皇女が嫌われる訳
「......なので、ジュヨーク地方に関してはこの書物だと少し情報が古いですね。まあ、これもすぐに古い情報になるでしょうが」
「あの辺りは魔族の侵攻を受けている最前線だものね、状況が変わるのも当然という事かしら」
「......なるほど、勉強になります」
あれから二時間ほど経つが、文官による書物解説は実に順調に進んでいた。いやぁ、この文官の男性——ベニタスの話は実に分かりやすい。見た目からして二十代前半位だろうけど、そうとは思えないくらいに優秀だこの人。
質問にも的確に答えてくれるし、補足の説明も上手いもの。初めは警戒していただろうアンシラですら、今は話に聞き入っているくらいだ。
それにしても、やっぱり十年の差は大きい。特に地理、それも最前線に関しては私が知るそれとは大きく変わっている。正しくは、これから未来の情報に変わるわけだけど。
普通なら十年で変わるわけが無いと思うかも知れないけど、魔族が暴れる地ではそんな常識は通じない。個体によっては単体で地形を変える奴だっているくらいだしね。
「それならこちらの資料も参考に......」
「あれと合わせてみても......」
「なるほど、それなら......」
......そして、何故か人数が増えている。いや、初めは私達の様子をチラチラ見ていただけだったんだけどね。ベニタスの様子が気になったのか声を掛けてきて、そこから話に加わって。その内人が増えてきて、気付いたら十人以上の大所帯になっていた。
もはや私の手伝いじゃなくて、全員での勉強会に近い形になっている。私とは関係なく話している人達もいるくらいだ。
まあ不満は無いどころか、むしろこっちからすればありがたいくらいだけど。彼らは各々が務める部署も違う者達。故にそれぞれ持つ情報も、物事を見る視点も違う訳で、そんな彼らから話を聞くだけでも勉強になる事ばかり。ゲームで知っていた事でも、別の側面からだとそういう事情があったのか、と為になる話を聞けることもある。
本来の仕事は大丈夫なのか心配ではあるのだけど、皆問題は無いらしい。念の為に確認を取ったし、皇族だろうと気にしなくていいとは伝えたんだけど、むしろぜひ参加したいと言われる始末。
......中には、わざわざ上司に許可を得てまで参加している者だっているけど、そこまでしなくていいと思うよ私?
後、声量は控えめに、周りに迷惑は掛からないように。人が増え始めた時点で司書さんには確認を取り、構わないと許可を得てはいる。けど騒がしくしていいわけでは無いから、静かにね。下手すれば問答無用で蔵書室から叩きだされるからね、マジで。
それは皆分かっているからか、全員が周囲への気配りは忘れていない。この蔵書室をよく使う者達である彼らだ、彼女の正体を知る訳では無いとしても、ただ者では無いことは分かっているのだろう。
......でも、それを知らない者もいる訳で。
「——殿下、何をしているのですかっ!」
勉強会が進む中、突如として蔵書室に金切り声が響く。誰もがその声の方へと顔を向ける中、私は体が固まったのを自覚した。正面にいるアンシラも、普段の鉄面皮が一瞬とはいえ嫌悪で歪んだのが見えた。
恐る恐る声のした方に視線を向ければ、こちらへズカズカ歩み寄ってくる女性が視界に入る。齢は三十代、の筈なんだけど顔立ちや体形、化粧の濃さや雰囲気からだと四十代にも見える。私に向ける視線に好意の色は無く、嫌悪や侮蔑の感情がありありと見て取れる。
「......レモラ」
私がぼそりとその名を呟くと共に、レモラ——その女性の顔が悪意に歪んだ。
——現ヴァクラ帝国皇帝、ガイゼン・オル・ヴァクラには三人の妃がいる。第一皇子と第三皇子の母でもある正室の皇妃様、攻略対象でもある第二皇子と第一皇女の母である第一側妃様、そして私のお母様である第二側妃の三人が。
その中でも、第二側妃のお母様はその立場が他のお二方とは色々と異なる。
元々お母様は、〈鬼哭衆〉と呼ばれる鬼人族の集団に属している。正確に言うならそこの頭領の娘なので、属しているどころかトップに当たるのだけど。
知っての通り、鬼人族は身体能力が高い。その戦闘能力、特に近接戦闘力は非常に高く、対魔族の前線でも活躍している者は多い。鬼哭衆は、その中でも最も強いと言われている鬼人族の傭兵団だ。
そんな傭兵出身のお母様が帝国皇帝のお父様の側室になったのか、——その理由は、政略結婚。
