『1』
ときどき、僕の高校生活とは何だったのか、と考えさせられる。
男子にしろ女子にしろ、昼休みは皆教室や部室で思い思いに友達とご飯を食べながら楽しく談笑したり、一人ぼっちのヤツなら、トイレ飯とかいうのをしたりしているのかもしれない。
トイレに行くつもりはないけど、友人が全くいない僕だって、本来なら一人寂しくも平穏な時間を昼休みに過ごせていたはずなんだ。
……なのに、いつからだろう。
まさか、自分がこんな風になるだなんて思ってもいなかった――。
昼休みのベルが鳴ると同時に、いつも通り僕は急いで家庭科室へと向かう。
普段は屋上なんだけど、夏と冬は外だとキツいので、ここに来ることになっているのだ。
憂鬱な気持ちと沈んだ表情のまま、僕は家庭科室の扉を開ける……。
室内はクーラーがガンガンに効いていたが、それとは別に僕はこれからの事を考えると、すぐに背筋が寒くなり冷や汗を流し始める。
そんな僕のことなどお構いなしに、さっそく怒声がこちらに向けて飛ばされてきた。
「遅ぇぞ、パシリ!アタシ等を待たせるとは良い度胸だな、テメェ……!!」
部屋に入ってすぐに、僕にそう怒鳴りつけてきたのは、前髪にメッシュが入った金髪ショートヘアの少しヤンキー的なギャルだった。
彼女の名前は、安藤 夏姫。
夏姫さんは、みんなの前でこんな風に恫喝しておきながら、二人っきりになると見様見真似のプロレス技を仕掛けてきたり、僕にムチプリ♡な身体を擦りつけて
「一秒でも早く、お前と顔合わせなきゃ気が済まないって意味だかんな……♡そのくらい、分かれよな!このタコッ♡」
とか囁きながら、過剰なスキンシップを平気でしてくるヤンギャルだった。
僕が女慣れしていない陰キャで、絶対に手を出してこないと分かり切っているからって……!!
僕に「まだ、そういう事すんのはダメだかんな……?」とか言うくらいなら、そういうスキンシップをするのは控えて欲してほしいと切に願う。
「まぁまぁ、なっちゃんもそう怒らないの♪どうせパシリ君の事だから、昨日もオタク向けの深夜アニメとか見過ぎて、授業中とかに寝てたりしてたに違いないよ!ここは、アタシ等の“かんだいなせいしん”で、多めに見てあげよ?ね?」
ゆるふわパーマの茶髪ロングヘア―にはだけた胸元、そんな扇情的ともいえる格好とは裏腹に、天真爛漫な表情をした黒ギャルが、夏姫さんを取り成すように見せかけて僕をディスってくる。
彼女の名前は、降幡 華鈴。
僕を庇いながらも、悪気なく僕を傷つけた感じの言動をしている彼女だが、その真意・裏の顔を知る僕は気づかれないように一瞬だけ彼女をキッ!と睨みつけながら、内心で静かに毒づく。
(よく言うよ!……確かに今日の僕は寝不足だけど、それも全部、華鈴さんが僕を無理やり深夜アニメ視聴に付き合わせたからじゃないか!)
華鈴さんは見た目こそイケイケの黒ギャルだが、実はオタクに優しくはない重度のオタク系女子だったりする。
僕は放課後や休日になると、たびたび華鈴さんと一緒にカードゲームショップ巡りやら、華鈴さんのコスプレを専属で撮影させられたり、家ではネトゲやら昨晩のようにネットで深夜アニメを実況しあう事に付き合わされていた。
確かに僕はもともとオタク気質だったけど、大抵のそういうサブカル関連の知識や趣味は華鈴さんに植え付けられたものだし、そのくせ彼女は自分の方が重度のオタクなのに、僕の事を
「うわ~!!オタク、きんも~~~☆チー牛、ここに極まれりってヤツですな!」
とか、平気で煽ってきたりする。
一度くらいは盛大にこの生意気な黒ギャルを分からせてやりたい!!と思ったりするものの、華鈴さんは普段のばk……天然っぽい言動に反して、実は学力トップクラスの頭の良さもあってか、カードゲームでもネトゲの対戦にしろ煽ってくるだけの実力を持っており、僕が負かされ続ける結果となっている。
おまけにそんな状態の僕に対して、華鈴さんは
「アタシに勝てたら、とっておきのご褒美をあげるから、早く負けさせてよね……チー牛♡」
とか小悪魔的に微笑みながら言ってくるし……。
ゲームでの勝負以外で反撃しようとしたら、何かオタクとして負けた気がするし、それでも全然勝てない日々が続くせいで、僕のフラストレーションは限界寸前にまで達しようとしていた。
「フン、逃げずにここに来れただけとりあえず褒めてあげるわ、平民パシリ。――それじゃ、来て早々なんだけど、今日もさっさと私達のためにパンを買ってきなさい」
そのように冷徹に告げた声の主は、銀髪を右側のサイドテールに結んでいるのが特徴的な、つり目がちの白ギャルだった。
席に座りながら、足を組む姿はまさに女帝さながらの風格を漂わせている。
彼女の名前は、洋宮院 ルトナ。
青い瞳からも分かる通り、北欧系の血を引く彼女は、洋宮院という裕福な家柄の一人娘であり、夏姫さんや華鈴さん達をまとめる実質的なイジメの主犯格だった。
洋宮院家はもともと東京の家柄なんだけど、ルトナさんは一時期小学生の時に地方であるこっちに住んでいた時期があるらしい。
なんで東京じゃなくて、こんな地方の高校を選んだのかが僕には良く分からないけど、子供の頃に僕と出会った事があるらしい。
あいにく僕はその事を覚えていなかったので、彼女にその話題を出されたときに正直にその事を告げて謝って以降、ルトナさんは夏姫さんや華鈴さんを引き連れて何故か僕をいじめるようになったのだ。
僕は恐る恐るルトナさんに訊ねる。
「あ、あの……パンって一体、どれを買ってきたら良いんでしょうか?」
大体の傾向はあるものの、それでも毎日同じものをルトナさん達は食べているわけじゃない。
そんな僕の質問に対して、彼女はフフッ、と蠱惑的な笑みとともに返答する。
「――馬鹿ね。貴方が買ってきたものなら、なんだって良いに決まっているでしょ。これだから、パシリは……」
そう言ってため息をついたかと思うと、ルトナさんはグーに丸めた自身の右手を差し出してくる。
……いけない、これ以上彼女に近づいてはいけない。
自分は黙って今すぐにここを出て、走って購買の焼きそばパンを買いに行けば良いんだ!
