誰にでも愛する家族がいる
「頼んだぞ」
出かけ前にジルがいうと、ソフィアは仕方なさそうに頷く。
頼まれたのは食料や薪などの備蓄だった。それも保存食を中心とするものだ。冬を越す為の準備にはまだ早いし、備蓄する場所だってスペースは限られている。
それを今の時点でする事に疑問があったが、それでも妻として夫に従うつもりでいた。
「ええ、分かったわ」
その返事を満足そうにジルは受け取ると、家を出ていく。
その後ろ姿に、子供たちは声を掛けていた。
「お父さん、行ってらっしゃい」
長女のレンフランが手を振りながら言う。
「行ってらっしゃい」
真似して次女のフェルティナもいい、そして三女のルティエも「しゃい」と言っている。
その可愛い子供たちにジルも振り返り手を振りながら行く。
そして姿が見えなくなると、ソフィアは子供たちに話しかけた。
「さあ、今日は皆んなでお買い物に行くわよ!」
母親からの嬉しい提案に、子供たちは元気いっぱいに答える。
「やったー、買い物だって。お出かけー」
「やったー!ねえー」
レンフランとフェルティナが喜び、それにつられてルティエも笑顔で「ったー」と言ってる。
そしてバザーまで行くと、ソフィアは頼まれたものを次々と買う。
背中に籠を背負い、購入した薪を入れ
る。次に干し肉やパスタなど保存食を中心に買っていく。
長女と次女も少しだが薪を背負い、母親の隣を歩いていた。
途中で買ってもらった果実を美味しそうに食べながらだ。
子供たちにとって新鮮な果実は、こうして買い物に来たときだけの楽しみでもあった。
因みに三女のルティエは買い物の途中で寝てしまい、ソフィアが抱っこ紐を使って前にぶら下げている。
両手で長女と次女と手を繋ぎ、はぐれないようにしながら賑やかなバザーを抜け、家に帰ろうとしてると、近所の奥さんに声をかけられた。
「まあ、またずいぶん沢山買って、もしかしてまた旦那さんが出かけるのかしら?」
言われてみてソフィアも答える。
「あら、やっぱりそうなのかしら?」
いつもなら遠出するならするで言われるソフィアには、今回みたいな頼まれかたに疑問があった。
「ふふふ。もう、ソフィアさんたら……でも、羨ましいわ。旦那さんが忙しそうで……。うちなんか、急に仕事がキャンセルされたとかで、昼間っから家で飲んでるわよ」
「あら、それで旦那さんほっぽって買い物に?」
奥さんの話しにソフィアも笑いながらたずねた。
「当然よ!まったく飲むなら飲むで、外で飲んで欲しいわ!家にいられても邪魔じゃない。せめて買い物を手伝うくらいはして欲しいわよ。……その点、お姉ちゃんたちは偉いわー。ちゃんとお母さんのお手伝いしてるのねー」
その奥さんの言葉に「んー」とレンフランは照れ、「エラい?エラい?」とフェルティナは母親に聞いている。
ソフィアはそんな子供たちの頭を撫でながら「偉いわー。お母さん助かってるもの」と笑顔でいう。
その奥さんと他愛ない話を済ませ、家に帰ってくると薪や保存食を仕舞う。
まだまだ収納スペースには空きがあり、これは当分毎日買い物かしらと、ソフィアは苦笑いしながらその空いてるスペースを眺めていた。
ジルは街を歩きながら色々な店をのぞいていた。
今のところ商品は棚に並び、値段にも変化はない。
それでもジルの予想が当たるなら、近いうちに値段が上がっていくだろう。
それにともない、商品も品薄状態になるばずだ。
目ざとい連中は値上がり前にまとめ買いしだすだろうし、それを見越して商会も意図的に品薄状態にしてくる。
そして値段を釣り上げ、利益を出す。
生活している者にとっては迷惑な話だが、ジルは商人としてそれは当然の事だと考えていた。
