#3 アルの気持ち
黒竜の細長い瞳孔が更に細められながら、その視線が足元に向けられる。
その視線の先では金髪碧眼の青年が「やぁあああ!」等と叫びながら渾身の力を込めて短剣を振り回していた。
ガンッガンッと漆黒の鱗に短剣を打ち当てる鈍い音は響くが、正直全く効いているようには見えない。
当然のことかもしれない。
竜の身体を守る鱗は非常に軽量ながらも、かなり強度は高いということが一般的によく知られている。そのため、それを使った防具などはハンター達にとって垂涎モノではあるが、あまりにも希少かつ高価過ぎて一般の市場にはほぼ出回ることは無い。
それを傷付けるにはそれなりに質の良い剣と、それを扱う高度な技術が必要になる。特に黒竜の鱗は、他の竜種に比べてもその強度が一段も二段も上だとさえ言われている代物だ。戦闘訓練どころか剣の鍛錬もほとんどしたことのない青年が、にわかに剣を振り回してどうにかなる筈もない。
だが、たとえ全く効かない攻撃だったとしても、当の黒竜にとっては煩わしいモノだったのかもしれない。足元をうろちょろする小煩い輩を踏みつぶそうと、黒竜が右脚を軽く上げた。
「アル! 逃げてぇ!」
マイコはすぐさま青年に向かって警告を発した。
その声が聞こえたのか、青年が一歩後退る。
だが、見上げるばかりでそれ以上後退しようとしない。
アルの足は震えていて思うように動けないのだと気付いた瞬間、マイコは攻撃を中断し、空中に固定していた足場を解除した。
拮抗していた攻撃が止み、黒竜のブレスがマイコに迫る。
猛り狂うような黒き奔流がマイコを呑み込もうとした、まさにその時――
――万里瞬動!
一瞬のうちにマイコは青年の下に駆け寄る。
頭上には黒竜の脚が迫りくる中、青年の腕を掴みすぐさま反転してその場を離れるべく跳び退る。
――ドゥンンン!
青年がいた場所に黒竜の脚が下ろされ、その衝撃で大地が震える。
あのままでいたら間違いなく、プレス機に挟まれた如くぺしゃんこに踏み潰されていただろう。それを想像してしまったのか、アルと呼ばれた青年は顔を酷く青ざめながら息を呑んだ。
「大丈夫? アル?」
マイコが心配そうに問いかけるが、アルからは何の反応も無い。
ただ口を半ば開けて黒竜の右脚を凝視しているだけ。
そんなアルの頬を、マイコは軽くペシッと叩いた。
「しっかりしなさい、アルフィディアス!」
「あ……、ああ。マイコ。悪い……」
「ダメだよアル。無茶はしないで。今の貴方は魔法をほとんど使えないんだから」
「わ、分かってる。しかし相手は……」
だがアルの言葉はそれ以上続けられなかった。
今の二人は黒竜から十分な距離を取ったわけではない。
緊急回避で黒竜の脚から逃れただけにすぎない。
そこはまだ、十分に黒竜の攻撃範囲内だった。
黒竜は頭部を持ち上げ仰け反ると、おもむろに首を振り、更に漆黒の体躯を勢いよく横に回転させ、遠心力をたっぷりと乗せた尾を振り回す。
それを目にした瞬間、マイコはアルを庇うように一歩前に出た。
――紅陣防御!
マイコが両手を前に突き出す。
その手を中心に直径三メートル程の紅い防御の魔法陣が現れる。
だが今回、黒竜は直接二人を狙ったわけではなかった。
黒竜の尾はマイコ達の近くにあった、高さ五メートルはあろうかという大岩に向かっていた。
轟音と共に大岩はあっけなく粉砕され、大小様々に砕けた無数の礫が、まるで岩の砲弾となって淡く紅い光を放つ防御の魔法陣に次々とぶち当たる。
黒竜の攻撃はそれで終わりでは無かった。
大岩を砕いた後も止めることなく巨躯を回転させ続ける。
まるでコマのように回転するその姿を見て、黒竜が次に何をしようとしているのかを瞬時に察し、マイコの顔が思わず引きつっていた。
――ちょっ! 嘘でしょっ!
