ゲーム知識は絶対じゃない
——魔族。この世界を侵略する、異形の存在。
その正体は、魔王の眷属。頂点にして始祖たるかの存在から分かたれた、この世界を堕とすための尖兵。まあ眷属とは言っても、魔王から直接生まれた存在ではない。奴から直接分かたれた存在は、まさに災いといえる怪物たちだから。一般的な、いやほぼ全て魔族はその怪物の内一体が無限に産み続けている。
その魔族の事を、よくあるゲームで出てくる魔物に似ているとは言ったけど、それはあくまで奴らの存在が、に過ぎない。その見た目や生態は、どれもこれもが悍ましく、冒涜的なものしかいない。
実態はRPGだとしても、宣伝などでの売り出しでは乙女ゲームと謳っていながらなんであんなえげつない見た目の敵にしたのか、当時制作会社に多くのクレームが押し寄せたと聞いた。正直私も同意見。どうしてモンスターと戦うだけで、あんなに精神が削られなければいけないのか。
例えを一つ上げるなら、スライム擬き。一般的なゲームではよく出てくる、最弱モンスターの代表格ともいえるスライム。『滅びゆく世界の聖乙女』にも、これに似たモンスターが出てくる。似ているだけで、その実態はまるで別物だけど。
奴の名称は『ルロズ』。これだけ聞くと、何がおかしいのか分からないと思う。ただ、それを漢字に変換してみれば、その魔族がどういうものか理解できるはず。
......そう、『流浪頭』と変えれば。
名の通り、ルロズの見た目は頭そのもの。より正確に言うなら、生物の頭を精巧に模した肉塊。あくまで模しているだけなので毛や目に見えるものも良く見れば肉でしかなく、全体的に鮮やかと言うかグロテスクな赤色をしている。
地に接している首に当たる部分が潰れたように広がっていて、そこを伸び縮みさせて這いずりまわる。しかも表面の強度が弱いのか、動くたびに大地に表面が抉られて、その通り道には血と肉が痕跡として残る。
そんな体では即座に自滅しそうだけれど、異様に再生能力が高いのでそれらの傷は即座に修復してしまう。しかも何故か核みたいな弱点が無いので、倒すには再生力を上回る攻撃をするしかない。
面倒な点は他にもある。傷を負わせる度に異様な量の血や肉片をばら撒き、中途半端に瀕死の状態にすれば自爆。それそのものには酸などが含まれたりなどはしないので攻撃力は無い。だけど、それらは触れるだけで異様な汚臭を漂わせ、周囲の魔族を呼び寄せる効果を持つ。......後、爆発した後も肉片を処理しないとそこから再生する。
倒しにくい上に面倒な特性を持ち、その見た目や生態から色々と関わりたくない魔族、それがルロズだ。......うん、本当に気持ち悪いよね、あれ。正直生理的に受け付けない。ゲームであいつにどれだけ苦労させられたか。
奴と戦うだけで、他の魔族を呼び寄せる特殊な状態異常がこちらに付与されるため、早く倒さないと後で手に負えなくなる。下手打って自爆させてしまえば、他の魔族が何体も乱入。それを何とか倒し終えたと思ったら、何故か再び奴らがいる。よくよく見たら、乱入してきた魔族に「蠢く肉片」が紛れているし(しかもフォントも半透明に変化しているから見えづらく、完全に再生するまでそのまま)。雑魚なのにあれだけ厄介なのって、そうはいないと思う。
このルロズを始めとして、魔族はどれもこれも厄介で、悍ましい見た目をしている異形ばかり。人物や風景の絵なんかは素晴らしい物ばかりだからか、その落差が激しすぎる。乙女ゲームだと思ってあいつらが出てきたら、誰だって詐欺と思うに違いない。......よく倒産しなかったなぁ、あの会社。もっと炎上してもおかしくなかっただろうに。
それとあのゲームの魔族の名称は、どれもが漢字を当てれば見た目や生態をそのまんま表すものばかりだったりする。もう少し捻れただろうに、なぜそこだけ手を抜いたのか。流石にボスクラスはまともな名称だけど、ほとんどがふざけてるだろ開発、としか思えないものばかり。
......ルロズの変異種に当たる『フルロズ』とか。フの漢字?......ご想像にお任せします。よりグロテスクな見た目になると言えば、分かるでしょう?