誰だって稼げる時に稼ぐのは自然な流れだと。
問題はそれがいつから始まり、いつまで続くのかだ。
商人としてその見極めをミスすると、痛い目に合う。リスクは当然ある。その上で上手く立ち回るのが商人としての戦いだ。
この巨大な王都を維持する為、毎日膨大な消費がある。
それが何かのきっかけでボトルネックを起こせばどうなるかなど、誰でも分かる事だ。
王国もそれに対する警戒として、しっかり備蓄をしている。
通常、災害などで開放するその備蓄、当然開放すれば品薄状態を解消出来る。そうなれば本来なら値段も落ち着くはず。
だが、街を歩きまわるジルには、そうは思えなかった。
明らかに貧民街にいる人が多くなっており、それはそのまま治安の悪化にも繋がるだろう。
増えた分が開放された元奴隷なら、彼らには是非とも例の村へ行って欲しいとジルは思う。
それなのにそこへ行かず貧民街へ集まるのは、ある意味で自然な流れとも言えた。
いつだって貧しい人々ほど、金と人々が集まる場所に吸い寄せられるものだった。
そんな風に歩きながら観察していると、沢山の馬車に貧民を乗せている集団がいて驚いた。
「新天地行きだよー」
「お金がなくても大丈夫、無料ですよー。しかも到着まで飯だって出るよー」
「新天地には仕事も沢山あるよー」
「乗る時は、ここにサインするだけだよー」
その光景をジルは離れたところから眺める。
独特なフードで顔を隠すような服装から、教会関係者だと考えジルは警戒していた。
何故教会が人集めをしているのか?
それを善意だと思えるほど、ジルは教会を信用していなかった。
それでも、ジルなりに神様をそれなりに信じているのは皮肉な話だったが。
とにかく、彼らの言う新天地が例の村だとするなら、やはり全面的に教会が支持している事になる。
それがジルにはさっぱり分からなかった。
確かに教会の教えには、貧者を助ける事は善行とされている。
ならば彼らは善行を積んでいるのだろうか。
次々とサインして馬車へと乗り込む人々を眺めながら、ジルにはその光景がどうしても素晴らしいものには見えなかった。
それはまるで家畜が出荷される光景にしか、ジルには思えなかった。
貧民街を抜け、ジルが向かったのはガゼル商会の旧奴隷保管庫だ。
保管庫とはいえ保管するのが奴隷である以上、そこで最低限の生活が出来るようになっている。
しかも建物の造りもまた、普通に比べて丈夫であり、外部からの進入を防ぐだけではなく、内部からの脱出も簡単に出来ないように工夫されている。
ガゼル商会所有の建物だが、奴隷解放後は使い道が無く、空き家となっていた。
ジルはここを何かに使えないかと思い、保管庫まで来ていた。
「ん?」
ジルは無人のはずの保管庫に人の気配を感じた。
高い塀に囲まれ入り口は鉄門が閉まっている。鉄門には鎖が巻かれ、鍵が付けらており、それを外した形跡もない。
気になったジルは、建物を塀に沿って歩く。
そして隣の建物との間に、木箱が積まれているのを見つけた。
まるで階段のように積まれ、ご丁寧に塀の高さまである。
ジルはとっさに腰に手をあて、服の下に隠した短剣を確認する。
こういった空き家を利用するのは大抵が犯罪者だ。
ジルは応援を呼ぶか悩む。
だが相手を確認しない事には、どれだけの人数が必要かも分からない。
仕方ない。ジルは細心の注意をはらいながら、塀を乗り越え建物へと入る。
塀の向こうにも木箱の階段があった。
地面に降りたジルは、直ぐにしゃがむと慎重に土の地面を見る。
ところどころ雑草に覆われているが、そこには足跡が残っていた。
それを見たジルはため息をこぼしながら呟く。
「仕方ない、行くか」
建物内部に入ったジルの眼前には、予想通りの光景が広がっていた。
