちらと俺に横目を向けてくる。
「今のなしっ、ね?」
唇にひとさし指を当て、誤魔化し笑いをしながら、ぺろっと舌を出す明日原さん。
「っ……!」
も~限界。俺は突っ伏して、現実から逃避した。
「あ、そろそろHRの時間だね。じゃあまた放課後にっ」
「いや明日原席そこじゃねぇか」
俺のひとつ右隣。そこが明日原さんの席。で、五味の席は明日原さんの後ろ。五味の隣にいた女生徒は、入学初日以来不登校だ。
「あはは、そうでしたそうでした~。てへっ」
「お前、高校二年生にもなってそんな狙ったようなあざといことして恥ずかしくねぇの?」
「かわいくないかな? 友だちからは割と評判いいんだけど」
かわいいかわいい超かわいいっ! ぐうかわだよ明日原さんっ!
「まぁ明日原は元がいいから許されるんだろうな」
「そういう五味くんは、星良ちゃんがぶりっ子したら軽蔑するの?」
「はっ。あの星良ちゃんがぶりっ子なんてするわけねぇだろ?」
いや、アイツめっちゃするぞ。
「どうだろうねぇ。女の子って、けっこう本性隠してるもんだよ。ねぇ朝久く……」
ふふっと笑う声が聞こえた。
「お眠さんみたいだね。HR前に起こしてあげるから、ゆっくりおやすみ」
「この構図だけ見てると、明日原が面倒見のいいお姉ちゃんみたいだな」
「お姉ちゃんよりも、妹のほうが私には合ってると思うけどなぁ~」
たしかに、天然でドジする場面も目立つ常に危なっかしい明日原さんは、姉というよりも、妹の方がイメージに合っているように思う。
しかし、俺の姉になられても、妹になられても、困る。
「そんな思いっきり突っ伏したらおでこ真っ赤になっちゃうよ~」
だって俺は、明日原さんと恋人になりたいから。
そう思いつつも、俺は好きな人の隣の席という最高のポジションにありながら、日和ってぼっち時代に習得した特技寝たふりを披露してしまう始末。
まぁ告白なんてその気になればいつでもできるんだけどさ。
……いや、強がってるとかじゃなくてマジな話だからなこれ?
※
「明日原さんも気づいてると思うんだよねぇ」
校門を出てからほどなくして、隣を歩く星良がぽつりと言った。
「いくら天然属性があるとはいえ、さすがにおにぃはわかりやすすぎる。これで気づかないとなったら、おにぃが告白してもさらっと聞き流されるまであるよ」
「いやさすがにそれはないだろ」
「わたしはあり得ると思うけどなぁ。恋愛作品の主人公にありがちな超鈍感難聴設定が謎にメインヒロインに転用されてて、おにぃの恋が撃沈するパターン。で、妹ENDと」
「ま、仮に告白に失敗しても、星良が慰めてくれるってのは、実際のところありがたいよな」
「おっ、今の告白か? なになに、毎日俺の味噌汁作ってくれとか言ってもいいんだぜ?」
「既に作ってるじゃねぇか」
放課後は、毎日星良と帰路をたどっている。
五味も明日原さんも変える方角が違うために俺は必然的にぼっちになるので、なら星良といっしょに帰ってもいいのかなというのが、俺が星良に伝えている、帰りを共にしている理由だ。
「おぉその通りだ。おにぃはプロポーズの言葉がかなり制限されてて大変だねぇ」
「妹に告白はしまてん」
「はは、なに今のかっわいい~。もっかいやって、もっかいやって」
「やだよ」
「え~、今日は『妹感謝の日』だよ。妹のお願いは絶対じゃないの?」
くそぅ、魔法の言葉使いやがって……
