皇帝と宰相
「——ミストレル、報告を」
「はい、陛下。まずは......」
夜も更けた頃。皇帝ガイゼンは、自身の執務室で宰相ミストレルからの報告を受けていた。既に遅い時間ではあるが、帝国という大国を指揮する彼の仕事は多忙。しかも彼が帝位を継いだのは、魔族の侵攻でジュヨーク地方が堕ちた後、まさに激動の時代。先代までの皇帝たちとは、比べ物にならない激務をこなす日々を送っていた。
数日の徹夜はザラ、休みの日などここ数年はほとんど存在しない。ブラック企業顔負けの仕事量だが、彼の鍛え上げた体がそれを可能としていた。対魔族の最前線に出陣していたのは、決してお飾りなどでは無い。
そうして報告を聞いていたガイゼンだったが、ある話に入った際にその眉を僅かに顰めた。
「......続きまして、例の者の処分になります」
ここ数日帝城で話題の人物——彼の末娘フィアに関する騒動の報告だったからだ。
以前から、フィアは帝城でも度々話題に上がる人物ではあった。
曰く、鬼人の血を引く皇族の庶子。純人ですらない、混ざり者。誰にも怯え、侍女の影に隠れる小心者。
そんな陰口がそこかしこで聞こえていた。ガイゼンはフィアの事も他の子達同様に愛しているし、彼の忠臣達が彼女を貶めるようなことは無い。
だが皇妃と第一側妃を中心とした、純人至高主義を掲げる貴族達やそれに影響された仕官の一部は、フィアとその母の存在を認めていない。そしてその一派の権力は決して弱いものでは無い。仮にも帝国を支えてきた者達なのだ、いくら皇帝である彼でも、決して無視することは出来ない勢力を有している。
フィアの皇位継承権などがまさにそうだろう。本来なら、幾ら政略結婚とはいえ彼女にだけ継承権が与えられないなどという事は無い。だが貴族達の反発により、与える事が出来なかったのだ。彼らからすれば、純人でない血を引く者が自分達の上に立つことなど、到底認められなかった為に。
ガイゼンは渋々その要求を呑むしか無かった。仮にこれを認めなかった時に、フィアや鬼哭衆に対して貴族達が何を仕出かすか分かったものでは無かったからだ。それと、第二側妃——フィアの母親が継承権に拘りはしなかったことも理由の一つだった。
だが結果として、皇帝が貴族達の意見を聞いた事が、彼らの行動を増長させる事になってしまった。フィアに対する風当たりは日々増していくこととなっていった。
彼もただ黙って見ていた訳ではなかったが、皇妃達は習わしなどを盾として聞く耳を持たなかい。だが、彼とてそろそろ我慢の限界が来ていた。これ以上悪化する前に、フィアを皇族とは関係無い地に避難させる事も検討していたのだ。
......実際、ゲームの設定ではフィアは幼い頃に一時帝城を離れていた事となっている。その後、魔族の侵攻が激しくなり、彼女の安全という面から、そして貴族達も内部政治どころでは無くなった事も重なって、数年で城に戻ることになったのだが。
——だが、ここ一週間ほどで状況が大きく変化した。フィアが病に掛かり、快復してからまるで別人のようになったことで。
極めつけは先日、蔵書室での騒動だろう。皇妃が寄越した講師に臆することなく毅然とした態度で相対し、皇族として恥じない姿を見せつけた。講師の人となりの悪さも加わって、フィアの株は急上昇する結果となった。
そして例の講師——レモラには、処罰が下される事となった。
「レモラ・フーリスは講師を解任。フィア殿下に対する暴言、恐喝、虚偽の講義を始めとした行動により投獄することとなりました」
「......皇妃も流石に見捨てたか」
「ええ、初めは無かったことにされようとしていました。ですがこの度の顛末を聞き、流石に庇いきれないとお考えになられたようです」
「だろうな。公の場であれほどの愚行を晒した者を庇えば、あやつの権威にも関わるからな」
むしろ始めは庇おうとしていたという事に、ガイゼンは呆れざるを得なかった。恐らくレモラ程に向いた人材は早々いないからだろうが、だとしても問題を起こした者を庇おうとすることに彼は頭が痛くなる。
「......そこまで、認められないか」
ガイゼンはそう疑問を吐きながらも、一方で彼らの事を完全には否定出来ないでいた。
皇妃達が抱く感情は、元はと言えば彼自身にも原因がある。彼女達を無碍に扱ったことは一度も無かったが、同時にフィアの母程の愛を向けたことは無いことも彼は自覚していた。なので、ある意味では彼自身も原因の一つではある。彼女達だけを責めるのは違うだろう、と。
