プロローグ 転生、残念皇女
新作になります。
とある冬の日。わたしの住む国では珍しく雪が降り積もった。子供なわたしでも埋もれはしない程度のものだけど、それでもわたしは初めて見た雪に感動して外で大はしゃぎ。普段は無口なわたしが見せるそんな姿が信じられないのか、侍女たちも驚いて止めに入るのが遅れていた。
——で、調子に乗った結果風を引いてぶっ倒れた。
高熱を出して、一週間は寝床から起き上がれない。うんうんベッドの上で唸るしか出来なかったわたしは、その最中にある夢を見た。
——天へと伸びる無数の摩天楼、上空を征く巨大な鉄の鳥。漆黒の石に覆われた大地、そこを行き交う鈍い輝きを宿す箱と、大勢の人々。
何事かを話しながら、微笑む女性。その後ろから迫る、一際大きな箱。
声を上げながら駆ける足。箱に気付くも動けない女性。勢いの止まらない箱。必死に伸ばした手。勢いよく突き飛ばされ、箱の進路から逃れた女性。
——襲い来る、全身を引き裂くような激痛と衝撃。
指一つ動かせない体。赤く染まった視界に映る、摩天楼の隙間から見える空と泣きじゃくる女性。
無事だったことへの安堵、何事かを叫ぶ女性、その声すら拾えない耳。激痛に襲われながらも伸ばす腕、女性の頬へと添えられ涙を拭おうとする指。
血で汚れる女性の顔、温かい手にそっと握られた冷えゆく指。ポロポロと零れる大粒の涙、......泣きながらも必死に浮かべてくれた笑顔。
閉じていく瞼、抜けていく体の力。必死に叫ぶ女性の姿を最後に、闇に呑まれる意識。
——残る、後悔。
————あぁ。もっと、生きたかったなぁ。
目を開ければ、そこはいつも通りの筈ながらも、見知らぬ部屋の天井。体を起こし、周囲を確認するが寝起きのせいか視界がなんかぼやける。
「痛っ......」
突如走る頭痛につい手を額に当てる。その子供の手にも覚えがあるはずなのに、どこか違和感が拭いきれない。
「......ああ、そういう事」
その疑問も、断続的に続いていた頭痛が治まる頃には解消した。
——さっきまで見ていた夢、アレが前世の記憶だと理解したから。
前世の記憶といっても、完全に思い出したわけじゃない。自分や家族を始めとした名前は思い出せないし、他にも少しあやふやな部分もある。
ただ、夢で見た最後の光景は何となく覚えている。横断歩道に突っ込んできたトラックから妹を庇って、轢かれて死んだ時の事を。視界に最後に映った姿からして、妹は無事だったんだろう。それだけは幸いだった。
......でも、早くに死んでしまい、両親に親孝行出来なかったのは心残りかな。もう家族に会えない、そう考えると胸に痛みが走る。もっと話したいことがあった、もっとしたいことがあった、——もっと、生きていたかった。
妹が助かったことに安堵しながらも、自分の人生が早々に幕を退いてしまったことに後悔は尽きない。どうして、なんで、止めどない感情が溢れ、知らず内に涙が零れていた。
......そうしてしばらくしていれば、少しは気持ちに整理がついてくる。自分が死んだことを一先ず受け入れられる位には。
うん、死んでしまったものはしょうがない。親孝行は、妹に任せるとしよう。現状は把握しきれていないけど、どういう訳か二度目の生を得られただけ良しとするべきだ。そうポジティブに考える事にして頭を切り替える。まずは状況を確認するべきだと結論付け、涙を袖で拭いながら私は周囲を見回す。
状況と記憶からして、私は死亡後何かしらの理由で記憶を保持したまま転生したらしい。しかも前世とはまるで違う、魔法などもあるファンタジーな世界に。それも記憶やこの部屋の豪華さからして、相当良い家に生まれたみたい。齢が幼いからかそこらへんの知識が曖昧なんだけど、それぐらいの事は分かる。ちなみに齢は多分4,5歳。
