——生きたいから
「お前は分かるまい。知識として知ってはいても、——あれが、どれほどの厄災であるのかを」
アウレスは、私の部屋でゆっくりと語りだす。今まで内に秘めていた想いを、吐き出すかのように。
「魔王——お前が言う分体は、かつてないほどに強敵だった。それでも多くの犠牲を払い、魔族の領域にようやく手が届いたのだ。彼らに報いる為にも、魔族を打ち倒すためにも、俺たちは文字通り命を懸け、奴に挑んだ」
過去を語るアウレスの目は、こちらを見ていなかった。彼の眼に映るのは、思い起こされるかつての死闘、その一部始終なのだろう。
「......今にして思えば、奇跡だった。討伐隊の精鋭部隊は全員ボロボロだったが、死者は一人もいなかった。命を削り、全てを掛け、俺たちは魔王を打ち倒した。......そう、思い込んでいた」
直後に、地獄に堕とされたがな。そう呟きながら、彼は自虐的に見える笑みを浮かべた。
「アレを目にした瞬間、誰もが分かってしまった。——これは、駄目だと」
アウレスがゆっくりと、手を掲げる。顔の前まで持ち上がったその手は、微かに震えていた。......数百年前にたった一度目撃しただけの、絶望を思い出して。
「怪物、......いや、そんな言葉じゃ生ぬるい。理解が追い付かない、次元の違う存在としか、言い表しようがない。......ああ、お前の話は確かに正しい。そう、まさにアレは神、——悍ましい、邪神というべき存在だ」
彼の口から、酷く乾いたような嘲笑が零れる。貼り付けたみたい笑みには、諦観が浮かんでいた。
「誰もが即座に、撤退を選択した。それ以外に、俺たちに出来ることなど、何一つなかった。——諦めたのさ、こんな存在に、敵う訳がないとな」
アウレスが、私へと視線を向けた。それは先程までとはまるで違う瞳をしていた。感情の抜けた、死んだような瞳を。
......死人。そうとしか言い表しようがないほどに、今の彼は、酷く弱々しくみえる姿をしていた。
「それから四百年。あれから誰一人として、奴の元に辿り着けた者はいない。それどころか災禍という怪物が現れたせいで、クシェナ大陸にすら足を踏み入れられないのが、現状だ。......なのに、お前は何と言った?」
その顔に、侮蔑が浮かぶ。何も知らないくせにと、愚者と見下すように。
「——戦場に立ったこともない者が、見知っただけの知識程度で、アレを語るな。何もできない奴が大言壮語を吐く姿は、滑稽でしかないぞ」
その言葉に、アンシラが顔を僅かに紅潮させ、立ち上がりかける。けれど私の顔を見て、何とか言葉を飲み込んで、止まってくれた。
私は、彼の言葉をただ静かに聞いて、反芻していた。
......アウレスの言葉に、間違いは無い。
確かに、私は戦いを知らない。知識だけ言えば、この世界の誰よりも良く、魔王や災禍を含む魔族の情報は知っている。その力がいかに強大なのかも、十分に理解しているつもりだ。
けれど、実際に身を以てそれを経験していない以上、所詮は机上の空論でしかない。ゲームと現実は、全く違う。私は魔物の脅威を知らないし、魔王の真体と相対する絶望を、理解できない。
「——だから、なんなのですか?」
——そんなの、関係ない。知ったことか。
「......なんだと?」
私の答えに、アウレスが眉を顰める。その横でアンシラも、目をまん丸に見開いていた。
二人の反応に、私は思わず内心で首を傾げる。だって、そんなの端から分かり切っている。前世の記憶を思い出したあの時から、ずっと。
滅びが近いに転生し、何の因果か残念皇女となって。あの日高熱を出して、全てを思い出した日から、体験したこと全て、経験したことの無いことばかりだった。
けど、そんなのある意味当たり前。人生とは、未知の連続で。先の分からない道を、歩いていくことを言うのだから。
「確かに、私は魔族と相対したことは無いです。ましてやあの果てに眠る存在がどれほどのものか、理解も出来ません」
けれど同時に、私しか知らないこともある。このままいけば遠からず、世界は滅びる。それはこの世界に生きる他の誰よりも、私が一番分かっている。
「訪れる結末を知っていながら、何もしない阿呆に、私はなれません。終焉を黙って受け入れるなど、絶対にごめんこうむります」
それに私に何も分かっていないというけれど、それを言うならアウレスだって知らないだろう。魔王や災禍の生態も、そしてこれから現れる新たな厄災も、そしてそれらに対処できるかもしれない、手段についても。
