就職協定
私が最初に就職活動しましたのは20世紀末。
今から15年程前の出来事でありまして
その時の状況はどのようなモノであったのか?
につきまして
綴らせて頂きますと
就職協定
と言うモノは既に廃止されておりました。
この就職協定とは
どのようなモノであったのか?
と申しますと
戦後。
朝鮮半島の主導権を
アメリカとソ連ないし中国が争っていました時、
(形態としましては
日清・日露戦争と同じ構図なのでありましたが)
休戦になりましたこと。
植民地支配の概念が
過去の遺物となり始めた時期であったこと。
更には
日清・日露の時とは異なり
(……必ずしも幸せなことではありませんが)
朝鮮半島で暮らされているかたが武器を手に取り、戦われたため
2つに別れておりますけれども
朝鮮のかたの手により
日本も含め
数百年後の歴史教科書で
どのような色の塗りかたをされているのかは定かではありませんが
独立国家として成立。
現在に至っております。
……の戦争の恩恵に授かる形で
(……十字軍輸送かよ……)
仕事が舞い込んだことに伴いまして
人手不足になりましたのが日本でありまして、
そこで巻き起こりましたのが
企業により学生のエンクロージャー・ムーブメント。
囲い込み
でありまして
これでは学生の勉強に悪影響を及ぼすから
と成立しましたのが
就職協定
でありまして
当時は10月からだったのですね。
その後、一時廃止されましたのち
昭和47年に復活。
求人活動は5月から。
選考試験は7月から。
で推移していたのでありましたが
バブル景気の余波も終息しました
平成8年(1996年)に廃止となりました。
廃止となりました理由を一言で述べさせて頂きますと
(……ヒトが余っているから)
であります。
時は
第二次ベビーブーム世代が成人し、
大学への進学率が増加したことにありまして
仕事を求める22歳が多かったこと。
平成8年以前が
バブル景気であったため
企業が抱えている20代から30代前半の層が厚かったこと。
に比べ
バブルの崩壊に伴い
見込んでいました程の需要を創出することが出来なかったため
企業側が求める新卒者の需要が薄かったこと。
加えて
バブル期の人手不足を補うべく輸入されました
外国人労働者のかたも
景気後退や
入って来られるかたが増えるに従い
外国人労働者のかたの中でも
仕事の奪い合いが始まる時期に差し掛かっていたなど
需要と供給のバランスで見ました場合、
労働者の供給過多でありましたので
企業が学生を青田買い。
囲い込みしようとしなくとも
学生のほうが
勝手に求人票を手に尋ねて来る。
学生側から見ましても
仕事を見つけるのが大変でありましたので
選考試験の開始時期を定める必要はありませんよ。
で。就職協定は廃止されました。
これに近いものが
2015年に復活した理由は
……人手不足だから。
であります。
その就職協定が廃止されましてから
3年が経過しました時期に
就職活動の時を迎えました私でありますが
この年から
就職活動に新たな取り組みが盛り込まれることになりました。
それがこちら。
IT
であります。
それまでは
資料請求とか
エントリーシート。
履歴書
と言った類のモノは
基本。
手書きでありましたし、
認めました
それら文書を
企業側に届けるには
郵送
もしくは
直接
しかありませんでした。
郵送を除き
全て
『自分』
でありましたので
体力には限度と言うモノが存在しておりますので
思いを伝えることの出来る数には限りがありました。
これが
IT
が導入されることによりまして
あらかじめ雛形を作っておきさえすれば
パソコン操作1つで
何処へでも
やろうと思えば
何百と言いました会社に
データを送信することも可能となった。
このため
仕事を求める学生による
資料請求やエントリーシートの数に
企業側が面喰らう。
と言う状況が発生しまして
企業は企業でふるい落としに苦労をし、
学生は学生で
何度続くことになるのかわからない
選考試験に挑んでわ……
を繰り返し、
企業側が
『このヒト』
と決めた学生から
内定辞退のカードを切られる。
と言いましたことのほかに
ウエブ通じて簡単に。
でありますので
……送ったっきり
と言うことも……。
(今はもっと大変みたいですね。)
私の頃は
携帯電話はありましたけれども
エントリーシートを送信出来るような代物を
持ち運ぶことが出来る時代ではありませんでしたし、
当時。アルバイトをしていました
レンタル
(……これも懐かしい響きになりましたね)
ビデオ屋で会員証を作る時。
必ず必要だったのが
固定電話の電話番号であった時代でありましたので
実は私。
卒業するまで
携帯電話を持っていませんでした。
……まだまだ基本料金や通信・通話代が高かったこと。
当時は、
正社員でも無い限り
家に不在なら不在で。大丈夫な時代であったこと。
個人的なこととしまして
プライベートをプライベートに出来るのが
学生時代の特権でもありましたのでね……。
(……今は
目の前。パソコンの左横に置いてありますけれども 苦笑い)
厳密には
仕事のため
では無く
これもいつか書くことの出来る時があるのかな……。
たまたま目の前にあった野球雑誌と
2代前の携帯電話。
帰宅途中に流れていた
名古屋のラジオ番組に
11年前。
命を助けて頂いたので……。
(……話はどこへ行ったのかな?)
(……読み返しながら)
今は便利な時代になりましたよね……。
動画や写真を撮影
ないし
文書や音声を記録したモノを
編集し、
それを世界に向け発信することを
手の平に入るサイズの
薄く軽い端末を
指で撫でるだけで出来てしまう。
これをパソコンでやろうとしますと
パソコン以外にも
結構な周辺機器が必要となるのでありますが……。
と言う
便利でもあり
恐ろしくもあり
の端末を
持っていることが当たり前の時代でありますので
こんなモノ持っていますから
(……スーパーコンピュータを駆使する
株取引にでも挑もうとしているの?)
の競争に打ち勝って初めて
企業説明会に参加することが許される。
採用担当者と個別に面談するためには
更なる
スピード競争に勝たなければならない。
(……そこまでして?)
とも思うのでありますが
折角、
企業側の新卒採用機運が高まっている時期でもありますので
企業名だけが企業の価値ではありません。
報道機関で取り上げられる機会は
ほとんどありませんが。
仕事を始めますと
(……この製品にもこの会社が……)
と言う企業
たくさんありますので
焦りますけれども
最終的に就職出来る口は1つだけでありますので
じっくり腰を据えられまして
捜されることを願っております。
2500字超えましたので
本来。ここで書く予定でありましたことにつきましては
次の項目で取り上げることとします。