......もしかしたら、これは俗にいう悪役令嬢転生なのかも知れない。確か妹がそんな小説を読んでいて、少し話を聞いたことがある。なんか乙女ゲームに出てくるような、裕福な家に生まれた性格の悪いライバル役に転生する、っていうジャンルらしい。
そうなら、もしかしたら私が知っている人物に転生したかもしれない。......まあ、私がやったことのある乙女ゲームは一つしかないし、もしそうならちょっとヤバイ世界だから勘弁したいのだけど。
念の為に今生の記憶から自身の名前を思い浮かべる。えっと確か、フィア...、ウル......。
「......ちょっと待って」
そこまで思い出したところで、私はその事実に呆然とする。自身の名前、その名が今生だけでなく前世でも聞いたことのあったものだったから。
——それも、色々と最悪な意味で。
その事実を信じたくは無いのだけど、それでも確かめないわけにもいかない。部屋を見渡し、どこかにあった筈の鏡を探す。
どういう訳かまだ視界がぼやけているのだけど、それでも部屋の隅に姿見があるのを見つけ、ベッドから降りて恐る恐る近づいていく。一週間程寝込んでいた筈だけど、体の動きはすこぶる快調。すぐに鏡の前に辿り着き、私の姿がそこに映り込んだ。
まず目に入るのは、年齢通りの子供の姿。性別は女の子で、可愛らしい上に絶対に高級であろう寝間着を着ている。肌は白く透き通るようにも見えるが、決して病弱さは感じない。顔は幼いながらも整っていて、将来は絶対美人になると我ながら自信を持って言える。金の瞳は鋭く輝き、腰くらいまで伸びる白髪は顔の左にだけ金の髪が一房混じっている。
何よりも目立つのは額から生える黒い双角。覚えがあるものよりも少し短いけど、髪の隙間から上に向かって伸びている。
......うん、見覚えがありすぎる。知っている姿よりも大分幼いけれど、このカラーリングや角は見間違えようもない。
「......噓でしょ」
目の前に突きつけられた現実に、私は思わずその場に崩れ落ちてしまう。何が悪役令嬢だ、いっそのことならそっちの方がよっぽどマシだった。
——私の名前は、フィア・ウル・ヴァクラ。この国、ヴァクラ帝国の第二皇女で......、『残念皇女』とかいう不名誉な名前が付けられたキャラクターだ。
——『滅びゆく世界の聖乙女』。
私が前世で唯一プレイしたことのある乙女ゲーム。人気を博した、とまでは行かないがそこそこ売れてはいたゲームらしい。まあこのゲームを買ったのは妹で、途中で泣きつかれて一緒にプレイしただけなんだけど。
ストーリーとしては、平民の少女がある日特殊な力に目覚め、なんだかんだあって由緒正しい学園に通う事に。そこで攻略対象であるイケメン達とキャッキャウフフしながら学園生活を送っていく事に。その中で徐々に世界の危機に関わっていき、やがて攻略対象達と共に世界を救うという、割と有り触れた話だったと思う。
......正直な話、私はストーリーじゃなくて別の面でゲームを楽しんでいたから、話や登場人物に関しては朧げな部分がある。
——それでも、彼女の事は忘れていない。主要キャラたちとは別角度で、中々強烈なキャラだったし。
フィア・ウル・ヴァクラ。この世界にある三つの大陸の内中央に位置する大陸シューツ、その東部にある大国であるヴァクラ帝国の第二皇女で、ゲームでの攻略対象の一人でもある帝国第二皇子を兄に持っている。まあ兄とは言っても腹違いであり、彼女は皇位継承権を持たないのだけど。
