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 常夏の島に暮らすアリスにとって、雪、というものは空想の産物以外のなにものでもなかった。

 空から雨以外のものが降ってくるなんて、物語の中だけに決まっている。

 毎年遊園地で触らせてくれる、北の国からのあの「贈り物」だって、絶対作り物だ。

 あんなものがふわふわ振ってくる?


――まるで夢の話。


 夢。そうじゃなかったら、ウソ。

 そうだ。

 きっとみんなが、なんにも知らない子にウソをついているんだ。

 だって世界には、そんなウソがあふれているもの。


 たとえば、そう。


 虹の始まる場所の地面を掘るとそこにはたからものがあるとか。

 それをはじめて聞いたとき、庭のホースで虹を作って始まりの場所を掘ってみたけど、なんにもなかった。


 桜がピンク色なのは、地面に死体が埋まっているからだとか。

 アリスの家の庭にはおととし植えたばかりの桜があるけど、そこに死体なんか埋まっていない。


 桜といえば、よく花びらがたくさん舞う光景のアニメを見るけど、そんなことあるわけない。

 桜の花びらが一枚一枚ひらひら落ちてくるのなんか、見たことないもの。


 それから、狐や狸は化けることができて、よく人をだます、とか。

 動物園に狐はいるけど、べつに何かに化けたりなんかしない。

 そういうのは妖怪にしかできないんだよ、って説明されたこともある。

 だけど、それなら妖怪に会ったことあるのって聞けば、みんなないって言う。アリスだって、もちろん、ない。


 そういえば、よく南国の青い海、白い砂浜、とかって言って観光客を呼んでいるけど、青くない海とか白くない砂浜なんかあるのかしら。浅い海なら緑色、ならわかるけど。


 あとは、月にはうさぎが住んでいて、餅つきをしているのだ、とかね。誕生日にもらった天体望遠鏡で月を見てみたけど、うさぎが餅をついているところなんか見たことない。

 秋になると山が赤くなるって話もあった。紅葉と言うんだっけ。枯れているのとなにが違うのかしら。アリスの知っている木は、枯れる時にしか色は変わらない。

 サンタクロースだって怪しいもんだ。クリスマスが近づくと、お母さんもお父さんも、しょっちゅう聞いてくるもの。サンタさんには何をお願いするの、ってね。



 ほら、すぐに思いつくだけでもこんなにある。

 考えれば考えるほど、全部物語の中だけの話のような気がしてくる。





 でも、もしかしたら本当は、全部、本当のことなのかもしれない――




 。゜+ ○ 。+ ゜。




 声が聞こえたような気がした。

 家には今日、アリス一人しかいないはず……、まさか、どろぼう?


 読みかけの本にしおりをはさんで、アリスはこたつから抜け出す。気のせいならいい。一人で留守番をしている時にどろぼうなんて、しゃれにならない。


 そっと足音を立てずに歩いて、居間を出る。廊下には誰もいない。そのまま、できるだけ静かにあちこち見て回る。

 台所。玄関。お風呂場。トイレ。お父さんの部屋。階段の下の物置き。二階の廊下、アリスの部屋、お母さんの部屋、寝室、ベランダ。

 やっぱり、誰もいない。


 ほうっ。

 やっぱり気のせいだったんだ。よかった。


 アリスは安心して居間に戻る。

 ずっと楽しみにしていた本なんだ。こういう、誰にもじゃまされない時に読むのが一番。

 こたつにもぐりこんで、足を伸ばしたその時――


 ふぎゃぁっ


「なな、何っ?」


 足にあたった変な感触と変な声に驚いて、アリスは慌ててこたつ布団をめくる。とたん、白い何かが飛び出してきた。目で追いきれず、驚いて振り返ると、そこには。


「……猫」


 毛を逆立てた、真っ白い猫がいた。

 アリスの家では、猫なんて飼っていない。ペットの類は金魚だって飼ったことがない。アリスは飼ってみたいのだけれど、なかなか許してもらえない。だから時折、野良猫がたくさんいる公園で遊ぶので我慢している。それも、ご飯をあげちゃいけないって言われているから、触るだけ。

 一度、カラスにいじめられていた子猫を助けてなつかれたけど、その子は少し前にいなくなってしまった。これだけなついていたらお母さんも許してくれるかも、と思っていただけに、いなくなってしばらくは落ち込んだ。


「どっから入り込んだんだろ」


 あげたままだった布団を下ろして、アリスは猫に向き直る。

 野良ではなさそうだ。公園で見かける子たちより、随分ときれいな猫。真っ白い毛並み、青い目、ぴんと立った二本のしっぽ。


 ――二本?


