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第85話 初めての|男《ひと》

「エイル、気をつけろよ」

「このくらいのよ、散々やってきたのよ」

「散々って、今日が初めてだろ」

「あ……そうだったのよ」


 私は過去にこれを散々やっていたことは事実だ。

 でも、今日初めてやらせてもらえることになった。

 結晶の抽出だ。

 この液体をゆっくり蒸発させて、結晶化させなくちゃ。

 っていうことをするんだけど……


「んなことしねぇよ。素人じゃあるまいし」


 本来ならある程度濃度が高くなるまで結晶化が始まらないように攪拌しなきゃいけないんだけど……

 父さんはいつもやらずに綺麗な結晶を作る。


「うちは素人なのよ」

「俺の娘が素人なわけねぇだろ。ほら、さっさとやる」

「うう……」


 その上。


「遅い。もっと素早くしろ」

「早いのよ、綺麗な結晶にならないのよ」

「んなわけねぇだろ。素人じゃあるまいし」

「うちは素人なのよ」

「俺の娘が素人なわけねぇだろ。ほら、さっさとやる」

「うう……」


 この連続だ。


「違う! 丁寧にやれ」

「やってるのよ」

「もっとだ」

「うう……」

「遅くなるな」

「無茶言わないのよ」

「文句を言う暇あったら魔力を動かせ」

「うう……」

「だから雑になるな!」


 なにもかもが違う環境。

 幸いなことにやることだけは大差がなかった。

 知っていることをやればいい。

 世界の常識が違うだけ。ただそう思っていた。

 なのにこの人は、父さんは全く違っていた。

 そんなやり方で上手くできるはずがない。

 理論的に無理なはずなのよ。

 可能な道筋が見えない。

 なのに結果がきちんと出ている。

 今までこんな人に会ったことがない。

 似たようなことをする人は居た。

 でも結果が伴うことはなかった。

 だから直ぐに惹かれた。

 娘という特権を利用して纏わり付いた。

 小さい頃からずっと工房で仕事っぷりを見続けた。


「どうしてこうしないのよ?」

「ああ? そんなことしたら次の行程に繋がんねぇだろ。邪魔するなら出て行け」

「次のよ、これとこれを無くすのよ。代わりにここから引っ張るのよ、これと繋ぐのよ」

「ああ?! そんなこと……ふむ……ならここもこうした方が……こういうことか?」

「そこを変えるのよ、ここも変えないとダメなのよ」

「ううううむ、ちょっと待て」


 プリント基板だった頃はこんなことできなかった。

 設計を変えるよう話しに行っても、通ることはなかった。

 返ってくる言葉と言えば、〝技術的に〟〝会議を通せ〟〝越権行為だ〟〝コスト的に〟だ。

 最悪なのが〝これでいいんだよ。在庫処分で使ってるだけなんだから〟。

 それでいいの?!

 〝企業としては間違っていない〟と散々言われていた。

 だから初めのうちはここも同じだと思って黙って見ていた。

 でもこの人の技量を見せつけられる度にこうすれば……ああすれば……という思いが膨らんでいった。

 そして思わず口から出た結果、私を見る目が変わってしまった。

 それまでは〝可愛い娘。大人しくしてなさい〟だった。

 今では〝可愛い跡取り娘。思ったことは言いなさい〟になった。


「ナヨ」


 私が生まれたとき、この人にそう名付けられた。

 でも私はそう呼ばれることを嫌った。


「ナヨ」


 理由は簡単。

 でもその理由を言ったことはない。

 言いたくないし、言っても信じてもらえないからだ。


「ナヨ?」


 母さんに付けてもらった名前だけで十分。


「エイル!」


 エイル・ターナーが私の名前。


「「エイルさんっ!」」


 私を呼ぶ声が聞こえる。

 起きなきゃ。

次回は敵討ち?

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