鬼哭衆がかつて拠点としていた里は、中央大陸シューツの西方・ジュヨークと呼ばれる地方にあった。魔族の支配する西の大陸クシェナからの侵攻を食い止めてきた、重要な拠点の一つ——だった。
その当時、ジュヨーク地方はまだ人族の地であり、迫りくる魔族と敵対しながら一進一退の攻防を繰り広げてきた。およそ三百年以上なんとか保たれてきた均衡、それが崩れたのは、数十年前。
——ある怪物の登場により、ジュヨーク地方の大半は僅か数年で魔族の手に堕ちた。
ジュヨークに住まう者達は、大陸東部に逃げるしか道が無かった。鬼哭衆も同様で、里を放棄するしか手段が残されていなかった。
そのまま怪物による蹂躙を許していたら、今頃人族は滅びていただろう。だが、人々はそこで諦めはしなかった。シューツ大陸中央とジュヨークを隔てる地に築かれた防衛拠点・ミム要塞に当時かき集められるだけの戦力を集結させ、怪物の討伐作戦を決行した。
結果、時間は掛かったものの十数年前に人族は怪物の討伐に成功。だけどそれに払った犠牲は甚大で、人族の戦力そのものは大幅に落ちる事となった。ジュヨークを取り戻すことも出来ない程に。
鬼哭衆は怪物討伐の最前線に立っていたこともあり、なかでも特に被害が甚大だった。所属する者達の半数以上が帰らぬ人となり、優秀な戦士を幾人も喪う結果となった。
そして彼らにとってもう一つの大きな問題、それは故郷を失い帰る地が無い事。ただし、これは彼らだけの問題では無く、ジュヨークからの避難民全員に言えることだったのだけど。
色々とあり頼る相手も無く途方もくれていた鬼哭衆、そんな彼らに声を掛けたのがヴァクラ帝国——当時はまだ帝位を継いでいなかったガイゼン皇太子、つまりはお父様だった。
帝国も、先の討伐戦で戦力を失っていた。それを補えるほどの戦力、それとより強い兵を育てる手立てとして、お父様は鬼哭衆に目を付けた。鬼哭衆に帰る場所と身分の保証を与え、対価として帝国の戦力として前線に立ち、帝国軍を育てる為に従力してもらう。それが、鬼哭衆に対しお父様が持ち掛けた提案だった。
鬼哭衆はそれを承諾。彼らは帝国傘下の戦闘部隊として、ヴァクラ帝国の最高戦力として属することになった。そして、その締結の証としてお母様はお父様の側室となった。
ここで上がる別の問題、それは純人族の一部で広がる「純人至高主義」。要は、一部の純人族による他人族を見下すような言動が見られる行為だ。特に貴族に見られがちなのだけど、お母様に対してもそれは同様に向けられることになる。
皇妃様や第一側室様もその内の一人で、彼女らはお母様のことを蛇蝎の如く嫌っている。そして二人の子供、つまりは腹違いの兄弟姉妹達も同様で、ほとんどがその考えを受け継いでいる。
......まあ、これだけが理由じゃないだろうけど。
ゲーム知識になるのだけど、あるサブクエストで皇帝の手記を目にする機会がある。それを見る限り、三人の妃は全員が政略結婚なのだけど、実のところお母様だけはそれだけじゃないみたいだった。どうやら例の怪物討伐戦で出会っていたらしく、そこで接するうちに惚れていたらしい描写が記されていた。鬼哭衆の勧誘にも、そういう目的があったらしい。
つまり、お父様にとってお母様は特別な存在だった訳だ。とはいえ、他の妃様の事を嫌っている訳でもないし、子供たちの事も平等に大事にしているように見える。私に対して過保護に見えるかもだけど、他の兄弟姉妹に対しても似たような感じなのはゲームで知っているし。
ただ、それとこれとは別。皇妃様や第一側室様からすれば、下に見ているお母様が特別視されている現状は我慢ならないに違いない。別にお父様もそれを表に出してはいないのだろうけど、女の勘と嫉妬は、決して侮れるものじゃないからね。
という訳でお母様——そして私は皇族の中ではめちゃくちゃ嫌われている。特に皇妃様と第一側妃様の二人には。
そしてその二人のせいで、この城での私やお母様の立場は悪い。使用人達には避ける者も多く、陰口を広める者も少なくない。お父様が私を嫌ってないから、嫌がらせを受けたりすることは無いけどね。
ただし、その中でも酷い連中は例外。皇妃様と第一側妃様に直接仕える者達は、私やお母様への悪意を隠そうともしない。たぶん直接では無いにしても、主からの命令という免罪符を得ているからか制限がない。権力の後ろ盾は強いのは、どの世界でも同じらしい。
