隠れキリシタンの聖餐式〜涙味のカステーラ〜
私の目の前に突き出された踏み絵。
踏み絵は主、いや、十字架に架けられたイエス・キリストが描かれている。金属製の踏み絵だが、何度も何度も踏みつけられていたのか、この主は顔がすっかり擦れていた。
いくら偶像といっても、少し躊躇しそうになるが、相手の役人に隙などは見せられない。
私はこの踏み絵を躊躇なく踏みつけた。ガシガシと強く、雑に。
あぁ、主よ。いくら偶像といってもごめんなさい。この私の罪を主の血潮で清めてください。許してください。アァメン。
心の中で何度も悔い改めの祈りをしながら、何とか今回の踏み絵を乗り越えた。まあ、どうせ偶像。主は心を見られるお方だ。いくら私がイエス・キリストの偶像を踏みつけたとしても、その動機が何であるかは主が一番ご存じだ。だから、これを踏みつけることは仕方ない。生きる為だ。
「おぉ、躊躇なく踏みつけたな」
「ええ。私は神社の娘の巫女ですわ。知っているでしょ?」
表向きはそうだ。私は表向きは、神社の娘で巫女だった。麹衣村という小さな村の神社だったは、私も含め、村人は全員キリシタン。仏教徒や神道信者、あるいは何の宗教も信じていないフリをしながら、キリシタンをやっていた。潜伏キリシタンともいう。
1614年、日本全土でキリスト教を信仰する事は禁止された。キリシタン達が幕府の統制を乱す危険因子と言われていた。外国人宣教師による誘拐もあったという噂もたち、彼らは国外追放となった。それでも残った宣教師達は、迫害され、強い拷問の後、殺された。
我が麹衣村にも宣教師アベル・アラバラートがやってきた。当初は江戸で宣教する予定だったが、道に迷い、辺鄙なこの麹衣村にたどり着いたのがきっかけだったそう。
村に来たばかりのアベルは衰弱し、不憫になった私や父は神社で保護した。
最初はアベルを嫌っている村人も多かった。彼の語る「罪」とかは、多くの人にとって耳の痛い話だったから。
ただ、アベルが来てから、なぜか病気や怪我が減った。彼が祈ると、何もしていないのに、病や怪我がたちまち癒された。また何の勉強もしていないのにアベルは日本語がペラペラらで、訛りもなく、漢字も一瞬で覚えてしまった。キリシタンでは「異言」という宣教の為に外国語を話せる能力(賜物)もあるらしく、これを目の当たりにした村人達は、あっという間に心を変えていった。
私も父も神社の人間だ。そんな事はないだろう……と若干馬鹿にしていたぐらいだったが、アベルの癒しや「異言」はどう見ても人間業に見えず、信仰に持つのに至ってしまった。
お陰で村の医者は失業し、恨みながら他所の土地へ出て行ってしまったが、これが良くなかった。
幕府に宣教師がいると密告され、アベルは強い拷問を受けた後、殺されてしまった。
こんな事があってからは、絶対にキリシタンである事を外に言えない。信仰を隠し、生き延びる事を選んだのだった。
本当は教会も建てたいのだが、そんな事はできるわけがない。神社を教会の代わりとし、密かに礼拝を守っていた。
アベルによると、教会は建物のことではなく、信じた人の集まりをいう。集まる場所が神社でも、心から神様を礼拝していれば問題無いらしい。
礼拝では本来なら指導者から説教を聞くのだが、現状はアベルはいない。彼が書き残した礼拝説教原稿などを利用し、讃美歌も小声で歌いながら、どうにか礼拝を守っていた。アベルは表向きはカトリック宗派の宣教師だったが、その教義には疑問があったようで、プロテスタント式の礼拝方法を教えてくれた。祈りの言葉なども聖母マリアの文言などは全くなかった。
礼拝では、もう一つ、聖餐式という儀式があった。パンと葡萄酒をイエス・キリストの身体と血に見立てて食べる儀式だ。単なる見立ての儀式のようだが、アベルによると、信仰を持ってこれらを味わう事で、「霊」が動き、より主との関係が近づくそうだ。
今日はその聖餐式をやる予定だった。
私は踏み絵という下らない事務作業を終えると、村にある茶屋に直行した。
「シャロォム! 敬子」
茶屋の厨房に行くと、直子に迎えられた。直子は茶屋の娘だ。いわゆる看板娘でもあり、鮮やか黄色の着物もよく似合っている。
「直子、静かに。そんな挨拶してたらキリシタンって発覚するわ」
「そうね、うっかりしてたわ」
シャロームは、キリシタン風の挨拶の言葉だったが、無闇やたらと口にするわけに行かない。
「これ、聖餐式で使うカステーラと日本酒よ」
「わあ、ありがとう」