貴族達の純人至上主義も、その大元となった思想には納得の行く部分もある。永い時を経て随分と歪んでしまいはしたが、その始まりは決して貴族達の傲慢から生まれたものでは無かったのだから。
......だからと言って、それを子供に対してぶつける事には到底理解出来ないが。
「......それにしても、随分とお変わりになられましたな、殿下は」
臣下の言葉に、ガイゼンは同意を示すように頷く。
宰相の言う通り、フィアの変貌ぶりはガイゼンからしても驚かざるを得ないものだった。皇妃達を刺激してしまうと考え敢えて会う回数を減らしていたので、彼が娘と顔を合わせるのは多くても月一度ほど。最後に会ったのも、娘が病に掛かる二カ月前の事だった。
だがその二ヶ月で、フィアは目覚ましい成長を遂げていた。外見には変化は無い。いくら成長期の子供とは言え、二ヶ月で劇的に変わることは早々ない。
だがその所作や立ち振る舞いは、とても五歳児とは思えないもの。今までの気弱さは鳴りを潜め、目に強い意志を宿し、皇族に相応しいだけの立ち振る舞いを見せた。
——そう、まるで別人かのように。
「......なに、変わろうと、あの子はあの子だ」
それでも、ガイゼンは感じ取っていた。初めに視線を向けた際に、その瞳の奥底に潜んでいた怯え。抱え上げた時に一瞬震えた体。フィア自身が自覚していたのかは分からないが、まるで変わった所作の中に、以前と変わらない点があることに。
彼の直感が——帝国皇帝としての勘が告げていた。いくら変わろうと、この子は自身の娘であるフィアだと。決して得体のしれない別人では無いのだと。
......それと同時に、以前よりも彼に懐いてくれるようになったことに、顔に出さずとも悶えてはいたのだが。抱えている間、途中から安心したかのように無意識に体を預け、彼の顔をじっと覗き込んできた時には、あまりの可愛さに顔がにやけるのを必死に我慢していた。
最後の言葉など、あまりの威力に彼は吐血しかけたほどだった。無論他の子も同様に愛おしいのだが、今までとのギャップもあってか、余計にその破壊力が凄まじかったのだ。何とか父としての威厳を保てたことに、彼は内心で安堵していた。
......実際はフィアに気付かれていたのだが、幸いガイゼンがそれに気付くことは無かった。
「ですが、いささか危うく思えますな......」
宰相が漏らした言葉に、ガイゼンは思考の海から引き戻されながら、眉を少し顰めた。主の無言の問いに対し、ミストレルは彼自身が抱いた疑念を口に出す。
「殿下が授かられました、女神の神託。〈滅び〉がもうそこまで迫っており、それを防ぐために我々がより力をつけなくてはいけない。これは事実なのでしょう」
フィアが受けたという神託の話を、帝国政府は妄言と切り捨てることはしなかった。侍女から聞いた限りでは、それが真実である可能性が高いと判断されたし、何よりフィアの周りでは前例があったから。
故に、現在帝国では軍備拡張により力を入れる態勢を整えつつある。元より魔族に対抗するために戦力を上げることは当然の事でもあったのだが。
宰相が気になっていたのは神託を受けたという事では無く、それからのフィアの変化に関してだった。侍女の報告などから、彼女が自身をただ鍛えようとしているのでは無くその先に——自身も前線で魔族と戦う事を目的としているように思えたのだ。
「こう言っては何ですが、殿下がわざわざ前線にご出陣なさる意味は無いかと。ですが、今の殿下は何かに駆り立てられるかのご様子。神託の内容が衝撃的だったのは分かりますが、それでも影響を受け過ぎではないのかと......」
神託を受けてからのフィアに、宰相はどこか鬼気迫るものすら感じていた。帝国の皇族という特殊な立場を加味しても、五歳児としては異常。まるで何かに取りつかれたようにすら感じるその様子に、彼は危ういと感じていた。
だからこそ、早いうちに対策を取るべきでは無いかと、そう考えていた。
「......いや、それは違うだろう」
だが、ガイゼンの考えは少し違った。確かにフィアの行動には異様な雰囲気を感じてはいた。それがこの先の成長に、良くない事になりかねない可能性を秘めている事も無論理解している。
しかし、彼はそれが単に神託の影響を受けたものだとは思っていなかった。
「恐らくだが、フィアが受けた神託はあれだけではない。各国の戦力を増強し、魔族の侵攻に対抗する、——きっとそれだけでは足りないという事なのだろう。自身すらも戦場に出なければ、足りないと思うほどに」
娘が全てを話していない事を、ガイゼンは見抜いていた。そしてその内容は、神託を受けた事を告げてもなお軽々と口に出来ない、——限りなく最悪のものである事にも。