「……しまてん」
「ははは、おにぃかぁ~いい♪」
「……あっそ」
「お顔まっかっかだぁ~」
「……斜陽のせいだよ」
「ははは、斜陽! 斜陽ですって奥さん! 日常生活で斜陽とか言うことあります? おにぃったら詩人ぶっちゃってかわいいなぁ~」
「俺、どう足掻いても可愛くなるじゃん」
しかし、かわいいかわいい連呼されても嫌な気分にはならない。星良が楽しそうだからかな。
ま、妹が楽しそうならなんでもいいかと、夕焼けに染まる空を見上げ……
「……ん?」
「どうしたのおにぃ?」
「なぁあれ」
俺は、藍色の滲みはじめた茜色の空で、ひときわ眩い光を放つ星を指差す。
「あの星。なんか段々こっちに迫ってきてない?」
「おいおいおにぃ。彗星が落っこちてきたら、次は入れ替わりまで起こるのがお約束だぜ? まぁわたしはおにぃと入れ替わるなら全然あり……で…………」
おしゃべりマシンガンが止まったってことは、たぶん星良も気づいたんだろう。
「……マジやんけ」
呆然とつぶやく星良の頭上に、目視できるほど大きななにかが迫ってくる。
「星良、こっち!」
俺が呼ぶと、星良は慌ててこちらに駆け寄ってくる。
そして数秒後、目の前のアスファルトに亀裂を走らせ、それは姿を見せた。
「見つけました」
おったまげて腰を抜かさずに済んだのは、早朝に未来からやってきた妹と出逢うという、現実から大きくかけ離れた出来事と対面していたからだろう。
今起きたことを端的に言おう。
空から女の子が降ってきた。
「長らく地球からそれらしきものを感じとっていたので、もしやと思いやってきてみれば……間違いありません。今、この目で見て、肌で感じて、自分は確信しました」
明日原さんより短めのサイドテールを垂らした少女は、日常生活ではまずお目にかかることのない白いライダースーツを着ているものの、パッと見た感じは、人間としか思えない容姿をしていた。
しかし、それはありえない。
人間はあの高さから落下すれば命を落とす。
その時点で、この少女が人間である可能性は潰えているわけで……
「あなたが自分の〝お兄様〟ですね?」
「んなわけあるかっ!」
※
「ただいま」
「おっかえりおにぃ~っ!」
玄関の扉を開けると、聖良が俺の胸に飛び込んできた。
「んふふ~。おにぃのぬくもりぃ~」
小動物みたく頬をすりすりする仕草が愛らしくて思わず頭を撫でてしまう。
「でゅへぇ、でゅへへぇ~」
「うわっ、未来のあたし笑い方きもちわるっ」
「あ? なんだとやんのかわたし?」
星良は聖良を〝あたし〟。聖良は星良を〝わたし〟と呼ぶ。
「喧嘩腰は成長しても変わんないのな」
聖良を慎重に床に下ろす。雑に扱ったら壊れてしまいそうなほど柔らかい身体だった。
「というかおにぃ、さっきから気になってたんだけど、その後ろにいる子は誰?」
お前も問いたい側だよ……と聖良にジト目を向けつつも、俺はため息をついて言った。
「俺が知りてぇよ……」
放置するのもなんだかなぁと思い連れてきただけだ。野放しにしてなんか大きな問題を起こされても後味悪いし。
「失礼しました。まだ名乗っていませんでしたね」
こほんと咳払いし、胸に手を添えて少女は言った。
「自分はヒピトゥ・イース・ローリーターンと言います。ラーピューター星からやってきました」
「どこに俺の妹要素があんだよ」
惑星の名前といい、登場の仕方といい、お前シー○なの?
