#4 マイコ、無双
黒竜の回転がようやく止まった。
回転による遠心力を載せた尾の攻撃を何度も何度も繰り返していたが、相手の防御を抜けないことが分かったからだろうか、黒竜の黄金の瞳が忌々し気にマイコを見下ろす。
見上げるマイコと見下ろす黒竜、双方の視線が交差する。
黒竜が徐に大きく翼を広げる。
見た目ゆったりとした動作で羽ばたき、その巨躯を宙に浮かせ始める。
――上空からブレスを撃ち下ろすつもり?
黒竜の羽ばたきによって巻き起こる風をものともせず、そんなことさせるものかと、マイコの瞳と握りしめた拳に力がこもる。
――万里瞬動!
瞬時に距離を詰め、マイコは黒竜の背に飛び乗った。
――紅光集束!
黒竜に向けて下げられた両手に、再び深紅の光が集束しだす。
「さっきの攻撃はちょっとヒヤヒヤさせられたのよ」
黒竜が振り向き、自分の背中に乗ったマイコに向けて目を大きく見開いた。
「だから、そのお返しよ。受けてみて? 貴方のブレスとタメを張った、ゼロ距離からの私の攻撃を!」
それと同時にマイコの両手から深紅の光が放たれる。
――グウゥァアアアアア!
黒竜が悲鳴のような咆哮を上げ、轟音と共に地面に叩き落された。
凄まじい程の深紅の光が、漆黒の巨躯を地に縫い付けるどころか、さらにメリメリと地面に陥没させていく。
黒竜は非常に苦し気な表情を見せながらも、なんとか逃れようと両脚に力を入れ始める。
――ググッグルァアアアアア!
黒竜が首を上げ、咆哮を響かせる。
それと同時に漆黒の鱗が何枚か剥がれ落ちた。
幅五十センチくらいの六角形に近い形をした複数の鱗がマイコの周りにヒラヒラと舞い上がる。
――っ!?
それを視界の隅に捉えた途端、ぞくりとした悪寒がマイコを襲った。
脳裏で危険信号が激しく鳴り響いた気がして、マイコは即座に黒竜の背中から飛び退いた。
――何? 何なの、一体!?
地に降り立ったマイコの見上げる先で、いくつもの漆黒の鱗が舞っている。
その数は少なくとも十以上。
落ちていくことなく宙にとどまり、陽光を浴びて艶やかに舞っている。
――何あれ。……もしかして、黒竜が動かしているの?
黒竜に視線を向けると、苦しげではあるがなんとか自分の脚で立ち上った様だ。流石、古竜と呼ばれる別格の存在を除けば、竜種の中で最も戦闘力が高く厄介と言われているだけのことはある。
だが、その翼はもうぼろぼろでとても使えそうには見えない。
今なお宙に舞っている鱗は気になるが、黒竜自身を地に縫い付けることができたのだから、まずは上々と言えるのかもしれない。
マイコがそう思った時――
――キュィイイイイイン!
甲高い音がいくつも周囲に鳴り響き始めた。
宙に舞う漆黒の鱗が高速に回転を始める。
そのうちの幾つかが、まるで撃ち出された弾丸のように高速でマイコに迫る。
マイコが慌てて飛び退く。
漆黒の鱗がマイコのいた場所に次々と突き刺さる。
宙に舞っている鱗のうち、二つの鱗から黒い光弾が撃ち出される。
マイコが横っ飛びで何とかそれを躱す。
――ちょっ! ちょっと待って! 何それっ!
いくつもの鱗が飛び回るだけでなく、個々に射撃攻撃までしてくる?
しかも、それが黒竜の意思で動く?
マイコの脳裏に、以前元の世界で見た、とあるアニメのシーンが思い出される。
――黒竜って、ニュータイプだったの!?
心の中でしょうもないツッコミをするマイコ。
その間にも、舞い上がる全ての鱗が黒竜から離れてマイコの方に寄って来る。
規則正しく円状に並び、マイコの頭上をゆっくりと旋回し始める。
それを見上げながら、マイコの口角が自然と上がっていた。
――黒竜が、こんなチート持ちだったとはね。
――でもね?
――チートでは、こっちだって、負けてないんだからねっ!
――いくよっ!
――加速発動!
――全天索敵!
――因果予測!
そして、マイコはその瞳を閉じた。
宙に舞っていた全ての鱗たちがマイコを襲うべく一斉に動き出す。
不規則な動きを見せながらマイコに接近しつつ、幾つかの鱗から同時に黒い光弾が放たれる。
マイコは目を閉じたまま、身体を少し捻りながら横にステップした。
全ての光弾がマイコに掠ることも無く大地に突き刺さる。
右に回り込んだ鱗がマイコに向けて黒い光弾を放つ。
マイコはほんの僅かに頭部を後ろにずらすことでそれを躱す。
光弾が鼻先をかすめるように通り過ぎる。
マイコが身をかがめる。
後ろに回り込んでいた二つの鱗から放たれた黒い光弾が閃光となって頭の上を交差して通り過ぎる。
――見えるっ!
目を閉じながら心の中でそう呟くマイコの真正面に鱗が一つ飛び込んでくる。
後方からも二つの鱗が至近距離に詰め寄る。
マイコが高く跳び上がると同時に三つの黒い閃光が交差する。
跳び上がったマイコの左右に別の鱗が接近してくる。
――ちゃんと、見えてるんだからねっ!