初めて彼女が登場するシーンでは、恐らくプレイヤーのほぼ全てがその姿に見惚れたに違いない。乙女ゲームなだけあって作中には主人公や攻略対象を始めとして多数の美男美女が多数登場するのだけど、彼女はその中でも群を抜く。
この世界の権力者に当たる帝国皇族の父と鬼人族——この世界にいる人族の一つでこれまた美男美女ぞろいの一族——の母、双方の血を引く彼女はそれらが混ざり合った結果何処か浮世離れした、人とは思えない程の美貌を持っていた。同性である主人公でさえ、思わず見惚れてしまうほどに。
初登場時の美貌のインパクトから、プレイヤー達からは主人公の前に立ちはだかる壁になると予想されていた。兄である皇子√であれば主人公が相手に相応しい人物か見極める役として、他の√のいずれかでは恋敵になるんじゃないかと、話題になったものだ。
......まあ、それはすぐに否定されてしまうのだけど。
——そう、彼女の印象が良かった、というか一番の見せ場はまさにこの初登場時のみ。その先、彼女はその真価——残念とまで呼ばれるだけの本質を明らかにしていく。
まず、この世界には魔力というファンタジーらしい力が存在する。これを扱うには鍛錬ももちろんだけど、そもそも血筋によって才が分かれる。彼女の父方であるヴァクラ皇族はそういった血統における最上位とも言える家系で、彼女の兄である攻略対象の第二皇子もその才を強く引き継いでいる。
だけど、彼女はそうじゃない。先程述べたようにフィアの母は鬼人という種族。先程も述べた通り鬼人は純人——この世界で一番多い、一般的な人族——よりも美形が多く、額に角を持ち、幾つか存在する人族の中で最も膂力に優れているという特徴を持つ。
......何だけど、実は魔力に関しては最も才に乏しい種族であるという欠点も持っているのだ。
美貌や膂力に関しては双方の血の良い面を引き継いだ彼女だけど、魔法の面ではそれが悪い方向に働いてしまう。魔力量——体内に内包する魔力の総量は多いのに、それを全く制御できず、ほとんど使えないという形で。唯一使える魔法が地面を整地する魔法だと明らかになった時の、なんも言えない空気は今でも忘れられない。
だけど身体能力においてはフィアの才は群を抜く。実際、公式から発表されたゲームでも明らかにならないキャラも含めたスペック表では、素の身体能力に置いては人類最高域と書かれていたし。ならそっちの面で活躍するのでは......、と希望を抱いたプレイヤー達の期待は再び裏切られる事になる。
——何と彼女、途轍もなくドジなのだ。
何も無いところで転ぶ、いたるところで人や物にぶつかるのは当たり前。ゲームでは学園内で道に迷っているのを主人公が助ける場面だって何回、いや何十回もあったほどだ。
彼女の厄介な点は、その膂力も相まってその被害がとんでもないことになる場合がある事。こけた先にある壁をぶち破って、その先にある部屋を半壊させるなんてミラクルどうやったら起きるいうのか。しかも彼女自身は頑丈なためか掠り傷一つないという奇跡。
......つまり、彼女は優れた才であるはずの身体能力を、ドジすぎるが故に全く生かせていないのだ。
なら貴族としての社交性においてはどうか、と言えばそれも残念としか言いようがない。フォローするならマナーや作法に関しては皇族として恥じないものを身に着けている。ただ彼女実はかなり臆病で、人と話すのが苦手なのだ。
ゆえに無口なのだが、それに加えて鋭い目つきや並外れた美貌のせいで冷たい人という印象を持たれ、周囲にあまり人が寄ってこない。こっちに関しては、皇位継承権を持たない庶子、と言うのも関係あるかも知れないけど。
ともかく、そんな環境にいたせいでますます孤立し、結果コミュ障なボッチ皇女になってしまった。......うん、実に悲しいでしょ?