......愚痴はともかく。そんな魔族なわけだけど、攻略に関わることでもあるので奴らに関しては私も良く覚えている。全部を思い出せるわけでは無いけど、その姿を見れば「ああ、こういう奴だったなぁ」って出てくるくらいには。......攻略キャラの恋愛模様?そんなの知らん、それは妹の担当。
そして、その知識と今読んでいる魔族に関する研究資料。これらを照らし合わせると、色々と面白い点が見えてくる。
まず、基本的な情報——見た目や名称、分布やその強さなんかに関しては概ね一緒かな。特に、中央大陸シューツにいる魔物はほぼ網羅されている。
ちなみに、中央大陸の内五分の二が魔族に支配されているとは言ったけど、人族の支配圏に魔族がいないわけでは無い。あくまで完全に魔族に掌握されていないだけで、魔族が入り込むのを完全には防げるわけでは無いから。
話を戻すと、魔族に関しての資料と私のゲーム知識とでは、共通部分もあるけれど齟齬もある。
例えば西の大陸の情報は資料にはほとんどない。これは魔族だけじゃなく、地形の変化なんかもそうだと思う。これは当然の事だけど。西、つまりは魔王の支配圏に関してはゲームでも中盤以降、そちらに行けるようになってから先の話。西の大陸に足すら踏み入れられてない今では、情報すらまったく存在しない。
他にも、ゲームと現実の差異となる部分とかかな。例えば、その魔物の倒し方とか。
例を上げるなら、ルロズが分かりやすいか。ゲームではアレを倒すのに攻撃手段は問わず、必要なのは過剰ダメージによる一撃。オーバーキル、つまりは本来のHP以上のダメージを喰らわせることで、再生を許さずに倒す。ちなみに、オーバーキルのダメージも一定値以上じゃないとそこから自爆を発動するので要注意。
だけど現実となったこの世界では、魔法をはじめとした遠距離攻撃で、跡形も無く消し飛ばすのが定石。物理手段では再生や自爆を防ぐのは不可能では無いけれど、難しいと言わざるを得ない。それに、近接ではどうやったって体や武器に異臭がこびり付いてしまう。そういった理由で、臭いが付かない遠くからの魔法が推奨されているという訳だ。
こんな風に、ゲームと現実とでは結構な差が生まれる。なので、ゲーム知識があったとしても色々と面白いし、勉強になる。
さて、とりあえず魔族に関しては一通り見たし、次に行こうかな。今まで読んでいた本を置き、今度は先程までアンシラが読んでいた歴史に関する書物を手に取る。ちなみに彼女が今読んでいるのは魔法に関する物だ。
......魔法については、正直書物でどうこう出来る問題じゃないと思うんだけどね。後、鬼人の種族特性にしても、ゲームでの私の事を思い返すとどこから手を付けたものか判断が付かない。
だからそっち方面に関しては、誰かしら講師を探すのがやっぱり一番なんだろうな。それでも知識だけでも身に着けておけば、無駄では無いだろうけど。
それよりも今はこっち。資料を手にそう頭を切り替えた時だった。
「......殿下、ご集中為されているところ、失礼致します」
ふと横から声を掛けられ、顔をそちらに向けると文官らしき男性が近くに来ていた。......私との間に、いつの間にかアンシラが立っていたけど。いや、何とか目では追えたけど音も衝撃も無く一瞬で移動してくるとは、流石。
文官らしい男性は急に現れた侍女にも驚くことなく、手に何かしらの資料を抱えたままその場に膝をついた。
「初めに、殿下のご快復にお喜び申し上げます。何日も臥せっておられていたと聞いておりましたが、こうしてお元気な姿を拝見出来ましたこと、臣下として嬉しい限りでございます」
「どうもありがとう。それと立ちなさい。そのままでは話辛いもの」
「......では、失礼致します」
ゆっくりと立ち上がる男性を見ながら、私は内心ではこの人を気に入っていた。現在皇帝の子——皇族の子供は私を含め五人いる。その中でも私は最も低い立場で、しかも唯一皇位継承権を持っていない。その私に対して礼を尽くしてくれているのだ、この文官は。