「ば〇す」
ぶっきらぼうに星良は破滅の呪文を唱えた。
「おや? バルスちゃんのことをご存じなのですか?」
「そいつ、追放されんじゃねぇの?」
名前呼んだら惑星滅ぶぞ。
「はぁ。今日は『妹感謝の日』なんだけどなぁ……」
と、悲しそうな顔をして星良は項垂れた。
「星良……」
俺は、星良が毎月この日を、ものすっごく楽しみにしていることを知っている。
日付をずらしてまたの機会にやるというのもひとつの手だが、気分的に今日やらないと星良は満足してくれないだろう。
「よしっ! みんなで中華料理店行くか!」
俺は明るく言い放った。
「まぁさ、聖良もヒピ……」
「ヒピトゥ・イース・ローリーターンです」
「うん、長いからヒイロな。聖良もヒイロも、どうして今の状況に至ったのかとか、これからどうしていくだとか、積もる話はご飯を食べながらしよう。いいな?」
聖良とヒイロに目を向ける。
「こうして過去に戻ってみると、おにぃの優しさがますます身に染みて、ますます好きになるなぁ。もちろんかまわないわよ。おにぃの側にいられるのなら、どこでも楽園だし」
「『ちゅうかりょうり』というものはよくわかりませんが、ちょうど自分も……ヒイロも小腹が空いていたところです」
続けて星良に目を向ける。
「おにぃがそれでいいなら、わたしはそれで構わないよ」
星良がちょいちょい手招きするので、何事かと顔を近づければ、頬に短く口づけされた。
「好きだよ、おにぃ」
星良は、えへへと恥ずかしそうにはにかんだ。
「ちょっとわたし! なに抜け駆けしてんのよ! 話し合うまでキスを自制してるあたしの身になりなさいよっ!」
「あたしの事情なんてし~らない。そっちが勝手に来たんでしょ。早く帰ってよ。わたしとおにぃの時間を邪魔しないでくれる?」
「あたしがいるのは、今のわたしのせいなんですけどねぇ!? ねぇそんなこと言っていいの? あたしがいなくなったらす~っごく後悔するわよ?」
「ふぅん。時空の狭間で航海すればいいのに」
「あれおかしいな。この頃のわたしってこんな反抗的だったかな……」
単にご機嫌斜めなだけだと思うぞ。
星良と聖良が口舌戦をする一方で、名前以外一切情報なしの空から降ってきた自称妹は、ふむふむとうなずいている。
「なるほど。妹は兄の頬に口づけしてコミュニケーションするのですね」
「いや普通に言葉を交わしてコミュニケーションするけどな?」
真面目な顔で言ってる様子を見るに、ボケてるってわけではなさそうだ。
しかしまぁ、義理の妹に、未来からやってきた義理の妹に、空から降ってきた自称妹と。
妹ってのはこうやって増えてくんだなぁ。
……んなわけねぇだろ。
※
「というわけで、状況を整理していこう」
「うわぁ~! エビチリきらっきらしてるっ!」
「みんなでシェアしましょ。わたしもヒイロも中華料理店くるのはじめてみたいだし」
「これがこの惑星の料理……一見する限りでは、我々の惑星のものと変わりありませんね」
「えぇと、じゃあまずは小分けしようか」
俺、中華料理の誘惑に惨敗。
各々が小皿に料理をよそったところで話の続きを……
「すいませ~ん、生ビール一本もらえますか?」
「かしこま…………え?」
「なんでもないですなんでもないですっ! こらこら聖良~。お前にはまだ早いぞ~」
絶句する店員さんの前で冗談めかした口ぶりで聖良に水を勧めると、「ちぇ~、とっくに成人済みなのになぁ」と唇を尖らせ、ねぎチャーシューをはむはむ頬張った。
やけに酒のつまみっぽい料理が多いなと思ったが、お前の仕業か見かけだけは六歳児。おかげで、店員さんが「この子、何歳だ?」って言いたげな仰天顔してるじゃねぇか。
「お前、見かけ上は小学生なんだから、そのように振る舞った方がいいんじゃねぇの?」
「無理無理。あたし、四十近いのよ? 小学生なんて演じた日には、羞恥で酔っちゃうっての」
隣に座らせるべきは、星良じゃなくて聖良だったな。
「すいません。こちらの食材をいただけますか?」
「……えと、こちら当店の提供できる最高級食材となっておりますが……」
「なんでもないですなんでもないですっ! ヒイロ、次から注文するときは俺を経由しろ」
訂正。隣に座らせるべきは、星良じゃなくて聖良かヒイロだったな。
「……あのさ星良、聖良かヒイロの隣に行って監視してくんない?」
「ヤ。わたしはおにぃのお隣じゃなきゃ料理が喉を通らない症候群に罹ってるので」
「左様でございますか……」
どうやら、料理を堪能することは諦めるしかないみたいだ。
※
「というわけで、状況を整理していこう」
「すぅ、すぅ……んふふ」
「…………」
「幸せな顔して寝てんじゃねぇよ」
俺は、聖良とヒイロの額にデコピンを見舞った。
「あうっ! ……どしたのおにぃ?」
「どしたのじゃねぇよ。お前らの面倒みてたら、結局、店でなにも聞けなくて二十二時だよ」
いつもなら消灯しているリビングの電気が今日はまだ稼働している。
「おかげで星良、不機嫌になっちまったじゃねぇか。明日、朝ごはん作ってくれなかったらどうしてくれんだよ」
口調が刺々しくなってしまうのは、普段ならベッドに横たわっている時間だからだろう。
「ふわぁ~。まぁそんな日もあるさ」
聖良はへらへらと笑った。
「この野郎……」
その笑顔は反則だろ。なにされても許しちまいそうだよ。
「ぷりぷりしてたら、人生が楽しくなくなっちゃうよ?」
「……はぁ。まぁその通りかもな。あとお前はいい加減起きろ」
修行僧のごとく、正座して目を閉じたヒイロは、一向に目を覚ます気配がない。
まさかスリープモードとか言わないよな?