「え……」


 慌てて目をこするアリス。やっぱり二本ある。

 それから、自分のほっぺたをひねってみる。


「痛い」

『何やってんの、お前』


 あきれたような渋い声がして、猫がしっぽを振った。さっきまで逆立っていた毛は、いつの間にか落ち着いている。すらりと姿勢良く座る猫は、アリスを観察しているみたいだった。


「だ、誰?」


 なんとなく、いやな予感というか、妙な期待感のようなものを抱いて、アリスは猫に向かって聞いた。


『おれ様に決まってるだろ』


 ぱたん、と猫がもう一度しっぽを振る。そして、ナァ、と鳴いた。


「…………」

『何か言えよ』

「いや、だって! ……猫がしゃべるわけないじゃん」


 自分で言って、首を大きく振る。


 ないない、あるわけない。だって、猫だよ?

 っていうか、そうだよ、この猫口開けてないし。


 と思っていると、猫の目が細められる。なんだかバカにしているような顔に見えるのは、気のせいだ、絶対。

 にゃーお、と大きく鳴いて、二本のしっぽを見せびらかせるように振った。


『そりゃ猫はしゃべんねぇよ。おれ様、猫又だもん』


 ゆらゆらと、二本のしっぽが揺れる。


「ねこまたって、ええっと」

『なんだよ知らねぇの? これだから最近のガキは』

「ま、待って、知ってるよ。妖怪でしょ、すっごく長生きした猫はしっぽが分かれて化け猫になるっていう、あれ」


 前に本で読んだことはある。あるけど、あれはお話の中の登場人物で、本当に妖怪がいるわけなくて、だけど頭の中に聞こえてくる声はねこまただと言っていて……。


「あ、あれ? 頭の中に聞こてえる」

『へぇ、気づくのか。なかなかやるな、おまえ』

「あ、ありがと。って、そうじゃなくて」


 褒められて思わずお礼を言って、アリスは首を振った。それから、猫に手を伸ばす。


「……本物?」

『何が、って! 気安くさわんな!』


 ぶん、と振られたしっぽが二本分、アリスの手を叩いた。


「ほんとに二本ある……」

『やっと信じる気になったか? よし、じゃ、行くぞ』


 そう言うと、というか、そう言う声が聞こえたかと思うと、目の前の白猫が優雅な動きで立ち上がって歩き出した。アリスはぼうっとして、そのまま見送る。


 白猫――じゃない、ねこまた。妖怪で、化け猫で、油をなめて、開けた障子を閉める、百年生きた、猫――


『ぼけっとすんな! お前も来い!』

「え、ええっ?」


 大きな声に驚いて、遅れて言われたことを理解する。

 来い、って……。


「どこ、行くの?」

『ついて来ればわかる』


 楽しそうな声でそう言う猫の目が、きらん、と光ったように思えた。



 。゜+ ○ 。+ ゜。



「ねぇ、わたし、おるすばんまかされてたんだけど……」

『ああ? 留守番?』


 そう、とアリスは目の前を歩く白猫にうなずく。

 なんだかよくわからないまま、こたつを消したりパーカーを腰に巻いたりして出かける準備をして、鍵をかけて家を出てきたけれど、自称猫又の白猫はせかすばかりで何の説明もしてくれない。

 そりゃあ、誰とも何も約束してないから留守番を引き受けただけで、出かけるときは戸締りしてね、ってお母さんは言ってたから、たぶん大丈夫だと思うし、この白猫に興味を持って、ついて行ってみようと決めたのはアリスなのだが。


『気にすんな。大丈夫、今日はあの家に悪いもんが来ることはねぇから』

「なんでわかるの?」

『おれ様が猫又だからだ』

「…………」


 答えになっていない、とアリスは思うのだけれど、どうだろう。

 はぁ、と息を吐いてアリスは周囲を見渡す。

 今年ももうすぐクリスマスだ。年々派手になっていくイルミネーションが、今はまだ明るい時間だから消されているけれど、あちこちの家に飾られている。サンタの姿の人形とか、そりを引くトナカイの形のイルミネーションとか、庭の木をぐるりと囲むカラフルな電球とか。


