侍女アンシラ
アンシラはゲームでも出てくる、フィアの専属侍女。孤立していた彼女——私の傍で唯一人、無暗に怖がったりすること無く最後まで仕え続けた忠義の篤い人物。
——いつの日か、私が死ぬ時まで、いや死んだ後でさえも。
原作においての中盤以降——つまりはフィアが死んだ後、彼女はとあるサブクエストを受けると姿を現す。ある路地に主人公たちを誘い込み、戦いを挑んでくるのだ。どうして姫様が死なねばならなかったのか、と。
無論彼女だって主人公が悪いわけでは無いと理解している。だが結果的に彼女は目の前で主人をみすみす毒殺され、その上復讐をしようにも犯人は主人公たちの手で捕らえられてしまった後。憎悪のやり場を失った彼女には、もうこれしか方法が無かった。......たとえそれがどれだけ間違っていることだと分かっていても。
戦闘後、敗北したアンシラは口に仕込んでいた毒で自害する。その毒は主が飲んだ物と同じもので、主人公たちの治療も間に合わずに彼女は主人の元に旅立っていく。胸糞悪い結末も多いサブクエストの中では、ムカつきよりも悲しさが勝る結果となるものだったから、何となくは覚えている。
このクエストでの報酬だった使用回数制限付きのあるアイテムで中々役に立つ物なのだけど、後にそれが彼女の遺品——フィアから貰った大事な贈り物だと分かった時にはふざけんなクソ開発と思ったものだ。
ちなみに、アンシラは汎用キャラのものとはいえ戦闘時にはボイスが付いていた。侍女には声があるのにお前は......、と死後も残念扱いされるフィアでした、まる。
後、何で乙女ゲームなのにサブクエストや戦闘とかいうワードが出てくるのかに関しては......、まあおいおいで。
とにかく、ゲームではそのクエスト以外ほとんど出てこないアンシラだけど、この頃からフィアに仕えていたとは知らなかった。ああいや、今の私は知っているんだけども。まだ記憶を思い出したばかりだからか、二つの記憶が混在していて少し混乱する。まあしばらくしたら落ち着くかな、たぶん。
「......何ですか、これ」
さて、そんなアンシラだけど、今は部屋の惨状に呆然としている。当然の反応だろう。どうやったら一週間熱出して寝込んでた姫がベッドに頭から突っ込むことになるのか、当の本人である私だって疑問だし。
だけど流石私の専属だけあって、すぐに正気に戻り私を引っ張り出すべく動き出す。彼女が専属になってからはまだ一年程だけど、その間にほぼ毎日のように大小はあれどこんな事が続けば慣れはするか。......原因である私が言うのもなんだけど、嫌な慣れだなぁ。
ぼんやりしている視界にようやくはっきりと彼女の姿が映るとともに、足を引っ張られて宙ぶらりん状態になる。主、しかも子供に対しては雑な扱いだけど、先程も言った通りこんな騒動はしょっちゅうだったので私も彼女ももう慣れたもの。むしろ病み上がりでも変わらない彼女の一種の遠慮の無さには記憶を取り戻す前ならともかく今の私は安心すら覚える。
「......なにをされておいでなのです、姫様?病み上がりには無茶が過ぎるようですが?」
「......ああ、アンシラ。おはよう」
敢えて今アンシラだと気付いたかのように返事をすれば、彼女は少し眉をひそめながらも私をそっと降ろしてくれる。
「おはようございます、姫様。体調は......これなら万全みたいですね?」
そう言いながら彼女が見るのは、見るも無残な姿に変貌した私のベッド。もはや家具というより薪と言った方がいいかも知れないその状態に、思わずため息が出る。
「ごめんなさい、そこの姿見に躓いちゃって。後で片づけを手配しておいて。何なら冬の薪の足しにしてもいいから」
「いや、流石にそれは......」
そんな風に答えるアンシラは何処か戸惑っているようにも見える。まあ、理由は分からなくもないけど。記憶を取り戻す前の私は口調自体はともかく口数はもっと少なかったし、こんなにハキハキ答えはしなかったから。
「姫様、何かございましたか?失礼かも知れませんが熱を出される前とどこか雰囲気が......」