皇族に礼を尽くすのは当然、と思うかもしれないけど、意外とそうでもない。表向きはそうでも言葉の端々から色々と漏れている人だっているし、中には正面から悪意を隠さずぶつけてくる者だっている。立場の良くない私からすれば、特にそういうもの。......私だけかもしれないけど。
対してこの文官は、こんな私に対しても礼を忘れない。言葉だけじゃなく、その目にも侮蔑や軽視といった感情は見て取れない。それに本を変えたタイミングで声を掛けてきた辺り、こちらの事も考えてくれているのが分かる。
しかも、私が病気で臥せっていたこともしっかり把握している。いや、馬鹿なと思うかもしれないけど、本当にそれすら知らない人間だって居たっておかしくないから、私の場合は。なので、こちらからすればこういう人とは仲良くしておきたい。味方、とまでは言わなくても敵でない人が多いことに悪いことは無いし。
「それで、何か用かしら?」
この文官には見覚えがある。確か、私が蔵書室に来る前からいた筈。なら、ただ挨拶に来ただけでは無いだろう。そう考え問いかければ、文官は積まれた本へと目を向けた。
「いえ、読まれておられる書物が気になりまして。かなり難解な物もある様でしたので」
「......まぁ、疑問には思うわよね」
当然ながら、私が読んでいる本に疑念を抱いたようで。魔族の書物をじっくり読み始める前に一通りパラパラ捲っては見たけど、どれもこれもが五歳児が読めるとは思えない物ばかりだったしね。普通なら、読めるわけが無いと思うに決まっているから。
それでも読めないと決めつけないのは、あの司書さんが勧めた本だから。彼女が用意した以上、それを読んで、理解できると判断されたからだという事は、この蔵書室に通う人間にとっては常識だからね。
「あの司書からの勧めのようでしたので、問題は無いとは思われますが......。もし宜しければ、内容の解説など必要でしたらさせていただけたらと」
......なるほど。難しい内容だから、何か手伝えることは無いかと声を掛けた訳ね。なら答えは決まっている。
「そうね、ぜひお願いするわ」
「「え?」」
その答えが驚きだったのか、文官とアンシラが目を見開いた。
「......姫様、よろしいのですか?」
「ええ、もちろん」
アンシラは戸惑っているけど、むしろこっちからしたらありがたい話。善は急げ、私は机を整理し、彼が横に座れる状態にする。
「確認だけど、仕事は大丈夫かしら?流石にそちらの要件を無視してまでお願いするつもりは無いのだけど」
「は、はい。今日は休息日ですので。この資料も後で必要になる物であって急ぎのものではありませんから」
ならよし。流石に仕事に迷惑は掛けられないからね。
私が躊躇いもせず提案を呑んだことにまだついていけてないのか、困惑を隠しきれていない文官。だけど自分からした提案を反故にするつもりは無いのか、戸惑いつつも席に着いた。
「ああ、内容の説明についてはいらないわ」
私は本を歴史の物から地理に関して書かれた物へと変更しながらそう言うと、二人はまた困惑する。なので、私の意図をきちんと伝えないと。
「ここに書かれている内容で、私が疑問に思った点に答えて欲しいの。後は、あなたが追記するべき点があるならそれも聞きたいわ」
その言葉に納得しつつも、文官はまだ困った様子。ただ書かれているのを説明するのとでは訳が違うのだから、それもそうだろうけど。
「......よろしいのですか?私は文官とはいえ未だ下の位ですし、どこまでお役に立てるかどうか......」
「構わないわ。少しでも多く知られればいいだけだし、別に答えられなくとも咎めたりしないもの。貴方が分かる範囲でいいわ、駄目かしら?」
少しの間無言だった文官だけど、やがて上げた顔には決意が宿っていた。
「畏まりました。微力ながら殿下のお役に立てますよう、死力を尽くさせていただきます!」
「......そこまで気を張らなくてもいいわよ?」
いや、戦場に行くわけでも無いのに何その顔。そしてアンシラ。よろしい、というかのように頷くんじゃない。