ゲーム知識、舐められたら困る。画面越しとは、こっちはそれら全てと戦い、勝っている。何度も失敗して、検証して、やり直して。本来なら出来ない、ゲームだからこそ出来る、何回も繰り返すという方法で。
「可能性が僅かでもあるなら、私は諦めません。知っていて何もしない道化よりも、無謀でも、地を這ってでも、可能性を追いすがる愚者を、私は選びます」
とっくに、その意志は固まっている。前世を思い出してからの数日間の出来事が、それを不変の想いに変えた。
誰に何を言われようと、私の意志は変わらない。
......それに、諦めが悪いのは私に限った話じゃないしね。
「閣下だって、そうではありませんか?」
「......なに?」
アウレスの眉間に皺がよる。ほんと、極悪人顔だけど、私は不思議と怖くなかった。だってこの人が誰よりも諦めが悪く、そして誰よりも尊敬すべき方だと、知っているから。
「先程の話には、嘘があります。魔王の真体を前に、精鋭部隊の誰もが絶望し、戦いを放棄した。——あなたを除いて、ですが」
「ッ————」
アウレスが息を呑む。何故それを知っていると言わんばかりに、目尻が裂けそうなほどに見開かれた瞳に、思わず苦笑を漏らす。この人のこんな顔、見ることが出来るなんて思っても見なかった。
彼の驚きも当然だろう。そのことは、かつての精鋭部隊以外、誰一人として知りえない話。そのほとんどは四百年の歳月で亡くなり、今それを知るのは彼を含め、ほんの数人しかいないはず。
ゲームという枠外の情報を知る、私という例外以外は。
「閣下は、蛮勇にも奴に挑んだ。己が全てを掛けて、誰一人手を貸さなくても、退こうとはされなかった」
——しかし、奴には通じなかった。最強の魔法使いにして精霊使いであるアウレスを以てしても、魔王の真体には傷一つつけられなかった。
ただ、これは仕方が無かった。何故なら、彼には《奇跡》が欠けていた。魔王——神に刃を届かせるには、鍵がいる。過去現代未来、人類でたった一人のみ持つことを許された、聖なる力が。
そして、無謀にも挑んだ代償は、大きなものだった。
「魔王は、反撃することはありませんでした。それでもその身から発する桁違いに濃密な瘴気によって、契約していた大精霊の内二人が亡くなり、一人は恐れを為して閣下の元から逃げ出してしまった。四人の大精霊、その四分の三を失ったあなたは、退かざるを得なかった」
「......そこまで、知っていたとはな」
私の知識に、アウレスは呆れとも感心ともとれる溜息をつく。まさか、そこまで知られているとは思ってなかったのだろう。......閣下、ゲームでめちゃくちゃ重要なキャラだから、そこら辺の事も結構語られているんだよね。
——エルフの《言霊》には、簡単に言えば二種の効果が存在する。その地に定着する精霊から力を借りる方法と、精霊と契約を交わし、常に力を借りる方法の二つが。
もちろん、契約には一時的に力を借りるよりも制約が大きく、払う代価も重い。けれどその恩恵は計り知れないものとなる。
アウレスは中でも、大精霊と呼ばれる精霊の中でも上位の者、それも四人と契約を交わしていた。それも、彼が人類最強と呼ばれる理由の一端だった。
——あの日、魔王の真体と戦うまでは。
「結果、討伐部隊は魔王を討てずに撤退。やがて災禍の出現したことで、大陸に足を踏み入れることすら、不可能になってしまった」
——けど、アウレスはそれから四百年、ただの一度も諦めていない。
「閣下は、それでも力を磨き続け、魔王に勝つ方法をひたすらに探り続けた。魔塔が出来たのも、その一環です。あなたはこの四百年間、ただひたすらに可能性を追い求められた」
魔塔の活動目的は二つ。一つは各種族の特性を研究し、より発展させる手段を模索し、後世に知識を残すこと。
それは人類全体の力を底上げする為であり、同時に彼自身もより強くなるためでもあった。事実、アウレスはあれから新たに大精霊と契約を交わしてはいない。
だが、——四百年前よりも、今の方がずっと強い。
「それと同時に、敵の研究も怠りはしなかった。魔族を調べ、記録を残し、......いずれは魔王に刃を届かせ方法を、見つけだすつもりだった」
魔塔のもう一つの役割は、魔族の研究。未知の敵を調べ、奴らに有効な手立てを確立する。流石に神格などの事実を知らない以上、魔王に通用する手段は生み出されなかったものの、その研究は決して無駄ではなかった。なにせ、災禍の一体——現在唯一成功した怪物の討伐に、大きく貢献したのだから。