直子からそれを受け取る。本来なら葡萄酒とパンなのだが、パンも幕府により製造が禁止されていた。その代わりにカステーラと日本酒を使う。
日本酒はともかく、カステーラはパンに近いかもしれない。丸い形で焼かれた柔らかな生地の菓子だ。アベルが教えてくれた方法で作ろうと思ったが、肝心の白砂糖が手に入らないので、黒糖で代用して作っていた。アベルによると、本国のカステーラより硬く、甘みも薄いそうだが、無いよりはマシだ。
実はアベルが作ったカステーラのせいでキリシタンになったものも多くいた。確かにアベルが持ってきたカステーラは日本の菓子にない新しさと美味しさがあった。この直子もその一人だ。人間の胃袋というのは、理屈では言えない何かがあるようだった。
「それにしても敬子。アベルの事は残念だったわ」
直子はふと思い出したように呟く。その顔は暗い。
「え、ええ」
その名前が出され、私も下を向いてしまう。私とアベルは、婚約していた。もちろん、奴隷契約なんかではなく、ごくごく普通に恋人関係になっていった。キリシタンは婚前に肉体関係を持つのは禁止なので、即婚約という話になった。
それは束の間の幸せだった。アベルは迫害され、拷問を受け、殺された。こんな事も予期していたのか、アベルの荷物からは「ケイコ、イキノビロ!」とい書かれた走り書きも見つかった。だから私も死ぬわけにはいかない。表向きは神社の巫女をしながら、信仰を保つ事を選んだ。
「じゃあ、直子。きょうか、じゃなかった、うちの神社に行きましょう」
「わかったわ」
アベルの事は何とか頭から追い払い、家でもある神社に向かう。この神社は周りは木々に囲まれ、ほぼ森の中だ。お陰で音も漏れにくく、本殿で主を賛美する歌を奏でていてもばれにくかった。
直子と共に、鳥居をくぐり、本殿に入る。一応賽銭箱やしめ縄など神社らしいものも置いてあるが、全て飾り、偶像だ。アベルによると、偶像は拝まなければ何の力も発揮しないらしい。
キリシタンになった当初は、神社の神に報復されるんじゃないかと怖かった。実際、幽霊のようなものを見て、悪夢にうなされるような事もあったが、アベルが「悪霊祓い」というものもやってくれたので、今のところは何の問題もなかった。
本殿に入ると、もう村人達が礼拝に集まっていた。私と直子でカステーラを切り分け、日本酒の準備を終えると、さっそく礼拝が始まる。
本殿の中には、天照大御神の絵なども飾られているが、誰一人拝んではいない。これも隠れて信仰を保つ為のものだ。同じ隠れキリシタンの中では、観音像をマリアに見立てたりするものも多いそうだが、うちの「教会」は、見た目は全く普通の神社と変わらないように見せていた。
所詮は目に見えるものだ。問題は心でどう思っているかだ。
「ケイコ、人に見せる為に敬虔ぶったりするなよ。心の中身は神様が一番ご覧になってる。そういう意味では、隠れて信仰する日本人は、ある意味では、恵まれてる。私の国では献金や神の愛などを誇る人が大勢いたからね。やたらと神の愛と綺麗事を連発したり、安息日を守っている事を見せつける事には注意しろよ」
アベルがそんな事を言っていたのも思いだす。偶然にも今日の礼拝説教は、「心をみられる主」だった。アベルが残した説教原稿を父が語っているだけだが、胸が熱くなる。
主よ、こんな神社で礼拝をする私たちはおかしいですか? でも心を見られる主を信じます。
礼拝が終わったら後、最後で村人一丸になって祈り、頭痛や捻挫などに苦しむ村人の癒しを行った。不思議な事にアベルが死んでから、私も少しだけ癒しが出来るようになっていた。もっとも相手は同じ信仰にある村人限定だったが。
最後に聖餐だ。みんなでカステーラと日本酒を信仰を持って味わった。
もう、アベルはいない。迫害を受けて死んでしまった。
その事を思出すと、甘いカステーラを食べているのに、涙が出てくる。
それでも。
アベルが書き残した聖書の写しには「敵を許しなさい」と書かれていた。こんなに私達を迫害し、婚約者を奪った日本人は、許せない気持もあった。それでも、私は許すしかない。神様にたくさん許して貰っているのだから。あんな踏み絵だって毎回許して貰っている。
「主よ。日本人をお許しください。彼らは自分が何をしているのか分からないのです。アーメン」
そう祈り、カステーラを全て食べ切った。
まだ涙は止まりそうにはないが、神様のおかげで許せそうな気がしていた。心はもう癒されているのかもしれない。




