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2話

 陶華は長い黒髪を赤い簪で纏め、背中を見せると、後ろ手を腰に当てて、少し屈んで見せた。

 僕は響くような痛みを堪えながら、左手と右腕の縁で、陶華の白銀の鎧を掴み、噛り付くように負ぶさった。

 陶華が、後ろ手で僕の腰をそっと優しく掴んだ。


 景色が、流れ出す。

 扉の先の窓の光が、大きくなる。

 陶華は、扉を抜けて、窓に跳んで、そしてまた跳んだ。

 歪みながら落ちて行く視界に、陶華が着地する小さな音。


 そのまま、天に聳える巨大な長城までもう一度跳び、漆黒の天長城の裏階段を、踊り場を行ったり来たりしながら飛ぶように駆け上っていく。

 天辺まで上り詰めたと思ったら、突然に視界が開けた。

 陶華と僕は、魔帝領の先……天長城の向こう側の人界へと飛び立った。


 僕は初めて見る天長城の先の景色に、流れる薄雲の先のその景色に、思わず息を呑む。

 眼前に美しく広がる小高い丘の草原に、彼方に連なる青々とした山々。

 右手には、朝日で眩い程輝く大きな湖。

 左手には、野山に流れるように、石造りの長城が連なっている。


「わあ……」


 痛みも忘れて辺りを見回す。

 鉄格子も窓枠もない外の景色を見るのは、これが初めてだった。

 そして、僕と陶華は、薄雲の向こうへとゆっくりと落ちて行く。

 下からの風圧でずり落ちそうになりながらも、しっかり陶華の鎧にしがみ付く。

 段々と近付いて来る大地が歪んで、意識がぼんやりして来る。


「陛下……どうかご無事で……」


 遠のく意識の中で、ルドラの悲痛な声が微かに聞こえた気がした。




 闇に光る炎に、皮を剥かれて串刺しにされたウサギが2羽。

 僕が意識を取り戻した時に、最初に目に映った光景はそれだった。

 これが話に聞いたことがある、焚火という物だろう。

 感心して焚火を眺めながらも、意識を無くす前の出来事が頭に去来した。


 ……結局、僕は「魔帝の儀」を途中で投げ出し、仕来りを完全に破ってしまった。

 罪悪感はあったが、後悔はない。起き上がり、右手を確認する。


 ――良かった。ちゃんと再生している。

 まだ少し痺れるような感覚はあったが、問題なく動かせた。


「本当に再生するのですね。魔族の体という物は」


 背後から、あの凛とした声がした。

 慌てて振り向くと、そこには一輪の花のように艶麗な剣姫の姿があった。

 正に絶世の美女だ。

 剣姫でさえ無ければ間違いなく三国の王が競って妃に迎えようとしたであろうその美貌に、僕は思わず息を呑んで見惚れてしまう。

 だが、彼女の軽く釣り上げた口元は、どこか嘲笑的な含みが感じられる。

 ……まるでこの世の全てを見下しているようだ。


「あまりじろじろと見ないでください。……えっと……猿でしたっけ?」


 彼女は焚火を挟んで僕と向かい合うように座った。


「猿里と申します」


「ごめんなさいね、名乗りの途中で手を斬ってしまって」


 その言葉で、あの時の苦痛が、恐怖が、頭に浮かび上がった。

 剣姫……陶華は、確かに僕の命の恩人だ。

 僕に生まれた理由を、死ぬ理由を知る為の時間をこうして与えてくれた。

 ……しかし、


「僕の事を助けて頂いた事は有難いと思っています。しかし……何故あなたは、僕を弄るような事をしたのですか」


 僕は少し顔をしかめて、陶華を睨んだ。


「……では猿里と呼びますね」


「はぐらかさないでください!」


「るせーんだよクソガキ……弄られて殺されてえのか?」


 突然声を荒げた陶華に、思わずたじろいでしまった。

 先ほどまでの美しかった剣姫の顔は見る影もなく、僕を冷たく見下しながら醜く歪んでいた。

 やがて、顔の歪みは溶けるように消えて行き、元の美しく冷たい表情に戻った。


「おっと、失礼致しました。私、先ほどのように激情が溢れ出てしまう事がありまして。……怖がらせるつもりはなかったのです」


「聞いたことがあります。多重人格という物でしょうか」


「んー……ちょっと違いますね。どちらも同じ私なのです。少しだけキレやすい性格だと思って頂ければ」


 やはり……この人は……僕が恋してきた剣姫、陶華とは全くの別人だ。


「えーっと、私が猿里の手を切り落とした理由でしたね」


「はい。教えてください。えっと……剣姫様」


「……二度とその忌々しい名前で呼ばないでください」


 陶華の口元は微笑んでいたが、目は笑っていなかった。


「私の事は陶華とお呼びください」


「……はい……陶華」


 陶華は、無表情のままじっと僕を見つめていた。

