『9』
ルトナさんは、腕組みをしながらも僕の事をじっと待ってくれていた。
口元には不敵ともいえる笑みを浮かべながら、彼女の方から先に口を開く。
「フフフッ……まさか、夏姫や華鈴だけに飽き足らず、この私まで堕とそうとするとは平民パシリは『分不相応』という言葉もロクに知らないようね?――最底辺の自分がたった一人でここまで自分をイジメてきたグループを壊滅する事が出来て、さぞご満悦でしょうけど、私は天下の『洋宮院』家を担う者。アナタ程度の人間に、その家柄を背負う気概があるのかしら?」
「……ッ!!」
ルトナさんから迸る圧倒的な、名家としての“格”。
それを前にして、僕は思わず立ちすくみそうになる。
そんな僕を見ながら、ルトナさんが憮然とした表情で呟く。
「……分かったでしょう。平民パシリには、どだい無理な話だったのよ。分かったのなら、平民は平民同士で結婚でもハーレムでも構わないから、大人しく乳繰り合っていなさい。……貴方達には、それがお似合いよ」
そう高慢な口調で告げているけど、ルトナさんの表情はどこまでも寂しげだった。
……あぁ、またか。
またこの人はそうやって、『みんなのために』とかそんなことを考えながら、犬神家との確執とか自身の家柄の事に僕達を巻き込ませないように、自分から身を引こうとしているんだ。
でもだったら、僕には絶対に許せない事がある――!!
そう決意しながら、自身の気力を奮い起こして僕はルトナさんを問い詰める。
「――だったら、僕と一緒になる気がないのなら、ルトナさんは自分が計画した二泊三日の温泉旅行が成功して、もしも僕との子供が出来たとしたら、そこから先一体どうするつもりだったのさ!?」
「……ッ!?」
僕の発言を聞いて、これまでの態度から一転して動揺を色濃く浮かばせるルトナさん。
それを見て、僕の中の推測は確信へと変わる。
「ルトナさんは、子供が出来ていたら僕と離れて一人でその子を育てていくつもりだったんだろ!?……でもそんな、僕っていう存在がいるのに、生まれてきた子供に寂しい思いをさせることも、本当はとっても他の人達の事を思えるくらい優しくて、すっごく寂しがりやなルトナさんに辛い目に遭わせるようなことは!……僕が、絶対に許さないッ!!」
「……ッ!?許さないからって、それがどうしたのよッ!!どれだけ偉そうなことを言ったところで、平民パシリのアナタなんかに、洋宮院を背負って立つ私に、何が出来るって言うのよッ!?」
「その僕に“パシリ”っていう役割を最初に押し付けたのは、君だろッ!!――自分が言ったことから、逃げようとするなッ!!」
単なるパシリに過ぎないはずの僕が出した怒声に、驚愕の表情を浮かべるルトナさん。
他の二人も後ろで息をのんでいるのが背中越しに伝わってくるし、当の僕自身が自分でこんな声を出せるのかと驚いている。
でも、今はそんなことはどうでも良い。
僕はルトナさんに、止まることなく自身の思いの丈をぶつける――!!
「僕は、ルトナさんに選ばれたパシリなんだ。どんな時でも呼んでくれたらいつでも駆けつけるし、ルトナさんが押しつぶされそうなら、荷物といわず、洋宮院っていう家も……ルトナさんの人生を全て背負ってみせるッ!!……今、新しい家族が出来ちゃったらその前に僕の人生が押しつぶされちゃうかもしれないけど、いずれはこの宣言に見合うだけの男になってみせると、君に誓うッ……!!」
それは、泣きながらすべてに絶望して屋上から飛び降り自殺しようとしていた時の僕にはなかった決意。
『……パシリだから、荷物持ちくらいなら出来るけど――流石に、そこまでみんなの人生を背負うのは無理だよッ!!』
全ては、あの感情と言葉から始まった。
あの時は、そうするしか道がないと思っていたけど、今の僕は違う。
――流されるまま人生を破滅させるような堕落に突き進んだり、苦しんで死を選ぶことを拒み、女神やDQNと対峙する事が出来た僕なら、この先例えどれだけ困難が待っていたとしても、そこに彼女達がいてくれる限り、不可能なことなんてありはしない――!!
そんな想いとともに、僕はルトナさんへと力強く告げる――!!
