紡がれた糸
魔王の真体。それを知っている者であれば、誰しも一度はこの疑問を抱くだろう。
「——閣下はおかしいと思いませんでしたか?閣下も目にした魔王の真体、アレが何故、表に出てこないのかを」
「......いや、確かにおかしいとは思ったが」
そう、奴は紛れも無く怪物中の怪物。仮に今あれが外に出てきて、眷属である怪物や魔族を一斉に引き連れて進行してくれば、今の人類に為すすべはない。
なのに、それをしない理由は、一体何なのか。
こちらの無駄な抵抗を見物し、嘲笑っているのか。配下の存在だけで十分だと、高を括っているのか。
確かにそういう一面もあるのかも知れない。けれど、それにはもっと明確な理由が一つ、存在する。
——出てこないのではなく、出てこれないのだと。
「それにはまず前提として、魔王の正体について話さないといけませんね」
「......奴の正体、だと?異界からの侵略者、というだけではないのか?」
私の言葉に、アウレスの眉がピクリと動いた。確かに彼の言うように、魔族とは異界からの侵略者に他ならない。けれど、それだけでは足りない。
異なる世界に侵略できる程の力を持つ存在。それが一体何なのか、その答えは決まっている。
私は端的に、その正体を口にする。
「......異世界からの侵略者、魔王とその配下の魔族。——奴の正体は、異なる世界に座する神格とその眷属。つまり、魔王は女神と同格の存在——神に他なりません」
「「————!?!?」」
アウレスとアンシラが、息を呑んだ。二人の目が大きく見開かれ、予想もしていなかった事実に呆然と口を開いていた。魔族という、世界の侵略者。それの首魁が、神だと言うのだから。
「......あれが。あんな醜悪な、悍ましい存在が、......神、だと?」
特に、その姿を実際に見ているアウレスからすれば、受け入れられないだろう。地の奥底に座するあの怪物が、まさか女神と同じ、至高の存在であるとは。
「......そうです。考えてもみてください」
けど、それは捉え方の問題。見方を変えれば、事実ははっきりと見えてくる。
「閣下も感じた筈です。彼の者が宿す力を、別格の存在感を。——そんなモノ、正に魔族の神だと、そうとしか呼べないのではないのですか?」
「————」
アウレスの瞳が、再び大きく見開かれる。ただし、彼の表情は驚愕を宿しつつも、合点がいったという納得も読み取る事が出来た。
「......異なる世界がいくつも存在するなら、その在り様も変わる。そして奴らの世界では、あの悍ましい姿こそ、普通の姿、ということか」
「ええ、その通りです」
流石、理解が早くて助かる。対して、話についていけていないらしく、アンシラが恐る恐るといった感じで手を上げた。
「......申し訳ありません、私にはよく分からないのですが。何故、異なる世界の神がこの世界にいて、侵略をする必要があるのでしょう?」
「——決まっているだろう」
彼女の当然の疑問に答えたのは、私では無かった。アウレスは、険しい表情をしながら口を開く。自身にも、その事実を言い聞かせるように。
「異なる世界があるのなら、無論神の在り方も違うのだと予測がつく。世界を積極的に導こうとする神や、ただ見守ろうとする神。......そして、他の世界を侵略しようとする神も、中にはいるのだとしたら?」
「っ!?それは、まさか......」
アウレスが何を言いたいのかを察したアンシラは、絶句する。そしてアウレスが自身の予測を確かめるかのように、私に視線を向けてきた。
私はそれにゆっくりと頷いてから、答えを口にした。
「魔王——あれこそは他の世界を侵略し、喰らう事を目的とする邪悪なる神格。そして、魔族とはそれを為すための、彼の存在の眷属にして尖兵なのです」
その答えに、場が静寂に包まれる。異なる世界とは言え、神そのものを敵に回しているという事実に、二人共言葉を失っていた。
しばらくして、アウレスがゆっくりと口を開いた。
「......何故神がこの世界を侵そうとするのか、と言うのは野暮な話か」
「そうですね。先程も言った通り、魔王の目的は世界を喰らう事。目的、というより存在意義とでも言うべきでしょうか。そういう神格なのだと、理解するしか無いのです」
世界の在り方が多々あるように、神もその在り方は千差万別。そして魔王にとって、世界を喰らう事こそは当然のことでしかなく、それに深い理由や目的などない。
ゆえに、交渉の余地など端から存在しない。これは喰うか喰われるか、ようはそういう話だ。
「......女神は、何故それを許しているのでしょうか?神託を与えては下さっても、どうして魔族の侵攻から、我々をお守り下さらないのでしょう?」
そこで、アンシラが再び疑問を口にする。まぁ、彼女がそう思ってしまうのも当然の事。神という上位存在、そんなものの相手を出来るのは、同格の神を置いて他にいるわけがない。