――パシりとしての本分を思い出し、そうしようと意識するものの、身体が動かない。
それどころか、逆にルトナさんに引き寄せられるかのように僕の足は前へと進んでいく……。
(お、落ち着け!!……本当に、何かを渡そうとしているだけかもしれないじゃないか!ここで逃げ出したりしたら、それこそ怒られるかも……!!)
――嘘だ。
本当は、ルトナさんの怖さというものが、そんな部類のものじゃない事くらい、自分自身で分かっている。
ルトナさんの眼前にまでたどり着いた僕は、恐る恐る彼女の右手に触れようとした――その瞬間だった。
突如、勢いよく引っ張られたかと思うと、僕は頭からルトナさんに抱きすくめられていた。
夏姫さんや華鈴さんほどではないけど、柔らかい胸の感触を頭部に感じて思わず身体の芯からカァッ……!!と熱くなってくる。
それでも何とか抵抗しようとする僕だったが、そのままルトナさんから背中をポンポン、と優しく叩かれたことによって、完全に戦意を喪失させられてしまっていた。
脱出する術をなくした僕の耳元に、ルトナさんの囁き声が聞こえてくる。
「ほ~ら、千円上げるからこれでさっさと私達のパンを一つずつ買ってきなさい。――余ったお金で好きなもの買ってきて良いから、ね?」
そんなルトナさんの甘い声を聞きながら、僕は否定するかのように彼女の胸元でイヤイヤと頭を横に振る。
「ヤダ……パシリって、疲れるもん」
「こーら!ワガママ言わないの。ちゃんとおつかい出来たら、またこうしてギュッ!てしてあげるから。……早く買いに行ってくれないと、この前みたいに千円どころか一万円あげて、平民パシリの金銭感覚を一撃で壊しちゃうけど、本当にそれで良いの?」
「うぅ……パシリもイヤだけど、そっちも二度とマトモに社会復帰出来なくなりそうで、凄くイヤだ……!!」
ほぼ半泣きになった顔を見られないように、せめてもの意地でルトナさんの胸元に今まで以上に顔をギュッ……と、うずめる僕。
――これこそが、ルトナさんの本当の恐ろしさ。
彼女は最初に厳しい言葉をぶつけてから、こちらの価値観を揺さぶり、不安定になったところで優しい言葉と態度で甘やかしてから、僕が“自発的”な意思で彼女にとって都合の良い選択をするように仕向けて支配してくるのだ。
まさに、究極ともいえる悪意の形。
――だが、彼女の恐ろしさはそれだけじゃない。
「オラ、パシリ野郎!!いつまでもルトナに甘えてんじゃねー!!……さっさとパン買ってこねぇと、アタシ等と一緒に過ごす時間が減るだろうが!!」
「よちよち甘えん坊で、とっても情けない姿でちゅねー♡……でもパシリ君って、チャイムが鳴る前からアタシらがここで待っていた理由に想像力を働かせられないほどのおこちゃまだから、ある意味お似合いかもね~☆……オタク♡中身チー牛♡パシリ♡童貞♡変態♡マザコン♡実家だと声低そう♡甲斐性なし♡朴念仁♡」
僕がルトナさんに抱きすくめられている横から、夏姫さんや華鈴さんが物凄い勢いで罵詈雑言や嘲笑の嵐を飛ばしてくる。
ルトナさんはこうやって僕を甘やかす一方で、二人の前で僕の情けない姿を見せて辱めているんだ。
同級生のいじめっ子達の前で、みっともない姿を晒している事を理解しながらなおも、パンを買いに行く事もせずにルトナさんの胸元で咽び泣く自分……。
僕は、羞恥心からくる自己嫌悪のあまり、このままどこかへ消え去りたい気持ちでいっぱいになっていた……。