「あ」

『あ?』

「あの家、去年はイルミネーションやってなかったのになーと思って」


 ふん、と鼻を鳴らして、白猫はとことこ歩く。


『何が楽しくてあんなことしてんだか』

「えー、きれいじゃない。毎年楽しみにしてるんだよ、わたし」


 クリスマス前の休日には、家族揃って夜のドライブに出かけるのだ。

 アリスの住んでいる町だけでなく、隣町やもっとずっと遠いところまで、クリスマスのイルミネーションを見るためにドライブする。お店でやってるやつなんかより、ちょっとお金に余裕のある人が自分の家にやるやつのほうが、おもしろい。家の形を上手く使って飾るのだ。

 もっとも、アリスの家ではやらない。せいぜい、お父さん背の高さくらいのツリーを飾り付けるくらいだ。クリスマスパーティーをする時だけ、ちょっと部屋の飾りを多くするけど。


 それにしても、いったいこの白猫はアリスをどこへ連れて行くつもりなんだろう。


「ねえ」

『うるさいな、黙って歩けよ』

「いいじゃん、誰も歩いてないんだから」


 車はたまに通り過ぎるが、歩いている人は一人もいない。

 誰かいたりしたら、さすがに話しかけない。傍から見たら、猫としゃべる変な子と思われるだろうから。


「ね、名前なんていうの?」


 そう聞くと、ぴたり、と歩みが止まった。

 何か悪いことを聞いただろうか、とアリスが困っていると、白猫のほうが困った声でつぶやく。


『言ってなかったか?』

「言ってなーい!」


 まったく、なんだっていうのだ、この猫は!

 

 気まずそうにアリスをふり向いて見上げてくる白猫。じと、とにらんでから、そういえば、とアリスも名乗っていなかったことに気づいた。

 お互い、ろくに自己紹介もしていない。

 まあ、猫――というか、妖怪相手に自己紹介っていうのも変かもしれないけど。


「あー……わたしも名乗ってないね。ごめん。わたしはアリスだよ。君は?」

『おう。おれ様はスノウだ。雪みたいに真っ白な毛だろ?』

「ふうん?」

『ふうん、って。ほかになんかないのか。きれいだ、とか』


 威張ったように言う猫に、アリスはそっけなく返す。


「だってわたし、真っ白な雪なんて見たことないもん」

『は?』


 本気で何を言っているのかわからない様子のスノウに、アリスは説明する。

 毎年、真冬になると北国から「贈り物」として「雪の塊」が運ばれてくる。それを見世物にしているイベントがあるのだけれど、アリスが見た「雪」はそれだけだ。あんな、固くて土まみれの茶色いのが、空からふわふわ降ってくるなんて、全然現実味がない。

 というか、スノウはここ以外のどこか、北の方に住んでいるのだろうか? でないと雪なんてアリス同様知らないはずだ。


『……なるほど。それで――』

「え、何?」


 今まではっきり聞こえていたスノウの声が、今度は聞き取りにくかった。


『……いや。なんでもねぇ。ほれ行くぞ』

「あ、ちょっと!」


 歩き出すスノウのあとを、慌ててアリスは追った。



 。゜+ ○ 。+ ゜。



 ここだ、と言ってスノウが入っていったのは、高台にある人けのない公園だった。アリスも何度か来たことがある。だけど、ここは怪談話で有名な場所で、こんな、日も傾きかけた時間に来たいと思うような場所じゃない。

 それに、そもそも、アリスの家からここまで、歩いてくるなんておかしい。絶対おかしい。


『なんか不満そうだな』

「あ、当たり前でしょ、はぁ、一時間かけて歩いて、休もうって言っても聞かないし、それどころか、長い坂道登らされて、ふぅ、……疲れるわよ!」


 少し息を弾ませたままで文句を言えば、スノウは気にせず奥へ進む。


『元気じゃねぇか』


 むー、とうなってみるけど、結局こんなところまで、文句を言いながらもついて来たんだから、今さらだ。

 


「ねぇ、まだー?」

『まだあっち』

「どっち」


 答えるのも面倒だというのか、スノウは返事もせず歩き続ける。


 この公園は三つのエリアに分かれていて、一番目立つ出入り口に面したところは、学校にも上がらないような小さな子たち向けの遊び場だ。

 アリスたちが入ったのはそこからで、もうひとつの出入り口は車用。そこのすぐそばは、バスケットやテニスのコートなんかがある。

 そして、出入り口らしいものが何もない、一番の高台に当たるところにあるのは、アスレチックの遊具がある場所。

 スノウはどうやらそこへ向かっているらしい。アリスは一度しか遊んだことがないから、どんな遊具があったのかあんまり覚えていないけど、それなりに楽しかったような気はする。