けれど現状、魔族による侵攻はここ四百年、絶えず続いている。侵略は徐々に進み、人々の生存権は削られ続けている。
実際、ゲームの頃にも、女神は我らを見放した、と言っている民衆まで現れていた。プレイヤーも、そこに疑問を持つ人はいたっけ。
「違うわよ、アンシラ。女神は何もしていないわけでは無いわ」
けれど、それは間違い。女神は、世界を見捨ててなどいない。むしろ彼女が全力を尽くしているからこそ、世界はまだ存続していると言っても、過言ではない。
「先程、女神と魔王を同格の存在と言ったわね。けれど、それは神という格が並ぶだけで、その力まで同じというわけでは無いのよ。......そして、魔族という強大な眷属を有する神が、弱いわけないでしょう?」
「!?それって......」
私の言いたいことが分かったのか、アンシラの眼が大きく見開かれた。どうやら、気づいたようね。
異界からの侵略者、魔王。奴の力が——女神すら上回っていることに。
なら何故、この世界が未だ存続しているのか。その理由は、たった一つしかない。
「......女神は、魔王を食い止めておられる、ということか。この四百年間、ずっと」
アウレスの言う通り。女神の尽力があるからこそ、この世界はまだ保っている。
女神は自身の力のほぼ全てと、自身の眷属も総動員して、魔王を押しとどめている。自身が見守る世界を、護り通すために。たとえ力が及ばなくても、決して諦めることなく。
神託しか下さないんじゃない、他に全力を注いでいるから、かろうじて神託を下すことしか出来ないだけ。そこまで全てを振り絞っているから、力が劣っていても、四百年もの間、この世界は続いてきた。
——けれど、それも永遠には続かない。
「先程も言ったように、女神に魔王を封じきることはできませんでした。魔王の眷属は女神の枷を逃れ、徐々に世界を蝕んでいます」
そして世界への浸蝕は、女神の力を弱らせ、魔王がその封印を破る鍵となる。だからこそ魔王は、眷属を利用して、この世界を侵略している。
そして魔王が解き放たれれば、私達に為すすべはない。
「——女神の力は、あと数十年も持ちません。遠くない未来、魔王は完全に解き放たれる。そうなれば、この世界は全て、奴に喰われることになります」
グランド√以外ではハッピーエンドにならなかったのは、これが最大の理由。ヒロインが攻略対象と結ばれても、魔王を討てなかった。そして、女神の枷から解き放たれた魔族の神が顕現し、世界は終焉を迎える。
それが、私が魔王を討つと決めた訳。私自身の未来を変えても、滅びの結末を変えない限り、未来は残されていないのだから。
「「............」」
私の話を聞き終えた二人はしばらく黙り込んでいた。あまりに衝撃的な話を、何とか飲み込もうとしているのだろう。
しばらくして、顔を青くしたアンシラが、ゆっくりと口を開く。
「......相手は、女神すら上回る神、なのですよね?それを、人の手で討てるのですか?」
彼女の疑問はもっとも。神という上位存在など、人の手でどうにかなるとは想像もつかない話だろう。
かつての最高戦力達すら、見ただけで心が折れてしまったほどの存在に、勝ち目などあるのかと。
「——勝機は、あるわ。ほんの僅か、砂漠の中から一粒の砂金を探すような、万に一つというのもおこがましいほどの、微かな勝算が」
そう、その可能性は決してゼロじゃない。女神の力が健在である限り、魔王の力は封じられ、弱体化している。その間であれば、人の力が奴に届く、僅かな可能性がある。
もちろん、これだけでは奴を討つには足りない。
必要なのは、かつての魔王討伐部隊を上回るほどの、最精鋭の戦力。
......なにより、この時代には鍵がいる。魔王にその刃を届かせるために絶対不可欠な、過去にも未来にもたった一人しか現れない、奇跡の存在。
——世界を救う、唯一無二の聖乙女が。
そして、彼女が間に合ったのも、また奇跡。
「それにこれも、閣下方の尽力によって、繋がれた僅かな希望の糸ですから」
「......なんだと?」
アウレスが、眉尻を寄せながら首を傾げる。そう、彼は知りもしないだろう。彼らの功績が無ければ、世界がとうに滅んでいたことを。
「先程、魔王の分体を、表で指揮を執る役目を持つ、と言いました。それは間違いではありません。あれは真体が女神に封じられている状況で、表で動くための端末です」
けれど、あれの真の役目は他にある。もっとも重要な、大事な役目が。
世界を浸蝕することで、魔王は女神の枷を破ろうとしている。
浸蝕の手段は、実に単純。眷属を使い、土地を奪い、瘴気で満たす。簒奪者に相応しい、力に任せたやり方で、まさに今魔族が取っている手段に他ならない。
災禍と呼ばれる強力な眷属であれば、その存在だけで、浸蝕を進める危険性を持つ。
——なら、それ以上の存在なら、どうなるでしょう?
