第95話 信じない
うう、頭が痛い。
クラクラする。
ここは……2度目の天井ね。
「お、目が覚めたか」
この声……まだここに居たんだ。
そんなことより父さんは?
うっ。
「無理に起きようとするな。まだ魔素が戻ってないだろ。ほら、横になってろ」
確かに身体が動かしにくい。
左腕の感覚も戻ってこない。
力が入らない。
半ば倒れるように横になる。
すると、めくれた毛布を掛けてくれた。
「俺はこんな使い方をさせるために渡したんじゃないぞ。もうこれは使うな」
「……嫌よ」
外で生きて行くには、相応の代償を払わなければ不可能だ。
それでも足りないことはよく分かった。
私は……無力だ。
「身体をボロボロにさせる為に渡したんじゃない」
「どう使うかは、私の自由よ」
「もっと賢く使ってくれると思ったんだが」
「私が愚かなのは知っているでしょ」
「ここまでとはな……一応毒抜きをしておいた。左腕の再生も促進させてやった」
「ああ、だから裸なのね」
「前にも言っただろ。俺は不器用なんだ」
「そうね。父さんとは大違い」
「俺も父さんなんだが」
「ふふっ、そうだったわね。気を失っている娘を裸にするような親だけと、父さんに変わりはないわ」
「あまり虐めないでくれないか」
「事実を言っただけよ。そんなことより、どうしてここに居るの?」
「そんなことって……はぁ。用事は済んだだろ。迎えに来た」
「まだ済んでないわ。父さんを連れて――」
「帰れないのはもう分かったはずだ」
「まだよ。たかが毒素に冒された程度じゃない。どうにかして連れて帰るわ」
「それが可能だと思うのか」
確かに。一度毒素に冒された人間が元に戻ることはない。
でも前例が無いだけよ。
なにか手があるはず。
「そうよ。私にしたように父さんが毒抜きをすればいいじゃない!」
「無茶を言うな。お前はあくまで毒素に曝された程度。魔人とは全然違う」
魔人……
違う。父さんは魔人になんかなっていない!
毒に冒されただけよ。
「使えないわね」
「親に向かってその言い草はなんだ」
「血が繋がっていないんだから他人よ、た・に・ん」
「な……く……う……」
な……そんな、泣くほどのこと?!
「冗談よ冗談。本気にしないで」
「お前の冗談は冗談に聞こえないんだ」
「あっ、時子に頼んで解毒してもらえばいいんだ!」
魔獣の時みたいに綺麗にしてもらえば!
「はぁ……それな、無理らしいぞ」
「なんでそんなこと貴方が知っているのよ」
「貴方って……父さんとは呼んでくれないのか」
「いいから答えなさい」
「父さん寂しいぞ」
私は真面目に聞いているの。
そんな茶化したってダメ。
ジッと見つめると、観念したようだ。
「イーブリン様が教えてくれたんだ」
イーブリン……大罪の魔女。
「なんであいつが知っているの」
「俺が知ってるわけないだろ」
「使えないわね」
「幾ら父さんでも怒るぞ」
「怒るなら怒りなさいよ。一度でもいいから見てみたいわ」
「怒ったことくらいあるだろ」
「覚えていないくらいには、怒ったことが無いわ」
「少ない方が印象に残るものだろ」
「あの無能逆ギレ勘違いクズどもと比べたら、貴方のなんてただの愚痴よ」
思い出すだけでもイライラするっ。
あーヤダヤダ! 虫唾が走るっ。
「同僚を悪く言うな」
「あんなのと一緒に仕事をしていたかと思うと、死んでよかったと思えるわ」
願わくば、私じゃなくてあいつらが死ねばよかったのよ。
その方が会社のためになったわ。
あんな連中、会社に巣くう癌よ。
「…………」
「あ……死んでいいわけないよね。ごめんなさい」
そんな悲しそうな顔をしないで。
私だって死にたくて死んだんじゃないんだから。
「……まぁいい。あっちも終わったことだし、ここに用は無い。行くぞ。ついてこい」
「なにが終わったの」
「モナカ君の灯火がだ」
……え? 灯火が……終わった?
え?