 怒っているようにも、微笑んでいるようにも見える。


「陶華。教えてください。何故僕を弄るような事をしたのですか?」


 それからしばらく間を置いて、陶華はゆっくりと答えた。


「理由は……何となくですかね」


「あなたは……何となく、という理由で他者の手首を斬り落とすのですか?」


「うーん。例えばですけど、大きな虫が落ちているのを見つけた時、生きているか死んでいるか気になって、そっと触って確認してみた、という経験はないですか?」


「ないです」


「ないですか。ならしょうがないですね。でもまあ……そういう事なのです」


「……僕の価値は虫けらと同等なのですか?」


「虫けらを馬鹿にするのはやめてください。虚飾だらけのクソ魔人族や下衆人間より、彼らの方がよっぽど真っ直ぐに生きています」


 ……なるほど、こういう割り切った人なのか。

 僕は少しだけ陶華の事が理解できたような気がした。

 僕が顔を上げて陶華を見つめると、彼女は真っ直ぐ見つめ返して少しだけ微笑んだ。


「あなたを殺さなかった理由も知りたいですか?」


「……教えてください」


「あなたが普通だったからです」


 陶華は、真顔でそう言ってのけた。


「……どういう事でしょうか」


 陶華は口元を嘲るように引き攣らせた。


「私は、この世界の全てが大嫌いなのです。特に人間と魔人族は……クソみてーな仕来りだのクソつまんねー儀式だので最悪過ぎて……おっと失礼。とにかく反吐が出る程嫌いです。でも、何となく手を斬ってみたら、必死に、悔しそうに、クソ漏らした赤ん坊のように泣き叫ぶあなたを見て、普通だな……と、そう思ったのです」


 陶華は時折顔を歪ませながらも、諭すように僕にそう語った。


「普通……ですか」


「そう。普通です。私にとってどうでもいいような普通の存在なら、助けてみるのも面白いかなと。それだけの話です」


 僕は、焚火に赤く照らし出されて揺らめく陶華の顔を見つめた。

 その姿はやはり、ずっと夢想してきたそれよりも、ずっと美しかった。


 ふと、陶華が小さく結んだ唇を開いた。


「私からも質問です。猿里はこれからどうしたいのですか」


 ……僕は、


「僕は理由が知りたいのです。何の為に魔帝の儀が行われ、何の為に僕は死なねばならなかったのか。その理由が分からないまま死ぬのは、絶対に嫌です!」


 ずっと気にしないようにしていた。

 どうにもならない事だから。気にしてもしょうがない事だから。

 何の為に魔帝の儀があるのか、何の為に死ななければならないのか、僕はずっと考えないようにしていた。

 ただ時を過ごしていれば、いずれは美しい剣姫の慈悲の剣で命を終えられる。

 そうなると、ずっと思っていた。

 ……今思うと僕は甘えていたのかも知れない。


「僕は知りたいのです。理由を」


「理由なんてありません」


 陶華は凛とした声で、吐き捨てるように冷たくそう言った。

 そしてウサギの刺さった串を枯れ葉の散らばる地面から抜き取り、僕に差し出す。


「猿里はこのウサギが何故、何の理由があって死んだと思いますか?」


 僕は美味しそうな香りを出して、ピクリとも動かないウサギの亡骸を見つめ、少し考え込んでから答えた。


「確かにこのウサギは死んでしまいましたが、僕たちが食べる事で、僕たちの中で生きて……」


 陶華の顔が醜く歪んでいくのに気付いて、僕は言葉を止めた。


「猿里は虎にムシャムシャ食べられて、虎さんの中で生きていけて幸せー、なんて思うんですか? 腐れ偽善者ですね」


 陶華は手袋をつけたまま、乱暴にウサギの串を抜き取り、顔を歪めたまま荒々しく齧り付いた。

 僕は、陶華も納得できるようなウサギの死の理由を考え続けたが、どうしても思い浮かばなかった。


「何にせよ、他者の死に勝手に仰々しく理由付けするのは失礼です。このウサギはたまたま運悪く私に見つかって、逃げ遅れたから死んだ。それだけです」


 確かに、それも一理あるかも知れない。


「……でも、自分の生まれた理由を、生きる理由を、死ぬ理由を知ろうとするのは間違っていないと思います」


「そうですか。どうせ一生分からないと思いますが、精々頑張って考えてください」


「……そうします」


「さ、早く食べないと冷めますよ。あ、残したら殺しますからね」


 僕は、思い出したようにウサギに齧り付いた。

 香ばしさと、弾けるような油と、肉の繊維が解けるような舌ざわり。

 僕はウサギに深く感謝しながら、ゆっくりと食べ終えた。


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