こいつは人間というくくりを逸脱しているから、そんな機能が搭載されててもおかしくない。
「まいったな。このままじゃ結局こいつが何者なのかわかんないまま今日が終わっちまう」
「じゃ、あたしが調べたげる」
そう言って聖良は襖の戸を開け、聴診器のようなものを持ってきた。
「なにそれ?」
「『個人情報特定レーダー』」
現代における最強の道具じゃねぇか。
「未来にはそんなの売ってんの?」
「ううん、あたしが作った」
「作ったとな」
おいおいすげぇな。
「ふふ、おにぃへの愛を拗らせてタイムマシンまで発明しちゃったあたしを舐めてもらっちゃあ困るぜ?」
「動機が残念すぎる……」
過去に戻ってきたからといって、その想いが必ずしも成就するとは限らないのに。
両耳にイヤーチップを差し込む聖良。チェストピースを捻ると、緑色の光線が飛び出した。
「……どうやら生き別れのお兄ちゃんを探してここまでやってきたみたい」
「生き別れのお兄ちゃん?」
「うん。そのお兄ちゃんにご奉仕するのがこの子に与えられた使命で、お兄ちゃんに言われたことなら、なんでも従う心持ちでいるわね」
イヤーチップを外し、聖良が無邪気な笑みを向けてくる。
「やったねおにぃ。美少女性奴隷ゲットだぜっ!」
純粋無垢だった頃の星良の顔でなんてこと言いやがるんだ。
「星良はアラサーになるとこんな下ネタ発言をするようになっちまうのか……」
「うぐぅっ!」
聖良は胸を抑えて苦しげな顔をした。
「あ、アラサー発言は今後控えてくれない? その、本気で死にたくなるから……」
よし、今後こいつがやりすぎたときはこの話題で黙らせよう。
「あとはヒイロ本人から話を聞くとして。……で、聖良はどうしてここに?」
「おにぃと結婚しにきたんだぜっ!」
即答だった。
「そっか。朝もそう言ってたもんな。でも結婚しないから。じゃさよなら」
「つめたっ!? 就職氷河期の再来は五年後だよ?」
「急になんの話だよ。……いや他人事じゃねぇな。俺の就活する時期と被ってるじゃん」
「だいじょ~ぶっ。就活がうまくいかなくても、おにぃはあたしが生涯養ってあげるよっ」
「いや、妹のヒモとか客観的に見て終わってるから普通に嫌なんだけど」
「終わってるおにぃもあたしはちゅき!」
「お前は駄目人間製造機なのか?」
俺、全肯定botじゃねぇか。
星良のブラコンもなかなかのものだが、聖良はさらに拍車がかっているような気がする。
「というわけで、あたしはおにぃと結婚するまで帰らないよっ」
「……居座る分には構わないんだけどさ、未来で誰か心配したりしないの?」
「うん。家族にも友だちにもとうの昔に見放されたからね」
「笑顔でなんて寂しいこと言うんだよ……」
これが星良の末路か。なんとしても、この未来だけは回避したいな。
「じゃ、今日はこの辺でお開きにするか。空き部屋がいくらかあるから、好きな部屋を使ってくれ」
「ならおにぃの部屋~♪」
「話聞いてた?」
これからは毎晩部屋に鍵を……いや、そしたら朝、星良が起こしに来られないから却下。
「ねぇねぇおにぃ、聖良ね? 寂しくて夜はひとりで眠れないの」
俺の腕に抱きつき、芝居がかった甘い声を発し、寂しげな顔で俺を見上げてくる聖良。
「いっしょに寝てほしい、な?」
「…………くぅ」
演技だってわかってる。
わかってるんだけど、こんなことされたら……