「例えこの学校生活が終わって“パシリ”じゃなくなったとしても、今までパシリを終えた後に、僕を抱きしめてくれた君の優しさを忘れないッ!……この関係が終わったとしても、僕は君と一緒に人生を歩んでいきたいと願っている!――だから、これからも僕と一緒に生きていこう。洋宮院 ルトナ……!!」
僕の発言を受けて、ルトナさんは俯きながらじっと動かなくなってしまった。
夏姫さんや華鈴さんが不安そうにしている気配が伝わってくるが、僕はそれでもじっと待ち続ける。
――それから、どのくらい時間が経っただろうか。
永遠とも一瞬とも判別がつかない状況の中、最初に口を開いたのはルトナさんだった。
彼女は、普段からは想像も出来ない弱々しく、聞き取るのがやっとの小さな声で僕へと語り掛けてくる。
「平民パシリ……私なんかで、本当に良いの……?」
いつもの女帝然とした雰囲気からは程通りルトナさんからの問いかけ。
それでも僕は――彼女がこれまで僕にしてくれたように、優しく返答する。
「『なんか』じゃなくて、そうやっていろんなことに気を遣って、見ているだけで心配になるくらいなのに、それでも僕や他の人達への優しさをなくさなかった君のような人じゃないとダメなんだ。そんな君だから、僕は支えていきたいと思うし、すぐに挫けそうになる僕の事を優しく受け止めてほしい……って、甘えたくもなるんだ。――僕には、君が必要なんだよ。ルトナさん」
「……ッ」
僕の発言を受けて、ルトナさんの身体がピクリ、と大きく揺れる。
それは一瞬の事だったけど、それからすぐにルトナさんが顔をキッ!と上げたかと思うと、睨むような表情で無言のままツカツカとこちらに近づいてきた――!!
「……」
「え、ちょ、ルトナさ、ん……!?」
言葉を言い終わるよりも先に、気づけば僕は、いつも通りルトナさんに頭から抱きしめられる形となっていた。
女の子特有の良い匂いと柔らかな感触に包まれながらも、何とか理性を働かせて僕は彼女に問いかけようとする。
「あの~……ルトナさん?」
そんな僕の言葉に対しても、無言かと思われたけど、頭上からポツリ、とルトナさんの声が聞こえてきた。
「……さっき、私のこと。呼び捨てにした……」
「……あっ、あれはそのつい……ゴメン!!」
「……まだ、私とアナタは学校卒業してないはずだから、アナタと私は主人とパシリの関係のはずなのに……平民パシリのくせに生意気」
「本当にそれはゴメン!!……で、でも!ルトナさんの方こそ、『今日は何があっても、絶対に抱きしめたりしない』とか言ってたじゃないか!本当は、僕の方がルトナさんを抱きしめたかったのに……!!」
それに対して、ルトナさんが「アナタは馬鹿ね」と言いながらも、若干弾んだ声で囁くように答えを返してきた。
「そんなの、今の私がアナタに見せられない顔をしてるからに決まってるじゃない。……そのくらい、察しなさいよ、バカ……」
「ゴ、ゴメン……」
ルトナさんの言葉を受けて気恥ずかしさを感じた僕は、思わず再び謝ってしまった。
対するルトナさんは、いつも通りポンポンと背中を叩きながら、優しく僕へと語り掛けてくる。
「アラアラ。そうやって卑屈に謝ったり、こういう風に無節操に甘やかされるのも、“パシリ”である今のうちだけだって自覚はあるのかしら?――学校を卒業したら、すぐに私もアナタに頼ったり甘えてやるんだから、今から覚悟してよね、水津盛君?」
「……うん、約束する。――だから、もう少しこのままギュッとしていて良い?」
あぁ言われたにも関わらず、チラッと上目遣いで、ルトナさんの顔色を伺う僕。
対するルトナさんは、ため息をつきながらも、クスリと笑みを漏らして呟く。
「さっきまでの格好良かったアナタは一体どこへ行っちゃったのかしら?これから先、本当に任せて良いのか早くも不安になってくるわね」
そう言いながらも、「……でも」とルトナさんは言葉を続ける。
「――今回のアナタはいつも以上に頑張っていたから、今だけは特別に許してあげる」
そう答えながら、ルトナさんがいつも通り僕の背中を優しくさすっていく――。