プロローグ
たったったと、リズミカルに階段を駆け上がる音で目が覚めた。
「……」
俺はそっと目を閉じる。自力で起きるとあいつは不機嫌になっちまうからな。
そして数秒後、道場破りでもしにきたのかってくらいの威力で部屋の扉が開かれた。
「はじまりの朝だぜっ!」
朝っぱらからうるせぇな。
などと心の中で悪態を突きつつ、俺は眠っているふりを続ける。
「おっにぃ~♪ あっさだよ~♪」
ゆさゆさ。
「あ~はあ~さひ~さのあ~♪ い~はおにぃのい~♪」
頭文字しばりはねぇのかよ。
普段の俺は、この調子で三分くらい揺さぶられて、ようやく目を覚ますらしい。
「寝坊助さんにはいたずらしちゃうんだから。ふっ」
「んっ……!」
耳に息を吹きかけられて、危うく変な声をあげてしまいそうになった。
「ふふっ、びくんってしちゃってかぁ~いい♪」
ふ~。ふ~。ふ~。ふ~。
起き抜けの頭を痺れるような快感が駆け抜ける。
いつも俺って、こんなことされても起きねぇの? 眠りの質高すぎない?
そろそろ頃合いだろう。俺は白々しくまぶたを動かしながら、自然に目覚めた風を装い……
「んじゅるぅ」
「っ!」
おいおい待て待て。これ絶対、耳の穴に入ってるよな? ……いや声だけか?
目をつぶっているから断言はできないが……
「ちゅぷぅちゅぱっ、んっ、んぅんんっ……!」
うん、これはクロ。俺は目を開いた。
「あ。ようやくお目覚めだね」
そう言って、目の前にいるショートボブの女の子はにこりと微笑んだ。
「おはよっ。おにぃっ!」
彼女の名は、朝久星良。
俺、朝久昇の妹である。
「好きっ」
星良は高校一年生だが、背丈が低く、童顔だからか、よく中学生と勘違いされる。
「んっ」
だから、唐突な告白も、唐突な頬への口づけも、じゃれ合いとして処理される。
「おはよう星良」
……ってこともないけど、まぁ日常茶飯事となった今となっては、あまり気にならない。
耳に触れる。濡れた感触、なし。ほっと胸を撫でおろす。
「どしたの? そんな『よかった。兄妹で超えちゃいけない最後の一線は超えてなくて……』みたいな顔して?」
「指摘が的確すぎてこえぇよ。星良に隠しごとはできないな」
「だいじょぶ! わたしは優秀な妹なので、気づいても気づいていないふりをするよっ」
うん、これからもえっちな本は電子購入の方向でいこう。
「ところで、今日からASMRで起こしてみることにしたんだけどどう?」
「ASMRって睡眠導入のためにあるんじゃねぇの?」
「ところがどっこい、おにぃに関して言えば起床時に有効なんだよね。お耳さん敏感だから」
「なるほど。……それはともかく、朝から心臓止まるかと思ったじゃねぇか」
「星良は約束を守る立派な妹なので、耳たぶ噛みたいなぁとか、舐めたらどうなるんだろうと思いつつも、欲求を抑えて頬にちゅーするだけに留めているよ。どう、えらいでしょ?」
「声に出してる時点で抑えてないんだよなぁ」
頬にキスするまではOK。そうボーダーラインを設定したときは、我ながらいいのかそれでと不安になったが、結果としてこの処置は成功だったのだろう。
「それで唇はいつ解禁されるの?」
「無期限鎖国だ」
「おぅ……」
おかげで、星良はそれ以上の行為には及ぼうとしない。
星良は、聞き分けがよくて、家事全般ができて、おまけに愛嬌もあって、学力面も申し分なしという、ちょっとできすぎでこわいくらいの妹で……
「わたしはいつでも開国状態だぜ! ファーストキスはおにぃにくれてやんよっ!」