さて、どう誤魔化したものかな。正直にいう訳にはいかないし、かといって前の状態を取り繕うつもりも無い。あんな状態演じるだけで疲れるし。
「......あれだけ寝れば、嫌な悪夢も見るわ。......本当に、嫌な悪夢をね。おかげで、このままじゃいけないと思ったのよ」
となれば、上手くぼやかしつつ伝えるしかない。まあ嘘は言っていない。記憶を思い出したことがある意味悪夢みたいなものだし、このままじゃ駄目だと思っているのも本当だし。
「...左様ですか。あそこまで臆病だった姫様がこんなにシャキッとされるとは、どうやら相当嫌な悪夢だったようですね。心中お察し致します」
「......あなたの方は相変わらずの毒舌、変わらないようで何よりだわ」
彼女のチクリと刺してくる嫌味にそう返せば、彼女は驚きに目を丸くする。普段は鉄面皮でほとんど表情の変わらないアンシラの表情がここまで変わるなんて珍しいものを見た。いや、それだけ私の変化が大きいのかもしれない。
「......とりあえず、この薪とかした寝台をどうにかしましょうか」
「ええ、よろしく」
彼女は何か言いたげにこちらを見るが、私が説明する気が無い事を悟ってか一先ず追求しないことにしたみたい。
......これは、私の変化に相当疑念を抱いているよね。まあ、ここまでの変化なのだから当然だけど。かといって、全てを説明することは出来ない。異世界の記憶なんて言われたって、眉唾物でしか無いし。
けれどこのまま誤魔化しのは難しいだろう。特に彼女の場合、家族以上に共にいる時間が長くなる。どこかで一度アンシラとじっくり話をする時間を設けないとかな。それまでに、どこまで話すべきかも決めておかないと。
ベッドを処分するための手配を済ませた後、私はアンシラに手伝って貰いながら支度を整えている。昔の記憶がある以上流石に一人で着替えるのはわけ無いのだけど、彼女はそれを許してくれない。
いや分かるんだけどね?貴族の女性が侍女に着替えを手伝って貰うのは普通だってことは。だけどなんか、向こうの知識があるせいか少し気恥ずかしい。......まあ結局のところ、慣れるしか無いのだけど。
「そういえば姫様、先程の事なのですが。どうして私を親の敵とばかりに睨まれたのです?」
髪を櫛で梳かしながら、アンシラがふと疑問を口にする。
「あの時?」
「私がベッドから姫様を野菜の様に引っこ抜いた時です」
「ああ、あれ」
なんて惚けるけど、最初からいつの事かは分かっている。その時に彼女を睨んだのだって、その後少し遅れて返事したのだって、全ては私の違和感に気付いて貰うための行動だったんだから。もし通じなかったらどうしようかと思ったけど、伝わってくれて良かったと胸の内でガッツポーズを取る。
そして何気なく答えるように、私は最後の布石を打つ。
「だって、ああやって目を細めないと顔が見えないんだからしょうがないじゃない?」
「......はい?いや、え?」
私の答えが予想外だったのか、アンシラがぱちぱちと目を瞬かせる。そうしながら徐々に私の言葉が含む本当の意味に気が付いたのか、顔が段々と険しくなっていく。......どうやら、気付いてくれたみたい。
「......いつからですか?その、目を細めないと良く見えないのは?」
「いつって、いつもだけど?」
内心で話が続いたことに安堵しながら、彼女の問いに答えていく。あくまで自分の状態がおかしいのだと気付いていないかのように演技しながら。
すると何事かをブツブツ呟いたアンシラは髪を梳く手を止め、櫛を置いてから少し離れたところにある本棚に近づいていく。その内の一冊を手に取り、その場で留まったまま私に見せてくる。
「......この本のタイトル、見えますか?」
「......わからないわ」
うん、まったく見えない。元々本の数は多くないし装丁等から想像はつくけど、それじゃ意味ないし。なので素直に答えると、今度は少し近く——1mくらい離れたところで止まって見せてくるけど、ごめん、見えない。少し顔を顰めながら彼女は再び近寄ってきて、50cmくらいのところで再び止まる。そこならまぁ、目を細めればようやく見えるくらいかな。
