主と従者、その始まり
アンシラ・ミトゥスがその神託を授かったのは三年前、彼女が十五歳の時だった。
——どこか見知らぬ豪勢な場、その広間の中央で崩れ落ちる、口から血を流し、命が尽きようとしている一人の少女。
覚えていたのはたったそれだけではあったが、目を覚ました彼女はそれが〈神託〉であると直感していた。夢の内容から、倒れた女性が誰なのかはすぐに判明した。というより、該当する人物は一人しか思いつかなかった。白髪に一房の金髪、黒の双角を持つ少女。それが今はまだ幼きフィアであるという事は、想像に難くなかった。
彼女はこれを自身の父に報告したが、父はそれを夢だと断じられて真剣に取り合って貰えなかった。他の一族も同様であり、彼女の訴えが通ることは無かった。
だが、アンシラはそれを何としても上に伝える必要があると考え、あまりに大胆な行動を起こす。なんと、皇帝であるガイゼンへと直訴するという暴挙に打って出たのだ。その行動は一族の中で大変問題視され、アンシラを処分すべきだという声すら上がったほどであった。
それに待ったをかけたのは、他でもない皇帝ガイゼン。アンシラからの報告を受けた彼は、唯一人それを夢とは断じなかった。彼女から詳しい話を聞いた彼は、それがフィアを狙った暗殺であると推測した。彼の末子は特に狙われる理由が多かったことも、彼女の話を信じる理由であった。
そしてガイゼンは、とある決断を下した。
——神託を受けたアンシラを、例外的にフィアの侍女に付ける事を。
代々皇族に仕えるミトゥスの一族だが、正しく言うなら彼らは〈皇帝の守護者〉である。帝国の頂点に立つ者のみを護る、まさに皇帝の影。
彼らが護るのは皇族でも一握り、つまり現皇帝と第一皇位継承者の二人のみ。しかも彼らは表立って仕えることは通常なく、仮にそうなった場合はよほどの事態が起きた時のみ。そもそもミトゥスの一族の事を知る者すら、帝国上層部ですらほんの一部しかいないのだが。
ゆえに皇位継承権を持たないフィアに本来ミトゥスの者が仕えることはあり得ないのだが、ガイゼンは〈神託〉を重く見て、皇妃達にすら内密にしたまま事を決行した。アンシラの素性を隠し、フィアの侍女として仕えさせたのだ。
そうしてアンシラはミトゥスの民でありながら、初めて影では無く光の世界で仕える者となった。
その際、彼はアンシラにあることを告げた。フィアが若くして死ぬかも知れない自身の運命を受け入れられる時が来たなら、そしてなにより彼女自身がフィアに真に忠誠を誓うと決断したのならば、〈緋色の枷〉を使う事を許可する、と。
「——これが、私が姫様にお仕えすることになった理由です」
そうして語られたアンシラの事情に、私は納得が行っていることがあった。
なるほど、ゲームで枷が使われなかった理由は理解した。確かに記憶が戻る前の私では、とてもではないけど自分の死なんて受け入れられるはずもないからね。
そして同時に、あることに気が付いた。アンシラが私に疑念を抱いていた理由、その切っ掛けについても。
「神託を受けたことがあるなら、私の話のおかしさにも気付くわよね......」
「ええ、姫様の話は濁していたとは言え、一部だけでも具体的な話が多かったものでしたから」
私の夢とアンシラの神託を比べれば、物が違うのは一目瞭然。真実味を帯びさせるために第四の災禍についても話したわけだけど、それこそが神託であるという事に疑念を抱くきっかけとなった訳だ。
だけど、それなら何故彼女は今枷を結んだのか、私には理解が出来なかった。彼女に何も語らなかった私に、どうして忠誠を誓おうと思ったのか、と。
そんな疑問を察してか、アンシラは口を開いた。
「まずは、姫様からの信を得る為ですね。枷を持つ者は、主に嘘を言えなくなりますから。それだけで、私の言葉に疑う余地は無くなりますので」
「っ!?そんなのっ!?」
思わず声を荒げかける。緋色の枷は、その程度の理由で使っていい代物なんかじゃない。つい感情に任せて怒鳴りそうになるけど、そんな私をアンシラは静かに見つめていた。その目を見て、決してそれだけが理由では無いだろうと判断し、何とか自分を鎮める。
私が息を整え、話を聞く姿勢を整える。そうして私が落ち着いたのを確認してから、彼女は一礼をして話を続ける。
「そしてここ数日の様子で、確信いたしました。——姫様は前線に出るどころか、ご自身の手で魔王を討つ、その覚悟すらしているのではないか。ご自身では気付いておられるかは分かりませんが、そうとしか思えないような焦りを、時折見せて居られましたから」
「......ええ、私も今回の一件で自覚したわ」
ああいう風に暴走したことで、私は初めて、自分でも思っても見なかった程気負い過ぎていることに気付いた。そして、その理由も分かっている。
私が知るゲームでの未来——大団円に辿り着く道はあまりに険しく、それでいて時間が無さすぎる。そのことが、私が無意識の内に焦る原因となっていた。