そして彼は、その内容の全てとは言わずとも、一部は予想がついていた。
——出来るだけ早くに魔王を討つ、そうしなければ取り返しのつかない事態となる、と。
「......ただ軍を増強するだけでは、足りないか」
だからこそ、フィアが何を目指し、求めているのかも彼は見抜いていた。
——軍だけではない。何よりも必要なのは、一騎当千の猛者なのだと。
「......向こうから挙げられていた例の事業ですが、進捗を前倒しさせた方が良さそうですね?」
「そうだな、これまで以上に支援にもより力をいれる。急ぎで頼んだぞ」
宰相も、ガイゼンの言葉からその推測に辿り着く。そして、ちょうど西で持ち上がっている、打ってつけの計画をより進める方向に二人は話を進める。今後最も必要となるであろう、本来であればまだ設立されないはずのそれの事を。
そうして今後の動きについて確認を取りながらも、再び話題はフィアの事へと戻る。
「......だが確かに、あの子をこのままにしておくのも良くは無いか」
先程宰相の懸念がしていた点に関しては、ガイゼンも同意見だった。今のフィアからにじみ出でいる危うさは、このままにしておいて良いものでは無いことは確か。なればこそ、彼女にストップをかけるべきは大人の仕事、......なのだが。
「あの子は、色々と特殊な子だ。それを上手く導くことが出来る人物、となると随分と限られるな......」
「その上殿下の場合、前講師の一件もありますから......」
問題は、フィアをより良い方向に導ける人材がいない事にあった。
まずはその立場。皇族にして鬼人族の血を引く彼女は、望まなくとも敵が多い。彼女を教えるという事は、下手すれば講師自身も敵を増やすことになってしまいかねない。純血至高主義の貴族達や皇妃達を敵に回しても問題無い者など、早々いやしない。
加えて、今まで散々な扱いを受けてきたフィアに、その講師を信頼できるかという問題もある。前任者があまりにも酷いため、よほどの人物でなければそれが講師との間に信頼関係を築くことの妨げにならないとも限らないのだ。
さらに、フィアの場合はその血のせいで能力も特殊なものであると予想できる。そうなると、講師には相当の腕前が求められることとなる。
一番の問題は、皇族の子の教育は皇妃に一任するという習わしだろう。それを黙らせられるだけの何かが無ければ、例え適した講師がいたとしても、フィアに付けることが出来ないのだから。レモラのような非常識な者が講師を出来ていたのも、元はと言えばその習わしのせいともいえるだろう。
人格、実力、地位。それを兼ね備えた者など、簡単に見つかるわけが無い。
ガイゼン自身が講師となる手もあるが、彼自身皇帝として日々多忙である為それは不可能だ。それに、例の習わしの事もある。最悪、ガイゼンが贔屓していると取られて、よりフィアに敵意が向く状況にもなりかねない。
「......いや、彼がいたか」
そうしてしばらく思案していたガイゼンは、ある人物の事を思い出した。誰よりも優れ、皇妃達など歯牙にもかけない、これ以上ない程に最適といえる、打ってつけの者を。
遅れて宰相も同じ人物に思い至るが、その顔は曇ったままだ。
「あの方、ですか。確かに適任ではありますが、受けて貰える可能性は低いのではないでしょうか?なにせ、あの方は......」
彼が言葉を濁すのも無理は無い。なにせその人物は、ここ百年以上誰一人として弟子に取っていない事で有名なのだから。数多の者達から教えを希われ、それでも誰一人として彼の目に敵う者はいなかった。どんなに才能に溢れていても、高い地位についていても関係ない。大国である帝国の皇族であろうと関係ない。
——彼の琴線に触れる何か、それが無い者に、彼が何かを教えることは決してないのだ。
渋い顔をする宰相だが、ガイゼンは乗り気であった。
「ちょうどいい機会だ。少し時期は早いが、上の子達のついでに見てもらうとしよう」
「......そういえば、そろそろでしたか」
なにせ今、その人物は帝都に来ている。代々、皇族の者は十歳を迎える年にかの者に面する事となっており、今年はガイゼンの長男、つまりは帝国第一皇子の番となっていた。
折角来ているのだからこれを逃す手はない、というのが彼の考えだった。宰相の言う通りに可能性が無いに等しいとしても、試さない理由にはならない。
何より、ガイゼンの直感が再び告げていた。
「或いは、あの子ならば......」
——あの方の、目に敵う事もあるかもしれない、と。