そして、ストーリーにおいてフィアが最も不遇と呼ばれるのが、彼女の最期だ。
時系列でいえば、各攻略対象の個別√や物語の真実に至るグランド√に入る前どころか、なんと物語の中盤にも差し掛かっていない共通√時点。とある晩餐会にて彼女は劇毒の入った飲み物を摂取してしまい、あえなくその命を散らしてしまうのだ。使われた物が身体機能の高い鬼人の血を引く彼女にも効く毒であったため、皇族である彼女を狙った犯行として大騒ぎになる。
主人公も攻略対象達と共に犯人を突き止める為に奔走し、紆余曲折あったものの見事その人物を突きとめることに成功する。
......だが、そこで明らかになる衝撃の事実。あの毒はフィアでなく、主人公を狙った物だったのだ。それを久々に晩餐会に出た彼女が緊張しすぎて自身と主人公の飲み物を取り違えたことに気が付かず、そのまま飲んでしまった、と言うのが真実。毒が鬼人に効く物だったのも、特別な力を持つ主人公相手に念を入れただけの偶然。
物語としては主人公が死ななくて済んだため良かったのだけど、当時それをプレイしていた私と妹はどうもやり切れない気分になってしまった。他のプレイヤー達もきっと同じだったと思う。
ちなみにこのゲーム、悪役令嬢たちが罪を暴かれ処刑される、といった展開はほぼない。彼女達の多くはどちらかと言うとライバルに近いし、後はまあ別の原因で死んでしまう事はあるのだけど。
でも、いずれの令嬢も半分以上の√で一先ず生存しており、そういう意味でも何の悪事の働いていないフィアがああいう目に遭うのは、なんというか浮かばれないだろう。
それに加え、ストーリー以外の面でも彼女の不遇さは目立つ。無口なのと登場するのが序盤だけだからか、主要人物以外にも結構声が付いているこのゲームで珍しく声優がいないとか。グランド√エンド後の登場人物全員が描かれたスチルで端の端にちょこっとしか描かれていないとか。他にも上げればキリがないだろう。私が知らない何かしらもあるのかも。
ゆえに、彼女はプレイヤーどころか公式にもこう呼ばれるようになる。
——『残念皇女』、と。
......で、だ。そんな人物に転生してしまった私はその場に崩れ落ちたまま動けずにいた。ORZというのはこういう事を言うのかと初めて身をもって知った。なんかもう、どうしようも無くて乾いた笑い声が口から洩れる。
よりにもよって、なんで『残念皇女』なの!?いや、確かに凄い美少女だけど。容姿はハイスペックかも知れないけど、それ以外がどうしようもないのだけど!?主人公なんて欲を掻くつもりは無いけど、せめて他の悪役令嬢のどれかにしてほしかった。もし神様がいるなら、私に何か恨みでもあるのだろうか?
そんな事を考えながらしばらくそのままの姿勢私だけど、いつまでもこうしてはいられないと頭を起こす。鏡に映るフィア——私の姿は崩れていても絵になっており、何かイラっとする。
だけど、転生してしまった以上はどうしようもない。私はもうフィア・ウル・ヴァクラである事は不変の事実。ならそれを受け入れるしかない。
けど、このまま原作通りに生きていくのはごめんだ。残念皇女と呼ばれる未来など、うっかり毒殺される最期なんて誰が受け入れるか。プレイヤー達に散々憐憫を抱かれたあんな結末、私は絶対に認めない。
湧き上がるのは、今も胸の内に燻っている「後悔」。若くして死んでしまい、何も為すことが出来なかった自分の前世への渇望。こうして二度目の生を得られたのは奇跡としか言いようがなく、それを無駄に散らすなど絶対にありえない。
ならどうするべきか、そんなの一つしか無い。
「——全部ひっくり返してやる!」
私自身が、その運命を変えるしかない。残念皇女と呼ばれるようになる、私の結末を。
——そして、この世界に訪れることとなる、絶望の未来も。
——ここから、私の第二の生は本当の意味で始まった。
『残念皇女』の汚名を返上し、やがて何故か『暴虐姫』などと呼ばれるまでになる、フィア・ウル・ヴァクラの新たな物語が。
次回は明日12月22日12時投稿予定になります。