棄てられた世代
私が生まれましたのが昭和52年のこと。
平成生まれの皆様からしますと
(……先土器時代と同じ。昔のこと)
と思われるかたも多いことかと思われるかもしれませんが
幸いにしまして
今も通用する日本語を操ることが出来る。
(とは言え
調子に乗って
『ナウい』
とでものたまった瞬間に)
『オッサン』
のそしりを受けることになる
難しい年頃に差し掛かっています
俣彦さんは
これまでどのような人生を歩んで来たのか?
と言う
興味そそられる感ゼロの。
そんな声は一切気にせず綴っていこうかな……。
そのように考えております。
題は
『ブラック企業へようこそ』
私の世代は
第2次ベビーブームのピークが過ぎた辺り。
とは言え
当時は
希望の大学・学部に進むべく
浪人
と言う選択肢を採るかたも多かったこともありましてか
まだまだ競争の激しい時期であったにも関わらず
全く恩恵に与ることの出来なかった
バブル経済の崩壊に端を発しました
景気後退によりまして
中学・高校更には大学へ進むに従い
景気は更なる悪化の一途を辿った上
その全く恩恵に与ることが出来なかった
バブル経済当時の日本人は
仕事について
どのように考えていたのか?
と申しますと
『危険』『キツイ』『汚い』
の
いわゆる
『3K』の仕事には就かない。
そんなことしなくても
財テク
(……懐かしいですね)
株式市場に資金を投じさえすれば
カネがカネを呼ぶ
最高値は3万8957円でありましたか。
濡れ手に粟の如く
福沢諭吉が降って来る時代でありましたので
汗水垂らして日銭を稼ぐような仕事なんかしたくない……。
で。人手不足に陥りました
本当の景気を支えていました
小さな町工場からの悲痛な叫びを受け、
最初。
日系の外国人のかたがたの受け入れを行いまして
当時の日系のかたでありますが
これは実際。私が経験したことなのでありますが
たまたまバス停で
待っているモノは
バスしかありませんので
路線バスが来るのを待っていましたところ
同じバス停に居ましたかたから
『半年ぶりにブラジルから帰って来て、
職場に置いておいたクルマを取りに行くのだけれども
その職場に行くためには
どのバスを利用すればいいのかね?』
と尋ねられまして……。
普通のことだと思うでしょ。
まぁ普通のことなのでありますが
当時は、今と違いまして
日本とブラジルを往復し
なおかつ向こうで
半年遊んで暮らすことが出来るだけの収入を
彼ら
日系の外国人のかたがたは
稼ぎ出しておりまして。
今は違いますよ。
……と言うより
20年以上経過していますので
日本生まれの日本育ち
と言うかたも増えて来ましたこと。
加えて景気が悪くなりまして
日本人も職種を選ぶような
悠長なことが出来なくなったこともありまして
いわゆる
『3K』職場でさえ
見つけることが難しい時代になって来まして
そうなりますと
ヒトが余ります。
ヒトが余る
と言うことは
雇用する側からしますと
安く労働力を仕入れることが出来るようになります。
そのため
20年以上前のような稼ぎかたは出来なくなり、
定住せざるを得なくなった。
もしくは
稼ぐことの出来る国へ移動した。
更には
五輪景気なのか
ロシア、中国、インドに南アフリカのような状況。
ブラジルの景気が良かったことも影響してなのかわかりませんが
帰国されるなどしまして
一時期に比べますと
日系の労働者のかたは少なくなったように感じられます。
これは
あくまで印象でしかありませんが……。
……の。
日系外国人労働者もヒト余り傾向となり、
更には
景気もどん底
どん底と言いましても
(……底って割れるんですよね……)
の状況にありました
20世紀の世紀末に
私は就職活動の時を迎えるのでありました。
私の年代はどのような年代であったのか?
