本当の気持ち
「暇だな…」
アキヒトは木陰で昼寝していた。実技の時しか基本的には仕事がないため、普段はほとんど何もしていないのだ。
「リリィもあれから来てないしなぁ…それは楽でいいんだけど…けど…」
アキヒトは去り際のリリィの顔が忘れられなかった。なぜあんな顔をしていたのか。それともただの見間違いだったのか。
「あーしかたねぇ、暇だしこっちから探すか。気になって昼寝もできやしねぇし」
微妙にツンデレちっくなことを言いながら立ち上がり、アキヒトは弟子を探すことにした。のだが…
「…どこにもいねぇ。帰っちまったのか?」
剣士クラスにも演習場にもリリィはおらず、途中懲りずにアキヒトに勝負を挑んできた生徒(当然失敗した)に聞いても知らないと言われた。
「なんなんだよ…あんなにまとわりついてきてやがったのに3日も来ないとか…なんか、調子狂うじゃねぇか」
マザードラゴンの言った通り、アキヒトは滅多に自分の近くに人を置かない。そのアキヒトが口ではめんどくさがっていたが側に置いていたのがリリィである。無意識であっても何かを感じていたのであろう。
「あれ、クロノ先生じゃないですか。めずらしいですね、歩いてるなんて」
「オルコットさん、俺を引きニートみたいに言わないでくれるかな」
「だいたいあってるでしょう。リリィも言ってましたし」
「リリィ…そうだ、あいつが今どこにいるか知らないか?」
「え?今日は先生のところに行ってないんですか?」
「いや、今日はってかここ3日くらい会ってもないんだが」
「おかしいですね…昨日も一昨日も楽しそうに先生との今後の生活を語られたんですけど…それに、今日は『彼氏』と決着をつけてくるって言ってましたし。喧嘩でもしたんですか?」
「カレシ?ああ、それ俺じゃねぇわ。婚約者のことだろ」
「婚約者?何言ってんですか先生、そんなのリリィにいるわけないじゃないですか。それに、婚約者なんて言葉結婚できない年齢の子供くらいしか使わないですよ」
「…え?」
「あるいは、そうですね、政略結婚の相手になら使う人もいますけど。この国では政略結婚は嫌われてますからねぇ。もし仮になんらかの事情で行う場合、そこに愛はないってことで例え夫婦であっても相手のことを婚約者なんて呼んで悪あがきをしたりするんですよ」
あっさりとそんなことを言ってのけるレベッカに、アキヒトは困惑の表情を見せていた。
「ま、まて、それは本当のことなのか?」
「ええ、この国では割と普通の事ですね。なのでリリィには絶対いませんって。そりゃお父さんが亡くなって大変でしょうけど…この前だって、ただ気分が暗くなってただけなのにマリッジブルーだ、なんて言うから結婚するのって聞いたら意味わかんないみたいな顔されましたし。馬鹿な子だなぁと慈しんでいたら、本当に先生と結婚しちゃったからまさかこれを見越して!?なんて私が馬鹿なことを考えちゃいましたよ」
「そ、そうか…いや待てよ、じゃああいつはなんなんだ…?オルコットさん、ヘーメルってやつ知ってるか?」
「ヘーメル?ああ、あのモーガン家のお坊っちゃまですか。女好きで有名ですよ。家柄とお金を使って次々と女の子を取っ替え引っ替えしてるとか。最近じゃその噂が広まりすぎて寄っていく女の子はいませんけどね。まったく、少しはおじいさんを見習えばいいのに…」
「おじいさん?もしかして、モーガン家ってあの鉄人と呼ばれるアレクサンダー・モーガンの家系か?」
「ええ、そうですよ。おじいさんは規律と秩序を重んじる騎士の中の騎士として有名なのに、孫は何を間違えたんでしょうね。というか、ヘーメルがどうかしたんですか?」
「…実はな…」
アキヒトはこの前会ったことをレベッカに教えた。
「ど、どういうことなの?婚約者ですって?リリィから言い出した事…?そんなの、ありえない!」
「俺も、もし仮に政略結婚だとしたらおかしな話だと思うんだよ。あいつは自分の力で自分の家を支えていこうとしていた。そんなあいつが簡単に他の貴族を頼るとは思えない…」
「当たり前ですよ!きっとリリィは騙されてそうなったんですよ!それに、政略結婚なんて例え頼まれたからってモーガン家が受け入れるはずがないと思うのに…いったい何がどうなってるのよ…」