 階段を上がって、遊具がたくさんある場所に出たとたん――


「やぁ! 来たね! ひゃっほーぅ!」


 大きな声で言って、背の高い若い男の人が、目の前の滑り台をすべって現れた。思わず、アリスは一歩下がる。


 どうしよう。変な人だ。


 にこにこ笑う顔は、無害な感じはする。

 格好も普通に見える。ちょっと普通より背が高いかな、とは思うけど、ひょろりとしているせいかもしれない。

 髪の毛も目の色も、夜のように真っ黒だ。スノウとは正反対だな、と思う。

 年は、アリスにはちょっとわからない。大人、だとは思うけど、それにしたって、大人があんな変な声出していきなり滑り台を下りたりするだろうか?


『引かれてんぞ、お前』

「え、なんで?」


 不思議そうに首をかしげる。ますますアリスは逃げ出したくなった。

 ていうか、まさか、いわゆる、変態ロリコンさんじゃ、ないよね?


「まあいいや、とにかく、ようこそ来てくれました。だけどごめんね、もう少しだけ待ってくれる?」


 にこにこと笑って、長い体を折り曲げるようにしゃがんでアリスの目線に合わせる。

 スノウと会話した、ということは、スノウの知り合いなんだとは思うけど……。

 困って白猫に目をやると、二人のちょうど真ん中の位置に座り込んでいたスノウは、まるで人間のように首をかしげた。


『……おれ様は説明しねぇぞ』

「あ、そうか。そうだね。ありがとう、スノウ。ええと、僕はね」


 言って男の人はすっと立ち上がる。

 そしてすごく自然な動作で、優雅に片手を胸に当て、一礼した。シルクハットとか似合いそうだ、とアリスはなんとなく思う。


「ホーリーナイト、って言います、ワンダーランドのお嬢さん。長いから、ホーリーでもナイトでも好きなように呼んでくれてかまわないよ」


 顔を上げて、にこりと笑う。


「ワンダーランドって……『ふしぎの国のアリス』のこと?」


 その通り、と言って再び優雅な礼をするホーリーナイト。

 にこにこと、本当に無害そうだけど。


「……わたしの名前、知ってるんだ」

「そりゃあ、君をご招待するために、スノウを使わしたんだもの。当然知っているさ。連れ出し役をウサギに頼もうかとも思ったんだけど、手の空いてるのがいなくて」


 なんだか納得いかない。

 アリスを連れ出す計画についてまだ何か言おうとしているホーリーナイトを遮るように、口を開く。

 

「じゃあ、ホー」

「ほ、ホー?」


 一度も呼ばれたことのない形で省略されて、ホーリーナイト改めホーは、目をぱちくりさせた。

 ふくろうかよ、とスノウは思ったけれど、黙って成り行きを眺めることにした。

 へたに突っ込んで、説明に協力しろとか言われたら、たまらない。


「なんでわたしをしょうたいしたの? 何に?」


 思いっきり怪しんでいる顔でアリスが言うと、ホーは真面目な顔になって答える。


「それはね、アリス。あるお方が君に――っと。来た来た!」


 言葉を途中でやめると、一気に顔をほころばせて、ホーは空を見上げた。

 アリスもつられてホーの見る空を見上げた。


 そして、そこには。


「うわ」


 ウソだ。

 信じられない。

 だって、あんなものが堂々と空を飛んでいるなんて……ありえない!


「どうだい? 君のために呼んだんだよ!」


 両手を挙げて、ホーが空を示した。


「あれ……なに」


 少し引き気味でつぶやくアリスを見て、スノウがそっけなく答える。


『見てのとおりだろ。――ドラゴンだ』


 空に、大人が三人くらいは乗れそうな、大きな、翼の生えた生き物が、いる。


「はっ。いやいやいや。待って、待って。百歩譲って、妖怪が存在して、スノウがねこまたで、しゃべるのは、いいよ。ううん、よくないけど、まあここは日本だし、いいとして、でも」