と申しますと
受験戦争は続いております。
景気は悪化の一途を辿っていきます。
金利は0のため
貯金をしても手数料でプラスは消えて無くなります。
教育面に目を移しますと
私が中学2年の時に
教育政策が
みんな一緒。一糸乱れぬ行動が美徳であったことから
個性が尊重されることになるなど
根本から覆されることになります。
加えて、
私の2つ下辺りから
英語にリスニングが導入されまして
もちろん猶予期間はありましたけれども
大学受験に際し、
浪人することのリスクが増したこと。
更には
景気が悪化していましたので
なるべく現役で。
それも通える範囲内で
学費の安いところ
国立。
と思うでしょ。
国立でも年間。
学費だけで
私の時ですら年50万円掛かりましたからね……。
月4万。
当時ありました
日本育英会の奨学金が
月4万円代。
仮に国立に受かることが出来たとしましても
奨学金が学費で消えてしまう。
これが私立となりますと
足が出ることになる。
もちろん学費を修めたとしましても
衣食住が保証される訳ではありませんので
今思いますと
(……大学まで、よく進ませてくれたものだな……)
(……今は、
受験制度の多様化と
……四大増えましたからね。)
学生優位。
これがのちの就職活動の時、
大変なことになるのでありますが
お金さえあれば、誰でも……。
と思われる状況でありますが
一方、学費の上がりかたと
学費を支払う側の収入の伸び率が一致せず。
で親御さんの苦労と
奨学金で。
の学生さんにとりましては
卒業後やって来る
借りた奨学金の返済
と言う現実が待っている。
幸いこの点につきまして私は
のちのち記していくことになるのでありましょう。
1度、転職を余儀なくされておりますが
卒業してから17年近い月日が流れようとしておりますが
その間。全て
『常雇』
別段、引き抜きでも無いにも関わらず
転職先のほうが
収入が増え、
(その理由につきましても
のちのち記すことになると思われます。)
(……これが大きいんですよね)
予定を立てることが出来る生活を送ることが出来るようになったこと。
(話が横道逸れていますね)
奨学金の返済を無事終えることが出来たのでありましたが
就職超氷河期から
大変なことになられたかたもいらっしゃいます。
(……何処に向かってなのか定かでありませんが
話を戻しまして)
そんな状況にありました
私の世代に対しまして
国が採りました政策が揮っておりまして
どのようなことをされたのか?
と申しますと
地域振興券
住んでいる自治体内でしたか……。
で通用する商品券(2万円分)を
下衆な表現を使いますと
(……ばら撒いたのでありましたが)
その対象となりましたかたは
どのようなかたがたであったのか?
と申しますと
15歳以下の子供の居る世帯主と
65歳以上で市町村税の非課税者。
実施されたのが
西暦1999年。
私が就職活動に翻弄されている真っ只中。
私が22歳の時のことでありましたので
当然の如く
私の家は
地域振興券の恩恵に与ることはありませんでした。
そんな私が老いの境地に達し、
今居る職場から
大減俸を飲むか
辞めるか
の選択を迫られました時の
一筋の蜘蛛の糸となるべく
国に預けています
年金につきましても
……どうやら税金と同じになってしまうのでありましょうね。
(……すごいよね)
失敗しても
誰も責任問われない人に
運用させてはいけないと思うんですけどね……。
あれと同じことを
一般の企業でやったら
間違いなく
勤めている企業からは
弾き飛ばされることになるんでしょうね……。
リゾート法の時
造ったところは
設備はしっかりされておりますので
上手に宣伝すれば……
とは思うのでありますが
運用の概念から考えた場合、
(……必要?)
と言うのと
こことは異なる施設なのでありますが
会員権が収入源。
来訪されるかたは
会員権を取得されましたかたに配りました
優待券を持って来られるかたのみでありますので
むしろお客様は来ないほうが
(……赤字幅を縮小させることが出来る。)
(……それだけ設備はきちんとされている証拠なのでもありましたが)
の施設とね……。
その原資が
(……預けている年金)
こんな状況では。
と怒った日本の国民が
持っている権利を行使する形で
今の政権に
『NO』
を突き付ける
と言う行動に出たことが
実際にありまして
その時の選挙。
……普段の選挙には
まず来ないだろうな……。
の雰囲気のかたがたが
投票所まで足を運ばれまして
一票を投じられておりましたね……。
の出来事があったのでありましたが
政権交代も想定して勉強する機会を……。
のチャンスをみすみす逃してしまったことが
(……失望売りを招きまして)
逆に
その時
『NO』
を突き付けられましたかたがたは
更なる地力を付けられまして
隙の無い政権運営をされている。
その間の4年が長かったこと長かったこと。
ここで日本で良かったです。
とイラクやシリア。
ウクライナの状況を眺め
思うことしばしであります。
の。
日本の谷間世代の底辺を
(何回も底が割れましたが)
彷徨っています
俣彦さんが歩んで来ました
『仕事』
にまつわる話。
以後、綴っていこうと思います。