それは、一番近くで見ていたアンシラからすれば一目瞭然だったに違いない。
「姫様が目指されている未来は、あまりに遠く、険しいもの。それでもなお貴方が目指すと、そうおっしゃるのであれば。——私が力に為らないわけが無いではありませんか」
彼女は、それを当然のことのように口にする。まるでそれが常識であるかのように、何の気負いもなく。
「......どうして、そこまで」
私にはどうしても、その理由が分からなかった。だって私は、決していい主では無い。臆病で、怖がりで、従者にすら怯えていたような人物なのだから。
「いいえ、それは違うのです」
だけど私の言葉を、アンシラは否定する。彼女が私に向ける忠誠は、当然の物であるのだと。
——ミトゥスの一族は、皇帝の守護者にして影。それだけの為に人生を掛ける者達であり、それ以外の生き方など考える事すらしない。命に従い、身を捧げる。そこに彼ら自身の意志が介在することは無い。
「ある意味、人が操ることでしか動けない、人形のような一族とも言えるのでしょう。だからこそ、その枠から外れた行動は、決して許されるものではありません」
まさに、アンシラの行動がそれに当たる。皇帝に直訴するなど、歴代の守護者達からすればあり得ない行いとしか言えなかった。皇帝の言があったからこそこうして生きているが、そうでなければ命は無かったに違いない、と。
それでも、彼女はその夢を無視できなかった。あの場で崩れ落ちる私の姿を、無かったことには出来なかったのだという。
「そして、私の人生は大きく変わることになりました。他でもない、姫様のお陰で」
「私の、お陰?」
私には、そう言われても心当たりが無い。だって私は言った通り、臆病な性格だった。仕え始めてくれた当初は声を掛ける事すら満足に出来なかったし、会話すら途切れ途切れなものばかり。皇族として、あまりに情けない姿だったに違いない。
そう口にすれば、アンシラは苦笑する。
「確かにそうかもしれませんね。恐れながら、姫様は皇族や貴族としては立派とは言えませんでした。たかが侍女程度に怯えていたのですから」
「うっ......」
自分から言っておきながら痛い点を突かれ、思わず言葉を濁す。そんな私に対し、アンシラはだからこそなのだと、そう告げる。
「......それでも、姫様。あなたは、私を人として扱ってくれたのです」
「?何を言って......」
思わず首を傾げる私だけど、すぐにその意図を理解する。
——ミトゥスの一族は、人形である。
その言葉の、真意と共に。
「先程も申し上げた通り、ミトゥスの一族は人形として育てられます。人ではなく、道具として。歴代仕えてきた皇族だけでなく、守護者の任を通して接する数少ない貴族達も、そして他でもない我ら一族自身も、誰にとっても我らは等しく、道具です。現陛下のように人として見る者などほとんど居らず、仮にいたとしても人形であるという意識は消えることはありません」
だけど、そこに例外が現れる。幼い故に、その事実を唯一人知らなかった私。そんな私にとって、仕えてくれる侍女は紛れも無く、人であった。
そして、そんな人物に仕え続ける事になったアンシラもまた、道具のままでは無くなっていった。
「ここ数年、毎日のように傍にお仕えし続けてきました。姫様は確かに怯えを見せてはいましたが、それでも私を人として扱い続けてくださいました。......そうして数年も過ごせば、人形とて人となるのです」
そう言われて記憶を辿れば、心当たりはある。一番初めに出会った頃は、何があっても眉一つ動かすことは無く、声の抑揚すら変わりはしなかった。その生気のない、生き物らしくない様相には中々慣れることが出来なかった。
思い返せば、アンシラがそのような血の通っていないかのような振る舞いだったからこそ、最初の頃は怖がっていた覚えも無くはない。
......だけど、今はどうだろう。かつての名残か未だ鉄面皮ではあるけど、時折感情が零れるし、慌てて叫ぶ時もある。呆れて溜息を吐くときもしばしば、表向きは変わらない遠慮の無い言葉にも、相手を想う気遣いを感じる。
確かに、今のアンシラは最初とは比べ物にならないくらい感情豊かで、温かみを宿していて、実に人らしい。
毎日共に過ごしていたからか、そんな事にも私は全く気付いていなかった。常に傍にいたからこそ、その変化を意識すらしていなかった。初めは些細な、しかし数年の内に積み重なって、大きくなっていった違いを見逃していた。
私との日々によって、アンシラはこんなにも変わっていたことに。
その事に驚く私を見て、彼女は少しおかしそうに笑う。
「——姫様は、私を人形という枠から解き放ち、人に変えてくださりました。そしてそれだけで、生涯お仕えする理由は十分過ぎるのです」
「あ......」
そこで、ようやく理解する。彼女が使った〈緋色の枷〉。それは歴代のミトゥスが使ってきたものとは、まるで違うことに。本来のそれは、忠誠にして隷属の証。彼女以外の者達が使う枷は、人形が操り糸を渡す行為に過ぎない。