その答えに辿り着いたアウレスの眼が、限界まで見開かれた。
「......まさか、あれの真の役割は」
「——ええ、その通りです。あれは、奴の要。浸蝕をより進める、楔だったのです」
分体とは言っても、あれは異界の神の一部。強さ自体は災禍と同格か、それに一歩及ばない程度。けれど、その存在の格は、災禍とは比べ物にならないほど、真体に近しい。ただそこに存在するだけで、眷属よりもはるかに浸蝕を進行させる、核物質とでも言うべきほどに。
あれがもし侵略当時から残り続けていれば、当にこの世界は滅んでいた。......その、はずだった。
「閣下方が分体を倒したことで、浸蝕速度は一時的ではありますが、大きく低下したのです。魔族の神にとって、分身そのものは生み出すことなどわけないでしょう。でも奴の一部である以上、眷属よりも遥かに女神の枷の影響を受けるため、おいそれとは送り込めません」
ゲームの設定では、浸蝕を遅らせることが出来たのは、数十年程度らしい。人にとっては長く感じる時間ではあっても、神や世界の視点からすれば、僅かな延命でしかない。
けれど、その数十年が希望を繋いだ。だって、その数十年が無ければ、間に合わなかったから。
魔王を討てる可能性を持つ才に溢れた世代、何より鍵となる聖乙女の誕生する前に、世界は終焉を告げていた、そのはずだったのだ。
——紡がれた人の想いが、滅びゆく世界の命運を繋いだのだ。
私は、まっすぐにアウレスを見据える。厳つい顔をした、マフィアのボスさながらの風格を持つ、極悪人にか見えない——けれど、誰よりも魔族の侵略に抗い、尽力し続けてきた、偉大なる先人を。
「四百年前、閣下方の行われた遠征は、決して無駄ではありません。分体の討伐は、何よりも意義のあるものだったのです」
そう、目の前に座るこの人がいなければ、既に世界は滅びていた。その功績は、誰にも否定できない。アウレス自身にも、絶対に。
部屋が静寂で満たされる。アウレスは眉間に皺をよせ、視線を少し下に向けた状態で黙り込んでいた。
その様子を、私もアンシラも無言で見つめる。考え込む閣下の様相に声を掛けることも出来ず、彼が何かを発するまで待つことしか出来なかった。
やがて、ゆっくりとアウレスの顔が持ち上がり、私を鋭い眼光が射抜く。——先ほどよりも遥かに濃密な、重圧を伴って。
「グッ!?」
「姫ッ、さ、まっ......!?」
思わず体を寝台に崩しそうになるのを、必死に耐える。アンシラも同様の圧を受けているけど、それでも私の身を案じて支えようとしてくれる。
その行動に内心で感謝しつつ、私は片手で彼女の動きを制する。目を見開く彼女を視界の端に入れつつ、私は顔を正面へと向ける。この重圧の主である、アウレスの方へと。
「......なるほど、お前の話のおおよそは理解した。魔族と元凶たる神の存在、そしてそれを討てる可能性が、今にも切れそうな糸程度ではあれど、残っていることも。荒唐無稽にも思えるが、真と思わせるものがお前の話にはあり、俺の経験と合わせて考えれば辻褄も合う。恐らく、嘘は無いのだろう」
ひとまず、私の話を信じてはくれたらしい。だが、と彼は続ける。
「——本当に、アレを殺せると思っているのか?」
その声は、とても重く、なのにひどく力無いように聞こえた。