今のマイコは目で見ているわけではない。
全天索敵で得られた周囲全ての情報が単一色でポリゴン化された三次元コンピュータグラフィックスのようにマイコの脳裏に映し出されている。
その範囲は本人を中心として最大で半径三百メートルを超える。
今のマイコならば、百メートル先で木の葉がそよ風に揺れる様子も、アリが獲物を咥えて歩く様子も、全て手に取るように認知することができる。
しかも、不要と判断した情報は削除することや、重要度や優先度によって情報を強調することも、さらには正確な大きさや動く速度、温度などといったパッと見だけでは分からない詳細な情報までも瞬時に確認することもできる。
マイコの元いた世界での、拡張現実と呼ばれるものがそれに近いかもしれない。
今のマイコは、視覚による認知よりも遥かに早く的確にあらゆる状況を把握することができている。
マイコが目を閉じたまま心の中で呟く。
――紅光集束!
マイコの手の先に深紅の光が集束する。
マイコは両腕を広げ、指を伸ばし、左右それぞれに紅い光弾を撃ち込む。
それは何もない場所に撃ち込んだように見えた。
だが次の瞬間、まるでそこへ吸い込まれるかように漆黒の鱗が飛来し、紅い光弾にぶち当たる。
現状を把握し、それに基づき未来を予測する。
それが因果予測。
全て完璧に、とまではいかなくとも、かなりの高確率で数秒先の未来を予測することができる。それが全天索敵と同様、マイコの脳裏に情報として付加される。
マイコは先を予測した情報を元に、紅い光弾を撃ち込んだのだ。
光弾をぶち込まれた鱗がその衝撃で吹き飛ばされる。
だがしかし破壊までは至っていない。
――やっぱダメか。
マイコはそのことに特別落胆はしていない。
なにせ黒竜の躰を守っていた鱗である。
そう簡単に破壊できるような軟な代物の筈はない。
恐らく無理だろうとはマイコ自身も思っていたことだ。
マイコは自分の放つ紅い光弾のイメージを変更し始めた。
今までは深く考えていなかったせいもあり、なんとなく丸いちょっと大きめなパチンコ玉のようなイメージをしていた。だがそれでは鱗を破壊できない。
ならば――
――より細く! より鋭く! 貫通力を上げる! いけっ!
右手を前上方に、左手を後下方に構え、前と後ろにイメージし直した紅い光弾を一発ずつ撃ち込む。
それぞれの光弾の射線上に吸い込まれるかのように飛来してきた鱗を紅い閃光が貫く。二つの鱗はどちらも吹き飛ばず、少しの間ではあるがその場で停止し、やがて力を失ったかのように落下していった。
――よしっ!
マイコは心の中でガッツポーズを取りながら首をわずかに右に傾ける。
後ろから左耳を掠めるように漆黒の閃光が過ぎていく。
正面に新たに鱗が迫り、今度は左に首を傾ける。
同時に漆黒の閃光が右耳を掠めていく。
マイコはそのまま仰向けに倒れながら両腕を上方に掲げ、迫っていた二つの鱗を撃ち抜いた。
――四つ!
倒れ込んでいるところへ二つの鱗が迫る。
マイコは腰を曲げて体を小さく丸め、首と肩で体を支える体勢になる。
二つの鱗から放たれた漆黒の光弾が、今の今までマイコの躰が横たわっていた場所に突き刺さる。その様子を認知した後、腰を伸ばす反動を利用し、首跳ね起きの要領で素早く立ち上り、振り向きざまに二つの鱗を撃ち抜いた。
――これで六つ。残り九つ!
頭の中では、全天索敵から正確な個数がリアルタイムで表示されている。
マイコは一旦身を小さくするようにしゃがみ、高く跳びあがった。
大地に三つの鱗からの閃光が突き刺さる。
足場固定を使い、それを足場にして更に高く跳ぶ。
正面に躍り出てきた鱗を回し蹴りで蹴り飛ばす。
その勢いで体を回転させながら、両腕を広げて左右の鱗を撃ち抜く。
――八つ!
再び足場固定を使って跳ぶ。
同じことを二度三度と繰り返す。
その間にも前後左右から漆黒の閃光がマイコを襲うが、全天索敵と因果予測で位置も向きもタイミングも全て掴めているし、加速発動で思考も体の動きも加速されている。
鱗からの閃光は、全てマイコの過ぎ去った後を通り過ぎていくだけだった。
四度目の足場でマイコは背面に跳び上がる。
足が上で頭が下という体勢で五度目の足場を固定させ、追いかけてきた六つの鱗に狙いを定め、両手を振りながら、全て外さず瞬時に撃ち抜いた。
足場の固定を解除し、宙返りの要領で体勢を直し、六度目の足場固定に降り立つ。と同時に頭をわずかに右前に逸らす。
漆黒の閃光を避け、左手を右脇に入れるような形で、右後にいた最後の鱗を撃ち落とした。
――これで、終了……かな。
マイコが目を開ける。
その視線の先では、黒竜の黄金の瞳が鋭い眼光でマイコを睨んでいた。