......それに、さっき私を見下した、いや見下した演技をしたとき。その奥に宿るものを、私には見逃さなかった。
力無いような言葉にも、乾いたような嘲笑にも、貼り付けたみたいな笑みにも、死んだような目にも、弱々しく見える姿にも。
——隠しきれぬ戦意が、滾っていた。
「閣下の歩まれた道こそ、まさに無謀そのものでしょう。かつてあの真体を目にした者達も、呆れたに違いありません。......それでも、閣下は結果を残された。その先達を知っている私が、諦めるとでも?」
「......一つ、聞かせろ」
私の決意を黙って聞いていたアウレスが、ゆっくりと口を開く。その眼はじっと私を捉え、離さない。さっきみたいに重圧を感じはしない、けれどどこまでも真剣な目つきで。
「お前は、知ってはいるはずだ。身を以て感じてはいなくても、奴らの脅威がいかなるものかを。......おそらく、この世界よりの誰よりも。——ならば何故、お前は戦おうと思える?」
それは、ある意味当然の疑問だろう。普通なら、そんな怪物と戦うという発想すら思いつかない。加えて私は皇族という、人を使う立場に生まれた。まぁ庶子だから強大な権力を有してはいないけど、それでも身分だけはこの世界でもとても高い。
わざわざ戦場に出る必要はないし、危険に自ら飛び込むなんて正気の沙汰ではない。むしろ身分を生かして、女神の神託として情報を伝えるだけでも十分貢献できる。そういう手段を取ることも、いくらだって出来る。
——なのに何故、わざわざ死地に向かおうとするのか?
誰もがきっと、そう思うのだろう。けど、私の答えは決まっている。
「——死にたくないからです」
「............あぁ?」
アウレスの口から、呆けた声が漏れた。横にいるアンシラも普段の無表情が崩れ、ポカンと口を開いている。
......まぁ、そんな反応になるのも無理はないけど。死にたくないのに自分から戦場に行くなんて、矛盾しているもの。
——けど、私が戦う理由は最初から変わらない。
「私は、転生という前代未聞な経験をしています。......だから、知っているんです。——死が、何よりも恐ろしいことを」
そう、死はこの世のなによりも、最も恐ろしい。
今もなお魂の奥底で燻る、前世への後悔。一度死んだからこそ、誰よりも分かっている、生きていることの素晴らしさと、それへの渇望。そして再び死を迎え、また同じことを繰り返すことへの、恐怖。
......私は、英雄なんかじゃない。世界の為に、国の為に、民の為に。そんな高尚な理由じゃ、私は戦えない。私が戦うのは、もっと自分勝手な、利己的な理由があるからだ。
「このままじゃ、数十年もしないで世界は奴に滅ぼされます。折角得た二度目の人生を、そんなことで終わらせるなんて、到底受け入れられません」
だから、私は戦う。万に一つもない、微かな可能性を掴み、生きるために、全力を尽くす。誰かに任せて、未来を願うなんて、まっぴらごめん。そんな人任せにして、結局世界が滅びてしまったら、死んでも死にきれない。
「——私は、生きたい。死にたくない。だから戦うのです」
それが、私の根源。一度死を経験したからこそ、私は誰よりも、この生に執着するのだ。
「———————」
部屋に、沈黙が下りる。しばらく、誰一人として、口を開こうとしなかった。
アンシラは驚きながらも、どこか納得した表情をしている。どうせ、私らしい答えだとでも思っているんだろう、口の端に僅かな笑みが浮かんでいる。
......そしてアウレスは、黙り込んでいた。口に片手を当て、軽く俯いたまま、動かない。しばらくして、その肩が軽く揺れ始め、段々と全身に伝わっていく。
突如、その顔がガバッと跳ね上がる。その顔には、満面の笑みが浮かんでいる。今まで見たことないくらい高揚した、......人相のせいでひどく凶悪に見える、獣を彷彿とさせる獰猛な笑みが。
思わず体をビクッと振るわせてしまうが、アウレスはそんなことを気にしたそぶりも見せず、続いて高らかな哄笑が響かせる。
「——クハッ、クハハハッ!!クハハハハハハハッ!!!いいな、いいぞお前!!ここまでぶっ飛んだ奴は、初めて見たっ!!いやぁ、愉快愉快っ!!クハハハハハハッ!!!」
私とアンシラは、思わず絶句してしまう。あまりの豹変ぶりに、ついていけない。
......というか、この人こんなに笑う人だったの!?こんなの、ゲームで一度も見た事無いんだけど!それに、笑っている原因、私なの!?おかしなこと言っている自覚はあるけど、そこまで笑う普通!?