「確かに、自ら嫌われるような事を鉄人がするとも思えない…鉄人が死んだなんてことも聞いてないし」
「リリィ、彼氏と決着をつけるって、どういう事なの…」
「彼氏…」
その言葉は、3日前アキヒトが彼女に言った言葉であった。彼氏に迷惑をかけるな、と。リリィの事を婚約者と呼ぶ、つまりは愛のない関係だと言っている相手を彼氏などと呼んでしまった。今になって、あの時自分が何をしたのかをアキヒトは理解した。自分のことを慕ってくれている相手を、知らなかったとはいえ傷つけてしまった、と。
「ヘーメルの家ってどこにあるかわかるか?」
「え、はい、わかりますけど…どうするんですか?」
「リリィは決着をつけるって言ったんだろ?ならきっとヘーメルのところに行ったはずだ。事情はわからないが…とにかく、行ってみようと思う」
「そうですね…わかりました!私も気になりますし行きます!」
〜〜〜〜〜〜〜〜
「ここがモーガン家です」
「…これだから金持ちは嫌いだ」
アキヒトとレベッカはいわゆる豪邸の前に立っていた。有名貴族ともなればこんな家に住むのかとアキヒトは黒い気持ちになっていた。雨風がしのげればそれでいいじゃないか。こんなに大きくする必要はない。
「さすが鉄人ですよね。あれほど有名なのに割と質素なお家に住んでるんですから」
「……質素?」
「このくらいのお家なら普通じゃないですか?」
アキヒトはもう何も信じられなくなりそうだった。オルコットさんも金持ちなのか。そりゃリリィの親友っていうんだし当たり前か。
「じゃ、俺帰るわ」
「何言ってるんですか先生?ほら、行きますよ」
帰ろうとしたアキヒトを引きづりながら門をくぐっていくレベッカ。
「おじゃましまーす」
「おや、オルコット様ではないですか」
レベッカがなんだか緊張感なく入っていくと、執事らしき男性に迎えられた。かっこよく年をとるとこうなるのだろうという雰囲気の、執事って言ったらこんな人だよなというような男だった。
「お久しぶりでございます。そちらの男性は…?」
「この人は最近学園の先生になった黒の剣ことアキヒト・クロノ先生ですよ」
「その方が…やはりこられましたね」
「…オルコットさん、ちょっと下がってて」
「え?どうしたんですか」
「いいから下がってて…じーさん、ここでやるのか?」
「ええ、あなたほどの方を相手にするには狭くても広くてもどこでも変わりませんから」
すっと執事とアキヒトが構える。一触即発の雰囲気だ。
「え?え?な、なんなんですかいきなり?」
「知らないけど、なんかこのじーさんがいきなり濃密な殺気をぶつけてきたんでな…相当できるな、あんた」
「これでも大旦那様の右腕として一線で戦い続けて来ましたから…行きます!」
執事が目にも止まらなぬ速度で突きを放つ。学園の教師陣にまったく引けを取らないどころか、それよりも速い突きだ。
「ちっ…!」
それをアキヒトは居合抜きでキンッと弾きかえす。ギリギリのタイミングであった。
「その程度の腕前ですか。ならば、ここから先には進めませぬぞ」
「……」
黙って刀を抜いたまま構えるアキヒト。
「…はぁぁあ!!」
気合いの入った掛け声とともに先ほどよりも速い速度での剣撃がアキヒトを襲う。
「はぁっ…!」
ガキィィィンという音がなった。そして、執事の剣がとばされカランッと床に落ちた。
「な、なんと…!」
「悪いなじーさん。最近刀を抜くことを禁止されててちょいと反応が遅れちまったよ。腕が鈍ってたみたいだ」
涼しげな表情で刀を鞘に戻す。レベッカには剣戟が速すぎてただただ執事の剣が飛んでいったように見えた。
「…お見事です。この老いぼれでは敵いませんか」
「正直危なかった。あんたが全盛期なら負けてたかもな。で、なんでいきなり殺気なんかむけてきたんだ」
「坊ちゃんに、黒の剣が来たら全力で追い返すように、と言われていましたゆえに」
「まぁやっぱりそんなところか。ヘーメルが何してるか知ってるのか」
「ある程度は…しかし、このようなことにあなたほどの方が本当に出てくるとは…愛は偉大でございますね」
「何を訳の分からんことを言ってやがる」
「坊ちゃんは二階の1番奥の部屋にいらっしゃいます」
恭しく客を出迎えるように頭を下げ、執事はその場から去った。