そんな心の叫びが黒竜に通じるわけもなく、幾度もの回転で更なる勢いを付けた黒き尾が二人に襲い掛かる。
――紅盾固定!
即座に魔法陣の外周が紅い輝きを増し、左右と下に現れた三つの突起が魔法陣の盾を固定すべく大地に深く突き刺さる。
黒竜の尾が防御の魔法陣に激突する。
ドォーンという激しい激突音が周囲に響く。
大抵の衝撃は魔法陣が吸収してくれる。……筈なのだが、これだけの衝撃となると、その全てはさすがに吸収できなかったらしい。
マイコの手にもその衝撃が振動となって伝わって来る。
黒竜が更に回転し、二発目の尾が襲い来る。
再び激しい衝突音が周囲に鳴り響き、その激しさを物語るかのようにマイコの手にビリビリとした振動が伝わる。
とてつもない衝撃だということが否が応でも分かる。
もしアンカーを打っておかなかったら、防御の上からでも吹き飛ばされていたかもしれない。それどころか、もし防御無くまともに喰らってしまえば、二人とも一発で全身の骨を粉砕され、あげく彼方まで吹き飛ばされていただろう。
「マ、マイコ……」
「大丈夫……だから、お願いアル、安全なところまで下がってて」
今のアルに何もする術は無い。
それはアル自身がよく分かっていた。
だが、この山の山頂に眠る秘宝を得るというのはアルの目的なのに、ここでマイコ一人に全てを任せ、押し付けてしまうことの心苦しさがアルの足をこの場に留めてしまっていた。
自分も魔法を使えれば!
そんな思いが何度も何度もアルの頭を過る。
通常であれば、アルはマイコに肩を並べて黒竜と対峙することができただろう。
エルフ族である彼は、それだけの魔法の力を持っているのだから。
しかし今は、この聖域に張られた結界に入るため、それと引き換えにアルは魔法を封じられてしまっている。
そのため攻撃や防御、または戦闘支援の魔法どころか、火を灯すような簡単な魔法さえ使うことができない。
「……リオがいてくれれば」
今はここにいない頼もしき友人の名が思わず口から漏れてしまう。
しかし同時に、人に頼らざるを得ない今の自分の無能さが非常に腹立たしい。
そんなアルの思いを察し、マイコは笑顔を向けながら「大丈夫」と繰り返す。
「大丈夫。大丈夫だよ、アル。任せてよ。アルはできるだけ安全な所に隠れていて。……そうしてくれたら、私も心置きなく戦えるからさ」
自分がいるから、マイコはここを死守しようと踏みとどまっている。
自分が離れていれば、マイコは自由に戦うことができる。
それが分からない青年ではない。
だが、それでも、どうしても気持ち的に確認しておきたかった。
「……ホントに大丈夫、なんだよな? 信じていいんだよな?」
「ええ。信じなさいって。私と、このフューネのアーティファクト《戦乙女の紅玉》を!」
マイコの力強い言葉を聞いて、アルは大きく頷いた。
「分かった。信じるよ。必ず勝ってくれよ、マイコ。もし無事に黒竜を倒してくれたら、報酬は弾むぞ。金だけじゃない。とびっきり情熱的な抱擁と接吻、そして私との結婚……」
「――いや、それいらないから。本気で!」
真剣な面持ちで即完全否定したマイコだった。
でも、
……思ってたより、随分余裕あるじゃない?
すぐにその顔をほころばせてマイコは笑顔を見せる。
……すこし苦笑ぎみではあるが。
アルもその答えは予想していたようで、落胆などは見せずむしろ一度「ふっ」と笑い、その場を急いで離れた。
アルが自分たちから十分に距離を取り、岩陰に身を潜めたことを確認したマイコは、一度大きく深呼吸し、自分に気合を入れ直した。
――さあ! ギア上げるよっ!