 ぐちぐちとわけのわからないことを言いながらも、アリスは空に浮かぶものから目がはなせない。

 なんて、すごい生き物なんだろう。

 力強く羽ばたく翼、傾きかけた太陽に光る金色のうろこ、大きな体なのに重さを感じさせない優雅な動き、するどい爪のついた足。

 それが、だんだんこちらへ、空の彼方からゆっくりとやってくる。


「ホーリーナイト」


 厳かな、というのはこういうのを言うのかも、とアリスは思った。


「貴殿の言っていた人の子とは、その少女のことか」

「こんばんは、オウ。そう、アリスだよ! すっごくいい子なんだ!」


 混乱するアリスを差し置いて、ホーは勝手に何か話を進めている。

 口を大きく開けて、ぽかんと巨大なドラゴンを見るアリスに、ホーはふり向いて手を差し出した。


「さあ、行こう!」



 。゜+ ○ 。+ ゜。



 ぶる、と体を震わせて、アリスは息を吐く。

 白い。

 今まで体験したことのない寒さだった。


「あ、その格好じゃ寒いよね。ごめん、ごめん。ちょっと待ってね……、はい、どうぞ」


 いったいどうやったのか、いきなりホーの手の中に防寒具が出てきた。

 と、ホーは勝手に、ずぼ、と耳あてつきの帽子をアリスの頭にかぶせる。目深にかぶせられて見えなくなった視界を広げようと、アリスが帽子を直す間に、ホーはマフラーを巻いたりポンチョを羽織らせたり、ひざ掛けを乗せたりしていく。そして、手袋を渡す。


「大丈夫? まだ寒い?」


 そう尋ねるホーは、会った時とあまり変わらない格好をしている。

 髪や目と同じ、夜のような真っ黒いマントを羽織っただけだ。


「……大丈夫」

『おれ様は寒い。もう帰らせろ』


 文句を言って震える猫を抱き上げると、ホーは手袋をはめ終えたアリスに渡した。


「誰かとくっついていれば、寒くないよ。だろ、スノウ?」


 ふん、と鼻を鳴らしただけで、スノウはまた黙り込む。

 そんなスノウをくすりと笑って、アリスはそっと下を覗き込んだ。


 眼下に広がるのは、海だ。

 真っ黒い、海。いつも見ている青くてきれいな海は、そこにはない。

 空を見上げれば、いつの間にかすっかり日が暮れて、代わりに三日月がひっそりと光っていた。


 ばさり、と大きな音がして、体が傾く。


「わ、旋回するなら言ってよ、オウ」

「間も無く陸地が見えるぞ、客人方」


 ホーの文句を無視すると、ドラゴンは楽しげな声で首を北に向けて示した。

 その示す先を見ると、確かに、水平線上に陸らしきものが見えてくる。


 ほぅ、と息を吐き、その景色を眺めながら、アリスは少し考える。


 ――なんだかわからないうちに、アリスはこのドラゴンの背に乗っていた。

 側には正体不明の男ホー、腕の中には真っ白な猫又スノウ。金のうろこのドラゴンには手綱のように赤いひもが付いていて、アリスはそれをしっかりつかんでいるよう言われた。


 とりあえず、混乱した頭のままで聞き出すことができたのは、このドラゴンの名前はオウではない、ということ、北に向かっている、ということだけだ。


 オウ、というのは、ホーがドラゴンの名前を覚えられなくて、勝手につけたあだ名らしい。

 長いのと発音が難しいのとで、ホーは本名で呼ぶのをあきらめたんだそうだ。ホー自身は正確に発音しているつもりだったらしいけど、ドラゴンには違う名前を呼ばれているように思えるようで、文句を言われるのだとか。

 それで、黄金のおうと、王様のおうをかけて、オウ。


 それにしたって、この寒さは一体なんだろう。高い所が寒いらしいのは知っているけど、いくら海の上でも、こんな学校の屋上くらいの高さで気温が変わるわけない。

 北へ向かっているせい、なんだろうけど……。


「高度を上げるぞ、しっかりつかまっていろ」


 ドラゴンの声に、アリスは慌ててひもを握りなおす。腕の中のスノウもしっかり抱え込んだところで、一気にドラゴンの体が傾いた。


「わ――」

「しっ、口閉じて。舌かんじゃうよ」


 ホーに言われて、おとなしく口を閉じる。風が痛い。

 びゅうっという風の音がやんで、ドラゴンの体が水平になった。


「あ、アリス! ごらん!」


 叫んで指差すホーの目の先には、きらきら光る町が広がっていた。


「わぁ……」


 きれい、と声に出さずにつぶやいたアリスを、スノウが見上げる。

 さっきまでの戸惑いがうそのように、アリスの目は輝いていた。

 その顔を見て、スノウは安心する。どうやらやっと、楽しむ余裕ができたみたいだ。


「ねぇ、ねぇ! これ、どこ?」


 町の景色を見たままでアリスが叫ぶ。その声はとても楽しそうだ。


「ないしょ。だけど、気に入ってもらえると思うよ」


 にこにこ笑ってそれだけ言うホーにも、今はあまり怒る気がしない。

 信じられようとなんだろうと、アリスは今、ドラゴンの背中に乗って空を飛んでいるのだ。これが楽しまないでいられようか!