足跡から複数の女子供だとは分かっていたが、部屋の隅に集まっているのは数人の女たちに守られるように囲まれた子供たち。
そして部屋に散らばる僅かな食べ物。
女の1人が部屋に入ってきたジルに近づくと、膝を折りまげ伏せるようにした。
「お願いです。どうか見逃して下さい……」
その言葉にジルは頭が痛くなる。
「この建物はガゼル商会所有なんだ。悪いが出て行ってくれ」
恐らくはうちの元奴隷なんだろう。
それを知ったうえで、ジルは言う。
彼女たちが食べ物をどうやって手に入れたのかを考えると、とてもではないがジルにはここに居させる訳にいかなかった。
「お願いです。私たちには他に行くところがないのです」
それはそうだろう。
彼女たちは奴隷という名称から、乞食もしくは犯罪者という名称に変更しただけなのだから。
まあ、名称さえ変更すればそれが素晴らしいと思うようなアホが、そのことに気付くともジルには思えなかったが。
「悪いが君たちはもう奴隷ではない。ここに居る資格はないし、むしろここに居られるとこちらが迷惑なんだ」
「そこをなんとか……」
まるで、あの時の自分と重なる光景にジルの心が痛む。
だが、それでも安易に助ける訳にはいかない。
何故なら、彼女たちが食べ物を手に入れる手段など、盗んだか身体を売ったかくらいしかジルには思い当たらないからだ。
そして、それはどちらも確実に犯罪行為になる。
売春については王国の認可が必須であり、それは娼館が持つもので個人が持つことは不可能だった。
つまるところ、ここで彼女たちを助けることは、ただの犯罪者保護でしかない。それをすればジルのみならず、ガゼル商会全てにその責任が問われかねないのだ。
ジルの脳裏には理想を語り、現実から目を背ける青年が映る。
賢しげに「奴隷たちの服を良くすべきだ」「もっとましな食べ物を食べさせるべきだ」「もっとましな環境を」などなど。
コスト度外視の理想論に、ジルも同僚もうんざりしたものだ。
そのぶん高値で奴隷を売却するならまだしも、挙句いうのが奴隷解放だ。
そして、その結果がこれだ。
いつだって理想を見てる奴は、この現実から目を背ける。
手の届く範囲と言い訳をしながら一部の人を助け、届かない他を見捨てる。
貧乏人を助けるか、金持ちを助けるか。
誰を助けるかを個人の好みで選んでいるだけだ。
やってる事は貴族様となにも変わらない。そのくせ自分は善行をしたと思い込む。
まがい物の正義、偽物の善意。
このままなら彼女たちの末路はもう決まっている。
犯罪者として裁かれるその日まで、罪を犯しながら生きていくことだ。
もしも奴隷として生きていれば、自分を買い取ることもありえたし、それまでに生活基盤を固めることだって出来ただろう。
飯だって不味くても食べれたはずだ。
それなら、こうして犯罪に手を染める事もなかったかもしれない。
それに奴隷商人としてジルも彼女たちの売り先を考慮することだって出来た。
だが、もはやその仮定は無意味だ。
それらの道筋が閉ざされた彼女たちには、残された道はあまりにも少ない。
「ここにある食べ物は買ったのか?」
ジルは女に確認する。
「……はい」
「その代金はどうした?」
「それは……その……」
女は答えられない。
それが答えだとすら考えられない。
「きっと善意でお金を恵んでくれた人がいたんだろう。そして君はその人に好意を寄せ、愛し合ったかもしれない。そうだろ?」
ジルは女に模範解答をいう。
つまり今後こういう質問を受けた時、どう答えるべきかを教えた。
「……はい」
