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第二話 六

松の家の前を離れた真之助は、吉良邸へと続く通りを歩いていた。用心棒たちの宴の声が、冷たい夜気に乗って響いてくる。その声には、どこか作られた明るさが感じられた。


「これは、若木屋の旦那」


声をかけてきたのは、八百屋に化けた同心の春木である。あの夜同じように、この夜も町を見張っていた。


「春木殿」


真之助は、さりげなく足を止める。


「今宵は賑やかでございますな」


「ええ。吉良様の用心棒衆が、随分と盛り上がっておられます」


その言葉には、暗号めいた意味が込められていた。実は、用心棒たちは普段、決してこれほど大きな声で騒ぐことはない。今夜に限って、彼らがこれほど派手に振る舞っているのは、何か別の意図があるからだと、二人とも察していた。


「ところで」


春木が、声を潜める。


「町内の者たちが、妙なことを」


「どのようなことで」


「大雪が降るとか。急に店を閉めた商人が多うございます」


その情報は、意味深長だった。今夜の空には、雪の気配などない。それでも、商人たちが店を閉めたというのは、彼らもまた、何かを感じ取っているということだ。


その時、通りの向こうから、見慣れぬ人影が近づいてきた。足音は、町人のそれとは明らかに違う。


「あれは...」


春木の言葉を、真之助は軽く手振りで制した。近づいてくる人影の中に、記憶がよみがえる。堀部安兵衛の姿に、どこか似ているのだ。


人影は、二人の前を通り過ぎていく。すれ違いざま、かすかな会釈があった。その仕草に、真之助は確信を得た。


「春木殿」


「はい」


「この夜は、いつもより早めに引き上げるがよろしいかと」


その言葉の真意を、春木はよく理解していた。同心としての務めと、時代の必然。その狭間で、彼もまた判断を迫られているのだ。


「若旦那」


春木が、最後に告げる。


「吉良様の門前、火の番所の火が、いつもより明るうございます」


それは、表向きは単なる事実の報告。しかし、その意味するところは重い。火の番所の明かりが普段より明るいということは、警備が強化されているということ。そして、それは誰かに見せるための警備なのかもしれない。


「承知いたしました」


真之助は、軽く会釈をして別れる。通りの先には、吉良邸の大きな門構えが見える。その前で、用心棒たちの宴はまだ続いていた。しかし、その声の底に、ある種の緊張が潜んでいることを、真之助は感じ取っていた。


上を見上げると、暗い冬の空が広がっている。その闇の中から、大きな時代の転換点が、今まさに産声を上げようとしているのだ。


「時の流れには抗えぬもの」


あの時の堀部の言葉を、真之助は再び心の中で反芻する。そして、その意味を、より深く理解していた。


歴史の歯車は、既に大きく回り始めていた。

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