「…まぁいい。とりあえず、目的を果たしに行くか」
「は、はい…先生って本当に強かったんですね」
「まぁそれなりにな。てか信じてなかったのか」
「ただの引きニートかと…」
「え、本当にそう思ってたの…?」
「冗談ですよ。さ、早く行きましょ!」
アキヒトは納得行かなそうな顔をしていたが、仕方ないので先を急いだ。
広い二階の廊下を歩いている間、特に妨害はなかった。
「また誰か襲ってくるかと思ったんだけどな。よほどあのじーさんを信頼してたのか」
「そうですね…ところで先生、先生はなんでここに来たんですか?」
「は?なんでって…どういうことだ?」
「だって先生、リリィのことそんなに気にしてなかったんですよね?結婚だってあんまり納得してませんでしたよね?」
「それは…」
「でも先生はここに来た。リリィのためですよね?なんでリリィのためにこんなことするんですか?」
「そ、それは…た、ただ暇だったから…それに、一応知らなかっとはいえ傷つけちまったのは俺だし、しかたなくだな…」
「暇だからって先生がこんなことするとは思いません。しかたないなんて理由で引きニートの先生が動くとも思いません。先生、ちゃんと先生の気持ち教えてください。でないと、ここから先に行っても意味ないです」
「……わかったよ俺はな、俺の気持ちはな…」
・・・・
「さぁ先生、着きましたよ!行きましょうか先生!」
「なんでそんなやる気満々なんだよ…」
レベッカがさっきよりもキラキラした様子でやる気満々な一方、アキヒトは顔を赤くしていた。
「先生の本当の気持ちを聞けましたからね!これならここから先何があっても大丈夫ですよ!」
「あーうるせぇうるせぇ!ちゃっちゃと終わらせるぞ」
アキヒトは気持ちを切り替えてガチャっとドアを開けると、大きく綺麗な装飾の部屋であった。女性の部屋、といった印象だ。
「…本当に来たんですね、先生。どうされたんですか、お互い誤解は解けたはずでしょう?」
「ああ、解けたと思ったんだがな…婚約者の本当の意味を聞いちまってな」
「な…い、いったい誰から!?…そうか、オルコット、お前がリリィから聞いていたんだな…」
「確かに教えたのは私だけど…リリィから聞かなくたってそれくらい知ってるわよ」
「そうか…しかし、だからどうしたと言うんです?先生には関係ないことではないですか?僕が決闘で勝って彼女を婚約者にしたんだ!文句を言われる筋合いはない!」
「決闘、だと?」
「そうさ!彼女と決闘をしたとき、あいつの方から負けたら婚約者になってやると言ったんだ!」
「そうか、それでリリィはお前を負かすために強くなろうと…自らの家の誇りである大剣を捨ててまで、強くなろうとしていたのか」
「僕が無理やり言ったわけじゃない。それなのに、お前は口を出すって言うのか?関係のないことだろう?」
「そうだな…でも、1つだけ気にくわないことがあるんだよ」
「な、なんだよ?」
「お前がいつまでも婚約者、って呼ぶことだよ。お前は、リリィを見ていない。その見た目の美しさは認めているが、ただそれだけだ。美しいものを自分のものにしようとしているだけだ」
「え?…そ、そうだよ!それがどうした!」
「あいつはさ…リリィはさ、俺を旦那様って呼ぶとき、すげー嬉しそうだったんだよ。本当に、気持ちを込めて呼んでくれた。俺はそれがわかってたからさらに気恥ずかしくて…けど、気持ちは嬉しかったんだよ。あいつは本当にそういうの、愛ってのを大事にしてるんだよ。だがお前は彼女を婚約者と呼ぶ。愛もなにもあったもんじゃねぇ。それが許せねぇ」
「な、何をわけのわかんねぇこと言ってやがる!お前だって嬉しかったとか言ってるが旦那様って呼ばれてもほとんど相手にしてなかったって聞いてるぞ!」
「そうだな。そうだったよ。でも、あいつがいなくなってたった3日で…寂しいって感じたんだよ。あいつがそばにいないと物足りないって思っちまったんだよ!恥ずかしながら俺も気がついたのはついさっきさ。なんで俺はここに来たのか。ちゃんと理解したのはついさっきさ。だが気がついたからはっきり言える」
「な、なんだお前…めちゃくちゃだぞ…」
「お前は俺の…竜の逆鱗に触れちまったのさ」