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星に願いを  作者: pinkmint
4/4

その4 FLY LADY FLY

「ねえねえ、あのお客様さ」

「ん?」

「もう五日連続だよね」

 

 駅前のファミレスの窓際に一人座る五十前後の男性客を斜めに見ながら、女子店員が二人、ひそひそ立ち話をしていた。男の頭には白いものが半分ほど混じり、何か酷く人生に疲れた様子ではあったが、夕日に照らされた端正な横顔は男の整った顔立ちを際立たせていた。

「こっちちらちら見ながら座ってるの。こっちっていうか、あんたを、よ。しかも同じ席で」

「ファミレスではよくあることじゃない」話し掛けられた店員は投げやりに言った。ショートカットで、相方より頭一つ分背が高い。

「わたしの勘だとね、あの席、一番あんたの動向が見渡せる場所なんだよ。あんたさ、よくドリンクバーのコーヒーの交換してるでしょ。まず間違いない、気があるわよ。渋めでいい男よね」

 ピンポーンとその席から呼び出しのチャイムが鳴った。

「ほら、お呼びお呼び」

 気乗りしない様子で彼女は男の席に向かった。

「お待たせしました。ご注文お決まりですか」

 ハスキーボイスに顔を上げると、うっすら汗をかきながら、男は決心したように尋ねてきた。

「あの、失礼な質問かもしれませんが、その名札、本名ですか?」

「はい?」

 彼女の胸元の名札には、カタカナで「マユキ」と書いてあった。

「ああこれ。本当は規則で名字書くことになってるんです。でもそっちだと長すぎて名札に収まらないし呼びにくいので、下の名を書いてます」

「どんな名字なのかな。そこ、うかがえませんか」

「なぜですか」彼女は三日月形の眉を尖らせた。

「いや、すみません、あの、あなたによく似た娘さんを知っているんです。彼女はだいぶ前に病気で亡くなりましたけどね。あいや、こんな話でお気を悪くされたでしょう、申し訳ない」

 彼女は数秒、黒曜石のような瞳で八雲を見下ろしていたが、やがて口を開いた。

「父はアメリカ人です。格闘家でしたが、乱射事件に巻き込まれて亡くなりました」

「……それは…… なんというか……」

「格闘技のインストラクターとしての父を尊敬していましたので、母子家庭になってもずっとその名字を通してます。だからラストネームは名札に書くには長いんです」

「どのぐらい……」

「フライシュマン、です」

 抑えようと思っても、男の肩が震えはじめる。

「……ぼくも健康維持のためのジムには通ってますが、レベルが違いそうですね。あなたもだいぶ鍛えた体をしてらっしゃる」

「父がわたしの師でしたから」

「失礼ですが、お母さんは……」

「母は生粋の日本人です。わたしがある病気で生死の境をさまよってた頃、重度の鬱に引っかかって戻れなくなって、今は故郷の大島の施設にいます」

「戻れなくなった?」

「わたし、以前肝臓腫瘍になったんです。移植しか助かる道はないと言われて、血縁者が少なくて諦めてたんだけど、冥界の入り口までいったあたりで脳死ドナーが運良く現れて移植が成功して、危機一髪で助かったんです」

「……それは、幸運でしたね……」語尾の震えを隠しながら、男は言った。

「母も父も泣いて喜んでくれたんだけど、母は心の傷からは立ち直れなかったんです」

「立ち直れない…… ちゃんと治ったのに?」

「そういうことは時々あるそうです。心の限度を超えた不安と恐怖が続くと、問題は消えても深い傷がふさがらないことが。わたしが会いに行くたびに、ああ生きてた、真雪ちゃん生きてたって泣いて喜ぶんですけど、わたしが東京に帰ると後はふさぎ込んで寝たきりだそうです」


 八雲は絶句した。

 ああ、これは現実なのだ。

 

 生きている。死んだと思っていた娘が、今目の前にいて、今、自分としゃべっている……

 そして、昔愛した女性は今、孤独と鬱の中にいる。


「よろしければそろそろご注文を」

 冷静な声で言われて、はっと八雲は手元のメニューを見た。

「ああ、そうだ。ええと、じゃ、アイスロイヤルミルクティー」

「かしこまりました」

 去りかけた彼女に、もっと何か言わなければ、と手を伸ばしかけた時、彼女は振り向いた。

「格闘系に、興味がおありですか」

「ええ、今は自己鍛錬だけですが、実戦に役立つ類の技系にも興味はあるんです」八雲は身を乗り出して言った。

 彼女はかがみこんで、制服の下のジーンズから名刺を取り出した。クラヴマガジャパン、トレーナー、ラスティ・フライシュマン?

 長い睫毛を伏せると、低い声で彼女は男に囁いた。「これがわたしの、ジムでのトレーナーとしての通り名です。本名は()(ゆき)・フライシュマン。このファミレスではマユキで通していますが、それまでの自分は捨てたつもりでいますから、自分にとってはラスティのほうが本名です。そしてジムでの自分は、女性ではありません」

「……」

「お客さん。ジムにいらっしゃるなら、申し上げておきます。

 こんな名前ですが、わたしは生粋の女性じゃありません。さりとて男性でもないんです。また、どっちでもあると言えます。世界的に見ればそう珍しい存在でもないんですが、それを気にしないでいられますか」

 八雲は絶句したのち、静かに言った。

「ええ、もちろん。……いろいろと、ご苦労なさったんですね。ファミレスとジム、体にはきついでしょう」

「全然。働くのは楽しいですよ。では、本気で体を動かしたいならどうぞお出で下さい」

「あの、……あの、お母さんには、時々はお会いになっているんですか」

「ええ。大島なんて、竹芝桟橋からジェット船で一時間四十五分ですよ」

「そんなに近いんだ……」

 胸のつぶれそうな思いと罪悪感で、八雲は左手で胸のあたりを押さえた。その様子を見て、ラスティは言った。

「お客さん、身体は大丈夫ですよね? 年齢はおいくつですか」

「四十九歳です」

「ああ、ちょっときついかな。うちは護身というより本気の格闘が主なので、年齢的に負担になるかもしれません」

「なるほどね。年甲斐もないことをして寿命を縮めたら、あなたにもご迷惑だ」

「では年甲斐もないことをして寿命を縮めたくなるようなことでもあれば、そのときはどうぞ」

 ラスティは微笑んで名刺を渡した。八雲は受け取ってこっくりと頷いた。そして、背筋を伸ばして去っていく凛とした後姿に囁いた。


 よくぞ。

 よくぞ、生きていてくれた。

 

 ラスティ。

 きみの人生が、鋼のように輝くのが俺には見える。

 次に流れ星を見ることがあったら、いや満月にでもいい、駄目な父は心から祈ろう。

 

 まっすぐに、健康に生きろ。高く高く翔べ。ラスティ・フライシュマン。


登場人物の一人、ラスティのその後は【forget me not】https://ncode.syosetu.com/n8303el/という作品で描かれています。よろしければお読みください。

(わたし当初URLをミスしていました、指摘してくれた方本当にありがとうございました)

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