「いい答えだ。それと知っていると思うが、この国での売春は認可が無ければ犯罪だ。もちろん生活の為であろうが盗む事も犯罪だ。その刑罰はけして軽いものではない。更に所有者が明確な建物への無断進入も犯罪だ。君たちは営業していない事を知らずに、たまたまこの建物へ訪れただけなのだろう」
葛藤したジルに出来る精一杯がこれだった。
アドバイスにもならない、ただ誤魔化しているに過ぎずなにも解決しない。
どっかの誰かがしたご都合主義のしわ寄せに、ジルはうんざりする。
「あ、あの……すみません。ありがとうございます」
礼を言う女、そして他の女たちも安堵していた。
それをジルは黙って見ていた。そのなにも分かっていない彼女たちを……
既に犯罪者として信用を失っている事の重大さすら自覚していない。
奴隷で無くなったとしても、犯罪に手を染めた彼女たちが、この先真っ当な仕事になど有り付ける訳が無いというのに。
ジルがふと思い出したのは、あの青年の村だ。
元奴隷の元奴隷による元奴隷の為の村。それならばいっそのこと彼女たちに教えるべきだろうか。
このまま衛兵や犯罪組織に捕まるよりは、その方がマシかもしれない。
どうせここ以外でも似たような元奴隷など幾らでも居るだろうが、少なくともガゼル商会には関係ない。
むしろ彼女たちに教えて、ここから速やかに退出してもらった方がガゼル商会にとっては都合がいい。
それなのに何故かジルは躊躇う。
ジルの商人としての感が、例の村を危険だと知らせる。
だから、ジルは彼女たちに決断させる事にした。
「君たちが生きていく方法は幾つかある。一つは貧民街で新天地行きの教会の馬車に乗る事。一つは冒険者ギルドに登録してモンスターと戦う事。一つは犯罪者として罪を犯しながら生きていく事。一つは罪を消せる教会に助けを求める事。私に思い浮かぶのはそれくらいだ。どれを選ぶかは君たちの自由だが、どれもリスクがある事だけは間違いない」
「あの……すみません。私たちはどれを選ぶべきなのでしょうか」
女が上目遣いにジルに聞く。
「君たちは奴隷ではない。だが同時に現状国民でも無い。納税の義務はあっても、国民の権利は無い。そして重要な事は犯罪者は国民に絶対になれない。それを覆す方法は、罪の帳消しだけになる。それが出来る方法は、冒険者として実績を上げるか、教会の力を利用するしかないが……」
「あの、私たちでも冒険者にはなれるのでしょうか?」
「なれる。簡単になれる」
ジルの言葉に女たちは目を輝かせる。
どうやらもう忘れたらしい。
ジルがわざわざリスクがあると説明した事を。
当たり前の事だが、誰でも冒険者になれるのは、冒険者が常に人手不足だからだ。
なにせ冒険者になる連中のほとんどが、直ぐに死ぬ。
生き残り続け、戦い続けられるのは、本当に極一部の限られた人たちだけだ。
「私は戦うのは難しいので、教会へ助けを求めようと思います」
別の女がそういう。
こいつも説明を聞いてないらしい。
教会は完全な男社会だ。
神父から上が聖職者と呼ばれる事からも分かるが、そもそも女は聖職者になれない。
ならば女の扱いが何かなど、説明するまでもないだろう。
それがモンスターと戦うよりましかは、男のジルにはわからないが。
どちらにしても教会で女が特別になるのは、聖女だけなのだ。
「……好きに選べばいい。もちろんこれ以外の方法を探すのもありだ」
「なら私は新天地へ行ってみようかしら」
また別の女がいう。
そして女たちが次々と話し出すのを後にし、ジルは部屋から出ていった。
建物から離れたジルは、振り返り建物を見る。
1度でも道を外れた者の末路、それは苛酷な道しか残されていない。
ジルは唇を噛みしめると、建物を背にして覚悟を決めて歩きだす。
愛する妻と子供たちを、同じ目に合わせないために。