『ドラゴン』

「……ふむ、承知した」


 スノウとオウの、唐突でわけのわからないやり取りに、アリスは首をかしげた。


「なに?」

「着陸地点を少し修正したんだよ。スノウのテレパシーで場所を伝えたんだ」

「テレパシーっ? そっか、頭の中に声が聞こえたのはテレパシーかぁ」


 なるほど、と納得しかけて、スノウを見る。


「……妖怪が、テレパシー?」

『なんだ?』

「なんか似合わない」

『うるさいな、お前にわかりやすく言ってやっただけだ!』


 まあまあ、とホーがなだめる。


「ほら見て、アリス!」


 ホーの指差す先、そこは学校の運動場ほどもあろうかという広場だった。広場といっても、町中の公園とかではない。町から離れた、森――というのだろうか、とにかくすらりとしたシルエットの葉のない木々の間に、ぽっかりと空いた場所だった。

 そこに、明らかに人じゃない形の何かが、集まっている。

 動物、だろうか? 森だし。


「おい、そこをどけ。降りるぞ」


 ドラゴンがそう声をかけて下に降りようとすると、そこにいた何かたちが、空を見上げてあわてて場所を開けようと逃げ出し始めた。

 言葉を理解しているような反応に首を傾げて、いやでもこんな大きなのが上空にいたら逃げるか、とアリスは思い直す。


 少し待ってあげてから、空いた場所へと、ドラゴンが降り立つ。


「お疲れ様! アリス」


 ひらりと先にオウの背から降りると、ホーはアリスに手を差し伸べた。

 その手に飛び込むようにしてスノウが降りて、器用にホーの腕を伝い、肩の上に乗った。

 アリスも意を決してオウから飛び降りる。ホーがうまく抱きとめてくれて、アリスをふわりと降ろした。


「ここ、どこ?」


 アリスは白く息を吐き、辺りを見渡す。


 オウが降りるために一度は散ったなにか達が、また集まり始めていた。

 ネズミや猫、犬、ウサギのような普通の動物もいるし、ヘビやオオカミ、クマのような、近づくのが怖い動物もいる。

 立派な角のシカ、するどい目のフクロウ、綺麗な毛並みのキツネ、大きく翼を広げたタカ。


 いつかどこかで聞いた、自由に歩いて回れるという動物園?

 と思ったところで、アリスの目にまた信じられないものが飛び込んできた。


「ホーリー! 西の竜ドラゴンに協力を頼むんなら、先に言ってよ!」


 透明な羽を持つ、アリスの手のひらサイズの女の子が、ホーに向かってぱたぱたと飛んできたのだ。

 小さな女の子は怒った顔をして腰に手をやりホーをにらむ。


「まったく、もう、どうやって人間の子供を連れてくるのかと思えば!」


 文句を言われているホーは、あはは、とのんきそうに笑っている。

 じっとその女の子を見ていたアリスは、ささやき声がだんだん増えているのに気づいて、視線を周りに向けた。


「う、わぁっ?」


 毛玉のようなもの、火の玉のようなもの、のれんのようなもの、ぬいぐるみのようなもの、傘のようなもの。

 辺りの木々と同じくらい背の高い巨人、動物の耳やしっぽのある人、角のある人、葉っぱの傘を持つ小人。

 二足歩行の牛のようなもの、はでな着物を着た顔のない女の人、翼のある馬、カラスの羽のある男の人。


「ななななに、なにここ!」

『ようこそ、おれ様達の国へ』


 アリスが声に目を向けると、にやり、とスノウが笑った。


「スノウ達の、国? つまり、……つまり?」

「ああ、ファン、お説教は後にしてくれよ。アリスが混乱してる」

「あら。そうね、あとでじっくりたっぷりしましょ」


 目を白黒させるアリスの目の前に来ると、ホーはかがみこんでアリスと目を合わせた。

 にこり、と安心させるように笑うホー。

 

「アリス」

「ホー? あの、つまり、つまり」

「うん。ようこそ、僕たち妖怪の国へ!」


 いろんな姿のいろんなものが、声をそろえて繰り返す。


「ようこそ、アリス! 僕たちの国へ!」


 


後編は今夜か日付が変わる頃には。

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