#2 紅と黒の激突
漆黒の竜が右腕を鋭く横に振う。
それは、自分に迫りくる紅髪の少女をその鋭い鉤爪で引き裂こうとしたものだ。
唸るような風切り音を伴った鋭い斬撃が少女を捉えたかと思われたその瞬間、少女は紅髪をなびかせながら空中ですばやく身を翻す。
何も捉えることなく空を切る黒竜の鉤爪。
体を回転させながらもバランスを崩すことも無く、それどころか自分のすぐ傍を通り過ぎてゆく黒竜の腕を強く蹴って、少女は更に高く跳ぶ。
紅髪の少女――マイコの視線の高さが黒竜のそれと並ぶ。
同時に、マイコと黒竜の視線が交差する。
この世界に暮らす多くの者にとって、竜とは紛れもなく畏怖の対象であろう。
その圧倒的なまでの存在感、まさに生物の頂点に君臨するかのような絶対者の風格、見据えられただけで心臓が止まるかと思う程の威厳をもった眼光。
その脅威に、出会った瞬間に死すらも覚悟してしまう程だとしても無理はないのかもしれない。
だが、異なる世界から溢れんばかりの憧れと好奇心を胸に抱いてこの世界に渡ってきたマイコにとって、初めて見た竜への感情はそれと大きく異なっていた。
――うん。やっぱ凄く綺麗な瞳だね。
間近で黒竜の眼を見た、それがマイコの本音だった。
彼女にとって何より印象的なのはその瞳の美しさだった。
縦に裂けたような細長い瞳孔に、それを囲む黄金の虹彩。
それはまるで、神の寵愛によって奇跡的に生み出された宝石のよう。
命がけで戦う相手だというのに、その神秘的な瞳には心を奪われてしまいそうな妖しささえ感じてしまう。
できれば、いつまでもじっくり見ていたいよ。
マイコのそんな想いを、だが当の黒竜は許してくれる筈もない。
――グゥァアアアアア!
マイコに睨むような視線を向け、再び咆哮を上げながら漆黒の竜が顎門を開く。幾つもの鋭い牙が並ぶその奥で、何か黒い、闇のようなものが渦巻き始める。
まさに妖艶と表現するに相応しい黒竜の瞳に見惚れながらも、マイコは右腕を伸ばす。親指を立て、人差し指と中指を揃えて伸ばし相手を指す。それはまるで銃を模したように。その手首を支えるように左手を添える。
――紅光集束!
マイコが心の中で呟くと同時に、伸ばした指の先で深紅の光が集束しだす。
幾条もの光が渦巻きながら急速に凝縮していく。
マイコがさらに呟く。
――足場固定!
その足元に複雑な幾何学模様で構成された直径二メートル程の円形の魔法陣が浮かび上がり、淡く紅い光を放ち始める。
「いっ、けぇえええええ!」
魔法陣を強く踏みしめ、マイコが叫ぶ。
直後、黒竜から漆黒のブレスが、マイコからは深紅の光が、膨大なエネルギーの渦巻く奔流となって同時に放たれた。
双方からの攻撃が両者の中心でぶつかり合う。
互いに相手を呑み込まんとする程の強大なエネルギー同士が拮抗し、鼓膜を突き破るような激しい轟音と共に、大気をも震わせるような衝撃と、大地すらも融解させるような熱波を周囲に撒き散らす。
――オォオオオオオ!
黒竜が吼える。
――やぁあああああ!
マイコが叫ぶ。
双方が攻撃の圧力を極限まで高めようと可能な限り最大限の気迫を込める。
更に威力を増したエネルギー同士が、ぶつかり合う箇所を中心に周囲の空気をプラズマ化し、稲妻のような激しく眩い光を撒き散らす。
――これが竜のブレス!? なんて威力よ!
激しい衝撃波と熱波が吹き荒れる中、山をも穿つと言われる竜のブレスの威力を目の当りにし、マイコの額に汗がにじむ。
――くっ! いつまで、続くのよ、コレ!
黒竜のブレスは未だ衰える様子を見せずに続いている。
それは、時間にすればほんの十数秒のことかもしれない。
だがマイコにとってはその百倍の時間すらも軽く超えているような錯覚さえしてくる。
しかし、ここで気を抜くわけにはいかない。
一瞬でも気を抜けば、たちまち漆黒のブレスに呑み込まれ、即人生のゲームオーバーだ。
もちろん死に戻りなんてあるわけもない。
――このっ! 絶対負けるもんかっ!
マイコが更に気合を入れた、その時――
「うぉおおおおお!」
金髪碧眼の青年が雄叫びを上げながら、漆黒の竜の右脚に向かって護身用の短剣を振りかざした。