表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/22

4話

 次の日の朝、僕と陶華は春にお礼を言って旅立った。

 青々とした麦畑沿いの道を歩いていると、ふと声がした。


「こりゃあ酷い……」


 十字路の右手の道に目を向けると、若い男の亡骸があった。

 腹を抉るように切り裂かれて、地べたに敷かれた破れた茣蓙に、静かに横たわっている。


「あの熊魔獣が、また出たか」


 蹲って顔を隠して静かに泣いているのは、男の妻だろうか。

 他にも村人が集まって、男の死を悼んでいる。

 僕は、魔族の一員として胸が痛くなるのを感じた。

 そして骸の前に跪き、手を合わせてそっと祈りを捧げた。

 その間も陶華は少しも歩を緩めなかったので、僕は走ってなんとか追いつく。


「お願いします陶華。何とかしてあげましょう」


「あなたならそう言うと思っていました。ですが、面倒臭いので嫌です」


「あなたは以前、悪い猛虎や巨象を退治し、人々の平和を守って来た筈です。陶華の冒険譚、僕は幾度となく読み返しました。諳んじる事もできる程です」


「あんなの全部嘘八百のデマカセに決まっているでしょう。阿呆も大概にしてください」


 陶華は血走った右目の横顔を向けて、こちらを睨んだ。

 僕は唖然としてしまったが、よくよく考えてみれば目の前に居る現実の陶華が、単純な善意で人々の平和を守るとは確かに考えにくい。

 僕は美しい幻想が粉々に打ち砕かれていくのを、悲しみのままに感じるのだった。

 しかし、直ぐにそれを振り払い、陶華の揺れる黒髪の後姿を強く睨む。

 ――僕は、この世界をより良くしたい。それに、陶華も……何があったかは知らないが、憎悪に塗れて生きている陶華にも、より良く生きて欲しい。


「陶華は、普通の存在である、と言い放った僕の事を助けてくれました。それには感謝しています。ならば、もう一度だけ気まぐれを起こして、あなたが普通だと言っていた春さんや、この村の景色を……どうか守ってください」


