第113話 傷口に塩を塗って教える
母さん、待っていて。
必ず父さんを帰らせるから。
「どうした那夜。次に行くぞ」
「父さん、一体なにをしているの?」
「さっきも説明しただろ。星に付いたゴミの清掃準備だと」
「そうだけど……もっと具体的になにをするのか教えてよ」
「今は黙って父さんをよく見て、詠唱の仕方を覚えるんだ」
「……私に出来るかな」
詠唱魔法はこの世界ではすでに失われた技術。
使える人は何処にも居ない。
「魔法杖を作っていたんだ。要領は分かるだろ」
「それで分かったら、工房の人はみんな唱えられることになるわ」
「父さんのすることを手伝うんだろ。これはその為の一歩。チュートリアルみたいなものだ。ほら、この魔法陣を仕上げてみろ。刻み方は基本的に魔法杖を作るときと同じだ」
「うん……」
確かに地面に魔法陣を刻むのは、魔法杖制作に似ている。
似ているだけで別物だ。
簡単に言えば鉛筆を手で動かすか、声で動かすかくらいの違いがある。
それの何処が同じだというのか。
「ほら、また確認を忘れた。そこはもっと丁寧にしろと言っただろ」
「こんなとこ、普通確認しないわよ」
「それは杖に刻むときだろ。見ろ、また崩れ始めた」
「ああっ、くっ」
またやってしまった。
これで魔法陣を壊したのは何度目だ。
「おいおい。これじゃいつになっても終わらないぞ。本当ならとっくに……」
「どうかしたの?」
父さんは空を見上げて黙り込んでしまった。
見ているのは空じゃない?
もっと遠くの……なにか?
「纏めて消すつもりだったんだがな」
「纏めて?」
「いや、この調子だといつ終わらせられるか分からないなってことだ」
「悪かったわね」
父さんはいとも簡単に魔法陣を刻んでいく。
ああ、なんて美しい詠唱なんだろう。
普段の声とは全然違う。
流れるような魔力操作。
私の身体中の魔力まで浮かれて踊っているわ。
それに比べて……私はいまだに1つも刻むことが出来ない。
踊るどころかバラバラに動き回っているだけ。
こんなにも詠唱が難しいなんて。
「慣れれば簡単だ」
「慣れる気がしないわ」
だからといって手を止めるわけにもいかない。
投げ出すのはいつでも出来る。
だから今は出来ないことを出来るようにならないと。
止めるのはその後でいい。
「今日中に出来るようになってもらうからな」
「今日中?!」
「俺と違ってその身体は魔力操作なんてお手の物だろ。俺より下手くそでどうする」
「こんな魔力の使い方なんてしたことないわよ!」
「大丈夫だ。那夜なら出来る」
「那夜はもう死んでいるわ」
「あ……嫌だったか?」
「嫌じゃないわ。父さんを帰すまでは那夜でいるつもりよ。でも那夜と比べるのは止めて」
「比べてるわけじゃないんだがな……分かった。お前はこんなことも出来んのかっ! 確認を怠るな」
「何処をどう確認すればいいのよ。教えるならちゃんと教えて」
「甘えるな! 見て盗め」
「そんなの時代後れもいいところよ」
「じだっ……」
「マニュアルはないの? 仕様書は?」
「そんなものはないっ! 見て感じて覚えるんだ」
「つまり教えられるほど熟知しているわけじゃないのね」
「う……こ、個人差があるからマニュアルに出来ないんだ」
「つまり父さんのを見て真似ても失敗するのは当たり前ってことよね」
「うるさいっ! 細かいことを言うヤツはモテないぞ」
「モテなくていいわ。さっさと教えなさい」
「……」
「なによ。黙り込んで」
「悲しいことを言うな」
「悲しくないわよっ!」
「そんなことを言ってるから7回も振られるんだ」
「勝手に増やすな!」
「ん? あの少年に振られたのだから増えて当たり前だろ」
「モナカはそんなんじゃないわ」
「父さんはモナカくんとは言ってなかったのだが……」
「あ?」
「いえなんでもありません父さんの勘違いでした6回に相違ありませんっ!」
こんのクソ親父!
人の古傷をえぐりやがって……
なによなによなによ。
みんなあいつらが悪いんじゃないっ。
私は悪くない。
あれだって、あのときだって、あんなことだって、みんな……みんな……
「お、いいぞ。その調子だ」
「え?」
「今の魔力の刻み方を魔法陣に対してもやるんだ。それを繰り返せば安定して壊れなくなる。さ、今度は1からやってみろ」
「う、うん……」
ああ……変わらないな。
こういうくだらない雑談でやり方を教えてくれる。
たまに分かりにくいときもあるけど、ふふっ。
「なにを笑っている。出来てから笑え」
「はい」
もう……優しいんだか厳しいんだか。
っと、集中しなきゃ。
「そうだ、いいぞ。最初はゆっくりでいい。早くても遅くても効果は変わらん」
術式をひとつひとつ丁寧に詠唱していく。
ただなぞるだけだったものが、唱えていくうちにその意味や役割が分かっていく。
そう……この魔法陣の意味も。
完成させたらなにが起こるのかも。
次回は帰宅です