だが彼女のそれは、真の忠誠を捧げる行為。心から私を想うからこそ、その鎖を私に託したのだと。生涯を掛けて、私と共にあろうとしてくれているのだと。
——ゲームのあるサブクエストで、アンシラと戦う話には裏がある。主人公たちに襲い掛かる彼女だが、それは彼らが彼女の計画の障害となると判断したから。——とある貴族達を襲撃する、という計画の。
その貴族達とはフィアが生前中、散々彼女を見下し、貶めてきた者達。そしてその死後もなお、皇族の恥と公言し、辱め続けていた。そんな者達に対し、アンシラは抑えようの無い憎悪を抱き、彼らに報復する計画を立てていたのだ。
結局その計画は主人公達に察知されたことで失敗に終わる。そして投降を勧められるが、アンシラはそれを拒否する。何故なら、彼女は主人公の事も憎んでいたから。主人公が悪いわけでは無いと分かってはいても、その身が狙われていなければ、私が毒を飲むことも無かったのに、と。
どうしようもない憎悪を、彼女はあらゆる方面に向けていた、いやそうする事しか出来なくなっていたのだ。
直後アンシラはフィアの死因と同じ毒を口にし、自害する。必死に解毒しようとし、だが間に合わない主人公に、微かに安堵しながら。これで間に合うなら、何故主を助けてくれなかったのかと、もっと恨んでいただろう、と。
そうしてアンシラは、命を落とす。最後まで、私の事を想いながら。
......ああ、やっと分かった。ゲームでは分かり切れなかった、アンシラの忠義。その根源が、何なのかを。彼女にとって、私がどういう存在であるのか。
「——姫様」
アンシラは片膝をついたまま、私をじっと見つめてくる。
「姫様の進まんとする道行きがいかに過酷なものか、今の私には理解しきれるものでは無いのでしょう。......ですから、どうか共に背負わせては頂けませんか?私に、後ろを歩く権利を頂けないでしょうか?」
「......アンシラ」
その言葉に、私はある風景を思い出していた。
——魔王や災厄共と相対する、主人公の姿。それは決して一人では無く、常に仲間と共にあったことを。
......ああ、全く。どうやら、ゲームでの感覚が抜けきっていなかったらしい。コントローラーを一人で握っていたあの頃とは、訳が違うというのに。
いくら未来の情報があっても、一人じゃ無理に決まっている。主人公たちだって、多くの協力を経てようやく辿り着いた結末だ。というか、そもそもゲームの頃も妹と一種にやっていたんだから。
——人一人で出来る事なんてたかが知れている、そんな単純な事すら忘れていたのだから。
「......後ろを歩く必要は無いわ」
ぼそりと私が告げた一言に、アンシラは顔を曇らせる。そんな彼女に対し、私は思わず苦笑を零した。
「——共に背負うと言うなら、後ろじゃなくて横を歩いて欲しいのだけど?」
「っ!姫......、様」
ぱぁっ、と顔を明るくするアンシラ。その目から涙を一筋零すと、彼女は深々と頭を下げた。
「——畏まりました。生涯を掛けて、我が身は姫様と共に」
———こうして私とアンシラは、ようやく本当の意味で、主従になれたのだった。
「————で、だ。いい加減、俺も話を聞きたいんだが?」
「っ!?」
突如、扉の外から男の声が響く。その声に思わず身構える私だけど、アンシラがそっとそれを制する。
「問題ありません。この方は、信頼できる人ですから。姫様の暴走を止めてくださったのも、この方なのですよ」
アンシラのその一言に、一先ずは警戒を解くことに。対応するべく扉へと向かう彼女の背を見ながら、声の主が誰なのかを想像する。
......あの暴走を抑えられる人物なんて、そういただろうか?それにあの声、よくよく思い返すとどこかで聞き覚えがあるような気もするんだけど。ゲームで知っているのだと思うのだが......。
そう考えている内に、扉が開かれ、一人の人物が部屋の中に入ってくる。
「邪魔するぞ」
「っとそうでした。姫様、この方は......」
皇族の部屋に気負い一つなく入ってきた客人。そんな人物が何者なのか、先に説明しておくべきだったと焦りを見せるアンシラ。
——けど、その姿を見た私は思わず息を呑んでいた。それが、あまりに予想外過ぎる人物だったから。
膝程まである、長い丈の漆黒のファージャケット。口に咥えた、群青の煙管。齢は外見だけからだと、凡そ四十代と言ったところか。鈍色の髪と顎髭に、紫紺の瞳、特徴的な少しだけ尖った耳。
まるでマフィアのボスにも見える男だが、彼が何者なのかを私は知っている。
体を起こし、痛む体に鞭打って礼を示す。アンシラが慌ててそれを止めようとしてくるけど、彼に礼を尽くさないなどあり得ない。対して男性は、そんな私を興味深そうに見つめてきた。
——そう、目の前にいる彼こそは、至高の存在。
「——お初にお目に掛かります。偉大なる魔塔の主よ」
——アウレス・ナーゼ。最高の魔法師かつ精霊使い。紛れもない、人族最強がそこにいた。