「私はあなた方魔帝の一族は大嫌いですが、意のままに暴れる魔獣は普通だと思っています。彼らは本能のままに人々を殺し、弄り、蹂躙します。その姿に虚飾はありません」


「虚飾がなくとも、人々を苦しめる存在に変わりはありません! 後生の頼みです! どうかあの熊魔獣を!」


 その刹那、陶華がハッとしたような顔になった。


「熊魔獣、と言いましたね」


 やがて、陶華はいつになく嬉しそうな顔で舌なめずりした。


「そうですか……なら話は別です。是が非でもやりましょう」


 どうやら陶華にとって熊料理は格別に「普通」なようだ。


 早速村人から熊魔獣の居場所を聞き付け、その通りに小高い麓の深い森へと入って行く。

 時折踏んだ枝の折れる音と、不可思議な鳥の声。

 その響きの中、鬱蒼と生い茂るなだらかな山道を、陶華と歩いていく。


「こちらです」


 僕は時折立ち止まって耳に意識を集中する。

そして熊魔獣の出す音を聴き付けると先に立ち、洞穴へと陶華を案内する。


 ――不思議な誇らしさだ。この感覚は。

 陶華の心根は想っていたそれとは随分……否、全く違う物であった。

 魔獣を退治する動機も食欲と言う、不純と断じて然るべき物ではある。

 しかし僕はこうして確かに陶華と冒険し、その先導をしていると思うと、やはり至福の心地よさが胸を埋め尽くすのであった。


「何をニヤニヤと笑っているのですか。気持ち悪い」


 陶華に諫められながらも、僕は洞穴に垂れ落ちる水音と、大きないびき混じりの寝息を聴き取る。そして音の出どころに意識を集中させる。


「この丘を抜けた所に、奴はいる筈です」


 丘に上がり切ると、灰色の大岩に空いた大きな穴。洞穴があった。

 入り口の手前まで進むと、魔獣は僕達の気配にいよいよ気付いたのか、寝息を止めて起き上がる音を立てた。


「誰だ」


 洞穴の奥から鳴り響く、怒ったような、低い唸り声。

 魔獣の姿は見えない。

 僕は魔獣に負けじと、なるべく低く叫ぶ。


「何故食する為でもなく、村人の命を奪うか。その理由を教えて頂きたい」


「理由などない」


 その言葉に陶華は勝ち誇ったように笑ったので、僕は少し悔しくなった。


「俺はただ、時折人間の臓物を裂きたくなる。だから裂く。そして……食べても洞穴の蟲や苔よりまずいので捨て置く。後から無理くり理由付けするならそうなるであろう」


 ずしずしと誰にも聴きとれる程の音を立てて、熊魔獣が近付いて来る。

 僕は熊魔獣を鉢巻を外して出迎えた。額の黒の宝玉が露わになる。


「私は! 魔族を束ねる魔帝猿里である! そのことを知っての狼藉か!」


 なるべく威厳が出るように大きな声でそう叫んだ。


「……成程お前が魔帝であるか。伺い知る所ではある。しかし俺は中原から天長城を飛び降りて人界に降りて来た身だ。今更魔帝など何でもない。俺の眠りを邪魔した罰は誰であろうと受けて貰う」


 熊魔獣が二足で立ち上がった姿で、洞穴の岩肌を踏み越えて、落ち葉の敷き詰められた道へと顔を出す。僕の背丈の二倍はある程の巨躯だ。


「残念ですが、あなたを討伐する他に無いようです」


 僕は右手を、手のひらを見せるように突き出し、そこに全身の気を流し込んで行く。

 ――真っ直ぐに放たれる黒い稲光と轟音。

 黒雷法術の直撃を受けた熊魔獣は、大きな掌を今にも振り下ろさんと掲げたまま、目を見開いて動かなくなっていた。

 そして焚火の燃える音のような、弾けるような音を立て、突き刺すような黒く小さな雷の残滓を纏い続けた。

 幾度となく鍛錬して来た、魔帝の一族に伝わる黒雷法術。

 よもや役に立つ時が来るとは夢にも思わなかった。


 ――それにしても、酷い頭痛だ。……やはり法術を使うのは、一日一度が限界なようだ。

 やがて、熊魔獣の意識が戻り、今にも動き出しそうに思えた時、陶華は熊魔獣に一歩向かう。

 そして長い黒髪を洞穴から吹く冷たい風で流しながら、振り向く。

すると剣筋の見えないままに、鮮血とその吹き出す音だけ残して、熊魔獣はうつ伏せに倒れた。地面が揺れる音が洞窟にこだました。


「弱い癖に……おっと失敬、雑魚の癖に余計な事はしなくていいです。私だけで十分倒せますので」


 陶華はいつもの冷たい声色で吐き捨てる。

 僕は悔しがるのも忘れて、ただただ口を開けて陶華の剣技に見惚れていた。


 そして陶華は手慣れた様子で熊の皮を剥ぎ、骨を剣で削って臓物を抜き取り、血抜きした肉を薄く切り取ると、鉄鍋に入れて行く。

 木の枝を集め終える頃に、陶華は岩塩と辛子を一つまみと、竹の水筒に入った酒を鍋に入れ始めた。

 鍋がぐつぐつと煮立って来ると、軽い臭みと、立ち込める匂いが交じり合い、得も言われぬ香りが辺りに広がっていった。


「うまい……いえ、なかなかに普通ですね」


 陶華は油の浮いた汁を匙で掬って、薄い唇に運んでいる。

 僕も倣って汁を飲んでみる。

 ――旨い。

 甘味に似た強烈な旨味が、こってりとした油と共に口中に広がっていく。

 慌てたように熊肉を箸で掬ってみる。野性的な癖になる臭みと同時に、更に強烈な旨味が襲ってくる。

 肉は上手く噛み切れない程硬かったが、噛み締める度に旨味と油が湧き出して来る。


「美味しいです」


「それは何よりです」


 陶華は機嫌が良かったのか、いつになく優しく、静かに微笑んで答えた。

 ――やはり、微笑んでいる陶華が一番美しい。


 それから暫く陶華は、熊鍋をガツガツと食べながら過ごしていた。

 剣姫の冒険譚に書かれていた通り、随分と大食漢のようだ。

 僕は鍋を掻き込む陶華を尻目に、時折思い出したように木枝を集めたり、熊鍋を突いたりしていく。そして自分の生まれた理由や「魔帝の儀」の理由をひたすら考え続けた。

 それでも結局、答えは出そうになかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