「どういう意味よ」
「彼が居てはイーブリン様の計画に支障を来すからな」
「なんの話よ」
「前に言っただろう。モナカ君を手放すなと。なのにお前ときたら……さっさと既成事実を作ってしまえばよかったんだ。そうすればあの子のことだ。ちゃんと責任を取ってくれただろうに」
「だから、なんの話をしているのよっ」
「モナカ君と時子ちゃんがくっつかないようにって頼んだだろ。もっと積極的に行けばよかったのに、中途半端なんだよ。だから男に……こほん。とにかく、どっちでもよかったんだ。たまたまモナカ君に鎌の審判が下っただけのこと」
「鎌の……審判……いい加減にして! 分かるように話しなさいっ」
「もう意味を忘れたのか? それともはっきり言わなければ分からないのか」
「……嘘よ」
そんなこと信じない。
タイムがついているのに、あり得ないわ。
「いいじゃないか。お前の手も省けたというものだ」
「私の手?」
「彼を殺す手間が省けただろ」
「私がモナカくんを殺す理由なんて無いわ」
「お前は見たはずだ。彼がなにをしようとしてたか。忘れたのか」
……そうだ。
私はちゃんと覚えている。
モナカくんが父さんを殺そうとしているところを。
そこへ私が飛び込んで……
「覚えてるみたいだな。まさかあそこで飛び込むとは思わなかったぞ。あんなことをさせるために連れて行ったんじゃないんだが……あの後、彼は目的を遂げたよ」
「そんな……」
「結局そのときの傷が祟ったらしい。後を追うように彼も倒れて死んだ」
「あり得ない」
「なら見に行くか。上には今時子ちゃんしか居ない」
「えっ。タイム……は?」
「彼が死んだんだ。消えて居なくなった」
そんなはずない。
モナカくんが父さんを殺したなんて。
後を追うように死んだなんて。
あり得ないわ。
父さんを信じないわけじゃないけど、自分の目で見るまで信じたくない。
フラつく身体を起こして地上へと急いだ。
「無理をするな。ほら、おんぶしてやるぞ」
そんな父さんの言葉を無視し、フラつきながらも精一杯自分で確認するために足を動かした。
「はぁ……仕方の無いヤツだ」
おんぶしてもらった方が早いのは確実だ。
歩く速度より遅いのも自覚している。
いつ倒れてもおかしくないだろう。
足下はガラクタが散乱していて余計に歩きにくい。
足が上がらない。息が苦しい。部屋を出ることすらまだできていない。
地上に出る頃には日付が変わっているかも知れない。
それでも、自分の足で……うっ。
倒れそうになったところを毛布に包まれ、抱えられてしまった。
「離しなさい。ちょっと足がもつれただけよ」
「強がるな。親を頼れ」
「貴方の娘は16年前に死んだわ」
「……外に出るぞ」
「離しなさいっ」
父さんは私を抱えたまま歩き始めた。
離してくれそうもないわね。
精一杯の抵抗を試みてみたものの、そもそも動くことすら困難だ。
意識的には大暴れしているつもりでも、身体は言うことを聞いてくれない。
「動こうとするな。身体を治すことに専念しろ。もし彼が生きていたとして、その格好で会うつもりか?」
言われて気付いた。
左腕の再生が中途半端だ。
その所為で身体が不自然になっているところがある。
歩きにくかったのもその所為か。
魔素の損失が大きいな。
……そうだった。
父さんに食いちぎられたんだったわね。
信じたくはなかったのだけど、やっぱり魔人になってしまっていたんだ。
魔人は倒すべき相手。
モナカくんの行動を非難することは出来ない。
そんなことは分かっている。
それでも、他に道は無かったのかしら。
それしか考えられない。
〝仕方がない〟で済ませたくない。済ませられない。
「余計なことを考えるな。魔力が乱れてるぞ」
余計なことなんかじゃないっ。
余計なことなんかじゃ……
階段を上り、地上を目指す。
足音だけが辺りを賑わしている。
一定の間隔で心地よく揺れ、眠気を誘う。
寝ている場合じゃない。
そんなことは分かっていても、この誘いに勝てる人はそう多くない。
私は、多数派……だったらしい……
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