その内の一人が、目の前の女。レモラという、皇妃様が私に付けた教師——とは名ばかりのイビリ役だ。
表向きはマナー講師という役職を得ているけど、実態はまるで別もの。この歳では早すぎるくらいの作法をこれでもかと身に付けさせようとし、それに異常な程のいちゃもんを付けては怒鳴りつけてくる。お辞儀の角度が一度おかしいとか、下げる速さがコンマ一秒早いとか、言いがかりでしかない駄目出しばかり。
その上面倒なのが、そもそもの講義内容自体が半分以上が嘘だという事。要は間違った作法を身に付けさせて、恥をかかせようとしてくる。しかも自力で正しい作法を身に着けても、講義では間違っていると言い張ってそれを理由に叱り始める始末。
アンシラを通してお父様に報告は上げているけど、改善はされていない。厳しすぎる講義に関しては「帝国の皇族として当然」という理由で棄却。......確かにそれも一理あるけど、だったら他の皇族にも同じようにしてから言って欲しい。
間違った講義に関しても知らぬ存ぜぬで言い逃れ。しかも皇族の教育に関しては代々の皇妃が取り仕切る事になっている決まりのせいで、お父様も強く出る事が出来ない。
おかげでこっちは講義後にアンシラに正しい作法を教わるという二度手間。それを次の講義に披露した際の苦々し気な表情を見た時は胸がすく思いがするけど、その後の講義はより酷いものになる。......元から酷いのは変わらないけど。
ともかく、レモラという女は私にとって百害あって一利なし、そういう存在でしか無いのだ。
そんな彼女がここに来た理由については、おおよそ見当がついている。
「殿下、何故今日の講義の時間になっても来られなかったのか、弁明はありますか!?」
そう、今日は作法の講義の予定が入っていた。私が体調を崩していた間は流石に中止にせざるを得なかったが、復帰したと聞いてから早速その予定が組み込まれたのだ。
「......姫様の体調はまだ万全ではない為、延期となった筈では?陛下にも許可は頂いておりますが」
ただ、それはアンシラの言う通り、事前に断りを入れている。念の為にお父様にも話を通しているし、文句を言われる筋合いはない。
だけど、レモラはそれを素直に聞くような女ではない。
「関係ありません!皇族の教育に関しては陛下では無く皇妃様が取り仕切る、この事をご存じでは?」
やはりそれを盾にしてくるか。権力を笠に着ているのは業腹だけど、それが事実である以上無視するわけにもいかない。
「......殿下の体調は万全ではありません。作法の講義は体に差し支えるのではないかと」
「侍女風情が口を挟まないでちょうだい!それに、ここで勉学が出来ているなら十分でしょう?それとも、私の授業を受けられない理由でも?」
アンシラの反論にも効く耳を持たず。というか、一番体に障る要因はあなただろうに。向こうもそれを分かっていながら惚けているのだから質が悪い。
レモラのやり方は、徹底的に攻め立て、怒声を浴びせ、否定するもの。一応は皇族である私に対して本来あってはならない態度だけど、皇妃様の後ろ盾という免罪符がそれを許している。
原作の私があんな性格になった理由は、こうした皇妃様が先導していた嫌がらせも原因の一つだと思う。ゲームでこうした描写があった訳じゃないけど、今まで受けてきた仕打ちをこれから先もずっと続けられたら、ああなるのも一理ある。
それに、味方が周囲にいなかったのにも頷ける。自分から遠ざけていたのもそうだけど、皇妃様の反感を買いたくなかったに違いない。
今だって、先程まで共に話していた人達は会話に割って入ろうとはしない。こんな公衆の面前で、仮にも皇族である私へと礼の一つもせずに怒鳴りつけるレモラに対して、不快そうな表情は浮かべてはいても口を挟まない。誰だって、皇妃様に目を付けられるのは嫌だろうし、仕方ない。
——だから、この状況を変えられるのは、私しかいない。
かつての私の性格ではまともに言い返せなかった。彼女に対して委縮してしまい、唯々諾々と従う事しか出来なかったから。
なら、今の自分ならどうか。目の前にいる女など、怖くもなんともない。魔族に比べれば、なんてことはない人物。
だから、言い返せばいい。
......言い返せば、いい、のに。
......震える。
体が。
............動かない。




