全は一個体であり、一は全個体である
この世は何で出来ている?
そう聞かれた時、僕達はこう答えるだろう。
全ては素粒子の集合体だと。
そうした時、魔素とはなんだ?魔術に使う為のエネルギー?
いやいや、素粒子の集合を魔素と名付けているだけだ。
では、魔術とはなんだ?
素粒子の集合体を変形させる手順(式)を作り、事象に変えているだけだ。
上記の様に本来素粒子が全てを生み出している。
全てとは、本当に全てを差す。
神であり、霊であり、人であり、言葉であり感情だ。
神が見えない、霊が見えない、言葉が見えない、感情が見えない。
それは素粒子(一であり全)であるからだ。
人が見える、動物を愛でる、物に触れる。
それは素粒子(全であり一)があるからだ。
僕らがそれらを理解した時、凝り固まっていた世界が一遍する。
固定観念を新たな固定観念で上書きしたんだ。
僕らの思想を素粒子が表現して下さる視点に。
ああ、結局何が言いたいのかって話だけど、
この世には全も一も現存している(見えなくとも)し、現存していない(捉えていても)んだよって事。
線引きをし、象るのは人だ。
誰もが全てを選択し、決定する。
象外も象る。
僕達、思想師は、素粒子に生かされて生きている事を知っている。
だから『生きる』を知って、表現するのだ。