第2章
「待ちなさい!中はいつ倒壊するかも解らないんだぞ!おい!」
この警官は海江田の無事と此処を取り仕切る新人警備員なんだろう。銃も何も所持しないで“人影”を追った。最も爆発、倒壊しかけている建物内に人を発見したので発砲しましたと言う事はまずない。が…
バタ―-…
「おいっ…大丈夫か?」
人影は数m走った所で卒倒した。
警官は無線で外部の仲間に連絡を図る
『内部連絡…警官が負傷者を発見。年齢は十代前半の女性、
身分を証明するようなものは落ちていませんでした。身元の確認を急ぐとともに救急車を』
唯、手伝いに来ていただけだった二谷は疲弊していた。
「マジ?何か知らないけど展開的に彼女記憶喪失?」
「いや、一酸化炭素中毒だろう、」
おい、お前ら燃え盛る家棚に上げて何の解明だ…
突っ込もうとしたが俺は海江田の冷静さに一つの仮説をあたってみようと思った。
「海江田、十年前…俺たち学校の課題でふざけて“現象制作”って出したよな。
その中にあったと思うんだ…お前の状態…」
Feeling lost, forgotten hope状態…
[感情を失い、忘却を望む の完全直訳]なんの捻りも無い
日本語と英語の完全混同体であるその文章は明らかに俺が作成したものだ。
確か“状態”を意味する“circumstances”を当時の俺が英訳できずに、提出期限ギリギリで間に合ったんだろう。
「…覚えてない。」
俺の微かな可能性は形になる前に張本人によって容易に壊された…かに見えたが、
「けど…FLFH…か?」
俺も忘れてたんだ。イニシャルを引用して、“フラッフ”と発音させるのは論外か?というもっと論外であろう討論をその後行った事を…
「覚えてんじゃん。」
待て…その討論の前、体育の授業で海江田は骨折して早退した、こいつは如何してこんな馬鹿げた略語を知っている…?
一瞬…そこまで短くはないが数秒弱程の思考回路を海江田が遮った。
「昏睡状態だった時の…記憶…」
「ああああ!!めんどくさッ…」
二谷は即行帰りたい。と、いうか二谷は部外者だ、そして、酸素濃度は極めて薄いし異臭もする、ついでに三台の自転車を同時に支えつつ、姿勢を変えずに任意で事情聴取を受けている。トッピングに何の話か、全く読めない。本当に帰りたい。
「二谷!うっさい!で?何の記憶だ?」
「ああ、生命維持外される五日前…」
五日…病院から海江田が反応したのは真祈さんが連絡を入れた1月1日、丁度こいつが事故に有ったのと同じ日だと聞いたが。
キリシマ大学病院医局
「先生、平成11年12月27日前後の海江田全のカルテです。」
「あ?何で今そんなものを…」
「海江田全は、JCS300だと」
「覚えてないね。」
「心拍、呼吸、血圧至って正常…それと滝の声に反応したと。おそらくJCS10-11未満」
「だったら誤診…かもな、しかしそれが何だ?海江田全は戻ってきた」
確かに、“有終完美”と言う言葉はある。だけど十年を無駄に失った、しかもそれが間違いだったとしたら、それを、もう終わったんだと言われたらそれは公開処刑に相当する宣告ではないだろうか。
「柿原、もう夜勤来るぞ。帰れ」
「はい…」
「柿原!学会で使う。滝は海江田に何と言った?」
「…すいません」
「答えないか…」
今関は柿原に聞えないギリギリの声量で彼女を見送った。
「おい!二谷がもう限界だ。海江田!めんどい展開にすんなこの辺で完結しろ」
否、木島が元凶だ。
「二谷さん、帰っていいですよ。」
「助かります」
言われなくても二谷は帰る。
「多分27日の午前…
ピピッピピッピピッ――-
「海江田です。母さんか。あ、お、別に構わない。了解」
1~2文節程度で海江田の応答だけでは電話の相手が母親であると言う以外は何も伝えない会話が僅か3秒で終わった。
「実家の福岡行く、家焼失したからな」
「へえ、中部だっけ?」
それは福井だがもはやどうでもいい。
海江田は自転車群の中からまあ何とか持てる程度の荷物を抱えて立ち去ろうとしたが、
振り返って木島にあるモノを投げた。
「これ」
それだけ言うと海江田はヒラヒラ手を振って去っていった。
完全に姿が見えなくなって木島は古新聞に梱包されたそれを開いた。
325000円…
バサッ…
木島は動揺して同封されていた手紙を落とした。
あ…
木島平祐様
毎月これをお返し致します。十年間有難う御座いました。
真祈
この火災は現実を忘れる為にはかなり俺に優位な緩衝材だった
しかし、俺は現実を回避しようとして、感覚を麻痺させようとして、何かを埋めようとして…だけど、返ってきた、十年前この作業は無駄だとは思っていた。だが負債になるとは思ってなかったんだ…
あの時、海江田に“この状況をどう思ってるか”と聞いた、
本当は“この状況に追い遣った人間をどう思ってるか“と聞こうとしたんだ。
俺は海江田がこうなって安心したんだ。その程度の人間だったんだ。
俺は今まで贖罪なんて出来てなかったんだ…何も完遂してない…海江田、元に戻ってくれ…
Japan Coma Scale(ジャパン・コーマ・スケール、JCS)日本で主に使用される意識障害の深度(意識レベル)分類。
0 意識清明
1(I-1) 見当識は保たれているが意識清明ではない
2(I-2) 見当識障害がある
3(I-3) 自分の名前・生年月日が言えない
II.刺激に応じて一時的に覚醒する(2桁の点数で表現)
10(II-1) 普通の呼びかけで開眼する
20(II-2) 大声で呼びかけたり、強く揺するなどで開眼する
30(II-3) 痛み刺激を加えつつ、呼びかけを続けると辛うじて開眼する
III.刺激しても覚醒しない(3桁の点数で表現)
100(III-1) 痛みに対して払いのけるなどの動作をする
200(III-2) 痛み刺激で手足を動かしたり、顔をしかめたりする
300(III-3) 痛み刺激に対し全く反応しない