「うぉいっ! 黙って聞いてりゃなにうちのおにぃ誑かしてんだてめぇ!」
ばんとリビングの扉が開き、激昂状態の星良が姿を見せた。
眠気か憤怒か殺意かそのすべてを内包してか、星良の目は赤く血走っている。
「あーあ、そんな物騒な態度とっちゃっていいのわたし? それじゃ減点よ?」
聖良が俺の腕に抱きつく力を強め、星良はぎりぎりと牙を鳴らす。
「おにぃはね、この頃のあたしが一番可愛いと思ってるのよ」
「なわけねぇだろ! おにぃはどんなわたしも愛してるって公言してんだよっ!」
「してねぇよ」
「未来のおにぃがそう言ってたの。だからあたしは六歳の頃の姿に戻ったんだ。この頃の姿がいちばん有利だと思ったからね」
なに言ってんだよ未来の俺……
「いやありえないでしょ。だってその頃のわたしはおにぃに刺々しい態度をとってて……」
星良の語勢が弱くなる。どうやら気づかれたらしい。
「じゃあ、なんでおにぃはあたしに抱きつかれて嫌がってないのかなぁ?」
「そ、それはあたしが小さいからぞんざいに扱えないからで……そうだよね、おにぃ?」
「……この頃の星良に甘えられるのが一番破壊力をもってるってのは否定のしようがない」
「っ! ……こ、この○リコンっ!」
「いや違うんだ星良! 俺は○リコンじゃない! ただこの頃の星良とは――」
「おにぃちゅきぃ~♪」
聖良が腕にすりすり頬をこすりつけてくる。
「~っ!」
「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だっ! まさかあのおにぃがこんな簡単に陥落するなんて……!」
膝から崩れ落ち、負け犬臭を漂わせながら、星良は涙目でぽんぽん床を殴りつける。
「陥落ってお前言い方……」
「おにぃ、もうわたしはいらないよね? あたしだけいればいいよね?」
「なにそのヤンデレ感すごい台詞。正直なところ、家事万能な星良がいてくれた方が助かる」
中華料理店で何の気なしにカミングアウトしていたが、聖良はここ十五年ほど、料理も洗濯も一切していないのだとか。
「はい、わたしの勝ちっ! や~い、ざぁ~こざぁ~こっ!」
復活早々、星良は聖良を煽りまくる。
「くそぅ~。おにぃがいなくなってから家事をしなくなったツケがここで回ってくるとは!」
「教えてあげまちょ~か? あ、ごめん。四十近いおばちゃまに家事は重労働でちゅかね?」
「めっちゃ煽るじゃん」
さっきまでとは立場が逆転し、項垂れていた聖良は、星良を睨み据えて飛びかかった。
「アラサーって馬鹿にしたわねっ!? わたしのばかばかばかばか~!」
ぽこぽこぽこぽこ。
「おっ、おっ、半泣きしてぐるぐるぱんちしかできないのか? や~い、ざこざ~こ」
「ぶえぇえええぇええ!」
「は、ははっ、くすぐった、はははっ」
「カオスすぎる……」
ギャン泣きする聖良に、笑い転げる星良。そしてやっぱり動かないヒイロ。
俺はそっとリビングを後にし、ベッドに寝転がった。
「ま、みんな仲良さそうだし問題ないだろ」
ぼんやりと聞こえていた星良と聖良の言い争いが段々と聞こえなくなり、その代わりに騒がしい足音が近づいてきて……
「ちょちょ、大変だよ昇! せ、星良がふたりっ! あ、あと知らない女の子がいてっ!」
「おかえり父さん。今日も遅くまでお疲れさま」
「いやなんでそんなに冷静なのさ!?」
だってもう、焦ってもしょうがないじゃん。
その日、俺の妹がふたり増えて三人になった。