「それは将来の旦那さんのために残しとけ」
「おにぃと結婚するから、おにぃとして問題なしだねっ」
「問題しかねぇよ。禁断の恋愛じゃねぇか」
で、そんな長所をすべて帳消しにしちまうくらい極度のブラコン。
「しかしおにぃや、わたしたちって義理の兄妹なんだぜ? つまり結婚も可」
だから性質が悪いんだよなぁ。
「……ところで今日の朝ごはんなに?」
「おい。話逸らすなチキン野郎」
逃がすかとばかりに、星良がジトっと睨みつけてくる。
「あ? 誰がチキン野郎だゴラ?」
「あ、ごっめ~ん。朝ごはんはチキン南蛮だよって言おうとしたら?んじゃった。てへっ」
頭をこつんと叩き、片目を閉じてぺろっと舌を出す星良。
あざとい仕草なのに殺意しか湧かないのは相手が妹だからかな。
「ニンジャチョーク決めるぞこの野郎」
「おっおっ、やれんのかおにぃの分際で?」
挑発的な笑みを携え、ぴょんぴょん飛び跳ねて煽ってくる。が、いっちょ前なのは見かけだけなので、体幹よわよわな星良は俺のシングルレッグであっさりベッドにテイクダウンされる。
「お、おにぃ……」
きゅっと両手でベッドシーツを掴み、星良は潤んだ瞳で俺を見つめてくる。
「これからどうなるかは言わなくてもわかるよな?」
俺は真剣に問いかけた。
「……うん」
「いいんだな?」
こくりとうなずく。
うなずくということは、望んでいるということ。
となれば、兄としてすべきことは決まっている。
俺は覚悟を決めて……
「あひゃひゃひゃひゃ! ちょ、おにぃタイムタイムっ!」
こちょこちょと脇腹をくすぐると、星良は秒速で音をあげた。
「もうギブアップか。はっ、よわよわだな星良は」
「なんだとこらぁ!」
こちょこちょこちょこちょ。
「あひゃひゃ! ゆ、許してっ。もう限界ですぅ……!」
「許すもなにも望んだのは星良だろ。……これで満足か?」
「はぁはぁ……うん」
星良は満面の笑みを浮かべた。
「構ってくれてありがとおにぃ」
「今日は星良の望みをできる限り叶える日だからな」
朝久家には、月に一度、「妹感謝の日」が存在する。毎日、ご飯を用意し、洗濯し、掃除までする妹を月に一度くらいは労ってくれてもいいんじゃないかという、妹の些細なおねだりから生まれた特別な日だ。
「しかしまぁ、よくおにぃはわたしのしてほしいことがこうも的確にわかるもんだね」
「当然だろ。何年兄をやってると思ってる」
「え、今の告白?」
「妹と恋愛するとかありえないから」
「とか言っちゃって、ほんとは星良ちゃんが可愛すぎて照れてるだけなんでしょ?」
「そうだな。星良は可愛いよ」
「へ?」
俺はベッドから下りて、うんと伸びをする。
「そろそろ朝ごはん食べようぜ。学校に遅刻しちまう」
「うんっ! おにぃちゅき!」
むぎゅっと腕に抱きついてくる星良。二の腕に柔らかい感触があるけど、妹だから全然ドキドキしないし、なんならお前の胸って全然成長しないよなって口を滑らせてしまいそうになる始末。これ、本人の前で言うと本気で機嫌悪くしちゃうNGワードだから厳重注意な。
「そっか」
「おい、そこは『俺もちゅき!』って返すとこだろ」
足首をぽすんと軽く蹴ってくる。
「これだから乙女心をわかってない恋愛ド素人は。まだまだおにぃには星良ちゃんの恋愛教室が必要みたいでちゅねぇ~」
「マジでニンジャチョーク決めるぞぶちゃいく顔」
「それ絶対女の子に言っちゃだめなやつ!」
まったく、誰のせいで俺の恋が停滞してると思ってるんだか。