あと、顔が怖すぎる!笑い方も相まって、どこからどう見ても悪役にしか見えないんだけど!?
言いたいことが幾つも思い浮かぶけど、流石に直接ここで言う訳もいかず、収まるのを黙って待つしかなかった。
しばらくして、ようやくアウレスは笑うのを止める。......口元はまだ、愉快気に歪んでいたけど。
「なるほど、良く分かった。お前の戦う理由も、その決意の固さも。——俺とお前の目的が、一致することも」
「—————ッ!?」
私は思わず息を呑む。それはあまりに予想外の言葉で、けれど何よりも嬉しい誤算だったから。
今の言葉が彼の本心なら、もしかしたら協力を得ることが出来るかもしれない。世界最強というこれ以上ない人が、魔王討伐の為に力を貸してくれるなら、これ以上に頼もしいことは無い。
——そんな私の淡い期待は、予想もしてなかった形で叶うことになる。
アウレスがファージャケットの内ポケットから何かを取り出し、私に向かって放り投げてきた。それを両手でキャッチして、ゆっくり手を開く。
そこにあったのは、銀色のペンダントだった。チェーン部分はシンプルな形状だが、非常に軽いわりにとても頑丈な手触りをしている。ペンダントトップは星の形状に象られ、中心に紫紺の宝石が埋め込まれている。
......明らかに高価じゃない、これ。しかもこの金属素材、もしかしてミスリル?つい思いっきり掴んだのに一切歪まない金属なんて、この色合いだと他に知らないんだけど。
で、これは何?ゲームでこんなもの、見たことないんだけど?
渡された物に戸惑う私の様子に、当のアウレスも軽く首を傾げた。
「ん?まさか、知らないのか?......ということは、お前が知る限り、俺は弟子を取ってはいないのか」
——全身がビシッと硬直する。......今、何と言った、この人は。
言葉の意味を徐々に理解するにつれ、顔がだんだんと引き攣っていくのが自分でも分かる。錆びついた機械のようにゆっくりと顔を動かすと、視界に極悪な笑みを浮かべたアウレスが映る。いつの間にか部屋の扉前に移動しており、首だけをこちらに向けていた。
「今から、ガイゼンに話を通してくる。本来より五年早いが、まぁ問題あるまい」
扉を開けながら口にしたその言葉に、先程の記憶が蘇る。——彼が帝国にやってきた、その理由が。
アウレスはこちらを見ながら、にやりと口角を上げる。
「これから長い付き合いになるな——我が弟子よ?」
それだけ言って、彼は部屋から出ていった。
「「——————」」
扉がバタン、としまった後。しばらく私もアンシラも、動くことが出来なかった。ただ茫然と、私の手元に残るペンダントに、視線を向けていた。
これがどういう意味を持つ証か、もう分かっている。それがどれだけ私にとって恩恵を与えてくれ、——同時に多くの敵を増やしかねないことも。
私はすぅ、と息を吸う。それを見たアンシラがバッと耳を抑えた。
......ああ、確かに、ありがたい話だ。これ以上にない、最高の協力関係。......けれど、それがこれから齎すだろう難題を前に、せめて文句の一つくらいは言わせてほしい。
『————この、クソ師匠がぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!』
——既に解除されていた結界に阻まれることなく、私の怒声は帝城に響き渡ったのだった。




