第91話 傷つけるわけない
最初は上り調子だった。
このまま押していけると思った。
これが経験の差なのか。
「威勢がいいのは初めだけか?」
くっ。先手が取れない。
どうしても後手後手になる。
なんでだ?
「っは。訳が分からないって顔だな。まず、お前らは後の先なんだよ。俺の動きを先読みして動いているわけじゃない。つまりカウンターしかしてないようなものだ。ならそれを利用すれば、動きを誘導することは容易だ」
容易?!
それは師匠の経験があってこそなのではないのか!
攻め込み、返しを避けて反撃が決まっていたのに、今では反撃に合わせて殴られるわ蹴られるわ柄で小突かれるわ峰を当てられるわ……
避けても追撃が来て回避が間に合わない。
だが痛いわけじゃない。
どの攻撃も当たっているだけでダメージにはなっていない。
ギリギリのところで躱せているが、もう時間もあまり残されていない。
このままだと時間切れで終わりだ。
「まだまだ未熟だな。なのに後の先なんてやってやがる。普通なら技術や経験の積み重ねがなければ出来ないことだが、お前は反射神経だけでやりのけてる。回避がいいのは褒めてやるが、良い子過ぎだ。逆に読みやすい。誘導もよりし易いってことだ」
普通はそんなことできないだろ。
どれだけ経験を積めばそんなことが出来るようになるんだ。
「そろそろ終わりにしようか」
うがっ!
それまで当たるだけで避けられていた蹴りが、まともに入ってしまった。
蹴りだけじゃない。
全ての攻撃が重い。身体に響く。
避けられない。攻め込めない。
ギリギリのところで躱せていたはずなのに、それすらも手加減されていたってことなのか。
不思議なことにこれだけ強い打撃を受けているにも関わらず、身体が吹き飛ぶといったことがない。
力が逃げることなく入ってくる感じだ。
だからダメージの蓄積が早い。
外傷はないのに、中身だけが痛み付けられている。
動きが鈍くなる。
幾らアプリで強制行動させられるといっても限度がある。
つまり、自力ではほぼ動けない状態になってしまった。
「終わりだ」
そう言って黒埜の刃を向けて構えている。
マズい、斬られる!
いや、今まで斬ってこなかったのがおかしいくらいだ。
これも全て稽古の一環だったってことですか。
上達が見られないから見限ったってことですか。
動け、動けよ、俺の身体!
今動かなくていつ動くんだよ。
あああああああああああああああっ!
「なにっ!」
黒埜と黒埜が激しくぶつかり合う。
そして黒埜を弾き飛ばし、黒埜が胴体を一閃する。
……時子、ごめん。
勝てなかったよ。
俺の上半身と下半身は別れを告げることになった。
「……ちょっと待て!」
1年と少しか。
異世界生活は不便だったけど、その分人と一緒に居られたな。
「どういうことだ」
先輩、どんな人だったんだろう。
時子と会わせられなかったのが心残りだ。
「痛ぇ! 俺は斬れるんかよっ!」
タイム、ごめん。
前のマスターに返してやれなくなっちまった。
「おいっ、最初から仕組んでやがったな!」
「だから最初にマスター専用だって言ったでしょ。文句は言わないって約束でしょ!」
「そんな約束」
「しーまーしーたー!」
「ぐっ……しかしよぉ」
しかし限界を超えた痛みはアドレナリンだっけ……が働いて感じなくなるっていうけど、本当だな。
痛くも痒くもない。
「マスター、しっかりして! まだ終わってないよ」
ああ、タイムの声が聞こえる。
短い間だったけど、楽しかったよ。
「なに言ってるの。これからだって楽しくしてられるよ」
無理だよ。
俺、また死んじゃったし。
「死んでないから!」
ふっ。胴体を真っ二つにされて生きているなんてないだろ。
「だから真っ二つになんかなってないから!」
「……真っ二つに……なって……いない?」
腹をさすろうにも身体が動かない。
そもそも倒れたまま起き上がることすら出来ない。
腹を見ることもできそうにないが、とりあえず意識はまだある。
『黒埜がマスターを傷つけるわけないでしょ!』
「なるほど。それもそうか」
納得しかない完璧な理由があった。
「なにが?」
「なにがって、黒埜が俺を傷つけるわけないって」
「なるほど。それもそうだね」
おいおい。自分でそう言っておいてその反応はなんだ。
まあいい。とにかく斬られてはいないってことか。
次回は魔人と人間です