そう伝えれば、彼女はわなわなと肩を震わせると、急にガシッと私の事を抱え上げた。
「どうして言わなかったんですか、姫様!ああいえ、答えは結構です。姫様からすればそれが普通なのですから、気付けと言うのが無理な話。これは我々の落ち度です。いや、ともかくまずはこれを......!」
「えっと、アンシラ?っておわぁっ!?」
もはや独り言、というか私の言葉すらまったく届いていないようで。ブツブツと口から言葉を漏らしながら、部屋の扉を蹴破るような勢いで開き、廊下を高速で進んでいく。無論私は抱えたままで。しかも走っているような速さにも関わらず動きは歩いている者のそれで、その上最初の急発進以外は私に一切揺れを感じさせないのは流石と言うべきか。
......うん、惚けたふりは一応しているけど、こうなるのも分からなくはない。どうして誰も気付かなかったのか、本当に疑問だし。いや、私主観だと主に私が悪いのだけど。
そのまま廊下を進むうちに、とある扉が見えてくる。それを見た瞬間、顔がさぁっと青くなるのを自覚する。
「......待ってアンシラ、まさかあそこの部屋じゃないわよね?ねえ、アンシラ、ちょっとっ!?」
駄目だ止まらない。一縷の望みを掛けてそっと彼女の目を見るけど、明らかにあの部屋をロックオンしてる。マズい、あそこはマズい。いや、別に中にいる人が嫌いとか敵とかそういうわけじゃないけど、あそこにこの勢いのまま突っ込むのはマズい。
せめて降ろしてほしいのだけど、どういう訳か私の体は万力に締め上げられたように動かない。力を入れようにも今の状態じゃ彼女の腕をへし折らないか心配だし。
だけど、あそこはマズい。だってあそこ、——皇帝の執務室!
「アンシラストップストップッ!?」
私は必死に静止を掛けるが、彼女の耳には届かない。ならば、と私は部屋の扉の方に目を向ける。執務室の前にいる護衛の兵士たちも流石に近寄ってくる私達に気付いてはいる。彼らが止めてくれることに一縷の望みを掛けるしかない。
「おい、そこの侍女。止まれ......」
兵士は忠実に仕事を果たすべく、私達を止めようとする。......のだけど。
『ギンッ!』
「ひぃっ!?」
アンシラの気迫に呑まれて一瞬で左右に避けてしまう。おい、仕事して!?ああいや、私を抱えているから大丈夫とか思ったのかも?でももう少し頑張ってほしかったなぁ!?
彼女の足は止まらず、何とそのまま執務室の扉を蹴り飛ばした。『ドガァァァァン!!』ともの凄い音と共に扉が思いっきり開き、見張りの兵士たちは信じられない光景にあんぐりと口を開けている。うん、こうなるから止めて欲しかったんだけど!?
でもその思いが届く前に彼らは私の視界から消える。何故なら、アンシラがそのまま部屋に入ったから。
部屋の中にいたのは二人だけだった。奥の執務机の前で何かしらの資料を手に報告を続けていた老人——帝国の現宰相様は突如部屋に現れた乱入者に何事かと凝視してくる。......胸に手を当てている辺り、相当心臓に悪かったに違いない。本当にすみません、でも私にはどうしようも無いんです!?
対してもう一人、執務机にて仕事をしていた金髪の男はそんな様子はおくびにも見せない。それに少し驚きつつも当然かと思い直す。何せその男こそがこの国の頂点である現皇帝陛下——ガイゼン・オル・ヴァクラなのだから。...ああ、私の父親でもあるんだった。
「......急に押し入ってきて一体何の」
そう口を開きかける皇帝。明らかに機嫌は悪そうで冷や汗が止まらない、のだけど。
「——陛下に、ご報告しなければならないことがありまして参りましたっ!」
その皇帝の言葉を遮るこっちの怖いもの知らずの侍女の方がよっぽど恐ろしいです。ああ、皇帝の眉間の皺がさらに深くっ!
だけどアンシラはそんな皇帝を気にすることなく、その事実を宣言した。
「姫様は、——ド近眼にございますっ!」
次回は明日12月24日更新予定になります。